鎌倉時代に始まり、秀吉が御土居で完成させたといわれる(諸説はありますが)七口。京の都と地方をつなぐ道の始まりとして設けられ、現在でもその地名を残します。三条通(東海道)の粟田口、近江とを結ぶ白川越(志賀越)の荒神口、山陰に通ずる丹波口、鞍馬から若狭へ通ずる鞍馬口などなど。
この内、若狭へは他にも出町の大原口から北へ走り、朽木を抜けて若狭小浜へ至る若狭街道もあり、これを別名鯖街道と呼びます。出町橋の西詰には出町商店街振興組合さんが建立された「鯖街道口」の道標が建ちます。
(フィールドミュージアム京都ウェブサイトよりお借りしました。)
由来は読んで字のごとく、若狭で獲れた鯖を塩漬けにして京の都まで運んだっことに由来します。もちろん、鯖に限らず、若狭の海産物の多くも運ばれたことでしょう。海のない都にとっては貴重な海産物の搬入路となっておりました。そしてその鯖は鯖寿司となって京の名物として残ります。他にも、若狭のグジ(アマダイ)に鯛、カニ、ブリに岩ガキ、等々、若狭の海の幸の恩恵をこうむっております。
ところで、大原口道標は今出川寺町交差点東北角にあります。
(フィールドミュージアム京都ウェブサイトよりお借りしました。)
花崗岩に建立者19名の名と、東西南北の四方向の行先が標されており、全国的にも美しい道標とされているようです。市内各所には大小いくつもの道標があり京都市登録文化財として、五条別れなどの道標とともに、保存されております。
さて、大原口道標に標されている内容は、
[東] 須磨や伊兵へ
下かも 五丁 比ゑい山 三り 若松や安兵へ
金屋久兵へ
東 吉田 十二丁 黒谷 十五丁 相模や宗助
八尾や与助
真如堂 十四丁 坂本越 三り 福枡や伊兵へ
出石や熊吉
大和や常七
[南] かう堂 九丁 六角堂 十九丁 丹波や安兵へ
同 与兵へ
南 六条 卅五丁 祇園 廿二丁 新米や幸三郎
清水 廿九丁 三条大橋 十七丁
[西] 内裏 三丁 北野 廿五丁
西 金閣寺 三十丁 御室 一り十丁あたご 三り
[北] 丹波や市兵衛
上御霊 七丁 上加茂 三十丁 近江や太四郎
北 亀や正五郎
くらま 二り半 大徳寺 廿三丁 竹本天喜
今宮 廿六丁 慶応四辰年四月 岡野金兵衛
若さや九郎助
山城や市兵へ
(フィールドミュージアム京都ウェブサイトよりお借りしました)
といったもので、流麗な字体で記されておりますが、今に続くお店があるかは定かではありません。
因みに私どもの前にも一つありますが、残念ながら根元で折れて鉄枠で支えられております。
「右 ぜぜ 大津道」
「左 立木観音 石山道」
と標されておりますが、「ぜぜ、大津道」は多少分かるとして、「立木観音」は少し判りづらいですね。厄除けで有名な立木さんは瀬田洗堰と天ヶ瀬ダムの間に位置しますのでここにこの道標を建ててもあまり意味がないような気がしますが・・・。
チーズケーキ
革堂さん、正式名称、霊麀山行願寺(れいゆうざんぎょうがんじ)は私どもから近く、寺町通竹屋町から北へすぐの所にある天台宗の尼寺で、西国三十三所観音霊場の第十九番札所となっております。
革堂さんの名で千年もの間、親しまれてきた名刹です。開祖は行円上人で、このお上人様が鹿革を身に着けておられて、人々は「皮聖」(かわひじり)と敬い、「革聖のお堂」から「革堂」と呼ばれるようになったとか。もとは猟師だったお上人さんが牝鹿を射止めたときに子を宿していたのを見て改心し、仏門にはいり鹿皮に経文を記して身に纏っていたと伝えられます。
京都御苑の西を南北に貫く寺町通り沿いに建つ革堂さん。山門をくぐればすぐ本堂。「革堂観音」の大きな赤い提灯が目に飛び込んできます。本堂は千鳥破風、唐破風が前にせり出し、豪華で重厚な造り。御本尊は秘仏「十一面千手観音」。毎年1月17・18日の両日開扉されます。
西国三十三所のうち、京都市内には十一番の上醍醐寺、十五番今熊野観音、十六番清水寺、十七番六波羅蜜寺、十八番六角堂、二十番善峯寺、番外の元慶寺とあり、各札所ともお参りする人が絶えず、線香の煙と香りが漂っております。
1月中か毎月七日にに巡ると功徳が大きいとされる都七福神の一つ、「寿老人」像は境内の寿老人堂の祀られます。各地にある七福神巡りの中でも最古といわれる都七福神。他には、北白川・赤山禅院には福禄寿、松ヶ崎・大黒天はもちろん大黒さん、四条縄手南の恵比寿神社には恵比寿神、五条に近い六波羅蜜寺には弁財天、洛南・東寺には毘沙門天が、宇治の万福寺には布袋さんが祀られております。元日の夜に、宝船に乗る七福神の絵を枕の下に置いて寝るといい夢を見ると言われております。
寺宝の一つに「幽霊絵馬」があります。昔、法華信者に殺され埋められた子守娘の親が絵馬に娘の幽霊を描いて奉納したものとか。毎年8月20日過ぎの絵馬供養で見られます。今年は21日~23日だそうです。
京都好き男
IT
先日、料理写真の撮影がありました。
銀塩の時代は何十枚と撮って現像して出来がわかるという具合でしたが、今は撮ったその場でパソコンで確認できるというありがたい時代です。高度な料理センスはもちろん、写真のセンスもプロにはかないません。当たり前ですがプロが作ってプロが撮る、これに勝るものはありません。
KAZ