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日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

カンボジアからの絵ハガキ希望の方、今日の夜11時くらいまでにメールください

2005年12月28日 19時49分33秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)25日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)

 ここ数ヶ月物忘れがヒドイ。脳細胞がガンガン死んでいるのかもしれない。


 すっかり忘れていたけれど、8月の旅行のときに「希望する方には現地から絵ハガキ送ります」という企画をやって、「冬にもまたやります」と書いたような気がする。


 夏に応募していただいた方には無条件で送りつけようと思っています。その他、希望される方がいたら、急ですみませんが、今日の夜11時くらいまでに連絡ください。連絡はメールのみでこちらです
 
 → isharq@goo.jp


 郵便番号・住所・本名を明記してください。もちろん、絶対他には漏らしません。8月のときにも、誰の情報も漏洩してないはずです(当たり前だけど)。


 ただし、手紙が日本に着くより間違いなく本人が先に帰ってきますのでご了承ください。
 それに、現地の状況によっては出せない場合もあり得ます。その場合は、なんか別の形で埋め合わせをしようと考えています。

 
 今年一年の総括というか感想を書きたいけど、これから掃除機がけなので、また後で

年末だねえ

2005年12月28日 16時52分29秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)25日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)

 昨日、PCで年賀状を作ろうと思ったら、プリンターのインクが切れていた。
 

 インクカートリッジ買いに、電化製品の量販店を回ったが、どこも品切れ。プリンターの型が古すぎて、インクカートリッジ自体があまり流通していないらしい。


 ええい、それなら仕方ない


 思い切って新しいプリンターを購入


 新しいプリンターは、カラーコピーや、スキャナー機能がついているし、デジカメ媒体から直接写真をプリントアウトできる。
 もちろん、ふつうのプリンターとしてPCからも印刷できる。
 いやあ、便利便利。中学校の(遙か後の)後輩、松○亜○がCMしているアレ。


 今や、これくらいの機能は当たり前なのかもしれないが、なにしろ古いプリンターを7年近く使っていたので、とても新鮮だ。


 しかし、通院したり、株の配当を受け取りに郵便局行ったり、PCに住所録打ち込んだり(7月19日にPCが故障してデータが全部消えたため)しているうちに、一日経ってしまった。年賀状はできなかった。


 明日からカンボジアだというのに、やはり年末は慌ただしい。

ええと、カミングアウトしときます

2005年12月20日 23時32分26秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)18日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

 心療内科二件をハシゴしてきました。


 診断①――過度のストレスによる鬱(うつ)病。多少休養が必要――
 診断②――過度のストレスによる心因反応。至急休養に入らないと危険――

 
 やはり医師によって診断が違うところが面白いね。困ってしまうのは、YG検査や、ロールシャッハテストや、バウムテストなどをやらされること。
 勉強したことがあるから、検査の意図とか、どう答えると、どういう診断になるってわかっちゃうんだよね。余計な知識がじゃまして、正直に答えていくのがかえって難しい。ああ、やりにくい。


 ブログを前から読まれている方は気付かれていたかもしれませんが、以前に比べて、イスラーム関係の記事が激減しました。
 理由は簡単です。集中力・気力が無くなり、頭の働きも鈍り、アラビア語学習も、イスラーム学習も、クルアーン暗記も、アラビア書道もすべてストップしてしまったためです。
 仕事のストレスと過労でエネルギーが枯渇してしまったのです。


 そんな状態にありながら、こんなアホなブログを毎日更新してきたことに対しては、我ながら感心するやら、あきれるやら。ここでエネルギーをセーブしろよ! と自分でつっこんでいます。

 
 とはいえ、鬱病と言っても、種類・段階があるようで、今のところ、すべてがアウトというわけではありません。むしろPCや空手は支えになっています。
 特に、ネット上でみなさんとの交流、あるいは直接お会いすることが、大きな支えになっています(ニサぴょんと アホな 楽しいやりとりしたり、momoさんやcizmaさんとお会いしたり)。
 そして空手は30年間続けてきた(結構な年齢だとバレちゃうね)自分の原点なので、空手の稽古をしていれば多少は自分を「元の位置」に修正することができます。

 
 しかし、ある日突然、PCもイヤになって、このブログが突然消える日が来るかもしれません。その日のために一応カミングアウトしておきます。
 明日から休養期間でもありますし、このブログも気分転換&療養の一環として続けるつもりではあるんですけどね。


 真面目な人ほど鬱病にかかりやすいらしいです。今回、不幸中の幸いは、私が真面目な人間であるということが証明されたことです。いやよかった、よかった…????

職場ぼろぼろ

2005年12月19日 23時58分32秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)17日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

 「8・2の法則」なるものがある。


 「職場の仕事の80%は20%の人間がおこなっている」ということだ。自分で言うのもなんだが、今20%の人間の側に入ってしまっている。


 でもって、どこの職場もそうかもしれないけど、やらない方の80%の中には、文句ばかりは人一倍言うけど、修正案や対案、解決策を一切提案しないという困った人がいる。
 ウチの職場の特性か、年配の人間の中に「やらずの文句垂れ」が多く、ストレスの嵐である。


 今日も私が長を務める委員会は朝っぱらから、一人のオヤジのために大荒れだった。正確には私が大荒れしてしまった。
 ヤツにはシャイターンがとりついているに違いないと堅く確信した。


 理論家で実践家なら理想的だ。だけど、自分はそこまでの器が無い。
 となれば次善の方向性として実践家をめざしたい。とにかく動かないことには仕事が前に進まないことは多い。
 理論面は、頭の良い人にお願いしたい。
 でも、屁理屈屋になった挙げ句、後ろ向きの発言を繰り返し、メンバーを混乱させるのはやめてもらいたい。全く建設的でない。
 結局、仕事への信念だとか、精神的な支柱が無いから、屁理屈で存在を示すしかないのかもしれない。
 というわけで、このブログの趣旨(あったんですか?)とは関係ないが、職場はぼろぼろだった。今日は単なる愚痴です。

「部活バトン」超ロングうざうざ回答②

2005年12月17日 14時44分53秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)15日 ヤウム・サブティ(土曜日)

 おとといの続きです。ふつう簡潔に終わらせてから次に回す「バトン」をだらだらとした回答で3回シリーズで書いています。‎



1.あなたが小中高大それぞれで所属してた部活は?


 小中学校については、おとといの記事を見てください。


☆高校☆
 生徒会副会長になったのをきっかけに生徒会活動とボランティア活動が学校生活のメインになりました。
 2年生で生徒会長になったときには、学区内の高校の生徒会を結集させて「生徒会連絡協議会」なるものを立ち上げました。未だに続いているらしいです。

 
 で、その生徒会連絡協議会で「学区内合同大文化祭」なるイベントを企画したところ、当局 県教委だか校長会だかのストップがかかりました。


 学区内の高校がすべて同じ日に文化祭をやり、市内の商店街も巻き込んでハデにやろう! というイベントだったのですが、「高校生のやる範囲を超えている」ということで没。今考えると、当たり前か…。


 あとは空手同好会を設立。

‎ ‎

☆大学☆
 空手サークル(芦原会館という団体)、手話サークル、芸能山城組。‎
最後の「芸能山城組」が何だかわからない人も多いと思う。‎
大学合格発表の日に「いろいろなことやるよ」といきなり勧誘され、よくわからないまま入会。‎
‎ 今思うと、伝統芸能の総合サークルだったようです。十割そばを水だけで打って食べたり、劇をやったり、つくば科学万博の「電々INS館」とやらで、スクリーンに映し出された高野山の坊さんと一緒に声明(しょうみょう)を唱えたり、なんだかよくわからなかったです。‎
‎ そのうち、学費と生活費捻出のためのアルバイトをしているうちに、あまり学校に行けなくなりました。うーん、本末転倒。でも親には頼りたくなかった。‎
 オヤジとけんかして家を飛び出して、大学時代はずっと一人暮らし(仕送り無し)だったので。卒業後オヤジと和解しましたけどね。







2.部活動の中で一番楽しかった嬉しかった出来事は?‎(ようやく二問目)


 「嬉しかった出来事」とはちょっと違いますが、大学の手話サークルの合宿で、夜の灯台の下で、後輩の女の子(彼女とかではない)と語り合ったことが一番印象に残っています。
 波間に月の光が揺れていて、言葉では表現できない感情がわき上がってきて、なんだか感動の涙が流れてきたなあ(遠い目)。



3.部活動の中で一番辛かった苦しかった出来事は?‎


 大学の手話サークルで、学園祭用に映画を作ることになり、なぜか「ナンパされるオカマ」という役をやらされたこと
 女装して町中でロケをしていたら、警官から職務質問は受けるわ、学校帰りの小学生集団に「わあ、変態のオカマがいる!」と言って囲まれるわで大変だった。
 挙げ句に、違法駐車している先輩の車に荷物を取りに行ったら、駐車場の地主がいて「なんだお前は!? 変態の上に、違法駐車までするんか?」と怒られ、たまたま通りかかった先ほどの警官に「また、お前か!?」とうんざりされた。
 その上、慣れないハイヒールで歩いて足くじくしね。
 それだけ苦労して出演時間10秒かいっ!?


4.この部活動をやってて良かったなーと思うことは? (人間関係的なことでもスキル・資格の話でも何でも) ‎


 ヘタだったけど、最初に就職した会社で、たまたま就職してきた聾唖者の方の手話通訳ができたこと。
 ヘタでも多少、人の役には立てたかなあ…という感じで。
 なお、手話も言葉なので、長年使わなかったらすっかり忘れました。



5.他人に自慢できるような記録・逸話は持ってる?‎


 すでに述べましたが、まとめです。
 小学校:100m走市内大会優勝
 中学校:地区の陸上競技大会で100m走4位(2回)、走り幅跳び4位、400mリレー4位。(4位ばかりで自慢できるかどうかは微妙だな…)
 高校:学区内生徒会連絡協議会設立
 大学:女装で警官から職務質問(←自慢か?)
 なんか、これだけ見ると人生下り坂みたいじゃないですか…?



6.名物顧問・名物コーチなんかいたら詳しく‎


 これまた、第1問目の中学校編で詳しく書きました。momoさんのコメントへの返信でも。
 なんだか、悪い意味で名物な人が多かったような気がする。



7.他にやりたかった部活は?‎


 中学校できちんと陸上部として活動したかった。そうなっていれば、オリンピックで日本人初の短距離走(または走り幅跳び)の金メダリストが誕生していたはず…はないね。なお、私の卒業後4年経って陸上部が作られた。



‎8.最後に、あなたにとって「部活」とは?


 別にこれと言って…。自分の中で「部活」のウェイトはあまり重くないので。



9. この人の部活話を聞いてみたいって人は?‎


 ふっふっふ、ブログ仲間たちが「まさか次は自分では…?」と戦々恐々としているかもしれないと思うと楽しい(←サディスティック)


 じゃあ、ニサぴょん(「何バトン??」のお返しじゃ!)、divaneさん(最近見てくれているかな?)、めておらさん(発表の場が難しいかな)、スマイヤさん(もう回ったっけ?)、ファーティマさん(二度目のバトンですね)、よろしくお願いします。
 「あたしゃ答えられん」という方は、替わりの方を紹介して頂けるとありがたいです。
 

 あれっ? 3回シリーズのはずが、2回で終わってしまった。相変わらずの詰めの甘さようのう、我ながら。ふぉっふぉっふぉっ!

「部活バトン」超ロングうざうざ回答①

2005年12月15日 23時11分35秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)13日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

 月曜日にmomoさんから「部活バトン」なるものが回ってきました。
 でも、あまり部活にいい思い出無いんだよなあ…。しかも長すぎるので、3回に分けて書きます。それでも途中で飽きられる可能性大だけど。
 「これは学校教育の問題を鋭くえぐった(実は単なる愚痴?)問題長編作品である」と自己暗示をかけて読んで頂けるとありがたいです。
 
 

1.あなたが小中高大それぞれで所属してた部活は?


☆小学校☆
・1~4年はクラブ無し(という学校だった)。
 5~6年は陸上部(週1回)。
 100mを13秒00で走って、市の小学生大会で優勝したことが記念です。走り幅跳びも6年生のときにはコンスタントに5m以上飛んでいたのですが、大会が無くて活躍できませんでした。
 「よ~し! 中学校では陸上部で頑張るぞぉー!」と燃えつつ、この頃空手も町道場で始めました。


☆中学校☆

「ええっ!? 陸上部無いんですか、この中学校?」

 100m走も12秒台で走れるようになっていたし、どうしても陸上がやりたくて、市の教育委員会に相談。


私&親:「あのー、隣の中学校 (ちなみに宇宙飛行士:野口聡一さんの母校) に転校して、陸上やりたいんですけど…」


教育委員会:「学区の関係で無理です」


私&親:「でも、部活には全員入らなくちゃいけないのに、やりたいことが無いんですよ。陸上部くらい無い方がおかしいじゃないですか?」


教育委員会:「それは学校の問題なので学校で相談してください。」


 ということで、学校に相談したところ、「おまえのそんなわがままで陸上部ができると思っているのか? それより他の運動部入れ」と担任はじめ、多くの先生方から、ありがたーいご指導をいただきました。


 そしてめでたく生物部に入部。
 なぜ運動部でないのかと言えば、「運動部男子は全員丸坊主」という決まりがあって、「そんなくだらんしきたりに従えるか、アホたれ!」という気持ちだったのです。


 生物部とはいっても、活動はほとんどせず、顧問もほとんど顔を出さず、ただ夕方まで生物室にたむろしているだけ。
 時間がもったいないので、生物室の中でもくもくと腕立て伏せやスクワットや空手の練習をしていました。


 ときどき、気晴らしに数キロ先の田んぼまでランニングしていって、ザリガニをとってきて、石綿金網にのっけてアルコールランプで焼いて食べたりしてね。


 そんなある日、大嫌いな女性体育教師から呼び出し。
 「なんじゃあ?」と思いながら尋ねてみると、「地区の中学校対抗の陸上大会があるので、100m走の代表で出なさい」という命令。


 なんじゃ、それ? 陸上部無いのに、学校対抗の大会のときだけ、めぼしい生徒かき集めて出場するのかい? いやらしいやっちゃなこいつら。などと、心の中で教員のみなさんを軽蔑しつつ、満面の笑顔で「出るのはいいですけど、坊主にしろとかいうなら絶対出ませんよ」とさわやかにお返事。生意気な中一である。


 「むむむ、仕方あるまい」という顔をされつつも、坊主にしなくてよいという条件で出場することとなった。こうして私の生物部所属陸上選手生活がスタートしたのである。


 一ヶ月ほど特訓してから出るのだが、子供が見ても練習プログラムがめちゃくちゃで、計画も調整もあったものではない。
 試合の前日に100mダッシュ30本やった後に筋トレしたりね。代表選手、みんなぐったりしていますぜ、先生。
 結果、第4位。小学校のときには優勝だったのに、やはり専門に練習しているやつには差をつけられてしまった。つーかオーバーワークだろ!
 

 中二のときの担任(新卒・美術)が、大学で陸上を専門にやっていたらしく、自主トレでグラウンドを走ったりしていたので、一緒に走らせてもらうことにした。
 そのうち仲間が増え7~8人で走るようになり、担任も「陸上部作るからメンバー集めろ」と言い出した。
 「よし、この先生についていくぞ!」と尊敬の念で見つめる私(キラキラ)。十数人のメンバーが集まった。


 数日後、担任がメンバーを集めてひとこと。
 「陸上部設立は職員会議でダメになったから、おまえら解散しろ。明日からはグラウンドも走れない。他の運動部のじゃまになるから」
 ガラガラと音を立てて崩れる、尊敬の念。後に聞いたところによると、くだんの女性体育教師が特に反対したらしい。


 納得のいかない我々は、担任や他の教員に文句を言いまくり、だいぶ荒れた。その結果、私は両親を呼び出された。
 そして担任が、私の両親にひとこと。


 「子供の育て方が悪いんじゃないですか?」


 23歳の独身の若造にそう言い放たれた両親は、今でも「あのときの悔しさと怒りは一生忘れないとたまにつぶやく。父ちゃん、母ちゃん、デキの悪い息子を持ったばかりに悔しい思いをさせてゴメンよ


 あの先生は、さぞかし、私とはデキの違った立派なお子様を育てあげられたことでしょう。まだ、中学校の先生やっていらっしゃるみたいですけどね。


 そんなことがありながらも、中二、中三も地区対抗の陸上大会には代表選手として出続けた。唯一の文化部代表でもある。


 中三のときには、100m走は11秒台で走っていたし、走り幅跳びはコンスタントに6m以上飛んでいた(練習では、当時の県の記録を軽々クリア)。
 ということで、100m走、走り幅跳び、400mリレーに出場決定。 
 例によって前日までオーバーワーク。100mダッシュ30本、走り幅跳び60本、バトンタッチの練習20本、筋トレって尋常とは思えないんですけど。
 ちゃんと大学でトレーニング理論とか勉強してきました、体育の先生?
 

 当日は100m走と走り幅跳びに平行して出場。ああ忙しい。100m走はまた4位。走り幅跳びはいい記録のときに限ってファウル。結果的には4位。
 助走の調整をする余裕も無かった。と悔しがるヒマもなくリレーのアンカーで出場。すでにふつうに歩いていても足がもつれてます、わたくし。
 結果は一人に抜かれて4位。つくづく4位に縁のある男である。


 こうして私の、生物部所属の陸上選手生活は終わりを告げたのでした。なお、大嫌いだった女性体育教師は、暴力的な指導がPTAなどで大問題となりクビになったようです。
 で、不思議なことに高校の先生になったとか。どうなっているのか、教育界


 ちなみに、遙か後の後輩に松浦亜弥がいます。彼女はマスコミで中学校についてはあまり語りたがりませんが、やはりあの中学校にはあまりいい思い出が無いんじゃないかなあ。教員がいじめを黙認していたなんて噂も聞いたけど。
 先生方は私のときとは全員替わっているはずですけど、学校の体質は変わらないものかもしれませんね。
 中学校時代の愚痴を言いたくなったら、いつでもおいで、あやや(来ないか)


 まだ1問目の回答の途中である。長いねえ。でも「生物部所属陸上選手」になってしまった特殊な事情は書いておきたかったのです。
 ここから先は徐々に短くなっていくのでご勘弁を


 それじゃ続きはまた今度

ニサぴょんから回ってきた 「何バトン??」

2005年12月06日 23時13分20秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)4日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

 mixiの方で、ニサぴょんから、不思議なバトンが回ってきたので、いつもと趣向と変えてお届けします。Q1~Q9質問に答えて、他の人に回せばいいのかな?


Q1.今やりたい事

①ブログで知り合った人たちと実際に会う(会いたいなあ~)。
②ヘシャムにオリエンタルダンスを習う。
③ピラミッドの頂上で愛を叫ぶ!
④思い切り海外旅行三昧。
⑤思い切り温泉三昧。
⑥思い切り読書三昧。

Q2.今欲しい物

①アデリーペンギン(イワトビペンギン、コウテイペンギンは不可)
②アメリカンショートヘアか三毛猫
いずれにしてもペット用に欲しい。でも旅行中の世話が困るしなあ。


Q3.現実的に考えて今買っても良い物

①新しい携帯電話。
②新しい電子レンジ。
③新しいYシャツ。(それくらい買えよ…)


Q4.現実的に考えて欲しいし買えるけど買って無い物

冬物のスーツ。結構緊急性あり。(これも買えよ…)

Q5.今欲しい物で高くて買えそうに無い物

ヘアコンタクトとかヘアフォーライフ。ぼちぼち頭髪に魔の手が忍び寄ってきている。早めに手を打ちたいけど、あーゆーのは高いらしい。

Q6.タダで手に入れたい物   

①語学力
②暗記力
③身長(あと10センチ欲しいなあ)
  体重はあまりいらないから、10キロほどニサぴょんにあげる。
   はい、どーぞ (√・_・)√{肉10㎏}


Q7.恋人から貰いたい物

72色くらいの色鉛筆。絵を描くのがうまいわけじゃないけど、美しく色がそろっているものは好き。
でも、たいがいのモノならなんでもうれしいかもね。


Q8.恋人から貰って困る物

①ベタな観光地みやげ。デッカイ鉛筆、「根性」と書かれた石の置物など。‎
②小さなキューピー人形の詰め合わせ。(実在する)
③アントニオ猪木のブロンズ像。(これも実在する)
④ゴツくてデカイ、わに皮の財布。(もちろん実在する)


Q9.恋人にあげるとしたら

‎①香水なら「アーバン2」
②指輪なら「カラーチェンジングガーネット」
③花束なら「ストックとかすみ草」
④絵本なら『百万回生きた猫』

‎  
Q10.5人にまわす

ほんじゃあ、
アマーニ、momoさん、はでぃじゃねーさん、habari?さん、SuuSuuさんというラインでお願いしようかな?


他にも回したい人いるんだけどなあ…。今回、回せなかったみなさん、ごめんなさい。またの機会にお願いします。


それと、もう回ってきた人、「こんなの答えたくないよ」という人は早めに連絡くださいね。


‎<(^∇^)√ ̄ 「それではお次の方どーぞ!」

再始動

2005年12月03日 23時09分04秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)1日 ヤウム・サブティ(土曜日)

 久しぶりに、自分の空手道場に行った。張り切っていったが、こういうときに限って道場生が一人しか来ていない。


 高校生の道場生が多いが、みんなテスト中らしい。おまえら、本当に勉強しているんだろうな?


 しかし、来ていた一人は全日本大会出場経験者なので、「ほんじゃまあ、久しぶりにハードにやりますか」ということになった。
 死にそう。3ヶ月ぶりに復活したばかりなのに、なんでこんなハードなことをしとるのか? でもまあ充実感はある。


 ある空手家が全日本大会で優勝した翌日に「優勝はもう過去のことです。空手家は過去に何をやったかが大切なのではなく、今現在何をやっているかが大切なのです」と言いながら稽古していた。


 すごい人だと思った。それ以来、「過去に何をやったかではなく、今何をやっているかが大切」というのが座右の銘のひとつになっている。
 

 これは仕事も、イスラームの勉強も同じコトだと思う。


 健康上の理由から、ここのところ、過去を振り返ることが多かったが、再び「今を生きる」気力がわいてきた。
 いよいよ再始動だ!! クルアーン暗記も頑張るぞ!! 

新・冬眠中の寝言

2005年12月01日 20時04分48秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年シャッワル(10月)28日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

 うーん、うーん


 男子高校生3人組が駅の階段に座り込んでタバコ吸っている。


 あらあら、みなさん迷惑そうによけているよ。


 つかつかと至近距離に行って仁王立ち(←アラビア語ではなんて言うんだろうね?)で、ひとりひとりにらみつけてみた。


 「なに?」


 そのうちひとりが眉間にしわをよせて聞いてきた。


 黙ったままさらに目に力を込めてみつめてみた。(「なに?」じゃないんじゃないの?)


 「おい、行こうぜ」


 タバコを消しながら、そう言って3人組は立ち上がった。


 にっこり笑って「吸い殻は持って帰ろうね」と初めて言葉を発したら、苦笑いして捨てずに持って帰った。


 社会の中で大人が見て見ないふりしちゃいけない。でも注意の仕方が難しいのも現実。


 あの子たちの心の中には、社会の中での行動規範がないんだろうな。
「君たち、イスラーム教に入らない?」
そういって声をかけたら彼らはどんな反応を示したのかな? ちょっと興味ある。


うーん、ごにょごにょ