ヒジュラ暦1427年シャアバーン(8月)4日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日) |
8月17日から26日までスペイン・ポルトガルに行ってきた。冬に行ったカンボジアの旅行記が全く進まないまま無謀にもスペイン・ポルトガル旅行記も平行して綴っていくつもりである。
とはいえ、現在なかなか身動きがとれないので、本格的に始められるのはいつになるのか見当もつかない。とりあえずメスキータの写真をアップしてみた。
私が「旅行に行く」というと、なぜかバックパッカーかフリー旅行と無条件に判断されることが多いが、今回もツアーである。
「自力で行かないと旅の真の醍醐味もわからんし、その土地の生の雰囲気にひたれないではないか」と主張する方々もいるが、私の旅の最大の目的は「ひとつでも多くの観光地(主に遺跡と古い建築物)を回る」ということに尽きる。
夏休みと有給休暇の限られた日数の中で効率よく回るにはツアーしかないのである。そして効率が良すぎた場合、苦難の旅となること請け合いだ。今回もとてもハードなツアーを経験させて頂いた。
その中で、本来無いはずの自由時間を捻出したり、行かないはずの所に行ってみたり、現地の建築に詳しいガイドと名刺交換をする仲になったりと隠密行動が繰り広げられるのである。まあ詳しくは徐々に…。
イベリア半島(アル・アンダルス)には約800年にわたってイスラーム文化が栄えた。だんだんとキリスト教勢力に押され、1492年のグラナダ陥落をもってイベリアのイスラームの歴史に幕が下りたわけだが、まだまだイスラームの残り香ともいうべきものは残っていた。国民の9割以上がカトリックとなったスペインで暮らすムスリマとも会うこともできた。
バルセロナに到着したときには24~26度くらいだった気温が、アンダルシアに行く頃には40度を超えていた。そこで今回の旅行記のタイトルは「アル・アンダルスの暑い夏」とした。
昨年の中東でイスラーム地域を、年末年始のカンボジアで仏教地域を、そして今回のイベリアでキリスト教地域というように3回シリーズで3大宗教の国々を回ってきたことになる。
レバノン、カンボジア、スペインはいずれも内戦を経験した国でもある。そこでは宗教は違っても素朴に信仰する人々の姿が見られた。「祈らずにはいられない」―それが信仰の原点なのだろう。
突然ですが、トップの写真は
コルドバのメスキータでは!?
あの印象的な赤と白のアーチは、
たぶんアルハンブラにはなかったと思うのですが。。。
アンダルシアは、そんなに暑かったんですね。
夏の暑さは、噂には聞いていますが、
なにぶんスペインには2月~3月の間しか行ったことがないもんで。。。
一度夏にも行ってみたいです。
お忙しいと思いますが、
旅行記、楽しみにしていますね!!
お帰りなさい。
私もスペイン・ポルトガルへ行ったことあります。
メスキータのためだけにコルドバへ行きました。
ポルトガルでは幾何学模様のアズレージョばっかりみていました。
どうしてだか、どこへ行ってもイスラム関係のところばかり行っていて、今考えるとお導きですね。
アンダルシア、そうとう暑くて日差し強いそうですね。スペイン語を操る友人がアンダルシアへ旅に出かけ、海に泳ぎに行ったら、1日で体中水ぶくれだらけになってしまい全身やけど状態。
もう日本から持ってきたものは何も効果がなく、現地の薬局で手に入れた薬でようやく症状が治まったらしいです。
旅行記、楽しみにしていますね。
このブログを私のブログにリンクさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか。
最初はグラナダのアルハンブラ宮殿の遠景を載せていたのですが、写真を差し替えた際に場所の修正をするのを忘れてしまいました。
ということでしっかりと直しておきました。
御指摘ありがとうございました。もう少しで恥をかくところだった(もうすでに結構恥ずかしい…)。
なんとなくカンボジアのときよりは勢いがありそうなので、できるだけ早めに旅行記を綴りたいと思っています。
砂漠よりも日差しが強く、すっかりと小麦色の肌になりました(男に使うと気持ち悪い表現かな?)。
私はイスラーム入信以前はラテンだったので(なんのこっちゃ?)、スペインはラテンとイスラーム両方の雰囲気を楽しめる、一粒で二度美味しい国でした。
カタルーニャとかアンダルシアという言葉には、歴史の哀愁を感じます。
リンクは全然構いませんが、最近更新が滞っている上、ますますムスリムとしての不真面目度に磨きがかかっていますけれど、大丈夫でしょうか?
スペイン、私も一度行ってみたいです。
旅行日記と写真、またアップされるのを楽しみにしてます☆
昔から行きたい国のひとつだったので、ようやく念願叶った感じです。
少しずつ旅行記をつけていこうかと思っています。