散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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竜の食み跡

2014-10-08 22:16:41 | 日記

2014年10月8日(水)

 会議日の夕方、ちょっと手間取って6時半頃に建物を出ると、道向こうのビルの上に開けた夜空にくっきり浮かぶ満月、その左下三分の一ほどが、おぼろに黒くかじりとられている。不思議な光景だ。竜が月を食らっているのだと言われても、信じるほかはない。スマホを覗き込んで足早に出て行く女性は、この壮大な天体劇に気づかず背を丸めている。碁敵のFさんがちょうど右手からやってきた。

 「Fさん、月蝕が始まりましたよ!」と声をかけると、空を仰いで手を振った。

 夜道を海浜幕張駅へ向かう間、かじられた月が頭上を道連れに移動する。次第に上っていくのは目には分からないが、15分ほどで駅前に着く頃には竜の食み跡がはっきり成長して、全体の4割ほどに及んでいる。東の空を仰いで佇む人々が10人、15人。仲間連れのビジネスマン、カップルの学生風、カメラを手にした壮年の男性など、皆いちように口が半開きだ。この勢いでは、電車に1時間余も乗る間にすべて終わってしまうかもしれない。

 それかあらぬか、知るよしもない東京の街頭風景、大井町の駅前では誰も空を見ていない。無情の曇り空である。大岡山でも同じこと、家の前まで戻ってくると、向かいのマンションの入り口に三脚を据え、よく似た顔の父と息子が語らっている。

 「月蝕、見えましたか?」

 「いや、まるでダメです」と父親。

 「まるでダメです」と息子が復唱する。

 晴れ間を待って、ここにずっと頑張っていたのか。千葉では良く見えましたよと言うのも気の毒だが、仕方ないね。立ち話の横を、大きなカメラや三脚をぶら下げたり手にしたり、一人、二人と遊歩道の方から戻ってくる。皆うつむき加減である。

 「来年もあるそうですから」と、父子はなお興奮した態でそこを動かない。来年までここで待つと言わんばかりの気合である。

 アメリカに渡った直後に大きな日蝕があったのを、久しぶりに思い出した。午後の研究室を空にして、皆、見物に出たものだ。僕はちょうど『アーサー王宮廷のヤンキー』(原題は、ただのヤンキーではなくコネチカット・ヤンキーである。主人公が日蝕を予言して「魔力」を誇示する場面がある)を読んでいるところで、場所やら時代やらが頭の中で入り乱れ、それこそ興奮気味だった。日蝕の暗さは奇妙なもので、暗くなるというよりも黒い光が投げかけられているような妖しさがある。月蝕の欠けた部分も、単純な欠けではなくて何かがそこにあるような。

 満天下の物好きと仲良し父子のため、来年は全国の空が晴れますように!


人の顔/坂本先生

2014-10-08 05:02:11 | 日記

2014年10月8日(水)

 「本人の努力でどうにもできないことについて、揶揄論評するのは卑劣なこと」と幼時の父の教え、「顔」についてあげつらうのはその典型に属する。顔を商売道具にしている役者や芸人は別として、たまたまテレビに出た人の顔のことなど、とやかく言うものではない。ジョーシキだ。

 しかし日曜の晩は、思わず吐き捨てるように言ってしまった。

 「イヤな顔だ」

 録画を別々に見た家内と三男が、全く同じ感想を口にしたのが異様である。申し合わせたように「顔のこと言ったら悪いんだけど」と付け加える。皆、心底イヤなものを見たのだ。

 その顔は、番組の中でむやみに笑っていた。歯並びの悪さや頬の凹凸が問題なのではない、「こういうことを、こんな風に笑って話すもんかな」と三男が言う通り、屈託もなく嬉しそうに、笑顔満面で語る性根に吐き気がする。

 「みだら」という言葉があわせて浮かぶ。たぶん急所なのである。ものごとを商品化することは、おしなべて堕落の始まりだ。いっぽうでは進歩の原動力にもなるから話が難しいけれど、その負の作用からして決して商品化してはならないものが二つある。だからこそ商品経済の出現以来、この二つは絶えることなく商品化され続けてきた。その二つとは、

 ひとつは「性」、いまひとつは「兵器」である。日本が公然と兵器を商えるようになったことを、何の葛藤も曇りもなく心から楽しんでいる顔、嬉々としてその作業に邁進している顔、「命中」の映像を見て得意げに顎をそらす顔、それらがもうひとつの蹂躙され続けていた禁忌と結びつく。

 イヤな顔だ。そしてこれは、「本人の努力でどうにもできないこと」についての論評ではない。その逆だ。

***

 坂本義和先生が2日に亡くなった。1977年の後期、O君やT君と並んで受講した「国際政治」が思い出される。明晰で啓発的な名講義だった。

 「アフリカは内陸から海岸に向け、諸部族が多重円を為して分布している。ヨーロッパ列強はこれを海岸から矩形に噛みとる形で植民し、それが既成事実化して独立に至った結果、成立したアフリカ諸国はすべてが同型の部族問題を内部に抱えることになった。」

 たとえばそんなことが次々に語られ、目からウロコが落ち続けた。何枚落ちても、暗い目は暗いままなのが申し訳ない。クリスチャンであるとも、ある人から教わった。しかし、それをそのままの形で公にすることはしない、深く秘めて学問に注ぎこむ人柄であると。

 試験の論題は「国際政治過程においてナショナリズムの果たす役割について」、確かそんな風だったと思う。

 「基本的なことなので、よく考えて書いてください」と指示なさった声と微笑が、記憶に残っている。