15.
《私》(自我)はアストラル体のなかにも生きている。
そこでの《私》の「かたち」(ゲシュタルト)を洞察することによって、
人間の霊界への関係が正しく感じられるようになる。
通常の体験にとって、この「《私》のかたち」は無意識の暗い深みのなかに沈んでいる。
この深みのなかで、人間は霊的な宇宙本性とインスピレーションを通してつながっている。
魂の深みには、そのような霊界の広がりからのインスピレーションが働いているが、
通常の意識のまえには、そのきわめておぼろげな感情のような反射が映るだけである。
(訳・入間カイ)
15. Die Einsicht in die Gestalt, in der das «Ich» im Astralleibe lebt, führt zu einer rechten Empfindung von dem Verhältnisse des Menschen zu der geistigen Welt. Diese Ich-Gestalt ist für das gewöhnliche Erleben in die dunklen Tiefen des Unbewußten getaucht. In diesen Tiefen tritt der Mensch mit der geistigen Weltwesenheit durch Inspiration in Verbindung. Nur ein ganz schwacher gefühlsmäßiger Abglanz von dieser in den Seelentiefen waltenden Inspiration aus den Weiten der geistigen Welt steht vor dem gewöhnlichen Bewußtsein.(Rudolf Steiner)
この第15項では、
《私》(自我)の第二の「かたち」(ゲシュタルト)として、
「アストラル体」における《私》のかたちが取り上げられています。
(第13項で、《私》には、通常の意識にとっての《私》のほかに、
三つの「かたち」があると述べられていますが、その二番目です。)
まず、「かたち」(ゲシュタルト)ということばは、ドイツ語特有の語ですが、
ここでは「全体性をもったかたち」というようなニュアンスで理解できると思います。
つまり、たとえば身体や植物の一部というような個別の形態よりも、
全身の姿や、植物全体というように、ひとつの生命の単位として、全体として生きているような「かたち」のことです。
つまり、ここでシュタイナーは、人間の《私》というものは、
アストラル体のなかでも、そのような全体性をもって「生きている」と述べています。
アストラル体ということばは、ラテン語のastrum(星)から来ています。
つまり、人間には、目にみえる身体のほかに、目にみえない「体」があり、
そのひとつが、惑星の世界につながる「アストラル体」なのです。
人間が通常、何気なく《私》と思っているものは、
実は、二重、三重の「生命」をもっていて、
そのひとつとして、惑星領域とのつながりのなかに生きる《私》があるということです。
また、「霊界」ということばも出てきますが、
シュタイナーが「霊」や「魂」という言い方をするときに、
それを正しく理解するためにきわめて重要なのが、
『神智学』という本のなかで述べられている
霊と魂の違いを意識しておくことです。
つまり、「魂」はどこまでも「個人の感じ方」(個人性)にかかわるものであり、
「霊」は、個人性を超えて、普遍とつながるものであるということです。
一人ひとりの感じ方は、個々人でまったく違い、その感性を他者と共有することはできません。
個人の「たましい」においては、人間は完全に「孤独」なのです。
霊的なものは、個々人がそれをどう感じようとも、客観的な事実として、いわば「法則」のようなものとして存在しています。
ですから、人々は、「たましい」においては孤独でも、
「霊」においては、「考える」ことを通して相互に理解しあうこと、つながることができます。
そして、人間の《私》においては、個と普遍が同時に存在しているのです。
人間には、一人ひとりの「私」という感じ方がある一方で、
すべての人が「私」をもっているという普遍性があるわけです。
そして、この「普遍性」が霊界なのです。
「霊界につながる」ということは、
個人的な思いや感じ方を超えて、普遍的な世界につながるということです。
アストラル体は、通常の意識においては、
神経や感覚の働きを担うものです。
つまり、まさに個々人の感じ方、考え方を担っています。
しかし、そこで「私」というものがどのように働いているかを「洞察」するとき、
「人間の霊界」との関係が正しく感じられる、と書かれています。
簡単な言い方をすれば、
私には私の感じ方、考え方があるけれど、
すべての人間が、私と同じように、
「私」として感じ、「私」として考えながら生きている。
「私」は私のなかに生きていると同時に、
すべての人のなかにも生きている。
私のなかには、「個と普遍」が同時に働いているということです。
霊界は、惑星や黄道十二宮として、
私たちの「外」に広がる宇宙として意識されることもあれば、
私たちの「内」に、感情や思考として意識されることもあります。
私たち一人ひとりは、それぞれの「私」において、
「宇宙の広がり」を内面に宿しているのです。
この霊界や宇宙とのつながりを
シュタイナーは「インスピレーション」ということばで表現しました。
インスピレーションは、inspire、
つまり、「息吹」を吸い込んだり、送りこんだりすることです。
それは、通常の意識には、「感じる」こと、「聞く」こととして意識されます。
そして、そこには人間の胸の領域、
呼吸器としての肺や、全身の循環をつかさどる心臓との関連があります。
そのようにして、人間は、一人ひとりが何気なく「私」として生きているけれど、
その一人ひとりの感じ方や考え方のなかには、
実は、広大な宇宙、霊界とのつながりがおぼろげに反映されている。
それが「アストラル体」(感覚体)における《私》のかたちなのです。