ヒジュラ暦1427年シャアバーン(8月)6日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日) |
ということで、いつも機内ではタンクトップ・短パン・サンダルという出で立ちで、周りから「何なの、この人?」という怪訝そうな視線を浴びている。今回も例外ではない。
例外なのは旅行中はその格好をしなかったことだ。バルセロナに着いたときの気温は約24度。とても過ごしやすい。いきなり「アル・アンダルスの暑い夏」というタイトルに反する展開だ。
6月、7月と猛暑だったのに、8月に入ったら涼しくなったらしい。どうやらカタルーニャは私を歓迎してくれているようだ。そこで今回は普通にジーンズやTシャツなどで旅することにした。
いい加減いい年してタンクトップに短パンという姿が恥ずかしくなったという点も見逃せない。
さて、バルセロナはカタルーニャ自治州の州都であり、オリンピックが行われたことですっかりと有名になった地域である。
昔から独立志向が強く、バルセロナオリンピックのときには、いわゆるスペイン語(カスティーリャ語)ではなく、カタルーニャ語で放送をしたり、スペイン国旗でなくカタルーニャの旗を振り回したりしていた。スペイン国王ファン・カルロス1世がいや~な顔をしていたのが印象的だった。
もちろん政府や、他地域のスペイン人たちも面白いはずがなく、
「おう、わかった! カタルーニャがそういう態度に出るならこっちにも覚悟がある。カタルーニャだけは新幹線を通してやらん!」
ということになった。
そんなわけで、スペインが世界に誇る新幹線AVEはカタルーニャを通っていない。
それに対してカタルーニャは
「スペイン政府が新幹線を通してくれないなら、フランスのパリとの間に新幹線を通すからいいもんね!」
という手段で対抗した。空港もカタルーニャ語がまず最初に書いてあるし、とにかく独立志向が強い。
個人主義の強い地域でもあり、他人に迷惑さえかけなければ、誰が何をやっていようがあまり干渉しないし、相当強烈な個性の持ち主でも白い目で見られたりしない。だからガウディのような人物も生まれたのだろう。このブログを読んでいる個性の強いみなさんにカタルーニャで暮らすことをお勧めする。私は没個性だからダメだな…。
ホテルの窓から、今回は訪問しないモンジュイックの丘が見えた。オリンピックの聖火台などが見える。9時過ぎなのにまだ夕陽が差すくらいだ。
翌日から観光が始まる。それと同時にささやかな戦いも始まっていたことにこのときはまだ気付かなかった。
「スペイン国内で話されている言葉」という意味で言えば、スペイン語は四つある。すなわち、北部のガリシア語、東部のカタルーニャ語、バスク地方のバスク語、そして世界中で「スペイン語」として認識されているカスティーリャ語である。このうちバスク語だけは言語系統が全然違う。
コルドバも一度は、訪れてみたいところです。
これからも、楽しみにしていますね。
アラビア書道歴6年というと、私から見れば、同級生ではなく大先輩ですよ。
よろしければ教室でも声をかけていただければ幸いです(^^)
もしお話したことのある方でしたらごめんなさい
まだまだ「イン・シャア・アッラー」という境地になれず、イスラームもアラビア書道も中途半端なままで焦っています。
ブログにも載せましたが、小さな文字のナスヒー体で苦戦中です。作品展やトルコのコンテストに間に合えばいいのですが…。
最近、このブログもイスラーム色が薄いので、「看板に偽りあり」にならないように気をつけなきゃ(^^;)ゞ
今後もよろしくお願いします。
できれば一度イスラーム国に住んでみたいのですが、叶わぬ夢のようです
mixiを初め、ネット上で情報を集めると、改めてアラビア書道への関心の高まりを感じます。
私は昔から手先が不器用で、センスも良くないので、オリジナリティなどは考えず、伝統的な技術を少しずつでも習得できればいいかなあと思っています。
いずれクルアーンを美しく書けるようになりたい――それが今のところの目標ですね。
今後もよろしくお願いします。