2014年10月8日(水)
会議日の夕方、ちょっと手間取って6時半頃に建物を出ると、道向こうのビルの上に開けた夜空にくっきり浮かぶ満月、その左下三分の一ほどが、おぼろに黒くかじりとられている。不思議な光景だ。竜が月を食らっているのだと言われても、信じるほかはない。スマホを覗き込んで足早に出て行く女性は、この壮大な天体劇に気づかず背を丸めている。碁敵のFさんがちょうど右手からやってきた。
「Fさん、月蝕が始まりましたよ!」と声をかけると、空を仰いで手を振った。
夜道を海浜幕張駅へ向かう間、かじられた月が頭上を道連れに移動する。次第に上っていくのは目には分からないが、15分ほどで駅前に着く頃には竜の食み跡がはっきり成長して、全体の4割ほどに及んでいる。東の空を仰いで佇む人々が10人、15人。仲間連れのビジネスマン、カップルの学生風、カメラを手にした壮年の男性など、皆いちように口が半開きだ。この勢いでは、電車に1時間余も乗る間にすべて終わってしまうかもしれない。
それかあらぬか、知るよしもない東京の街頭風景、大井町の駅前では誰も空を見ていない。無情の曇り空である。大岡山でも同じこと、家の前まで戻ってくると、向かいのマンションの入り口に三脚を据え、よく似た顔の父と息子が語らっている。
「月蝕、見えましたか?」
「いや、まるでダメです」と父親。
「まるでダメです」と息子が復唱する。
晴れ間を待って、ここにずっと頑張っていたのか。千葉では良く見えましたよと言うのも気の毒だが、仕方ないね。立ち話の横を、大きなカメラや三脚をぶら下げたり手にしたり、一人、二人と遊歩道の方から戻ってくる。皆うつむき加減である。
「来年もあるそうですから」と、父子はなお興奮した態でそこを動かない。来年までここで待つと言わんばかりの気合である。
アメリカに渡った直後に大きな日蝕があったのを、久しぶりに思い出した。午後の研究室を空にして、皆、見物に出たものだ。僕はちょうど『アーサー王宮廷のヤンキー』(原題は、ただのヤンキーではなくコネチカット・ヤンキーである。主人公が日蝕を予言して「魔力」を誇示する場面がある)を読んでいるところで、場所やら時代やらが頭の中で入り乱れ、それこそ興奮気味だった。日蝕の暗さは奇妙なもので、暗くなるというよりも黒い光が投げかけられているような妖しさがある。月蝕の欠けた部分も、単純な欠けではなくて何かがそこにあるような。
満天下の物好きと仲良し父子のため、来年は全国の空が晴れますように!