日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

シンポジウム「サウジアラビアと日本の関係―現状と将来への展望」に参加して②

2006年04月05日 23時56分10秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ル・アウワル(3月)7日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)
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 第1セッションの二人目の講演者はアミーン水谷周氏。

 イスラーム社会と日本社会の相互理解のために、それぞれの社会に向かってメッセージを送るというスタイルの講演。私なりに要約してみた。
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 まずイスラーム社会に対して日本社会から。
 相手の目を見て話す日本人が少ないことなどがアラブ人に誤解と謎を与えているようだが、倫理観には共通の部分もある。だから心はわかりあえるはず。

 しかし、日本人の宗教観はやはりわかりにくいかもれない。「いったい日本人はどのような人生の目的や来世やこの世の始まりをどのように考えているのか?」がアラブ人にはわかりにくいが、日本人は宗教に対して決して無頓着な民族ではない。

 だが、江戸幕府300年の歴史で国家宗教となった仏教は腐敗し、明治維新後は国家神道が戦争に利用された苦い経験から、宗教に対する警戒感・嫌悪感・拒否感が形成されてしまった。
 今、日本の宗教は深い谷間に落ちている。しかし、それは長い歴史の一局面であって、「日本人は宗教にうとい」「日本人は宗教嫌い」と早計な判断を下さないでほしい。


 次に日本社会に対してイスラーム社会から。
 イスラームの神髄は心の和む宗教であるが、日本社会ではさまざまな誤解をされている。
 マスコミの偏った報道はいうまでもないが、イスラームが研究対象の学問として捉えられ、知識偏重主義に陥っているため、信仰心とは何かということがおろそかになっているのではないか?

 
 最後に日本人に正しくイスラームを理解してもらうためにはどうしたらいいのか?
 日本人にとって一元論(一神教)はなじみがないので、いきなり「アッラーを信じて、その命令に従いなさい」と言ってもすんなり受け入れられない。そうではなくて、イスラームの人生論・徳目などをわかりやすく、親しめる形で示すことが、イスラームを理解してもらうより良い方法である。

 また、クルアーン、ハディース、その他イスラーム関係の本も、現代語を使ってわかりやすく親しめるものにすることが必要だと思われる。
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 ざっとこんな内容の講演だった。これに対して、本日クルアーンを朗唱したザイトゥン師が質問。

Q1.宗教に関して、日本にはどのような法律があるのか?

A1.政教分離を決めた法律がある。また、公立学校の教育では特定の宗教を教えることはできない。


Q2.我々は日本人に対してイスラームに目を向けるようにドゥアーを行っているが、それを日本ではどう受け止めているか?

A2.まったく何も感じません。(水谷さんストレートだな…)

 続いて日本人から質問。

Q3.日本人ムスリムが勉強会などで勉強すればするほどイヤになってきたり、同胞からいろいろ言われてイヤになるという話を聞くことがあるが、それについてはどう感じているか?

A3.私も押しつけられるのはイヤですね。先ほども申し上げたように、まずは信仰の核がしっかり固まって、そのまわりに知識をつけてゆくことが大切でしょう。
信仰の核が固まらないまま知識を重ねれば、信仰心そのものがつぶれかねません。


 このことを図で解釈するとこんな感じか(我ながら図が好きだな…)?
 左側がはっきりとした信仰心を中心にバランスよく知識を身につけていった場合。知識は信仰をますます確かなものにする。
 右側は不確かな信仰心に偏った知識を重ねていった場合。信仰心も知識もゆがみ、最後は信仰心が萎縮して消えてしまう。
   


 続いてパキスタンのイマームより質問。日本語ペラペラである。

Q4.ひとことで言って、日本社会の中にイスラームが広がるための壁となっているものは何か?

A4.歴史です。

「パキスタンのイマームの期待した答えはそういうことではないのではないか?」と思い、シンポジウムが終わったあとに、
「もしかして、『酒』とか『豚』という答えを待っていたのではないですか?」と尋ねると、「そうなんだよ、それ! そこについて答えて欲しかったんだよ」と言われていた。

アスルの礼拝の時間になり、その後は帰られたので詳しいお話はできなかった。
東京ジャーミイでお会いした際にでもお話しましょうということになった。


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2 コメント

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Unknown (カーフィラ)
2006-04-06 08:46:38
金メッキは磨くとはがれますが、ダイアモンドは磨けば光りますからねぇ~・・・。と、記事を読みながら、思いました・・・。

知識を積み重ねれば積み重ねるほど(研磨すれば研磨するほど)、信仰(ダイヤ)は光るが、無信心や不確かな信仰(金メッキ)は、磨り減るだけ、と・・・。

なんか、わけのわかんない感想ですみません・・・。
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わかりますよ(^^)v (イスハーク)
2006-04-07 00:57:14
私自身がまだまだ金メッキ(金ですらないかも?)状態なので、これからダイヤに変わっていかなければならないと思っています。



それに、信仰がダイヤのように堅ければ、いくら知識を吸収しても、それによって信仰がゆがむことは無いと思っています。



堅い信仰心とバランスの取れた重層的な知識。あこがれですね。
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