入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

アントロポゾフィー指導原理 (20)

2008-09-27 09:41:21 | 霊学って?
20.
人間の心が本当に「生きる」ためには、人間自身のなかの「霊性の働き」にはっきりと気づくことが必要である。この点で、近代の自然科学的世界観を信奉する多くの人々は、強い先入観に捉われている。そのため、「世界におけるすべての現象は、普遍的な因果律によって支配されている。もし人間が、自分自身が原因となって、何かを引き起こすことができると考えるとすれば、それは単なる幻想にすぎない」と言うのである。近代の自然科学は、すべての事柄において、観察と経験に忠実に従うことを原則としている。しかし、人間の意欲にも隠された原因があるという先入観を持つことによって、自然科学はこの原則に背くことになる。なぜなら、人間が自分自身の内面にもとづいて自由に行為できることは、人間が自分で自分を観察すれば、当然のように見えてくるからである。この観察結果を否定し去るのではなく、それを自然秩序には普遍的な因果律が働いているという認識と完全に調和させることが必要なのである。(訳・入間カイ)

20. Es gehört zur rechten Entfaltung des Seelenlebens im Menschen, daß er sich innerhalb seines Wesens des Wirkens aus dem Geiste vollbewußt werde. Viele Bekenner der neueren naturwissenschaftlichen Weltanschauung sind in dieser Richtung so stark in einem Vorurteile befangen, daß sie sagen, die allgemeine Ursächlichkeit ist in allen Welterscheinungen das Herrschende. Wenn der Mensch glaubt, er könne aus Eigenem die Ursache von etwas sein, so kann das nur eine Illusion bilden. Die neuere Natur-Erkenntnis will in allem treu der Beobachtung und Erfahrung folgen. Durch dieses Vorurteil von der verborgenen Ursächlichkeit der eigenen menschlichen Antriebe sündigt sie gegen diesen ihren Grundsatz. Denn das freie Wirken aus dem Innern des menschlichen Wesens ist ein ganz elementares Ergebnis der menschlichen Selbstbeobachtung. Man darf es nicht wegleugnen, sondern muß es mit der Einsicht in die allgemeine Verursachung innerhalb der Naturordnung in Einklang bringen. (Rudolf Steiner)

人間の心が生きるとは、
心が生きいきとなること、元気になることです。
どんなときに、私たちの心が元気になるかといえば、
それは私たちが「自分らしく」あることができたときではないでしょうか。
そのように「自分らしく」生きること、
それをシュタイナーはここで「霊性の働き」と呼んでいます。

簡単にいえば、
シュタイナーのいう「霊性」とは「自分らしさ」のことなのです。
どんな人にも、その人なりの「自分らしさ」があります。
そして、自分の「自分らしさ」に気づくことが、「霊性」に気づくことなのです。
それを「個性」といってもよいかもしれません。

この20項でシュタイナーが言っているのは、
もし自然科学が本気になって、
「人間の個性はどこから来るのか?」を研究するなら、
人間の個性、一人ひとりの「自分らしさ」は、自然界における
「原因と結果」の因果律、
つまり「環境」や「遺伝」の影響だけでは
説明がつかないことに気づくだろう、ということです。

一人ひとりの人間の「自分らしさ」は、
普遍的な因果律によって秩序づけられている自然界に働きかけ、
この「世界」を共につくりあげている
もう一つの「原因」(作用因)なのです。

誰でも、自分自身を観察すれば、
自分の内側から湧きあがる
「自分はこうありたい」という欲求に気づくはずです。

現代において難しいのは
他者を傷つけるような行為への欲求と、
シュタイナーのいう「霊性の働き」との区別です。

僕自身は、その区別をつけるための二つの目安があると思っています。
一つは、「その欲求によって、自分は幸せになるか?」
と問うことです。
もう一つは、「世界にまなざしを向ける」ことです。

本当の「自分らしさ」から生じる欲求であれば、
その行為によって後悔したり、後味の悪い思いをしたりすることはありません。
なぜかというと、先の19項にあるように、
「世界の霊性」と「個人の霊性」はもともと一つのものだからです。
一人ひとりが本当に自分らしく生きることができれば、
その自分らしさは、他の人々の自分らしさと調和できるはずなのです。
このことが、この20項の最後の一文に込められていると思います。

というのも、他の人からみれば、
この「私」も「世界」の一部だからです。
世界と向き合ったとき、
その世界を知ろうとする努力、
認識しようとする努力のなかから、
自分はどのように生きたいのか、
自分は今、本当は何をしたいのかが見えてくる、
ということでもあります。

現代人の多くは、
自分自身への違和感を抱えて生きています。
自分のなかに
「無気力」や「空虚さ」しか感じられないこともあれば、
他者を傷つけるような破壊的な衝動が湧きおこることもあります。
自分のなかに、何か「異質」なものを抱えているわけです。
そこでは、自分が自分と一致していない、といえます。

人間が「成人」するまでに
約20年もの長い「子ども時代」をかけて成長するのは、
自分が自分の身体性と一致するために、
それだけの期間が必要だからです。
だからこそ、子ども時代は、
一人ひとりの人間の「自立の基盤」なのです。

シュタイナー自身は、
なぜ「ヴァルドルフ学校」をつくるのか
という理由の一つとして、
現代では「自分が本当は何をしたいのかわからない」
という人々が増えてきた、と言っています。
つまり、何が自分らしさなのかがわからない、
そういう人々が増えてきたから、
シュタイナーは新しい教育の必要性を感じたのです。

その意味で、
子ども時代は、一人ひとりの自分らしさが、
つまり一人ひとりの「霊性」が現れるための
「母胎」であるといえます。

そして、
多くの人々が「自分らしさ」を見失っている現在、
自分のなかの「霊性」に気づくこと、
世界との調和のなかで、自分らしく生きること、
そのために必要なのは、
一人ひとりが、
まず自分自身の「子ども時代」と向き合うこと。
そこから始める必要があるのではないか、と思うのです。

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1 コメント

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thank you (takashiho)
2008-10-05 00:11:58
こんばんは。
翻訳も解説も、とても解り易くよく理解できました。
ありがとうございます。
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