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日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

シンポジウム「サウジアラビアと日本の関係―現状と将来への展望」に参加して③

2006年04月06日 06時36分14秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ル・アウワル(3月)8日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
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 休憩時間になり、先生に引率されてきていた小学生数人の集団と話した。
 小学生には難しいシンポジウムだが、雰囲気を感じることが大切だ。受付近くに用意されたナツメヤシとチャイを飲みながら多くの国の人びとに囲まれる。
それだけでも十分な経験だと思う。

 ちょっと問題のある言い方かもしれないが、
「最初にここに来たときに、外国の人がたくさんいて驚かなかった?」
と尋ねてみた。

 ひとりの女の子が
「前はちょっとびっくりしていたけど、こういうところにいろいろ行っているうちに慣れました。全然平気です」
と答えた。

 自分と異質なものになじむというのは大切なことだ。それは外見だったり、行動であったり、言葉であったり、考え方であったりさまざまだ。

 子どもの頃から、自分と異なる人びとと接し、理解を深めるようになれば幸いだと思う。
 これからますます多民族化が進むであろう日本では必要な教育ではないだろうか?

シンポジウム「サウジアラビアと日本の関係―現状と将来への展望」に参加して②

2006年04月05日 23時56分10秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ル・アウワル(3月)7日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)
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 第1セッションの二人目の講演者はアミーン水谷周氏。

 イスラーム社会と日本社会の相互理解のために、それぞれの社会に向かってメッセージを送るというスタイルの講演。私なりに要約してみた。
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 まずイスラーム社会に対して日本社会から。
 相手の目を見て話す日本人が少ないことなどがアラブ人に誤解と謎を与えているようだが、倫理観には共通の部分もある。だから心はわかりあえるはず。

 しかし、日本人の宗教観はやはりわかりにくいかもれない。「いったい日本人はどのような人生の目的や来世やこの世の始まりをどのように考えているのか?」がアラブ人にはわかりにくいが、日本人は宗教に対して決して無頓着な民族ではない。

 だが、江戸幕府300年の歴史で国家宗教となった仏教は腐敗し、明治維新後は国家神道が戦争に利用された苦い経験から、宗教に対する警戒感・嫌悪感・拒否感が形成されてしまった。
 今、日本の宗教は深い谷間に落ちている。しかし、それは長い歴史の一局面であって、「日本人は宗教にうとい」「日本人は宗教嫌い」と早計な判断を下さないでほしい。


 次に日本社会に対してイスラーム社会から。
 イスラームの神髄は心の和む宗教であるが、日本社会ではさまざまな誤解をされている。
 マスコミの偏った報道はいうまでもないが、イスラームが研究対象の学問として捉えられ、知識偏重主義に陥っているため、信仰心とは何かということがおろそかになっているのではないか?

 
 最後に日本人に正しくイスラームを理解してもらうためにはどうしたらいいのか?
 日本人にとって一元論(一神教)はなじみがないので、いきなり「アッラーを信じて、その命令に従いなさい」と言ってもすんなり受け入れられない。そうではなくて、イスラームの人生論・徳目などをわかりやすく、親しめる形で示すことが、イスラームを理解してもらうより良い方法である。

 また、クルアーン、ハディース、その他イスラーム関係の本も、現代語を使ってわかりやすく親しめるものにすることが必要だと思われる。
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 ざっとこんな内容の講演だった。これに対して、本日クルアーンを朗唱したザイトゥン師が質問。

Q1.宗教に関して、日本にはどのような法律があるのか?

A1.政教分離を決めた法律がある。また、公立学校の教育では特定の宗教を教えることはできない。


Q2.我々は日本人に対してイスラームに目を向けるようにドゥアーを行っているが、それを日本ではどう受け止めているか?

A2.まったく何も感じません。(水谷さんストレートだな…)

 続いて日本人から質問。

Q3.日本人ムスリムが勉強会などで勉強すればするほどイヤになってきたり、同胞からいろいろ言われてイヤになるという話を聞くことがあるが、それについてはどう感じているか?

A3.私も押しつけられるのはイヤですね。先ほども申し上げたように、まずは信仰の核がしっかり固まって、そのまわりに知識をつけてゆくことが大切でしょう。
信仰の核が固まらないまま知識を重ねれば、信仰心そのものがつぶれかねません。


 このことを図で解釈するとこんな感じか(我ながら図が好きだな…)?
 左側がはっきりとした信仰心を中心にバランスよく知識を身につけていった場合。知識は信仰をますます確かなものにする。
 右側は不確かな信仰心に偏った知識を重ねていった場合。信仰心も知識もゆがみ、最後は信仰心が萎縮して消えてしまう。
   


 続いてパキスタンのイマームより質問。日本語ペラペラである。

Q4.ひとことで言って、日本社会の中にイスラームが広がるための壁となっているものは何か?

A4.歴史です。

「パキスタンのイマームの期待した答えはそういうことではないのではないか?」と思い、シンポジウムが終わったあとに、
「もしかして、『酒』とか『豚』という答えを待っていたのではないですか?」と尋ねると、「そうなんだよ、それ! そこについて答えて欲しかったんだよ」と言われていた。

アスルの礼拝の時間になり、その後は帰られたので詳しいお話はできなかった。
東京ジャーミイでお会いした際にでもお話しましょうということになった。

シンポジウム「サウジアラビアと日本の関係―現状と将来への展望」に参加して①

2006年04月04日 22時10分18秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ル・アウワル(3月)6日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)
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 サウジアラビアのスルターン皇太子殿下の来日を記念して、アラブ イスラーム学院でおこなわれたシンポジウムに参加してきた。
 日本人、アラブ人以外にも多くの国の人びとが参加していた。

 午後1時から午後3時半までの短い時間ながら、四人の講演者がひとり20分ずつ話し、質疑応答という形式。アラブ イスラーム学院のホームページにも掲載されているが、タイムテーブルをここでも作らせて頂く。

クルアーン読誦(ムハンマド・ザイトゥン師)
学院長挨拶(Dr.ムハンマド・ハサン・アルジール)
在日サウジアラビア大使挨拶
第1セッション 議長:徳増公明氏(日本ムスリム協会会長、日本サウジアラビア協会事務局長)
議長挨拶13:10
-13:15
「サウジアラビアと日本の文化関係」(Dr.ムハンマド・ハサン・アルジール)13:15
-13:35
「イスラーム社会と日本社会の宗教的側面の相互理解へ向けて」アミーン水谷周氏(学院研究者)13:35
-13:55
討議と質問13:55
-14:10
第2セッション 議長:Dr.ムハンマド・ハサン・アルジール(学院長、イマーム大学アラビア語学部教授)
議長挨拶14:20
-14:25
「サウジアラビア・日本の政治関係について」片倉邦男氏(21世紀イスラーム研究会代表理事、元UAE、エジプト・イラク大使、元大東文化大学教授)14:25
-14:45
「技術革新におけるサウジアラビア・日本間の協力の展望」ブカーリイサム氏(学院文化部長、学術部、早稲田大学博士課程在籍)14:45
-15:05
討議と質問15:05
-15:20
最終セッション 議長:Dr.ムハンマド・ハサン・アルジール
シンポジウム提言の発表15:20-15:30


 学院の受付で渡された翻訳機のチャンネル切り替えで、アラビア語も日本語も聞けるようになっていたのだが、在日サウジアラビア大使の挨拶くらいまでは、翻訳機の調子が悪かった。
 そのため、アラビア語で話された学院長、大使の挨拶の内容がほとんどわからず残念だった。生半可な学習では、ネイティブのアラビア語を聞いても全然わからない。

第1セッションのあたりから翻訳機の調子が良くなった。アラビア語とほぼ同時に訳される日本語が聞こえてくる。

「サウジアラビアと日本の文化関係」では、前半は日本イスラーム史的な話が中心だった。
 オスマン帝国のエトゥールル号遭難事件や日本人初のムスリム、アブドゥルハリル山田寅次郎、アフマド有賀文八郎の話、日本初のハッジの話などから始まり、1998年のアブドゥッラー皇太子(現国王)来日など現代までの流れ。

 そしてサウジアラビアと日本の両国交流のために媒体として大切なのが言語であることを確認。
 しかし、現在日本の大学では43学部でしかアラビア語が教えられておらず、ヨーロッパの主要言語に比べるとまだまだあまりに少ない。
 そこでアラビア語教育サービスを行う機関としてのアラブイスラーム学院の役割が重要性を帯びてくる。

 大変大雑把だが、だいたい以上のような要旨の講演であった。

私的にはラッキーだった富士急ハイランド

2006年03月19日 18時59分33秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)28日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

‎‎ 昨日、いい年ぶっこいて、中学時代の友人と富士急ハイランドへ遊びに行ってきた。
 私が絶叫マシンマニアということは意外に世間に知られていない(当たり前だ)。

 富士山の麓にある遊園地、富士急ハイランドにはFujiyamaドドンパという二大絶叫マシンがある。

 Fujiyamaは一時期、落差(79m)と最高スピード(こっちは忘れた)が世界一だったこともある、いかしたジェットコースターである。

 待ち時間も半端ではなく、今回は1時間半待った。周りは我々より若い人だらけだ。時期が時期だけに、大学、短大、専門学校の学生さん達が大挙してやってきているようだ。

 そして自分の番になった。ふふふ、一番前の席だ。絶叫マシンマニア的には、これ以上の幸運はない。逆に絶叫マシン嫌いの人にとってはこれ以上の不幸はないだろう(そもそも、そういう人はFujiyamaに乗れない)。

 天を仰ぎながらゆっくりコースターが上がっていくときの、

「ガッガッガ」
という独特のきしみ音が心地よい。もうすぐ垂直落下だ。この期待感がなんともたまらない。ぞくぞく

 そして最高地点に達したと思うや、顔面から真下に落ちるような感じで猛スピードで落下。ジェットコースターに乗ると怖さで目をつぶってしまう人が結構多いが、私的にはそれはいただけない。
 しっかりと目を開けて、自分がどのような目に遭っているかを直視する恐怖感こそが楽しいのである。

 続いて、ドドンパに並ぶ。こちらも1時間半待ち。そしてなんとこちらも一番前の席。おお! これほどのラッキーなことがあろうか。
 席に座っていると、やさしい女性の声で説明とカウントダウンが始まる。「さん、にい、いち」

シュバーッ!!

 カタパルト式の急発射だ。顔面に凄いG(重力)がかかる。カタパルトは空母などで戦闘機を飛ばすときにも用いられているシステムで、静止状態からいきなり最高速に近い速度で出発する。油断していた客達が悲鳴をあげている。
 うむ、これは正しい反応である。客全員が静かに黙りこくって走っている絶叫マシンの姿を想像すると不気味だ。
 やはり、「キャー!」とか「ヒー!」とか「もう降ろしてぇー!」などの定番の絶叫は欠かせない。
 
 顔面に強風を受けたと思った途端、垂直にレールを上り、垂直落下。しっかりと目を見開いて、角度を確認。
 おお! Fujiyamaより急だ。なにしろ完全に垂直なのだから。
 
 というわけで、人気絶叫マシン二つを一番前の席で乗れたので、私的にはこれほどラッキーな体験はない。

 そして、テレビ番組「噂の東京マガジン」の「やってトライ」の収録もやっていた。
 コギャル風の女の子が、ハンバーグだか蒲焼きだかわからない不気味な茶色い物体を焼いていた。あれを食べさせられるような不幸な境遇でなくて本当に良かった。

 そんな幸運続き(?)だったのだが、富士急ハイランドを出た途端に不幸に見舞われた。
 車のバッテリーが上がっていて、エンジンがかからない…。
 来るときにトンネルでヘッドライトを点灯して、消すのを忘れていたため、バッテリーが完全にあがってしまっていたのだ。

 ダッシュでガソリンスタンドや富士急の職員の間を走り回り、ようやく充電してもらえた。

 ひと安心して出発…と、その瞬間大雨が降ってきた。
 もう少し充電が遅れたら、私は大雨の中を走り回るハメになっていたかもしれない。そう考えると、なんとなくラッキーな気持ちになってくる。

 結局、トータルで考えると、私的にはラッキーな一日だった。
 アッラーに感謝!! 「お前、もうちょっとまともなことで感謝しろよ」という声が聞こえて来そうだけど…。

「ロールシャッハテスト」に二度目の挑戦

2006年03月16日 23時58分17秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年サファル(2月)25日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
‎‎ 昨日、心療内科にてロールシャッハテストを受けました。昨年12月20日の記事にも、このテストのことについて少し触れ、「心理テストがいかに心許ないか?」という趣旨のトラックバックを頂きましたが、性懲りもなく二度目の挑戦をする運びとなってしまったわけです。

 ご存じの方も多いかと思いますが、墨をこぼした紙を二つ折りにして広げてできたような模様を見て、「何に見えるか」を答える心理テストです。
 たぶん、ネット上にもたくさんの関連サイトがあると思うので、どんな絵柄か気になる方は探してみてください。

 さて、一回目の挑戦は、3年ほど前のことでした。当時、精神的に悩んでいた私は、さる心療内科に週1回通っていました。

 そしてある日、「一度性格傾向を調べるためにロールシャッハテストをやりましょう」ということになったのです。
 多少、ロールシャッハのことは知っていましたが、自分が受けることになり、不謹慎にも「お、面白そうだな」などと、心療内科にかかっている人間とは思えない期待を持ってしまいました。

 そして迎えたテストの日---

 年配の女性(以下「オバハン」と呼ぶ)が私のテストを担当することになりました。予想通り、一枚一枚私に絵を見せて「何に見えますか?」と尋ねてきます。

 最初のうちは「仮面」とか「骨盤」とか、まあ、だれもが答えそうな感じのことを言っていたのですが、このオバハンが結構しつこく「もう見えませんか?」「他に何か浮かぶことは?」とプレッシャーをかけてくるのです。

 私も想像力を振り絞って答えました。正確ではありませんが、ダイジェストでお送りすると、だいたい次のようなことを答えたと思います(見た絵は忘れた)。
 私は大まじめに答えたつもりです。


私:「フロリダ・ディズニー・ワールド、音と光のページェント」

オバハン:「なぜフロリダなんですか?」

私:「いや、なんとなくイメージで」



私:「力強く根性の入ったイソギンチャク」

オバハン:「なぜ、普通のイソギンチャクじゃないんですか?」

私:「なんとなく全体にみなぎるパワーみたいなものを感じたもので…」



私:「炎を囲んで踊る、アイヌの祭り『イヨマンテの夜』」

オバハン:「『イヨマンテの夜』って何ですか?」

私:「ええと、村田英雄の歌にもなってますが、ヒグマの霊などを慰める、アイヌのお祭りです」



私:「砂浜に打ち上げられたスナメリの死骸」

オバハン:「スナメリってなんですか?」

私:「小型のクジラの一種です」



私:「科学忍者隊ガッチャマンの敵ベルクカッツェ」

オバハン:「何ですか、それは?」

私:「テレビアニメです。ガッチャマンが正義の味方で、ベルクカッツェが悪の幹部です」



私:「パーマに失敗したデーブ・スペクター」

オバハン:「どの辺がパーマに失敗しているのですか?」

私:「周辺のこのあたりが乱れています。彼はどちらかというと頭にぺったり張り付いたようなパーマじゃないですか?」

オバハン:「そうかもしれませんね」



私:「『シェキナベイビー』と叫ぶ内田裕也」

オバハン:「『シェキナベイビー』ってどういう意味ですか?」

私:「ロック歌手って、なんとなくそう叫びそうじゃないですか。本来は『シェイク・イット・ベイビー』なんですかねえ?」

オバハン:「さあ、どうでしょうね」


 と、まあこんなやりとりが1時間以上続き、2週間後に結果が出た。

結果:「必要以上に無理して頑張ろうとする傾向がある。発想に異常が見られ、通常の社会生活を送るのは困難と思われる。通常の性格判断は難しい」

 悪かったな、通常の社会生活を送るのが困難で
 だいたい、オバハンが「他にも見えませんか?」とかいうからプレッシャー感じて無理に頑張ったのではないか。
 しかも、私の年齢を10歳も間違えているし。

 という、前回のことをすべてカウンセラーに話した上での、二度目のロールシャッハテストでした。
 今度は若い男性カウンセラーだったけど、やり方が微妙に違ったなあ。
 なんとなく、優等生的な答えをしてしまったズルい私でした。さて、二週間後、今度はどんな性格診断が私にくだされるのか楽しみです。

友人の画家、大和田いずみさんの展覧会

2006年01月26日 23時53分16秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)25日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

我が家の壁にかかる、いずみさんの油絵。スコットランドの湖と教会。ガラスが光って写りが悪い。

 銀座の画廊から展覧会の案内が来た。かつてのスペイン語仲間だった大和田いずみさんが展覧会を開くとのこと。
 彼女は若くしてフランスのコンクールなどに入選している(ごめんなさい。絵の賞についてはあまり詳しくないです)。

 絵だけはなく、最近ではフラメンコの世界でも頭角を現している。その上、英語・スペイン語・フランス語を話す。こういう多才な人がうらやましい。

 でも気取ったところが無く、常に笑顔を絶やさず、それでいてちょっとオッチョコチョイな感じの愛すべき人だ。

 今回の展覧会のテーマは「光を描く」。光はいずれの宗教でも象徴的なもの。光は破壊をもたらす力を秘めているが、安らぎをもたらすものでもある(12月11日の記事にも書いたけど)。

 いずみさんの描く光はもちろん安らぎをもたらす。今回はどんな安らぎをもたらしてくれるのか、久しぶりに見に行ってみようと考えている。

期間:2006年2月2日(木)~18日(土) 〔日曜・祝日休み〕 午前11時~午後7時

場所:銀座ギャラリー 桜の木 
    中央区銀座5-3-12 壹番館ビルディング3階 
    電話03-3573-3313

初日午後6時より、作家とともにオープニングパーティー

ということで

2005年12月16日 22時08分24秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)14日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 カンボジアに行ってきます。12月29日から1月2日までです。
 アンコールワット周辺しか行きませんけどね。


 知人に、ポル・ポト派の大虐殺から逃れて日本に帰化したカンボジア人女性がいるので、なんとなくツアーで呑気に行くのが気が引けますが、その分、きちんと歴史・文化を学びたいと思います。

本人も忘れていた「この冬、私はどこの国へ行くでしょう」クイズ・最終日

2005年12月16日 18時14分45秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)14日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 いやあ、十日ほど前に、このブログで、そんな企画を始めたことをすっかり忘れていましたぜ。今日、正解の発表日じゃないですか。


 結局「密林」「世界遺産」しかヒントを出していないのに、cizmaさん、めておらさん、ニサぴょんにあてられてしまった。


 あと数時間ほど待ちますので、気が向いたらメール(isharq@goo.jp)で答えを送ってください。住所・本名が私にバレても構わない方には、なにか適当な素晴らしい土産物を送りつけプレゼントさせていただきます。


 cizmaさんには、直接賞品を手渡したのでOKだな。
 めておらさんは住所も本名も知っているしな。
 問題はニサぴょんだな。どーする、ニサぴょん? ご住所知りませんぜ、わたくし。 え? 「正解おめでとう」という気持ちだけでいいって? さすがニサぴょん、謙虚だなあ

インドネシア拳法シラットを体験してきました

2005年12月12日 23時53分35秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)10日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

 本日、cizmaさんの所属する、目黒のシラット道場に体験稽古に行ってきた。


 初めてお会いするcizmaさんは、目の大きな元気印の女性でした。cizmaさんはcizmaさんで、私が予想以上にオッサンだったので驚いたことだろう。ふふふ。
そうなのである。いい年して、こんなブログを書いているのである。
 この前のmomoさんといい、実際にお会いすると、事前のイメージと一致することは非常に少なく、とても新鮮である。


  インドネシア拳法というものには昔から関心があったので、とても楽しく、勉強になった。
 陳腐な言い方だが、空手にしても、テッコンドーにしても、中国拳法にしても、シラットにしても、ムエタイにしても、共通点があり相違点があって面白い。
 中には、理念は同じなのに、技としての現れ方が正反対になったりする場合もあり、人間の発想の幅広さや、文化の違いを感じる。

 
 スシロ先生の動きは、昔お世話になった和道流空手の大先生の動きに似ていたし、ユリ先生の動きは、やはり昔お世話になった合気道の先生の動きに似ていた。
 cizmaさんが見せてくれた型の中には、棒を使ったものもあり、これも「空手(というか古武道)とよく似ているなあ」と感じた。


 そうかと思うと、手のガードの位置が空手とシラットでは全く反対で、苦戦したりした。動きとしては少林寺拳法に近いだろう。
 格闘技や武道の話になると、マニアック過ぎる展開になり、止まらなくなるのでこれくらいにしておくが(でも、本当は語りたい)、普段と違った体の運用をすると、いい刺激になるのは確かである。必ず、自分がメインでやっている武道の役に立つ。
 ちょっと残念だったのは、昨晩激しい空手の稽古をしすぎて、右の肋骨が一本折れていたため、右の横蹴りがうまく蹴れなかったことである。痛くてねえ。


 実は私の自宅の近くにもシラットの道場があるということを知ったので、近いうち、是非そちらの方にもお邪魔しようかと思っている。

 
 思ったよりおっちゃんだったことに懲りずに、今後もよろしく、cizmaさん。そして、インドネシア、気をつけて行ってきてね。

 
 それでは良いお年を!(最後は日本風) 

カフェバグダッドがまたもや充実のイベントを行うようです

2005年12月10日 11時02分47秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)8日 ヤウム・サブティ(土曜日)

 このブログでもブックマークさせていただいている「カフェバグダッド」がまたまた楽しく、有意義なイベントを行うようです。とても面白そうなので、勝手に紹介させて頂きます。  


★カフェバグダッド第7弾「アラブ人と仲良くする法」★
  • 日 時:12月18日(日)午後2時~午後3時30分
  • 場 所:東京渋谷区のJICA東京・東京国際センター
  • ゲスト:ジャーナリストの金子貴一氏
  • 内 容:トークイベント
金子貴一(かねこ たかかず)氏
 昨年から今年にかけ、月刊文芸春秋に、日本人が殺害されたイラクでの事件に関する記事を掲載している。
 ・2004年9月号「橋田信介さん殺害の瞬間」
 ・2005年2月号「香田さん斬首実行犯衝撃」
2本だ。いずれも、複数のイラク人を介して行った、殺害の実行犯への間接的インタビューの内容を中心にリポートしたものだ。12/18のトークショーでは、関心がある人は、こうしたイラク関連取材の事情についても話が聞けるだろう。
(※この項はカフェバグダッドの紹介文を引用させていただいています)


===トークショーの後は、こんなイベント!!===

★下北沢アラブ街ツアー★
※「下北沢アラブ街」はカフェバグダッドの命名です。


【1.モスク見学】
トークショー終了後、午後4時ごろから、徒歩でモスク「東京ジャーミィ」へ。建物内などを見学。
東京ジャーミイはトルコ政府の運営する、日本で一番美しく大きなモスクです。
東京ジャーミイのHPはこちら→東京ジャーミイ・トルコ文化センター



【2.アラブ料理の宴】
その後、東北沢駅近くのエジプト料理テイクアウト店「DELISHOPウチムラ」へ。
午後6時開宴の予定。参加者は店のスペースの関係で15人程度の予定。
主人のアリさんは、エジプト南部アスワンなので、モロヘイヤ・スープ、ホンモスなどの前菜、メインは、ケバブ、魚料理などを予定。
会費は料理で4000円(実費)。
お酒は、トルコビールやモロッコワインなどがあるが、料金別で飲んだ人が払う。


【3.食後の水タバコ】
エジプト飯で腹を満たした後、下北沢北口一番街の水タバコカフェ「シーシャ」へ。
到着は、午後8時すぎの予定。水タバコのフレイバーの種類は豊富。しかも一回400円と、現状の国内最低価格。店がやや狭いので、全員を収容できるかがやや不安。


全行程に参加すると、次のようなタイムテーブルになります。
午後2時トークイベント「アラブ人と仲良くする法」(渋谷)
午後4時東京ジャーミイ見学へ(代々木上原)
午後6時アラブ料理の宴(東北沢)
午後8時食後の水タバコ(下北沢)


カフェバグダッドの詳しい記事はこちら→カフェバグダッド第7弾とアラブ街ツアー
問い合わせ&申し込みはこちらから→「アラブ人と仲良くする法」申込み



私は、その日仕事で行けない…(泣)