goo blog サービス終了のお知らせ 

日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

超パクリ企画「この冬、私はどこの国に行くでしょう」クイズ・2

2005年12月09日 22時00分41秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)7日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

えー、早くも二人正解者が出てしまいました。


正解者第1号:cizmaさん!
おめでとう!! 


正解者第2号:めておらさん!
おめでとう!! 


「密林で世界遺産」じゃあ、簡単すぎたかな?
cizmaさんには、もし12日に目黒でお会いできたら、何か賞品を持参したいと思います。
めておらさんにはどうやって渡そう?


超パクリ企画「この冬、私はどこの国に行くでしょう」クイズ・2

2005年12月08日 23時34分28秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)6日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

 メールで解答をいくつか頂きましたが、今のところ正解者無しです。


 「密林」を強調しすぎたため、マレーシア・コスタリカなどの解答が寄せられましたが、残念ながら不正解です。


本日のヒント:やはり世界遺産はいいよねえ。 今回のヒントはサービスし過ぎたかな?


それより、賞品を早く考えなきゃ…。


超パクリ企画「この冬、私はどこの国に行くでしょう」クイズ・1

2005年12月07日 23時23分24秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)5日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)

 なんか知らんうちに、gooブログの編集画面に「ジャンル(必須)」とやらの項目が増えていてめんどくさい。
 今回のジャンルは「海外旅行」にしてみたけど、ブログ画面に反映されるわけではなく、検索のときのヒントに使われるみたいだね。


 さて、今回は、めておらさんのHP「いつかは世界一周」のパクリ企画です。


 毎日というわけにはいかないけど、気が向いたらヒントを出します。答えがわかったらメールをください。コメント欄で答えるのは反則なので、かる~く無視した挙げ句に削除します。
 答えが当たった人がいたら、その都度ブログ上で発表します。でも正解の発表は、12月16日(金)にします。

 賞品は何にするか考え中です。つーか、出すかどうかすら考えていなかった。こーゆー無計画なところがB型だよなあ。しかもきっとロクな賞品じゃないんだ、これが。


 さて、今回のヒント。私が今まで行ったことのない国です。行った国・地域は下にリストにしておきました。

アメリカ・タイ・シンガポール・トルコ・スイス・中国・チベット・オーストラリア・ギリシア・スウェーデン・ノルウェー・ペルー・モロッコ・チュニジア・スリランカ・香港・ウズベキスタン・エジプト・ベトナム・韓国・シリア・レバノン・ヨルダン・ドバイ
これ以外の国で、密林のあるところです。さあ、どこでしょう?


解答のメールはこちら→ isharq@goo.jp もしかして、momoさんにはこの前言ってしまったかも…。

「宮殿とモスクの至宝展」でmomoさんと初対面

2005年12月02日 21時45分04秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)29日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 ふあああ、よく寝た


 世田谷美術館の「宮殿とモスクの至宝展」の招待券が2枚あるし、期間があさってまでなので、ブログ仲間のmomoさん(ブックマークにある「モモンガの子育て」の管理人)を誘って行ってみた。


 実際お会いしたこともないのに、突然の誘いにつきあって頂いて恐縮至極である。


 初めてお会いするmomoさんは、とても美しく聡明で明朗な女性だった。
 私があと十年若かったら、胸がドキドキして何も話せなかったかもしれない。
 さらに十年若かったら、一目惚れしていたかもしれない。
 さらに十年若かったら、私は生まれていなかった(←これはウソです。すみません)。
 

 さて、やはり一番インパクトがあったのはミンバル(説教壇)である。むき出しで展示されると、モスクにあるときよりはるかにデカく見える。
 工事の時に信号機が道路の上に置いてあると、「信号ってこんなにデカかったんだ」と感じるようなものだ。
 ミンバルがよくわからない人は、このブログの5月22日の記事の写真を見てください。奥の方に見える、「どこでもドア」がついたような階段がミンバルです。
 金曜の集団礼拝の際に、イマーム(導師)が、階段の上から2段目あたりに立って説教をする。

 
 絨毯やガラス器などのアラビア文字、クルアーンのアラビア文字がわかるのはうれしい。やはり知識はあった方が、より楽しめる。

 
 歌舞伎に詳しい方が、実際に歌舞伎を見たときの面白さが倍増するのと同じだ。


 狂言に詳しくなくても、和泉元彌のプロレスは楽しめるが、それはまた別問題である。


 モスクランプなどのガラスはやはり、「ルネ・ラリック(ヨーロッパの有名なガラス作家)」に影響を与えたというのがよくわかる。


 箱根のガラスの森美術館や長野の諏訪湖畔のガラス美術館に、また行きたくなった。山梨の山中湖高村美術館にも。 


 美術館の訪問記を文章でだらだら書いても雰囲気が伝わらないので、これくらいにしておくが、きちんとした図版入りのパンフレットを売っているのが、日本のすばらしいところだ。しかも、展示の文章より詳しい。もちろん買ってきた。
 今夜はバラフレーバーのコーヒーでも飲みながらゆっくりと読もうと考えている。


 展示を見たあと、momoさんとコーヒーを飲みながらお話ししたが、目標に向かって一生懸命努力している姿勢がすばらしく、頭の回転も速く、話していて非常に楽しかった。刺激され「また頑張ろう!」という気持ちがあふれてきた。
 

 私のようなぐーたらムスリムの話だけでなく、もっときちんとしたムスリムの方とお話しする機会があると、よりmomoさんにとってもプラスになると思う。


 momoさん、今日はつきあってくれてどうもありがとうね。とても楽しかったです  
 アラビア語教室に間にあったかどうかがちょっと心配だけど。大丈夫だったかな?

「宮殿とモスクの至宝展」が始まるそうです

2005年09月13日 06時00分42秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年シャアバーン(8月)9日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)


 ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館の、イスラム美術の所蔵品の展覧会のチラシをもらったので、お知らせします。
 日本初公開のものが多いようです。高さ7mのミンバル(モスクの説教壇)などという「大物」も公開されるそうです。



場   所: 世田谷美術館 東急田園都市線「用賀」駅より徒歩17分(他にもアクセス有り)


期   間: 10月1日(土)-12月4日(日)


開館時間:  10:00~18:00(入館は17:30まで)


休 館 日 : 月曜日(※10月10日〔月〕は開館、10月11日〔火〕は休館)


入 場 料 : 一般1200円 高校生・大学生900円 小中学生400円 65歳以上900円

         (*前売り割引、団体割引有り)


【講演会】
 第1回:10月1日(土) 14:00~15:30
      「宮殿とモスク:ビクトリア・アンド・アルバート美術館におけるイスラム美術」
       ティム・スタンリー氏(ビクトリア・アンド・アルバート美術館学芸員)



 第2回:10月15日(土) 14:00~15:30
      「世界文化の中のイスラム文化」(仮称)
      板垣雄三氏(東京大学名誉教授)


 第3回:10月22日(土) 14:00~15:30
      「イスラム世界の染織:絨毯からカフタンまで」
      道明三保子氏(文化女子大教授)


 第4回:11月19日(土) 14:00~15:30
      「イスラムのガラスについて」
      真道洋子氏(中近東文化センター研究員)


【イベント】
 《100円ワークショップ》
   「イスラミックデザインのオーナメントを作ろう」
    小学生以上対象  10月中の毎週土曜日 13:00~15:00


 展示室ミニライブ
   ダルブッカ&ウード演奏
    10月30日(日) 14:00~14:30/16:00~16:30
    ダルブッカ演奏:伊藤アツ志  ウード演奏:今井龍一

ペルシア・レストランでエジプシャン

2005年09月03日 12時49分27秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)29日 ヤウム・サブティ(土曜日)

夫婦の息もピッタリ。

 昨晩は久しぶりに、高円寺のペルシア・レストラン「Bolbol」に行った。


 店に8時頃到着すると、入口でアマーニとばったり会った。まだベリーダンスショーは始まっていないらしい。


 アマーニに促されて店に入ると、エジプト大使館のファタヒー先生と、見慣れない男性が座っていた。それがアマーニの旦那さんのヘシャムだった。


 ヘシャムとは初対面だが、電話では話したことがあるので、お互いにすぐわかった。
 「アッサラーム・アライクム」「フルサ・サイーダ」「アナー・アスアド」などのテキストどおりの挨拶、握手、抱擁などをし、テーブルに着く。


 アマーニが電話しに行ったので、3人で話す。昨日の記事で書いたとおり、アラビア語(フスハー&エジプト方言)、英語、身振りを使ってのコミュニケーション。


 「いやあ、日本語は難しいでんな。特に『私は』とか『私に』とか『私を』とか、わかりまへんな。なんとかなりませんか、あれ?」byファタヒー


 「日本はモスクが少ないねえ。豚肉はあふれているし、大変だよねえ」byヘシャム


 「そういえば昨日はイスラー・ミアラージュでしたね」byイスハーク


などと、みんな勝手なこと言っているのだが、それなりに会話が成立しているから不思議だ。
(ファタヒー先生のセリフが関西弁っぽいのは、先生に対する私の勝手なイメージ)


 そのうち、アマーニが戻ってきて4人で話し、しばらくしていよいよベリーダンス。


 アマーニのキャラクターも手伝って、色っぽいんだけど明るく健康的な感じのダンスが展開される。


 剣を使ったダンス、ステッキを使ったダンス、客も一緒に踊るコーナーなどと続き、


ヘシャムのダラブッカ(アラブの打楽器)演奏にあわせてアマーニが踊る。


 う~ん、さすが夫婦。見ているうちに、二人だけの世界が浮かび上がるような錯覚に陥った。

 
 すばらしいショーが終わり、ヘシャムにダラブッカを叩かせてもらったが、難しい。透明感のあるきちんとした音が出ず、「ボコッ」という鈍い音しか出せない。


 「イージーだよ」とヘシャムは言うが、だって、あなたはエジプト国立舞踊団のダラブッカ奏者でしょ?


 そんなやりとりを、カウンターの中からイラン人マスターのボルボルさんが眺めていた。


 子供の頃、まさか自分が将来イスラム教徒になって、イラン人の店でエジプト人と遊ぶなんて夢にも思わなかったなあ。


 そんなことをボーっと思いながら夜は更けていった。
 

ベリーダンスショーのお知らせ

2005年08月30日 06時12分01秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ラジャブ(7月)25日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

‎‎日時:9月2日(金曜日) 夜8時から


場所:高円寺のペルシアレストラン「Bolbol」


出演:アマーニ(日本人ベリーダンサー。私の友人です)
   ヘシャム・サレ(エジプト国立レダ民俗舞踊団監督・ダンサー・振付師・ダルブッカプレイヤー )




 Bolbolは、イラン人のご主人が本格的ペルシア料理を作っています。量が多く、安くて、うまいです。こじんまりした気楽な店です。
 ベリーダンスを見たい人、ヘシャムのタブラ演奏を見たい人、ペルシア料理を食べたい人、イスハークに会いたい人(いないか)、よかったら来てみて下さい。

 詳しくはこちら→アマーニのホームページ

 私あてにメールで問い合わせていただいてもかまいません。お気軽にどうぞ→isharq@mail.goo.ne.jp(ごめんなさい、ここから直接はアクセスできません)

なんだかオルド・サフナ楽団の追っかけみたいになってきた

2005年07月31日 17時53分19秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)25日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

ソリストのダミラさん。歌声がとても美しい。3児の母でもある。

 またもやオルド・サフナを見に行ってしまった。今回は川崎公演。
 等々力(とどろき)アリーナで行われた空手の大会に道場生が出場したので、その付き添いの合間を縫ってタクシーを拾い、隣町の国際交流センターまで往復という荒業を使った。

 遅れて着いたため、目当ての「オムル」という歌が終わっていたのが残念。ダミラさんが生で「オムル」を歌うの聞きたかったなあ。

 公演後、ロビーでキルギスの本 “KYRGYZ MUSICAL INSTRUMENTS”という本を購入。民族楽器の写真満載で、英語・ロシア語の解説付き、それぞれの楽器の音色を収録したCDまで着いている。
 はっきり言って、あまり音楽に詳しくない私には、宝の持ち腐れ、豚に真珠である。
 でも売り子さんに、「売り上げはオルド・サフナの活動資金になるから買ってください」と言われ、「ほんじゃまあ、そういうことなら」と思って購入したのだ。

 でも、オルド・サフナが好きという熱意は売り子さんにも伝わり、「まもなく出てくるので、よかったらサインをもらうなり、握手するなりしますか?」と言われた。
 おお! それは願ってもいないチャンス。二つ返事でお願いした。

 舞台袖のドアで待っていると、オルド・サフナの皆さんが出てきた。

 おお、ダミラさんだ!

 すかさず握手を求め、ついでに写真を撮らせてもらった。それが上の写真である。
 「なんだ、結構年じゃないか」とか「そんなに綺麗というわけじゃないな」という人は、大人の女性の本当の魅力がわかっていない。顔を洗って出直し!

 身振りで「撮った写真見せて」とアピールしてきたので、デジカメの画像を見せると、すごく喜んでくれた。目がキラキラしてとても綺麗だった。

 お話もしたかったが、ダミラさんは英語が話せない。こちらはロシア語が話せない。「オムル・オーチン・ハラショー!(オムル、とても素晴らしい!)」とか「スパシーバ(ありがとう)」などと怪しげなロシア語を言うのが精一杯で、コミュニケーションが取れない。

 そもそも時間が取れない。オルド・サフナのみなさんは、このあとすぐにチャーター機で羽田からセントレアに飛ぶらしい。
 8月4日の愛知万博ナショナル・デーに出演するのだ。行きたいけど行けない。
 うーん、残念…などと考えているようでは、追っかけの仲間入りなのかな?

養老孟司氏が講演会で語ったイスラーム

2005年07月26日 06時35分27秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)20日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)


 『バカの壁』、ずいぶん売れたよなあ。作者の養老孟司ってどんな人なんだ? 
 という興味もあって、先日、養老孟司氏の講演会に参加してきた。職場の研修の一環でもあるのだが。
 講演の中で、信仰としてのイスラーム(というよりは一神教全般だけど)のとらえ方とは違ったとらえ方を説明していたので紹介しておきたい。

■意識には「概念」と「感覚」の二つがあるんだって

  「概念」というのは似たモノ同士をグループ化する働きらしい。例えば、どのリンゴを見ても「あ、リンゴだ」とわかる脳内活動とかね。これは理屈の世界

 一方、「感覚」っていうのはストレートに目の前のことを捉える働きらしい。目の前のリンゴの姿を脳内で意識する個別化の活動なんだとか。こちらは直感の世界

 見ることについてだけでなく、聞くことに関しても同様らしい。
 例えば、どんな声の人が「リンゴ」と言っても、頭の中に「あの果物」が思い浮かぶのが「概念」。
 声を発した人の「リンゴ」という音をそのまま捉えるのが「感覚」。

 すると、猿とか他の動物は、「概念」という意識活動ができないからコトバを覚えられない。私が発する「リンゴ」という音と、アナタが発する「リンゴ」という音が同じモノを差していることが理解できないんだって。へぇ~。

■一神教の誕生

 農耕民族は、働けば働いただけ作物が取れるのが普通だから、頑張って働くし、労働に喜びを見出す。
 すると、ゴチャゴチャ考えるよりは、体で世界を捉える「感覚」の世界になっていく。

 一方、砂漠はいつでも食べ物があるわけではない。働いても食べ物が得られないこともある。
 となると、一生懸命働いても仕方ないので、ほどほどに食い物が得られれば良しとする。こういう所では、時間だけはいっぱいある。
 すると、ゴチャゴチャといろいろなことを考えるようになって「概念」の世界、要するに「リクツの世界」になっていく。

 で、「あれもリンゴ、これもリンゴ」と「あれも梨、これも梨」というのが合わさると、「あれもクダモノ、これもクダモノ」という風に、1個上の階層に「クダモノ」という概念が形成される。
 次に「あれもクダモノ、これもクダモノ」と「あれも花、これも花」を合わせると、「あれも植物、これも植物」という風に、さらに1個上の階層に「植物」という概念ができる。

 これを繰り返していくと、最終的には必ず「ただひとつ」に行き着く。それが「絶対者、神」なんだそうだ。ふむふむ。

 でも、グループ化の仕方って地域や人によって違うから、そこで必ず神学論争みたいのがおきるとか。
 「概念」というのはリクツだから、あんまりこれが支配的になると、人間は息苦しくなる。
 すると、「感覚」の方に揺り返しが来て、ガリレオのように「じゃあ、重い玉と軽い玉、どっちが先に地面に落っこちるか、ピサの斜塔から実際に落としてみようじゃねえか」という、感覚的な人、「実際にやってみよう」派の人が出てくるんだって。
 こういう「とりあえず実験してみようぜ」みたいなのが自然科学。

 「自然科学は、理屈に走りすぎて窮屈になった中世キリスト教社会の解毒剤」なんて、ちょっと過激なこと言っていたな。

 でも、今度は自然科学が行き過ぎると、逆の揺り返しで、「概念」である一神教が息を吹き返したりするんだとか。

 イスラームも一神教だから、このような経過を経て、アラビア半島で成立した宗教ということになる。
 そして、自然科学に対する揺り返しが各地で起こっているのが、原理主義(キリスト教側の言い方だけど)や、復古主義などの動きということになるらしい。

■日本でイスラームがあまり広まらないワケ

  となると、「感覚の世界」の日本では、「概念の世界」である一神教はなかなかなじまない
 「あーしろ、こーしろ」といちいち細かくゴチャゴチャ言われたり、神学やらシャリーアやらの理屈をこねられるよりは、自然に向かって無心で手を合わせる方が、日本人の性に合っている…ということになる。

 たしかに宗教的なとらえ方ではないけど、勉強になる。養老孟司氏は「悪口ではなく理屈です」と断ってから説明していた。キチンとした人なのだ。

 文章力の欠如のため、あまり面白くなかったかもしれないけど、講演会そのものは、養老孟司氏の話術の巧みさもあって、たいへん面白かった。
 ここでは書けない、オフレコなことを聞けるのも講演会の魅力だしね。

キルギス共和国は一応イスラーム国になっているけど…

2005年07月25日 06時14分22秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)19日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

大きな体を丸めて、恥ずかしそうに挨拶をするキルギス大使。

 おとといはオルドサフナ楽団について延々と書いたが、成田空港到着1時間半後に公演という過酷なスケジュールをこなしたのだから、もっと讃えてもいいくらいである。

 さて、今日はキルギスについて語りたい。中央アジアのキルギスは行きたい国のひとつなのだ。なにしろ、イシククル湖で、汗血馬の子孫で、スイアブ跡だ!
 「よくわからん」という人がほとんどだと思うが、それでもいい。好きなんだもん。

 コンサートの前に、キルギスのコーナー(と言っても机ひとつ分のスペース)に行き、日本の大学に留学しているキルギス人女性にいろいろとお話を聞いた。
 初めは気を遣って「クルグズ」と言っていたのだが、彼女も自国のことを「キルギス」と呼んでいたので、ブログでもキルギスで統一することにした。

 言語は、やはりロシア語が主流。ソ連から独立してまだ14年だもんなあ。ウズベク人やカザフ人と話すにも便利だし。
 無理すれば、キルギス語とウズベク語でも通じるようだが、ロシア語が使えるのでそういう無理はしないようだ。
 会場内でも、ウズベク人たちとロシア語でコミュニケーションを取っていた。

 ムスリムは実はほとんどいないそうだ。村に1人くらいイマームがいて、葬式のときなどに『クルアーン』を読んだりするらしい。
 一般の人は『クルアーン』はまったく読めないし、内容も知らないのが普通だとか。
 こうなると、イスラームも日本の仏教とあまり変わらない。

 ソ連時代には公式には宗教が禁止されていたのだから、そんな急にはイスラームが復活するものでもないか。
 でも、ウズベキスタンのブハラとかは結構イスラームが復興していたよなあ。残っているモスクの数の差が、イスラーム復興の差になっているのかもしれない。

 そもそもイスラームが入ってきた7世紀くらいから土着のアニミズムと結びつき、独特のイスラームになっているらしい。動物をいけにえにして雨乞いしたりとかね。

 手元の『ISLAM』(ポール・ランディ:著/小杉泰:監訳/ネコ・パブリッシング)という本の、キルギスのデータを見ると、「スンナ派ムスリム70%」とあるが、どうも眉唾っぽいなあ。

 イスラーム諸国会議機構には参加しているものの、国民のほとんどは、イスラーム教徒というアイデンティティを持たずに暮らしている。
 イスラーム国も形態はさまざまである。

キルギスのコーナー。布製品を中心にちょっとした小物も売っていた。


 「遊牧民もいるんですよね?」と質問したら笑われてしまった。マヌケな質問だったようだ。
 ソ連時代はコルホーズやソフホーズに編成され、国民はみな定住させられていたのだから、遊牧民がいるわけないのであった。
 日本に来て初めて、「モンゴルやトルコには『現役の』遊牧民がいる」と知って驚いたとか。近隣諸国の情報は意外に入らないのかも。
 トルコなんか、羊を千頭も二千頭も所有している遊牧民は富裕層なのになあ(全て売ればすごい値段になる)。

 壁に貼ってある、国紹介のポスターみたいな紙に「食べ物:プロフなど」と書いてあったので、「やはりキルギスもプロフなんですか?」と尋ねたら再度笑われた。
 「それは、観光客がイメージしやすいものを書いてあるだけですよ。キルギスには70以上の民族が暮らしているし、地域ごとに食べているものも違うので、『これがキルギス料理』と言えるものは特に無いんです」と流暢な日本語で諭されてしまった。

 どうも、本で読んだりとか、イメージしていたのと違うことが多く、「ひとつの国を正しく理解するというのは、なかなか大変なことであるな」と改めて実感した。

 もっとも、私がきちんとしたモノを読んでいなかったり、読み方が悪かったりする可能性もあるのだけれどね。