入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

シュタイナーとドイツ語

2007-02-24 20:41:32 | 霊学って?
先日、ミヒャエラ・グレックラーさんの講演録に手を入れていて、ひとつ印象に残ったことを書いておきたい。

それはドイツ語で「体験」と「経験」を意味する erleben と erfahren のことである。

このふたつの言葉は、leben(生きる)とfahren(乗り物などで移動・通過する)という語幹から成っている。いわば「生きる」と「移動・通過する」に強調の前つづりである er をつけると、「体験」や「経験」を意味する言葉になるのである。

グレックラーさんの講演をその場で通訳しているときはそれほど意識しなかったのだが、今回、録音MDを聞きなおしていて、彼女がこの二つの言葉を厳密に使い分けていることに改めて気づいた。

子どもの発達過程における「自己経験」と「自己体験」について語られているところだ(このテーマは『小児科診察室』でも取り上げられている)。

おもに神経系が著しい発達を遂げる幼児期には、感覚の育成や、意味のある身体の動きが重要であるという。純粋な感覚的刺激を受けとり、自分の内発的な欲求のままに主体的に身体を動かしていくなかで、幼い子どもは自分の自己を「経験」する。この自己経験は、自分の「肉体」(物質体)を通して生ずるものなのである。

子どもの発達の次の段階では、おもに呼吸器や血液循環の働きが成熟していく。このときには豊かな感情生活が重要になり、退屈な授業ほど有害なものはないという話が出てくる。そして、自分の生きいきとした感情の働きのなかで、子どもは自己を「体験」するのである。この自己体験は、感情生活、もしくは内面生活が基盤となって生ずるものである。

英語では、体験と経験の両方に experience という言葉が当てられる。
ブロックハウス社の独英辞書で erleben を引くと、experience のほかに、live to see という説明が付いている。Erfahren のほうには find out, hear, learn, come to know が第一の意味として記されている。

Erfahrung (erfahren の名詞)は、経験に基づく知識という意味合いがある。それは客観的なものでもある。

それに対して「体験」( erleben )のほうはより主体的、主観的であり、実感がともなっている。よく霊的修行を積んで、「神秘体験」を得たなどというときに使うのは、erleben である。シュタイナーも、たとえば『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』という本のなかで、「この本を他の本のようにただ知識を得るために読むのではなく、読むことそれ自体が erleben になるようにしてほしい」と述べている。

体験は、本人の主体的な関わりが前提となっており、それだけに感情が働くことになる。しかし、経験のほうは、かりに本人は無関心だったとしても、肉体がその場にいて、何かに遭遇したとすれば、それは Erfahrung として身につくことになる。

そういう意味で、幼児期の「自己経験」は、自分の肉体に関する物質的な経験であり、きわめて客観的なものだ。そこでは大人が情感をこめて説教するよりも、客観的な行為を示すことで、子どもはそれを模倣し、自分のなかに取り入れていく。

小学校に上がってから(9歳以降)は、子どもは自分の主体性を感情とともに体験する。喜びや悲しみや怒りをはじめ、さまざまな豊かな感情のなかに、自己が実感されるのである。

自然科学の基盤となるのは「経験」である。実証主義による「実験」も、経験の積み重ねである。
「体験」は、一人ひとりの主体性を対象と結びつける。したがって、体験内容は一人ひとり異なってくる。同じ対象をどのように感じるか、体験するか、その内容は一人ひとりの個性によって違うのである。

やや込み入った話になってしまったけれど、一番いいたいことは、ドイツ語では erfahren も、erleben もとても単純な単語であるということだ。

こういうことはドイツ語をかじると、大体ニュアンスとして伝わってくる。そして、「生きる」と「移動する/通過する」の違いが、「体験」と「経験」の違いとして感じられるようになる。

シュタイナー思想を学ぶのにわざわざドイツ語や英語を学ぶ必要はないと僕は思っていた。でも、最近、もし本当に理解したいのなら、ましてやわざわざ「神秘修行」までしてシュタイナー思想に取り組むのであれば、ドイツ語を学ぶことはすごく意味があると思うようになった。ドイツ語はシュタイナーを理解するための高い「ハードル」などではなくて、シュタイナーがどんなに平易な日常的な言葉で自分の思想を語っていたか、しかしそこにとても厳密な思考があるということを直感的に理解する手がかりになる。

シュタイナーのドイツ語はとても明快で、決して仰々しかったり、やたら古風だったりはしない。僕も翻訳や通訳に際しては、分かりやすい訳を心がけようと思うが、もし翻訳でどうしても頭に入らなかったり、世間一般の言葉遣いと違うと感じられたりしたら、それはシュタイナーの問題ではなく、おそらくは翻訳の問題である。

そういうことをこの erfahren と erleben の違いを通して、改めて感じた次第である。

(写真:上は、シュタイナーが設立した最初のヴァルドルフ学校があるシュトゥットガルトのハウスマン街の自然霊[?]。この学校を見学した人はみな印象深くその前を通っていると思う。昔、僕が13歳で半年ほどこの学校に通っていた時も、その後何度かシュトゥットガルトに滞在した時も、しょっちゅうこの奇妙な存在の横を通ったものだ。昨年7月、今も変わらずそこにいるのがうれしくなって撮影した。下はハウスマン街の一画。)


コメントへのお礼

2007-02-21 18:27:59 | ごあいさつ
これまでの記事にコメントをくださった方々にお礼を申し上げます。

その時々の勢いで長い文章をupしては、こんなの誰が読んでくれるのだろうと思うのですが、ちゃんと読んでくださって、感想まで書いていただくと本当にうれしくなります。

ただ、僕の人間的な未熟さゆえに、コメントにお答えしようとすると、ものすごく時間がかかってしまうのです。考え込んでしまうというか、また一つ論文を書かなければならないような気分になってしまうのです。

そこで、一つひとつのコメントにお答えするよりも、コメントの内容を受け止めて、次のブログの記事に反映させるようなかたちのほうが、自分にとっては現実的な方法ではないかと思いました。

お気づきの方もあるかもしれませんが、最近の文章は、いただいたコメントがずいぶんと刺激になっています。そのようにして、今後も、僕自身の近況や考えをつづっていくことにしたいと思います。

ご意見・ご感想はとても励みになりますので、今後もまた、気が向いたらコメントしていただければうれしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

ミヒャエラ・グレックラーさんについて

2007-02-21 17:34:12 | 人物像
このブログでは、僕が個人的に知り合ったアントロポゾーフについても少しずつ書いていきたいと思っている。
というのも、最近僕はアントロポゾフィーについて必ず伝えておきたい点を二つ考えるようになったからである。

一つは、アントロポゾフィー(人智学)は「未完の思想」であるということ。「人間の知恵」なのだから、まだまだ完成されてなどいないのだ。

もう一つは、アントロポゾフィーを完成させるのは「あなた」ですよ、ということ。シュタイナーは一つの方向性や可能性を指し示したにすぎない。彼が願ったことが実現するためには、一人ひとりの「私」が、自分は「人間の知恵」の育成に参加している、自分がどう感じ、どう考えるかは、そのまま「人間の知恵」(アントロポゾフィー)の発展につながっているという認識をもつ必要があるのだ。

だから、シュタイナーが言ったことを鵜呑みにしたり、ヨーロッパのアントロポゾーフたちを「権威」にして、ヨーロッパのあり方をそのまま日本に当てはめたりするのは、初めからアントロポゾフィーの目指すところと逆行している。
僕たちはシュタイナーからも、ヨーロッパの先達からも非常に多くのことを学べるし、学ばなければならないが、それは僕たちが自分たちのおかれた状況のなかで、精一杯の「知恵」を働かせて生きるためなのである。

そういう意味で、僕が知り合った具体的なアントロポゾーフについて、僕自身の感じ方、考え方で語ってみることによって、一人ひとりの「私」のアントロポゾフィーというものが少し見えてくるのではないかと思った次第である。ただし、これはあくまでも僕個人の目からみた人物像であることは確認しておかなければならない。

最初に書いてみたいのは、僕がもっとも影響を受けたアントロポゾーフのひとりであるミヒャエラ・グレックラーさんのことである。

昨日まで、昨年10月に東京で行われたグレックラーさんの講演録に目を通していた。このところ彼女の講演通訳や文章の翻訳をすることが多い。今もまた、アントロポゾフィー医学についての彼女の文章を訳している。

グレックラーさんは現在、ゲーテアヌム医学セクションの代表という立場で、休む間もなく世界中を飛び回り、講演や執筆活動を精力的に続けている。僕が彼女に初めて出会ったのは、1980年代で、まだ彼女がゲーテアヌムに呼ばれる前のことだった。

その当時出版されたばかりの『小児科診察室』というアントロポゾフィー医学とヴァルドルフ教育の観点からの育児書の著者として評判になり始めたグレックラーさんを、僕の母が日本に招待した。僕はグレックラーさんが泊まっている那須の旅館まで迎えに行った記憶がある。

僕がそれまで知り合っていたアントロポゾーフはたいがい真面目で厳格な人が多かったので、重々しい雰囲気の女性を想像していた。ところが旅館のなかから出てきたグレックラーさんは、とても優しそうで、どこかいたずらっぽそうな微笑を浮かべ、とても若い印象を受けた。

彼女のドイツ語も「若い世代」の言葉遣いを感じさせた。もちろん、若い世代といってもいわゆる「団塊世代」のことで、ドイツでは「68年世代」などという。学生運動を経験した人たちである。
この世代の人たちは上下関係を嫌って、出会った人と割とすぐに「du」で呼び合う。グレックラーさんも、すぐにduで呼び合おうと言ってくれた。

(ドイツ語には英語のyouに当たる言葉がSieとduとふたつあって、Sieは初対面の相手や目上の人に使い、duは親しい間柄や目下の人に使うとされる。学生運動の世代の人たちは、知り合った相手とすぐに対等な関係に入り、好んでduを使うのだと思う。しかし、最近はまたSieがよく使われるように感じるのは僕だけだろうか? まだよく知らない相手と急に親しい雰囲気に突入するよりも、Sieという尊敬の念を含ませつつ、適度な距離を置いているほうが楽なのかもしれない。)

レストランで、グレックラーさんと母と僕とで自己紹介をかねていろんな話をした。そのとき、彼女が「子育ては一つの職業として認められるべきで、そのことを自分は政治家に会うたびに力説している」と言っていた。この言葉は『小児科診察室』にも記されている。

また、移動中に立ち寄ったスーパーで、冷凍食品がガラス板などで密閉されずにむき出しで置かれているのを見た彼女は、わざわざ僕をその場所まで連れて行って、「こういうのが私をかっとさせるのよ」(So was regt mich auf!)と言った。ものすごい電力の無駄使いだというわけだ。いわゆる指導的立場にあるアントロポゾーフが、そういう社会的な意識をもって活動していることに、新鮮な驚きと共感を覚えたものである。

また、別のときは、話が社交ダンスに及び、彼女は僕に「もしあなたが知らないのだったら、絶対に教えてあげなくては」と、―その時は松葉杖を使っていたので―、テーブルのうえで手の指でステップの踏み方をていねいに説明してくれたこともあった。

ともかく彼女と話していると、とても身近な感じがしたものだ。

『小児科診察室』の共著者である小児科医のゲーベルさんによると、グレックラーさんの講演を初めてきいたある母親は、「あなたたちアントロポゾーフは、ようやく私たち庶民のところに降りてきたのね」と感想を漏らしたそうだ。

その当時、僕は「シュタイナー」に対する親近感と憎悪とで、すごく苦しい思いをしていた。その葛藤は現在に到るまで続いているが、グレックラーさんは僕のその思いを理解してくれたひとりだった。

彼女の父親は、ヘルムート・フォン・キューゲルゲンという有名なアントロポゾーフである。グレックラーさんも生まれたときには、すでにまわりにアントロポゾフィーの環境があったのである。しかし、本当にアントロポゾフィーを自分の生き方として選びとるまでの道は簡単なものではなかったようだ。彼女は大学でも初めはゲルマニスティーク(独語独文学)を専攻して行き詰まり、20代の後半になってから新たに医学を志した。その過程で、アントロポゾフィーへの関わり方で悩んだという話をしてくれた。シュタイナー自身の著作には取り組むことができるが、シュタイナーを「信奉」する人々には困難を覚えたという。それは当時の僕にはとても心に響く話だった。

グレックラーさんは、当時僕にこんな話をしてくれた。ある人がシュタイナーに、「あなたの思想は素晴しいが、なぜあんな人たちと一緒に活動しているのですか?」とたずねた。すると、シュタイナーは「私にはこれ以上の人たちはいないからです」(Weil ich keine Besseren habe)と答えたという。その言葉には、自分の真意を理解せずに、「先生」(Herr Doktor)と言って崇拝するだけの人々に対するシュタイナーの失望や無念もあったかもしれない。けれども、それ以上に、自分とともに活動してくれる具体的な人間たちがいること、その人たちと始める以外にはないのだという思いがあったのではないだろうか。人間はいくらでも変わりうる。少なくとも自分の考え方に真剣に耳を傾けてくれる人たちがいれば、たとえ完全に理解してくれたとはいえなかったとしても、そこから何かが芽生える可能性がある。そんなふうに僕はシュタイナーのこのことばを理解するのだ。

グレックラーさんとの出会いは、僕にアントロポゾフィーというものは、一つの生き方であり、そこに悩みや葛藤がつきまとうのは当たり前なのだということを気づかせてくれた。さらに、グレックラーさんは僕をアントロポゾフィーのもう一つの側面にも引き合わせてくれた。それは厳密な「学」としてのアントロポゾフィー霊学という側面である。

グレックラーさんが東京でアントロポゾフィー医学(シュタイナー医学)について講演したとき、僕が通訳をすることになった。おそらく日本におけるアントロポゾフィー医学についての最初の講演のひとつだったのではないか。当時、僕は大学で英語に浸りきっていたので、そういう専門的な講演であれば、英語で話してもらって、英語から通訳をしたほうが正確なものになるのではないかと考えた。しかし、グレックラーさんは僕とドイツ語で会話していたこともあって、優しくこちらをリラックスさせるような口調で、「ドイツ語でやってみたら? きっと大丈夫よ」と言ってくれた。それによって、僕はアントロポゾフィー医学の考え方に、直接ドイツ語で触れる機会に恵まれたのである。

彼女の講演には、ニーチェが出てきたり、女性論や結婚論が出てきたりした。そこに身体の三層構造と思考・感情・意志の関連が、たとえば「下痢をすると気力が減退するのは、四肢・代謝系が意志とつながっているからだ」というように具体的に語られる。それまで人生論や霊界についての教えのように思っていたシュタイナー思想が、自然科学を踏まえた、人体についての厳密な理解につながり、それが実際の医療に応用されている。それは僕にとってアントロポゾフィーの新しい地平のように感じられた。

その当時、人類が遭遇したばかりのエイズという病気についても、グレックラーさんは真剣に考えていて、アントロポゾフィーの観点からみた免疫系の意味について語ってくれた。彼女の話の内容に関心のある方は、『小児科診察室』(水声社)、あるいは『医療と教育を結ぶシュタイナー教育』(石川公子、塚田幸三訳、群青社)をお読みいただければと思う。

その頃、父が設立した日本人智学協会の総会があり、その医学研究会の発表に僕も加わることになった。僕は「エーテル体」について語ることになっていた。
初め、僕は精神次元と物質次元を明確に切り離すという話をしようと思っていた。それは大学の図書館で借りたニューエイジ系の本(たしか工作舎から出ていた原題が”Quantum Question”という本の翻訳書)を読んだ影響だった。この本には、アインシュタインやパウリやハイゼンベルクといった物理学者たちが、徹底して物質の本質を究明しながら、同時に神に対する敬虔な思いを保ち続けていたということが書かれていた。それは神や宗教の領域は、科学で解明されるようなものではなく、科学とはまったく切り離された別の次元にあることを、それらの物理学者たちが心得ていたからだという。科学と宗教を混ぜ合わせるべきではない、というのがこの本の趣旨だったと思う。当時の僕に、この考え方はとても説得力があるように感じられた。そして、発表に向けての準備会では、その話を自信をもって展開してみせた。

ところが発表の直前になって、僕の中に「本当に、宗教と科学は切り離されるべきなのか?」「神は認識の対象にはならないのか?」という疑問が湧いてきた。僕は発表の本来のテーマであるエーテル体についてもう一度見直そうとして、『神秘学概論』の該当箇所を英語で読み直したりした。その当時はおもに英語でシュタイナーを読んでいたのである。

シュタイナーの語り口からは、どうしても目にみえないものは「認識の対象」として扱われているように感じられた。だったら、どうすれば「エーテル体」を認識したり、理解したりできるのか? 僕は発表の場では、しどろもどろになりながら、「シュタイナーはエーテル体をこのように説明しています」ということに終始した。

発表の後、父から「きみはグレックラーの影響を受けすぎているのではないか」と言われて、とても悲しい思いをしたのを覚えている。父はグレックラーさんの考え方を知っていたわけではなく、したがって彼女を批判的に見ていたわけではないが、僕が彼女とよく話をしているのは知っていたので、この発表の思わぬ展開と彼女を結びつけたのだろう。僕が、自分のなかで起こった考え方の変化や疑問について話すと、父は「だったら、それをそのまま発表すればよかったのに」と言った。確かにその通りで、僕がそのとき感じた疑問は、アントロポゾフィーを学び始めると、必ず出てくる問題の一つだったのである。

実際に哲学や自然科学の歴史のなかでも、「《神》を認識しようなどとするのは不遜である」という立場と、「神は認識されることを望んでいる」という立場の対立があったことを、僕はもっと後になってカッシーラーの『イギリスのプラトン・ルネッサンス』(工作舎)という本で知った。近代科学を築いた人々は、むしろ科学と宗教を切り離す立場の、敬虔なキリスト教徒が多かったのである。

知るということ、理解するということは不遜なことではない。むしろ本当に相手を理解したとき、その人の身になって考え、その人を自由にすることができる。その認識から「愛」は生じるというのがシュタイナー思想の基本的な考え方の一つであることを理解したのは、さらにその後、原書で『自由の哲学』を読んだときだった。僕がそのような重要な問題に目を向けられるようになった背景には、グレックラーさんとの出会いが大きな影響を及ぼしていたことは確かである。

グレックラーさんがゲーテアヌム医学セクションの代表に就任する直前に、シュトゥットガルトで話をしたことがある。そのとき、ゲーテアヌムにやや堅苦しいものを感じていた僕は、「ゲーテアヌムに行っても、あなたの柔軟さを失わないでくださいね」と言った。すると、彼女は微笑んで、「物質のゲーテアヌムは硬いけれど、霊的なゲーテアヌムはとても柔らかいのよ」と言っていた。

最近、グレックラーさんと会うたびに感じるのだが、彼女はものすごく多忙でなかなか会えないという点をのぞけば、すべての人に分け隔てや予断をもたずに、まっすぐに向き合っている。そしてアントロポゾフィーに対して社会の理解が高まると同時に、多くの誤解や困難も増大している社会状況のなかで、一歩一歩、アントロポゾフィー医学への社会的認知をとりつけるために、医師養成・研修や、講演や執筆を続けている。それを支えているのは、彼女のなかの「生き方」と「学」を結びつけるアントロポゾフィー霊学の力なのではないかと感じるのである。

(写真:上は、去年6月、ゲーテアヌム医学セクションの前でミヒャエラ・グレックラーさんと。下は、医学セクションの窓からゲーテアヌムの方を見たところ。)


シュタイナーの「社会三層化」と市民運動(2)

2007-02-15 16:29:13 | 社会問題
シュタイナーが『社会問題の核心』を書いたのは、ドイツが戦争に敗れた直後である。
新しい国家の枠組みが模索される状況だったからこそ、たとえば私有財産に関しても、著作権と同様に、所有者の死後一定期間が過ぎた後は適切な後継者、もしくは公共の「精神生活」領域の機関の所有とすべきだといったラディカルな提案をもりこむことができた。
この本は、あくまでも当時の敗戦国ドイツの混沌とした社会状況に向けて書かれたのである。その内容をそのまま現代に応用することはできないし、そうする意味もないだろう。

しかし、シュタイナーの当時から状況は大きく変わったとしても、問題の本質は依然として変わっていないのではないかと思う。
シュタイナーは、プロレタリア運動の問題の本質は、「精神生活」(Geistesleben)の問題だと述べている。精神生活というと分かりにくいが、要するに一人ひとりの個人がもつ才能や能力、個性などの「人的資源」のことである。
シュタイナーにとって、「精神・霊」(Geist)という言葉は、いわば現実を生み出す「可能態」を意味するので、精神生活という語は、単に教育や研究といった精神活動を意味するだけではなく、すべての人間が潜在的にもっている可能性を指している。
だから、もしかすると現代では、「精神生活」というよりも、「人的資源」(human resources)という言葉を使ったほうが通じやすいかもしれない。ただ、シュタイナーにおいては、人的資源とは「精神・霊の働き」(Geistesleben)のことだという意味も含意されているのである。
これは、シュタイナーの社会論において、人間の「精神生活」が「天然資源」(Naturgrundlage)に対応していることからも理解できる。

そのような意味での「精神生活」についてシュタイナーが指摘していることのなかで、僕自身が特に重要だと思うのは次の2点である。
一つは、「労働力」は「商品」ではない、ということである。なぜなら労働力とは、人的資源、すなわち「精神生活」だからである。賃金労働者がもっとも痛みを感じているのは、実は自分の「精神生活」が切り売りされていることだというのである。

すべての人間は、自分自身を実現するためにこの世に生まれてくる。そのために携えているのが人的資源なのである。この資源は本来、自分自身を表すために使われなければならない。それを他人に売り渡すということは、人間の尊厳を非常に傷つけることである。

ここでシュタイナーは、社会の三領域を明確に分けること、つまり三分節化する必要を説く。ちょうど人間の身体が神経・感覚系(頭部領域)、呼吸・循環系(胸部領域)、代謝系(四肢・腹部領域)に分かれていて、それぞれが独立して働きつつ身体という全体をなしているように、社会においても「精神生活」、「経済生活」、「法・国家生活」は相互に介入することなく、自律的に働かなければならないという。

今回、この本を再読していて、これらの言葉がやたらと「生活」という語が付いた複合語になっているのは、実際ドイツ語にそういう表現があるというだけではなく、シュタイナーにとって精神生活のみならず、経済や法律の働きもまた「社会の生命」に関わっているという含意があったのではないかという気がした。

シュタイナーがこれらの三領域を区別する際に強調しているのは、それぞれの領域が独自の仕方で外界との関係をつくっているということである。
たとえば、神経系は眼や耳や触覚などの感覚器官を通して外界と関わっている。呼吸・循環系は呼吸を通して、そして代謝系は栄養摂取や排泄を通して、外界と内界をつないでいる。同様に、精神生活、経済生活、法律生活とは、個人が他者に関わるときの三様の関わり方なのである。社会は、その三通りの関係性によってつくられていく。

経済生活は、もっぱら「商品」の生産、流通、消費に関わる領域である。いわば自己表現として商品=作品を創造すること、それを人々の手に渡るようにして、それを気に入ったり、必要としたりする人が受け取るという関係性である。そこに働く原理は「連合」(association)である。生産者、商人、消費者が商品を介してつながっていく。その原理をシュタイナーは「友愛」という言葉でも表現している。

ただし、商品を生産する力、つまり労働力や生産力は、一人ひとりの個人の資源、あるいは雇用者が所有している天然資源や財力などの生産手段から発生する。その二つが合わさって、商品が生み出される。シュタイナーは、そこでは雇う側と雇われる側が共同して一つの商品を生み出しているという理解が必要だといっている。労働力は売り買いはできない。賃金労働者は、自分の人的資源(精神生活)を資本家に売り渡しているのではなく、資本家とともに、資本家ひとりでは生み出せない商品を共同でつくりだしているのだ。そして、雇う側と雇われる側との関係においては、その商品を生み出すためにどちらの力がどれだけの割合で関わっているかを明らかにすることが重要だという。
この精神生活の領域に働く原理は「自発性」(initiative)である。人間には自分の能力を生かして、何かを生み出したいという欲求が備わっている。そうした創造や自己表現への欲求に基づいて、自発的に生産活動に関われることが、人間の可能性を引き出していくうえでも重要である。そのためにも、労働力は売り買いできないこと、商品は雇用・被雇用者が共同でつくりだしているという共通理解が必要なのである。また、シュタイナーは「生活するためには働かなくてはならない」という考え方ではなく、「働き手がいなければ経済活動は成り立たない」という認識が必要であるとも述べている。「経済生活」は「精神生活」に依存して成り立っているのだ。この原理をシュタイナーは「精神生活における自由」とも呼んでいる。

シュタイナーは、当時盛んに叫ばれていたように、私有財産を廃し、すべての生産手段を社会化、もしくは国有とすることには反対だった。シュタイナーは、それがどのような経緯で所有されるに到ったにせよ、現在の所有物に対する権利を認めることから出発しようとする。人間には、自分の才能や能力といった人的資源に対する権利があるとともに、自分が獲得してきた土地や財産に対する権利もある。それらはともに「資源=精神生活」であり、それは社会活動へと生かされるべきものである。それをどのように活用するかは一人ひとりの自発性に任されている。しかし、この権利関係においては、「法のもとの万人の平等」が前提となる。財力をもち、自分が作りたい商品をつくるために人を雇える資本家も、そこで雇われる労働者も、権利関係においては完全に平等である。この平等を保障するのが「国家」の役割であり、国家は人間対人間の関係、すなわち法律・権利関係だけを担当するのである。

シュタイナーは、「社会的理解」ということを言う。ある商品に関して、その作り手(生産者)がそこにどれだけの力を注いだか、それにどれだけの価値があるのかを認めるのは、社会の側である。その社会の側の理解があって初めて、正当な賃金も、商品の価格も、雇用者と被雇用者の対等な関係も成り立つことになる。その「社会的理解」は、自由な「精神生活」から生じる。その意味で、精神生活は、すべての社会生活の基盤なのである。

以上が、シュタイナーが「精神生活」に関して指摘していることで僕が重要だと思う2点の一つである。もう一つは、プロレタリアの人々が根拠とした「科学性」に関する指摘である。
シュタイナーは、当時のプロレタリアの人々にとって、近代科学がほとんど宗教的な拠り所になっていると考えた。しかし、その近代科学は、プロレタリアの人たちが「ブルジョア」と呼んでいる階級の人たちが用意したものだった。近代科学を生み出した人々は、宗教性や精神というものを思想から排除し、唯物的な世界観をつくりあげたが、自分たち自身の生活のなかにはまだ旧来の宗教性が残っていた。ブルジョアの学者たちは、生活においては旧来の慣習や宗教性に支えられながらも、頭では精神性を取り去った思想をつくりあげた。ところが、プロレタリアの人々は、生活のなかからも、近代社会によって精神性や宗教性を奪われている。そして、彼らが拠り所にした科学的思想は精神的内容をもっていないために、魂を支えるものになっていないというのである。
シュタイナーは、プロレタリアの人たちが真に求めているものは、世界理解であり、精神に満たされた思想であるという。同時に、もしそういうことを言えば、プロレタリアの人々は反撥して、自分たちにとって思想は経済的現実の反映にすぎず、自分たちは経済状況の改善や、生産手段の社会化を求めているということも十分に理解していた。ただ、プロレタリアのいう「階級闘争」は、社会において精神生活が真に自律し、人々の間に社会的理解というものが浸透することによって必要なくなるだろうと考えたのである。

ここにシュタイナーが社会運動の一環として、最初に学校づくりに着手した理由も見えてくる。学校や教育の課題は、一人ひとりの個人の「人的資源」を引きだすことである。この人的資源は、子どものなかの生きる意欲として、自分自身を表そうとする欲求として備わっている。この意欲こそが、シュタイナーのいう精神・霊(Geist)なのである。

今の日本では、この「意欲」が完全に押さえ込まれているのではないだろうか。そして、今、僕は霊的、精神的なものの重要性を思うのである。
先に、シュタイナーに関心をもつ人々は、霊的な方向と実際的な方向の二つの極のどちらかに偏る傾向があると書いた。僕自身は、おそらく霊的な方向が身近であったために、それに反撥し、実際的(というか哲学的)な方向を目指していた。
巷では「スピリチュアル・ブーム」とも言われるけれど、その「スピリチュアル」はえてして「前世」や「守護霊」のことであって、そこから実際の社会の現実への関わり方は見えてこない。
また、社会の現実としては、「戦争ができる国」となり、ついに教育基本法に手をつけ、弱い立場の人々を追い詰め、憲法までも変えようとする政治の状況がある。そこに危機感を募らせ、さまざまな運動が展開されているけれども、そこに「霊的なもの」へのまなざしはあまり感じられない。

かつてシュタイナーが社会三層化運動を展開したとき以上に、今の時代は、霊的なものが背後に押しやられているのではないか。
ここで「霊的なもの」というとき、多くの人が「現実から遊離したもの」を思う。それは根拠のない自己満足の世界であって、現実の力にはなりえない、なりえたとしてもせいぜい宗教のような、特定政党の政治活動や票集めにつながる程度のことのように思えるのだろう。
しかし、『社会問題の核心』のなかで、シュタイナーが一番言いたかったことは、社会の現実こそが霊的な現実の現われであり、抑圧された人々の訴えとは、つねに「霊的なものを求める魂の叫び」であるということではなかっただろうか。

前回、僕が「アントロポゾフィーはフェミニズム」であると書いたのは、どちらも「背後に押しやられたもの」「目に見えないもの」の権利を取り戻そうとしているからである。
たとえば元従軍慰安婦だった女性たちの証言に対して、「資料がない」という言い方で否定するのは物質主義である。それに対して、あくまでも物的証拠で戦うことは重要だけれども、その戦いへの意欲というものは、抑圧された側、虐げられた側がもつ目にみえない思いへの共感や想像力があるからではないのか。
人間の尊厳も、平和も、幸福も、目にはみえない。子どもがどのような大人になるのか、この人生をどのように生きたいのか、そういった意欲も目にはみえない。
自分がこの人生に期待していること、なぜ自分はこういう状況、こういう運命のもとに生まれたのか、そこで自分は何を表していきたいのか、そういった自分自身の意欲も目にはみえない。
そのとき、前世に目を向けたり、占いをしたりするのもよいだろう。でも「生まれ変わり」があるとして、それを知りたいと思うのはなぜだろうか? それは自分が何らかの意志をもってこの世に生まれてきたはずであり、おそらく何度生まれ変わりを繰り返しても、自分には生と死を超えて追い続けている目標があるという予感があるからではないだろうか。
以前、『バシャール』という宇宙人の話をぱらぱらと読んでいたとき、唯一共感できたところがあった。それは、質問者が「前世について知りたい」と言ったときに、「あなたの前世についての情報はすべて今生にある」と答えたところである。
自分のその時々の感じ方、どういったことに自分の意欲が向うのか、どういうことを達成したときに自分は幸せに感じるのか、そういったことを繊細に見ていけば、自分がどんなことをしたくてこの世に生まれてきたのかも見えてくるだろう。
どんな霊能者に言われることよりも、自分自身で感じたことのほうが遙かに力強い。

僕は、今、生き難さを抱えている人々は「霊的なもの」を求めていると思う。それは宗教に入信したり、自分以外の指導者にすがることではないだろう。生きる意味とか、納得とか、そういうものだ。それを「霊的」と呼ぶことに抵抗を示す人は大勢いるだろう。
でも、本来、霊的なものとはそういうものなのだ。人間自身が「霊」なのだから。自分自身に到ろうとしている人は、霊的なものを求めていることになる。
むしろ問題は、「霊的なもの」に目を向けることが、主体性や自律性の放棄であるかのように見られる今の状況である。

このブログの最初に書いたけれども、シュタイナーの時代に、霊的なものについて語ることは、学者としての生命を葬り去ることを意味していた。今だって、その状況は基本的に変わらないだろう。霊的なものはキワモノであり、たとえいくら持ち上げられ、騒がれることがあったとしても、やはり少数者の領域である。

今回、久しぶりに『社会問題の核心』を読み返して思ったことは、そのような霊的な視点をもって、市民運動を展開できないだろうか、ということである。これまで僕は、市民運動に関しては、そうした霊的な視点のようなものはできるだけ出さないようにしていた。
しかし、アントロポゾフィーの現代性とは、霊的なことがらを普通の理解力で理解できるかたちで扱うことにあるはずだ。だったら、僕も自分にとって身近なことをストレートに表現していくべきではないのか。
要するに、僕なりのカミングアウトが必要なのではないかと。
なぜなら、人間の尊厳を、あるいは生命の尊厳を本当に復権することは、霊的なものへのまなざしなくしては可能ではないと思うからである。

シュタイナーの「社会三層化」と市民運動(1)

2007-02-14 22:13:09 | 社会問題
久々にシュタイナーの『社会問題の核心』を原書で読み返した。

先日、鹿児島で川田龍平さんの講演を聞いた。本来なら仕事で鹿児島を離れているはずの日だったが、体調を崩してしまったため、かえって参加することができたのだ。川田さんは12年前、19歳の時に、薬害エイズの被害者として実名を公表し、「東京HIV訴訟」の原告団に加わった。3500人もの人々が厚生省を取り囲み、当時の厚生大臣管直人氏が謝罪したときの映像はいまだに記憶に残っている。僕もあの時、薬害エイズ裁判をたたかう人々につながろうと、厚生省前へ出かけたひとりだった。

講演では、初め、10歳の少年として母親からHIV感染を告知されたときの心境や、辛かった中学時代、感染のことを話してもそれまでと変わりなく付き合い続けてくれた彼女や友人のことなど、薬害エイズの裁判にいたるまでの経過を、本人の言葉で聞くことができた。どうしても責任の所在を明らかにし、製薬会社と国に謝罪してほしかったという言葉からは、改めてその当時の川田さんや母親の思いが伝わってきた。

その川田さんが、今7月の参院選への出馬を決めたという。彼のように否応なく「生と死」を意識しつつ生きている人にとって、大変な決意だったに違いない。講演の後半では、現在の日本の危機的な状況についての彼の考えが語られた。その真摯な姿勢には心から共感しながらも、僕には何かどうしても気になることが残った。それが気になって、結局、夜の交流会にまで出かけて、川田さんに話かけてしまったほどだ。

僕は今も、自分のあのときの感覚が十分に理解できないでいる。その感覚を理解しようとして、また、自分自身はどのように日本の現実の社会に関わっていくのかを問い直そうとして、ふと、シュタイナーが社会運動を始めたときの著作『社会問題の核心』をもう一度読み直してみようかと思ったのである。以下につづるのは、その際に僕が改めて読み取ったこと、そして僕の心に去来したことのノートのようなものである。

『社会問題の核心』は、社会運動の本である。今でいえば「市民運動」の本とも言えるかもしれない。なぜなら、この本では「社会に変化を起こすのは、一人ひとりの個人であり、各人が自分のいる場所で自分にできることを始める」ことが強調されているからだ。

この本が出版されたのは、第一世界大戦後の1919年、日本でいえば大正8年のことである。もちろん、その頃からさまざまな「民主化」の運動はあったけれども、シュタイナーほど一貫して「個」を基盤にしていた人は珍しかったのではないかと思う。「個人主義的アナキスト」を自称していた若い頃の姿勢は、神秘学者・オカルティストになってからも決して変わらなかった。むしろ、徹底した個人主義、アナキズムの基盤のうえに、シュタイナーの人智学(アントロポゾフィー)は展開されていったのである。

今、シュタイナーが大切にしていた「個」の感覚がもっとも生きているのが、さまざまな市民運動なのではないかと僕は思っている。実際、ヨーロッパでは、学校、医療、農業、銀行といった領域でのシュタイナー派の人々の活動は、市民運動として展開されている。そこでは自分たちの活動内容の告知の仕方から、説明会や資金集め、行政とのやり取りに到るまで、一人ひとりの参加者の自発的な参加、対等な話し合いを基盤にして行われている。

これは市民運動としては当たり前のことだ。僕がいま考えたいのは、アントロポゾフィー霊学は、実際に社会を変革する「知恵」となりうるのかということである。そこに、シュタイナーがリベラルな評論家という堅実な立場を捨てて、オカルティズムに到った理由もあるはずである。実際、現在、僕たちが眼にすることのできるアントロポゾフィーの成果は、学校も病院も、治療教育施設も、農場も、銀行も、すべて40歳を過ぎてからのシュタイナーの示唆から発展してきたものだ。コリン・ウィルソンはシュタイナーについての評伝のなかで、「もしシュタイナーが自由の哲学などの初期の著作だけを遺して死んでいたなら、リベラルな思想家としてベルグソンなどと並んで記憶されていたことだろう」というようなことを書いている。確かにそうかもしれないが、その代わり、その思想は実際の社会のなかに実を結ぶこともなかっただろうと思うのだ。

日本でも、シュタイナーに共感する人々は大きく二つのグループに分かれている。シュタイナー教育などの実践面に重点をおき、その背後の世界観、ましてや霊界云々にはあえて触れようとしない人々。そして、逆に霊的側面や世界観・宇宙論に重点をおき、教育や社会実践にはそれほど関心のない人々である。もちろん、自分はどちらにも関心があるとか、全体としてのアントロポゾフィー(人智学)を学んでいるという人もあるだろうけれど、傾向としては、この二つの極のどちらかに傾いているのではないだろうか。

『社会問題の核心』では、霊的世界観や宗教性といったものを現実社会と結びつける試みがなされている。シュタイナーは、「荒廃した社会にあって、今こそ《霊性》が必要だと説く人々と、ひたすら《現実》だけに関わろうとする人々がいるが、その二つが結びつかなければならない」と述べている。なぜなら、シュタイナーにとって、すべての社会現実は霊性の現れに他ならないからである。この本は、眼にみえる実際の社会現象を見据えつつ、そのなかに隠されている《根源的な思想》(霊性)を捉えようとする。すべての現実は、《根源的な思想》が不完全な、もしくは歪められた形で表出したものなのである。

この本は、若い頃のリベラルな評論家シュタイナーではなく、50代のオカルティスト・シュタイナーが、戦後の混乱のなかでやむにやまれぬ思いから書き表したものである。その文体は、オカルティズムの用語などは一切用いず、ひたすら一般の人々に理解されることを目指している。しかし、その内容は、オカルティズムの研究を進めてきたシュタイナーが、社会の現実のなかから読み取った《根源的な思想》を踏まえている。それが「社会有機体の三層化」(三分節)というものである。

シュタイナーの社会論は、当時のプロレタリアの人々と向き合うところから始まる。つまり、資本主義社会のなかで生産力を持たず、自分たちの労働力を資本家に売って生活している賃金労働者たちである。ちょうどロシアでは1917年の10月革命が起こり、ドイツでも社会主義的な政府の樹立を目指してさまざまな運動が起きていた。
今改めて『社会問題の核心』を読み返してみて、シュタイナーが最初の1章をまるごと、このプロレタリアの人々が何を求めているのかという考察に当てていることに気づいた。シュタイナーにとって、「社会問題」の核心とは、そのままプロレタリア運動の本質とは何かということにつながっていたのだ。なぜなら、プロレタリアの人々こそ、人間にふさわしい社会のあり方を問い、時代に対して魂の叫びを発していたからである。

たとえば、今の日本で、そのような魂の叫びを挙げているのは、どういう人々だろうか。格差社会といわれ、いくら働いても貧困から抜け出せないワーキング・プアと呼ばれる人々の存在も指摘されるようになった。年間の自殺者は毎年、3万人を超えている。あまりにも多くの人々が苦しんでいる。でも、そのなかで、「魂の叫び」といえるような意思表示を行っているのは、子どもたちなのではないだろうか。
特に、不登校の子どもたち、そして「ひきこもり」や「ニート」と呼ばれる人々の存在は、現在の日本の社会の現実を考えるうえで非常に重要だと思う。彼らはしばしば「経済問題」と結びつけて論じられることがあるが、実際、彼らは日本の社会に参加することを意識的・無意識的に拒んでいるともいえると思う。もちろん、僕自身も不登校の経験があるので、学校に行きたくても行けない、社会参加をしたくてもできないという葛藤は身をもって知っている。積極的に登校「拒否」や社会参加の「拒否」をしているという実感はないだろう。しかし、いくら自分では学校に行こうと思っても、頭やおなかが痛くなったり、どうしてもだるかったりして、「身体がいうことをきかない」という状態があるのではないか。だとすれば、少なくとも彼らの身体は、現在の日本社会への参加を「拒否」しているといえるのではないだろうか。

そして、この「身体感覚」が重要なのである。なぜシュタイナーが人間の「身体の三層構造」に即して「社会の三層構造」を解き明かしていったかといえば、すべての社会的現実は、人間自身の表出にほかならないからだ。そして、シュタイナーが社会の現実のなかに読み取ろうとした《根源的思想》とは、人間自身の本質なのである。
今、日本の子どもたちの身体が「社会参加」を拒むとすれば、それは社会という身体(有機体)のありようが、人間の身体にふさわしいあり方をしていないからである。

シュタイナーは自分の立場は決して、単に「社会」を「身体」になぞらえるアナロジーではないと強調している。シュタイナーにとって重要なのは、人間の身体を考察することで、「人間の生命が成立するために必要な条件」(das Lebensmögliche)を読み取り、それを参考にして「人間が生きられる社会」、つまり「生きた社会」のありようを考えることだった。そして、シュタイナーが辿りついた「生きた社会の必要条件」が、「社会が三分節されていること」であった。

僕たちが、現在の日本社会に対して、アントロポゾフィーの立場から働きかけていくときは、この「三分節」が基本になるだろう。現在の子どもたちのいじめ、自殺、不登校といった問題に対しては、社会という身体を適切に「分節化」していく努力が必要になるだろう。社会そのものへの働きかけがなければ、いかに「理想的な学校」をつくったとしても、それだけでは解決にならない。なぜなら、子どもたちの身体が拒絶しているのは、学校の先に待ち構えている「社会」なのだから。大人のなかにその社会へのまなざしがなければ、子どもたちの不安は拭い去られることはないだろう。[つづく]

(写真は第一次世界大戦勃発後の1916年のシュタイナー)

ジェンダー・フリーとシュタイナー

2007-02-11 20:44:12 | フェミニズム
アントロポゾフィーに関して、僕にはこれを言わずには死ねないと思うくらい大事な事柄がいくつかある。その一つが、「アントロポゾフィーはフェミニズムだ」ということである。

フェミニズムというと、ただ女性に親切にしたり、男も家事を率先してやったり、男女平等を説くことのように誤解されることが多い。僕のような「男性」がフェミニズムの重要性を口にすれば、それこそ単に「いい人」になろうとしているように思われてしまう。
でも、僕の理解するフェミニズムは、これまでおそらく何千年もの間、ずっと人々の思考を縛ってきた世界観を覆す、革命的な思想なのだ。
そして、もしアントロポゾフィーがフェミニズムとしての自己認識に到らなければ、アントロポゾフィーが本来持っている革命的な力も塞がれたままに終わるだろうと思っている。

これはただ単なる僕の思いつきではない。
実際、シュタイナーの思想は、フェミニズムとして読み解くことができる。
たとえば、シュタイナーは、「あなたの著作のなかで千年後も価値を失わないものがあるとすれば、それは何だと思うか?」という問いに対して、『自由の哲学』を挙げたと伝えられる。この書の執筆に取り掛かっている頃、つまりシュタイナーが20代、30代の頃に交流していたのが、女権運動の先駆けとして知られるローザ・マイレーダーだった。シュタイナーは、マイレーダーを生涯尊敬し続け、オカルティストになってからもたびたび講演などで彼女の新しい作品を取り上げては肯定的に扱っている。それに対して、マイレーダーのほうは、シュタイナーの訃報に接したとき、「この人は、自分のことを頻繁に取り上げていたようだが、自分には大きな感慨はない。この人の講演に何千人もの聴衆が集まったというのは理解しがたい」というようなことを日記に書いている。僕は、マイレーダーのこの一文を読んだときは、シュタイナーが可哀そうでならなかった。

その『自由の哲学』のなかで、シュタイナーは「類概念」ということばを取り上げ、その典型的な例として「男」と「女」を挙げている。つまり、一人ひとりの人間を「個」としてではなく、男とか、女という「類概念」で一括りにしてしまう捉え方のことだ。そして、現在では、男性よりも女性のほうが、個人として認められず、「女」として一括りにされることで苦しんでいると述べている。
この本が19世紀の終わり、1894年に出版されたことを思えば、どれほどシュタイナーの意識が時代を先取りしていたかが分かる。そして、僕が注目したいのは、シュタイナーがこの「男と女」の問題を「認識」の問題として取り上げているということである。
つまり、男や女という「類」で捉えている限り、一人ひとりの個人は見えてこないのである。

ここでシュタイナーが男と女の「類概念」と言っていたことは、現代では「ジェンダー」として社会学の重要な用語になっている。
ジェンダーというのは、要するに、社会的・文化的に規定された「男らしさ」や「女らしさ」のことで、生物学的な性=「セックス」とは区別される。つまり、男だから力強く逞しくなければならないとか、女だから優しくなければならないとか、家を守り、夫を支えなければならないとかいった「社会からの期待」がジェンダーなのだといえると思う。
そうした社会からの期待は、西洋と東洋とか、先進国といわゆる未開の部族の人たちなど、文化の違いによってさまざまに異なっている。だから、そういった「男らしさ」や「女らしさ」は生物学的に決定された事実ではなく、人間によって文化的につくられたイメージなのだ。
シュタイナーが『自由の哲学』で論じたように、一人ひとりの人間の個性を見ようとすれば、類概念=ジェンダーのイメージに捉われずに、「個」に目を向ける必要がある。
その意味で、最近、日本で言われるようになった「ジェンダー・フリー」という言葉は、「ジェンダー(類概念)から自由な」見方を提唱しているという点で、シュタイナー思想に直結する重要な考え方を示していると思う。

ところが、この数年の間に、このジェンダー・フリーという言葉が猛烈な勢いで攻撃されている。僕個人は、この攻撃には、アントロポゾフィーそのものへの攻撃とも感じられるくらいの痛みを感じている。この攻撃は、ただの男たちの反撥というだけで済まされるものではない。そこで攻撃されているのは、人間の「自由への衝動」なのだ。

というのも、この「男と女」の問題は、若い頃のリベラルな思想家としてシュタイナーが取り上げたというだけではなく、その後の霊学の基本にもつながっていくからである。そのことがもっとも端的に現れているのが、『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか?』(原題『いかにしてより高次の世界の認識を獲得するか』)という本である。
この本をよく読むと、シュタイナーが言っている「神秘修行」とは、実は「ジェンダー・フリー」の視点を獲得することから始まることが分かる。もしシュタイナーが現代の日本に生きていれば、必ずジェンダー・フリーに言及していたに違いないと僕は思う。
つまり、人間は社会生活を営むうちに、ありとあらゆる偏見や先入観を植え付けられる。この人は男か女か、肌の色はどうか、どういう経歴の持ち主か、社会的地位はどうかなどなど。そういった予断を取り払い、目の前の人間をあるがままに見ること。それによってシュタイナーのいう「霊眼」は開かれるのである。新約聖書のイエスの言葉でいえば、「眼のなかの丸太を取り除く」ということになるだろうか。

こういったことは、「よき社会人」の常識としては重要だとしても、「霊的修行」に関係があるとは考えにくいかもしれない。けれども、まさにそこに『自由の哲学』のなかで、「男と女」が「認識の問題」として取り上げられている意味があるのだ。
「男らしさ」「女らしさ」というのは、もっとも根源的な社会的偏見の一つである。そこに他のありとあらゆる偏見や予断が連なっている。そして、もう一つの大きな偏見ないし先入観が、「この世は物質であり、精神という眼にみえないものは私の内面のなかにしか存在しない」という二元論である。『自由の哲学』を出発点として、その後のシュタイナー思想の展開を追っていくとき、「男と女」をめぐる偏見が、人間の精神・物質二元論と深くつながっていることが見えてくる。

ただ、シュタイナーはそのように明確には書かなかった。けれども、たとえば『アカシャ年代記』のなかの「男と女の秘密については、現在はまだそのヴェールを取り払うことが許されていない」という一見思わせぶりな表現のなかに、いかにシュタイナーがこの問題をきわめて重要な、本質的なものと捉えていたかがうかがわれる。僕の考えでは、シュタイナーのこの表現は単なる「思わせぶり」ではなく、時代の制約があったのではないかと思う。つまり、まだ同性愛が違法で、女性参政権も実現していなかった時代なのだ。そもそも霊的な問題を取り上げることだけでも、もはや正統な学者とは見なされず、大変な無理解にさらされるのに、さらに「男と女に関する偏見を取り除くことが、霊的修行の第一歩である」と書いたとすれば、まったく相手にされなくなったのではないか。

しかし、シュタイナーの死後、時代は大きく代わり、人々は公民権運動を経験し、同性愛結婚が合法化されたり、同性愛者の牧師が誕生したりするようになった。性同一性障害についても知られるようになり、「男と女」について様々な角度から議論されている。今はむしろ「男と女の秘密について、そのヴェールを取り払う」努力がなされるべき時に来ていると思う。

エヴリン・フォックス・ケラーという人の『ジェンダーと科学』(工作舎)を読むと、これまで「客観的」で「中立」と考えられてきた近代自然科学が、いかに男性の心性によって営まれてきたかが分かる。近代科学の立役者であるフランシス・ベーコンは、真理を女性と見立て、その後を追い回すというイメージを使っていた。しかし、それ以上に重要なのは、これまでの自然科学においては、主体は常に研究者の「私」の側におかれ、研究対象は「object」(モノ)として、そこからは一切の主体性が奪われるという指摘である。研究対象に感情移入などすれば、その研究は客観的なものではありえない、というのが自然科学の主張だった。しかし、そこには研究の対象となるものもまた「主体」でありうるという認識が欠如していたのである。そこから、環境破壊や殺戮に使用されるような技術の開発につながる、いわば「血の通わない」科学が生じてくる。それは実は客観的なものなどなく、極めて男性的な心性によるバイアス(偏り)を受けているのである。
僕自身が感銘を受けたのは、そのようなバイアスのなかに、対象とじかに関わることへの男性の「恐れ」があると指摘されているところである。

なぜなら、僕には、確かに男性のなかには、そのような「恐れ」があると感じられるからだ。以前、多田富雄さんが「女は存在、男は現象」と書いておられたが、生物学的な存在の基盤は女性であり、男性はそれが変化したものであるということも、男の「寄る辺なさ」の背景にあるのかもしれない。

ただ、これはあくまでも一般論であり、ジェンダー・フリーというからにも、男性性、女性性の明確な定義も必要だろう。僕自身の考えでは、「男性性」と呼ばれているものは、ゲーテに倣って「分けていく心性」(das Trennende)、女性性と呼ばれているものは「結びつけていく心性」(das Verbindende)と言い換えることができるのではないだろうか。
つまり、この二つの心性は、生物学的な男女を問わず、基本的にすべての人に備わっている。しかし、一般に男性のほうが、「分けていく心性」が強く、女性のほうが「結びつけていく心性」が強いといえるのではないだろうか。

僕がこのように考えるようになったのは、三枝和子さんの『女の哲学ことはじめ』(青土社)という本を読んでからのことである。この本のなかで、三枝さんは、一般に、男は他人に打ち勝つことで自分を確認しようとし、女は他人とのつながりのなかで自分を確認しようとする傾向があるようだと書いている。つまり、男は、自分と他人とは違うこと、その差異や優劣を明らかにすることで、自己を確認しようとする。それに対して、女は、自分と他人との共通点や共同作業を通して、自己を確認しようとする、ということではないだろうか。そのような自己意識のあり方が、男性の思考と女性の思考にも影響を及ぼしている。そして、古代ギリシャ以来、哲学はおもに男性の思考によって形成されてきたと三枝さんは言うのである。
これを「分析的思考」と「総合的思考」というように言うこともできるだろう。いずれにしても、本来の科学や哲学にとっては、この二つの思考の働きはどちらも必要である。しかし、近代科学の発展のなかでは、男性的な、つまり分析的な思考、分けていく思考が優位に働いていたといえるだろう。そして、それが競争原理や「弱肉強食」の考え方の背後にあったと思う。

ところで、ゲーテはこの二つの思考のあり方をはっきり意識していた。そして、近代科学の発展を支えたガリレイやニュートンに関して、「彼らは自然を拷問にかけ、無理やり真理を自白させようとしている」という表現で自分の違和感を表明したのである。これは先のエヴリン・フォックス・ケラー氏がフランシス・ベーコンを引用して指摘したことと非常に共通している。さらに言えば、ケラー氏が目指している新しい科学とは、シュタイナーが目指したゲーテ主義的な自然科学、つまりアントロポゾフィー的霊学そのものではないかとさえ思えるのである。

というのも、シュタイナーやゲーテのいう「霊」とは何かといえば、世界のなかに存する「主体」(私)のことに他ならないからである。しかし、自我をもった人間の意識構造ゆえに、世界は「主体」と「客体」に分裂して現れる。この二元論においては、主体はどこまでも「私」の内面のなかに集約され、客体は「私」から切り離されて、単なる「対象」(モノ)に還元されてしまう。
「私」から切り離されたモノは、単なる物質であり、感情や思考をもたない。たしか上野千鶴子氏が『発情装置』という本のなかで、「ある男性は、自分が寝ている相手の女性も、自分と同じように<考えている>ということを思った途端、性欲が減退した」という話を書いておられたと記憶しているが、そのように男性には女性をモノと見なしてしまう傾向があるように思う。もちろん、この傾向は男性だけではなく、女性にもあるわけだが、男性のほうがその傾向を強く持っているのではないかと思うのだ。
しかし、霊的修行という場合には、相手のなかに、目にはみえない感情や思考、すなわち相手の「私」を感じることが第一歩となる。

そして、ゲーテやシュタイナーの思想の基本は、この世界はすべて、ひとつの普遍的な「主体」(それを「自然」と呼んだり、「霊」と呼んだり、「私」と呼んだりするわけだが)が、さまざまな形で現れた(個体化・個別化された)ものであり、人間においては、それが「私」という一人称で自覚されるということである。

すべてのものは、みずからを表そうとする意志を持っている。それは植物であれ、動物であれ、人間であれ、変わらない。そして、すべての存在が自己を表す権利を持っている。しかし、その権利を権利として言語化し、認識できるのは、人間だけである。そこに人間の「責任」があり、シュタイナーが「人間の知恵」としてのアントロポゾフィーを強調した理由もある。

そして、これが『自由の哲学』の一番の主題なのだが、人間の場合には、自分の内側から表出しようとする「意志」と、現在の自分とが初めから一致していない。社会からの規範―その最たるものが「男らしさ」「女らしさ」というジェンダーなのだが―に捉われることなく、自分の意志を感じ取り、自分が「好き」なこと、自分が「愛」を感じられる行為を行って生きていくことで、人間における真の個性化が実現する。つまり、一人ひとり完全に異なる個性の表出のなかに、普遍的な「人間」という概念が現れるのだ。その意味で、人間の使命とは、一人ひとりが自己に忠実に生きることである。そして、そのように生きられることを、シュタイナーは「自由」と呼んだ。シュタイナーのいう自由とは、自己との一致のことである。

したがって、ジェンダー・フリーという言葉には、シュタイナーの『自由の哲学』のエッセンスがこめられているとさえ、僕には思えるのである。

よく「ジェンダー・フリーは和製英語で、ちゃんとした学術用語ではない」という非難が聞かれるが、僕にはそういう実感はない。遺伝子操作をしていない食物をGM-freeといい、テレビを見ない状態をTV-freeと言ったりするように、gender-freeは立派な英語の単語である。もちろん、英語も日本語と同様に、同じ一つの言葉であっても、どのような文脈で、どのような意識のもとに使うかによって、そこにこめられた意味は違ってくる。アメリカのフェミニストに対して、ジェンダー・フリーという言葉を使っても、日本で使われているような意味では理解されないという話もある。しかし、アメリカのフェミニズムの語法がすべてを決めるわけではないだろう。むしろ、日本の文化的・社会的な文脈のなかで、このジェンダー・フリーという語がどのように出現し、どのような議論を生んでいるかということを伝えることのほうが、日本からの発信になるのではないだろうか。僕は英語で、アメリカの知人相手に「シュタイナーの霊学(spiritual science)は、ジェンダー・フリーな科学だと思う」という話をしたことがあるが、とてもよく理解してもらえた記憶がある。むしろ、英語は世界共通語になりつつあるのだから、日本人も、自分自身の言葉として英語を使えばいいと思う。もちろん、あらかじめ自分はこの言葉をどういう文脈でもちいるのかを説明しておく必要はあるけれども。ともかく僕は、このジェンダー・フリーという語に関して、本国アメリカではこういう使い方はしないというような言い方には、とても違和感を覚えるのである。

そして、このジェンダー・フリーに関して、僕が一番言いたいのは次の点である。
ジェンダー・フリーを敵視する男性の政治家の多くは、「男女平等」には反対しないという。以前、鹿児島で上野千鶴子氏の講演を聞いたとき、大いに共感しながらも、ただ一点だけ違和感を覚えたところがあった。それは上野さんが「ジェンダー・フリーと男女平等は同じことなのだから、ジェンダー・フリーという言葉が嫌だったら、男女平等と言えばいい」と言っておられたところである。
僕はどうしても、日本でジェンダー・イクォリティ(平等)ではなく、ジェンダー・フリー(自由)という言葉が使われるようになったことに意味があると思うのだ。なぜなら、「平等」と「自由」とは、明確に区別される必要があると思うからである。男女平等はもちろん大事であり、すべての基本だと思う。しかし、ジェンダー・フリーが攻撃されるのは、それが「革命的」であり、これまでの男性社会の意識構造を根底から覆すものだからだ。ジェンダー・フリーは、一人ひとりに「みんな違って当たり前」と、「自己との一致」をうながす言葉なのだ。
ジェンダー・フリーを攻撃する人たちは、大概、今の憲法に反対し、教育基本法の改変に賛成であった人たちである。
今、日本で何が起こりつつあるかといえば、一人ひとりの「個」の発現、「自由への衝動」がますます抑え込まれてきているということである。
それはアントロポゾフィーの根幹に関わることなのだ。

(上の写真は、シュタイナーと交流のあった女権運動の先駆者ローザ・マイレーダー)