入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

お金と景観とシュタイナー―鹿児島県庁隣接地購入をめぐって―

2006-04-06 02:52:39 | 日々の雑感
先日(3月21日)、TV朝日の「スーパーモーニング」という番組を見た。
僕が住んでいる鹿児島県が、県庁に隣接する土地を10億円以上かけて購入するという問題を取り上げていた。

この番組を見て、何かもやもやした感想をもったのだが、うまくことばにできなかった。
そして、この2~3日、シュタイナー思想との関連など、いくつか見えてきたこともあって、ずっと考えている。ただ、どうしてもまとまった文章として表現することができずにいる。それでも、この問題について僕が考えていることを鹿児島以外の人たちにも知ってほしくて、まとまらない文章ではあるが、見えてきたことだけをメモのようにして書いておくことにする。いずれこれを手がかりに、もう少し考えを発展させたいと思っている。

鹿児島県には、錦江湾に浮かぶ「桜島」というシンボルがある。
鹿児島の県庁ビルには、18階に「展望ロビー」があって、そこからこの桜島の眺めを楽しむことができる。
ところが、その県庁の隣の土地に、24階建てのマンションの建設計画がある、というのだ。
そんな建物が建ってしまうと、展望ロビーから桜島が見えなくなる。
しかし、そのような高いビルの建設を規制するには、県や市の「景観条例」が必要だ。そういった条例は、鹿児島ではまだ整備されていないという。
だから、鹿児島県は、県庁からの「景観」を守るために、公金を使って、隣の土地を買い取ることにしたというわけだ。

でも、いまの鹿児島県は1兆6千億円もの借金を抱えていて、大変な財政危機にある。
だから、県民からは多数の反対意見が寄せられた。
そのうえ、県の説明にはよく分からないことが多かった。
「24階建てのマンションの建設計画」という話が、どこから出てきたのかも分からない。
県は、市から聞いたといい、市はそんな計画は把握していないという。
そのうち、県の説明は、「24階建て」ではなく、「45階建て」のマンションが建つという話にすり替わっていった。

結局、たくさんの反対意見が寄せられたのにもかかわらず、先週、鹿児島県は、11億4千万円でこの隣接地を購入した。

ところで、「購入する」というのは、ひとつの「意志」に基づく行為である。
この意志は、誰の意志なのだろうか?

この土地購入には、県の知事が熱心だったことは明らかだ。
18階の展望ロビーより先に、もっと下の階にある知事室の窓からの眺めが、台無しになってしまった。
現在、建設中の別のマンションによって、桜島が半分しか見えなくなっている。
これが、知事はよほど腹に据えかねたようだ。
これでは「要人が来たときに困るので、カーテンで窓をさえぎっている」というコメントが、「スーパーモーニング」の番組では紹介されていた。
そのうえ、県庁のすぐ隣の土地に別のマンションが建つようなことは、なんとしても食い止めたいと思ったのかもしれない。
3月29日付朝日新聞鹿児島版によると、
知事は、「むしろ積極的に買いなさいという声が出るのが当然だと思った」
「もう少し景観に対する感受性を皆さんに持ってほしい」と語ったという。

そういうわけで、このたび鹿児島県が、県庁の隣の土地を購入したのは、おもに知事の「意志」だったと言ってよいと思う。
そうした知事の「景観」への思いを否定するつもりはない。

ただ問題は、知事という「個人の意志」と「行政の意志」の関係である。

今回の知事のように、故郷の風景について、さまざまな思いをもっている人はたくさんいる。最近の潮見橋の撤去は、本当に多くの住民の心を痛めた。6年前から強引に進められている人工島の建設にも、たくさんの人が反対した。それでも「公共事業」は、住民の実際の思いとは切り離されたところで、「行政の意志」によって押し進められる。
故郷の景観への感受性は、知事だけではなく、多くの人が持っている。
でも、知事の思いだけは、そのまま「行政の意志」となって、土地の購入という「行為」へとつながった。その行為を支えるのは、住民から集められた税金である。

行政の意志って、何なのだろうか?
行政の意志は、「公の意志」と言い換えることができるだろう。
公の意志に対して、一人ひとりの「私」の意志がある。

僕は今、シュタイナー思想を手がかりに、「公と私」について改めて考えたいと思っている。
公は、官や行政、国家だけのものではない。
すべての人が、公の部分をもっている。それが「市民」ということなのだと思う。
市民というのは、社会を構成する一人ひとりという部分である。
それとは別に、「私」の部分は、一人ひとりの「内面」に関わる領域である。

シュタイナーは、「社会有機体」(社会のからだ)という言い方をした。
彼は「生きた社会」を目指したので、人間の身体を始め、「生命が生じる条件」を探って、そこから社会を「生きた」ものにする道を見出そうとしたのだ。

人間の身体は、頭部(神経・感覚系)、胸部(呼吸・循環系)、下腹部+四肢(代謝系)という三領域に大きく分けられる。
以前、「シュタイナーの身体観」との関連でも書いたが、人間の身体を「内」から見たとき、そこに「思考」「感情」「意志」の働きを見ることができる。

そして、「社会のからだ」は、精神生活(文化)、法生活、経済生活という三領域に分けられる。

一見、精神生活は、人間の頭部や思考に対応しているように思われるが、実はそこには逆転がある。
社会における精神生活(文化)は、身体における代謝系に対応しているのだ(ただし、これはあくまでも一つの見方にすぎない。シュタイナー自身が警告しているように、人間の身体も、「社会のからだ」も静的な固定されたものではなく、つねに流動するダイナミックなものである。)
そして、人間の「たましい」の働きとしては、この領域は「意志」に対応している。
なぜなら、一人ひとりが精神的に自由になり、独自の創造活動を行うことで、「社会のからだ」は栄養やエネルギーを受け取るからである。自由な人々の多様な生き方(意志)がなければ、社会は貧困になる。

社会における法生活(国家や行政の領域)は、身体の胸の領域(呼吸・循環系)に対応している。「たましい」においては「感情」に対応している。これについては「公と私」との関連で後述する。

そして、社会における経済生活は、身体の頭部領域(神経・感覚系)に対応している。「たましい」においては「思考」に対応している。
シュタイナーは、経済の原理として「友愛」を挙げた。このことばは、ややもすると豊かな人が貧しい人に施しをするといった「慈善」的な意味に誤解されてしまう。しかし、シュタイナーのいう「友愛」はただの原理であって、倫理や道徳とは無関係である。僕なりの表現でいえば、友愛とは、「ネットワーク」や「交流」、「触れ合い」といったことである。
そして、友愛の原理は、神経細胞が次々につながっていくイメージである。神経系によって伝達されるのは「情報」である。
シュタイナーのいう「友愛」は、情報伝達の原理なのである。

そして、「公と私」が関連するのは、法生活、胸部領域、感情である。
公と私は、「私」の二つの側面であるといえる。
私ということばは、個別性と普遍性を併せ持つ。
私ということばの「個別性」は次のように説明できるだろう。たとえば、「ケンちゃん」という固有名詞(名前)であれば、ケンちゃん自身が自分のことを「ケンちゃん」と呼ぶこともできるし、別の誰かが「ケンちゃん」と呼びかけることもできる。しかし、ケンちゃんが「私」という一人称を使う場合は、「私」ということばでケンちゃん自身を示せるのはケンちゃんだけである。別の人(たとえばタローくん)が「私」と言った場合は、それはケンちゃんではなく、タローくん自身のことになってしまう。そのように「私」ということばを使って自分のことを指し示せるのは、その人自身だけである。
その一方で、「私」ということばには「普遍性」がある。それは、すべての人が自分を指すのに「私」ということばを使えるからである。「私」というのは、すべての人によって共有される名前とも言える。
シュタイナーは、「私」ということばにおいて「普遍性」と「個別性」が一致していることを「キリスト原理」と呼んでいた。まあ、それをどんな名称で呼ぶにせよ、この「私」というものが「個人」と「すべての人」に同時につながるということが、「公と私」を理解する手がかりになると僕は思っている。

この「私」の二重性は、身体では心臓と呼吸によって表される。それが法生活に対応する胸部領域が、「呼吸・循環系」と呼ばれるゆえんである。
「個別の私」は、呼吸によって支えられている。それに対して、「普遍の私」を支えているのが、心臓であり、心臓から全身をめぐる血液である。
心臓と呼吸の関係は、4:1といわれる。つまり、呼吸を1回する間に、心臓は4回鼓動する。それが安定した状態(熟睡しているときなど)のリズムだそうだ。
しかし、その時々の心の状態によって、呼吸が浅くなったり、速くなったりする。呼吸は、個人の意識状態によって、著しく変化する。それが心臓に影響を及ぼすのだ。
いま訳している『時間生物学』の本では、この心拍と呼吸の関係が詳しく論じられているのだが、僕はこの身体における胸の領域のあり方を、社会の法領域における「公と私」の理解につなげられるのではないかと思っている。

心臓は、本来、その時々の好き嫌いや共感・反感に左右されずに、淡々と一定のリズムを打ち続ける。それによって全身に酸素と栄養を運び、老廃物を取り除き、新陳代謝を支えている。しかし、あまりにも「個別の私」の意識状態が偏ったものになると、呼吸が心拍に影響をおよぼし、鼓動が速まったり、不整脈になったりする。
「社会のからだ」における「公と私」の関係も、そのようなものといえるのではないか。

社会のからだにおいては、一人ひとりの人間が、「市民」として「公」を支えている。市民としての自覚や、大人としての子どもたちへの責任感が、今の社会にとって何が必要か、という意識を生む。それによって、選挙に行って、自分たちの「公の意志」を代表させる政治家を選んだり、行政のやり方に対して意見を表明したりする。

しかし、一人ひとりの個人が「市民」(公)としての自覚をもたなければ、「公の意志」を行政や政治家に委ねてしまうことになる。そして、実際の住民の願いとは別のところで、住民を苦しめるような「公共事業」が押し進められることになる。

行政や政治家の仕事は、まず第一に「感じる」ことだ。人々のことばにならない「意志」を感じ取り、それを「ことば」にする。その意味で、政治とは「ことば」の仕事である。議会での質問や議論は、住民の「意志」や「感情」を、すべての人が共有できる「ことば」として捉えなおすことである。それが「条例」や「法律」の本来の姿ではないのか。

グリム兄弟のひとり、ヤーコブ・グリムが昔話や言語の大家であると同時に、偉大な法律学者であったのは、法律というものが本来、「詩」的な作業、つまり繊細に感じ取り、ことばにするという作業であることを示しているように思う。法律とは、民衆のなかに生きる習慣や意志を汲み上げるものなのではないか。

以上のようなことを、今回の鹿児島県の土地購入問題に接して考えたのだった。
知事は、どこまで県民の思いを感じ取っていたのか。知事の土地購入への強い意志は、果たして本当の「公の意志」になっていたのか?

僕たち一人ひとりの「市民」としての自覚が強まっていかなければ、国家や行政の「公の意志」のなかに、べつの人々の(たとえば企業や利権集団の)きわめて「私」的な意志が入り込むことになる。
住民が誰も願ってもいないような「公共事業」は、「公」の皮をかぶった特定の人々の私利私欲による行為である。その最たるものが「戦争」だと思う。戦争でも、得をする人たちがいる。

「公」を、社会を構成する一人ひとりの手に取り戻すこと。それがこれからの課題ではないか。
実は、これは晩年のシュタイナーが願っていたことでもあった。彼は自分が地上に実現しようとした社会のあり方を「アントロポゾフィー(人智学)協会」(「人知のはたらく社会」という意味になる)に託した。そして、この協会の課題を次のことばで表現した。
「私たちの課題は、最大限の公共性を、考えうる限りの秘教性と結びつけることなのです。」
この「秘教性」は、一人ひとりの内面性である。秘密に満ちた「たましい」の深み。そこから個人が人生で実現しようとする「意志」が湧き起こってくる。
だから、僕たちは現代の文脈ではこのように言えるだろう。
僕たちの課題は、一人ひとりが思いきり自分らしく生きると同時に、社会を構成する市民としての公の責任感をもって、ともに私たちの社会をつくっていくことなのだ、と。

父の軌跡(1)

2006-04-03 22:47:19 | 霊学って?
父と話をする前に、僕が聞き知っている父の歩みを自分なりに整理しておきたいと思う。

父は東京の中野の生まれだ。親は呉服屋で、たしか5人くらいの兄弟姉妹の末っ子だと思う。一番上に、とても賢いお姉さんがいたが、父が生まれる前に、若くして亡くなったと聞いたことがある。

父の子ども時代については、こんな話を聞いたことがある。

父は額が広くて、真ん中に三角形の傷がある。これは彼が幼い頃に、自転車に乗っていて転倒し、石か何かに額を打ちつけたときの傷だそうだ。頭に手をやったら、その手がずぼっと中に入って、そのショックで泣き出した、と言っていた。

あるいは、中野の家の屋根から落ちて、必死に母親を呼ぼうとしたが、あまりの痛さに「かあ、かあ」としか声が出せなかったら、お母さんが通りかかって「だれ、カラスの鳴きまねをしてるのは?」と言われたとか・・・。

お兄さんが弟である父のために気をきかせて、自転車で写真屋まで連れて行ってくれて、「カメラを買ってやるぞ」と言った。父は「ほしい」というのがはしたないと教わっていて、「いらないや、そんなもの」と言ってしまった。お兄さんは傷ついたように「そうか」と言ったという話。
(この話を聞かされたとき、子どもの僕はひどく後味が悪かった。後から、ヘルマン・ヘッセの『デーミアン』を読んだとき、妙に父とお兄さんの話を思い出させる場面があった。主人公のシンクレールを異教の神アブラクサスや神秘主義の世界に誘ってくれたピストリウスに対して、シンクレールがあるとき、「あなたの話はどうにもかび臭いですよ」と言う場面である。僕の中では、自分に親切にしてくれた人に対して、何か辛らつなことを言ってしまったときの後味の悪さが、こんなふうに連想されているのである。)

父は、中学生のとき、学徒動員で工場で働いていた。
ある日、上空からドラム缶のような爆弾が落ちてくるのをただ眺めていたことがあった。これで自分は死ぬのだと思ったという。しかし、それは不発弾だった。

工場で働いている間、父は精神のよりどころのようにして、岩切という人の『数学精義』という参考書を毎晩少しずつ読んでいたという。あるとき、軍人が工場に視察にやってきて、働いている子どもたちを集め、黒板に数学の問題を書いて、「これが解ける者」と言った。誰も手を挙げないので、父が出て行って、その問題を解いたら、その軍人は一言、「よし」と言ったとか。

学校で、友だちが天皇陛下の話をしていたので、「天皇陛下だって、人間だろ?」と言ったら、「この非国民め!」と思い切り殴られたとか。(この話を聞いたときは、戦時中に、天皇陛下も人間ではないかと考えていた少年がいたことに少なからず驚いたものだった。)

そして、戦争が終わって間もない頃だと思うが、夜、満月を眺めているときに、父は「自分はいま変わった」という強い感覚にとらわれたという。それ以来、まわりの人たちも「ガンちゃん(と父は呼ばれていた)は変わった」と口々に言ったらしい。

父は、大学では美術史を専攻したが、最初は法律を選んだと聞いたことがある。「なぜ法律を?」とたずねると、「世の中をよくしたいと思ったんだろうね」と言っていた。その後、自分がやりたいことは美術史だと思って、専攻を変えたそうだ。

法律を学ぼうとした背景に、やはり戦時中の経験があるのだろうか?
美術史に移ったのは、戦時中に見聞きした悲しいこと、むごいこと、醜いことに対して、「美」へのあこがれのようなものが生じたということはあったのだろうか?
父はバイオリンを習い、東京の書店で見つけたノヴァーリスの本を通して、ドイツのロマン主義へと導かれていく。その流れの先に、ドイツでのシュタイナーとの出会いがあるのだが、それは次に書くことにする。

僕が幼い頃、父はよく「特高」の話をした。戦時中というのは、自由にものを考えたり、政府に反対する意見を口にしたりすると、告げ口されて連行され、拷問される恐ろしい時代だったのだと。
僕はその話を聞くたびに怖かった。そして、自分の家の庭先に、見知らぬ人がいて、父を連行していく日が来るのではないかと、悪夢のような思いに怯えていた記憶がある。

いま思えば、幼い僕の「模倣」の力を通して(つまりシュタイナーのいうところの、幼児が全身を感覚器官にして、周囲の大人たちの目にみえる行動だけでなく、目にみえない内面の動きまでも知覚するという意味で)、父が直接体験した戦時中の時代の空気が、僕の内面に伝わってきたのではないかと思う。

いま時代は、ふたたびあの当時に近づきつつあるように思えてならない。
父の戦時中の子ども時代の話は、ぜひ改めて意識的に聞いておきたいと思っている。(つづく)

父のこと

2006-04-02 02:50:32 | 霊学って?
今日、改めて考えたのは、父親との関係である。

僕の父は、名の知れた大学の教授だった。よく大勢の学生を家に招いては、研究会をしたり、ピンク・フロイドやクラウス・シュルツなどの音楽をいっしょに鑑賞していたのを覚えている。

いわゆる新進気鋭の学者だったのだと思う。彼が最初に書いた『ヨーロッパの闇と光』という本には、三島由紀夫氏が共感して『春の雪』を送ってくれたこともあった。教授になり、テレビにも出たりして、名前も知られだした矢先に、突然、父は大学を辞めた。僕が小学生のときだった。父は45歳くらいだったろうか。

その当時のことはあまり覚えていないが、父がほかの人に「学生運動が突きつけた問いに対して、自分なりの答えを出したかった」と言っているのを聞いたことがある。

今、僕はあの当時の父の年齢に近づいている。
妻とふたりの子どもがいて、名の知れた大学の教授というキャリアを棒に振ることがどんなものか、僕には子どもはないけれど、今なら想像がつく。

父は一体、どんな思いで大学を辞めたのだろうか?
大学という場所が耐えがたかったのか、それとも大学に籍をおいていてはできない何かをしたかったのだろうか?
 
あの当時の父も、「たましい」の奥底から、うまくことばにできない「意志」が立ち上ってきていたのではないのか?

不登校の子どもたちも、ひきこもりの人たちも、できるものなら学校に通ったり、仕事をしていたほうが社会的に「有利」なのは分かっている。僕自身もそうだったが、学校に行けるものなら、行きたいのだ。しかし、どうしても「意志」が働かない。

「意志」が働くためには、一人ひとりの人生の状況によって異なる、完全に個別の条件がある。その条件を探り当てることは困難を極める。また、その条件を探り当てたとしても、そのような生き方を選択した場合は、ちょうどシュタイナーの40歳の転機にも見られるように、社会的にきわめて不利である場合が多いのだ。
 
しかし、本当に自分を生きるためには、それしかできないということもある。不登校の子どもたちも、ひきこもりの人たちも、そんななかで戦っているのだと思う。
あの当時の父も、そうだったのではないのか?

父は、大学を辞めた後、体調を崩し、1年以上伏せっていた。僕も不登校で、しょっちゅう喘息の発作を起こしていた。母が帰宅すると、父と僕がふたりして寝ていたこともあったそうだ。

僕は、自分があの当時の父の気持ちをまったく知らないことに気づいたのだ。
一年余り寝込んでいた父は、傍から見ると見苦しかったり、情けなかったりしても、自分を生きようとして、ひとり孤独に戦っていたのではないか。

僕は今、自分自身の「意志」を探るために、もう一度、父と話してみたいと思っている。それが僕にとって「家族のたましい」と向き合うことになるのではないか・・・と。

「家族のたましい」

2006-04-01 23:59:24 | 霊学って?
個人、動物、そして民族にも「たましい」があると書いたところで、こんどは「家族のたましい」について書いてみたい。

一つひとつの家族にも、固有の「たましい」がある。
子どもは親のもとに生まれてくる。その親は、母親と父親がそろって仲のよい家庭をつくっているかもしれない。もしくは父親か母親のどちらか一方のシングルかもしれない。あるいは親の親が、つまり子どもにとっての祖父母が同居していたり、すでに兄弟姉妹がいるかもしれない。または、養子として、もしくは施設で育つなど、いろいろな家庭の状況があるだろう。

家族にも「たましい」があるというのは、そこに感情と「ことば」があるからだ。たいていの子どもは、親から独特のことば遣いを受け継ぐものだ。また、暖かい感情、冷たい感情、とげとげしい感情など、その家族が放つ空気がある。
そういったものを「家族のたましい」と呼んでいる。

「民族のたましい」と同じように、家族のたましいも、多くの場合は「思考」に至っていない。つまり「霊」に至れずにいるのである。そして「家族の絆」とか「家族愛」とか、「家のしきたり」とか、美しい呼び名のもとに「家族魂」が、そこで育つ子どもや、嫁いてきた女性を縛ったりする。その点は、「民族魂」に似ている。

家族のたましいが「思考」に至るとは、どういうことだろうか?
僕は、ここでも一人ひとりの家族の成員が「自分を生きているかどうか」が決め手だと思っている。特に、子どもにとっては、親の生き方が決定的である。

親が常に自分の生き方を問い直し、「自分らしく」生きようと努めていれば、その「私」の作用が「家族のたましい」の霊的な柱となるだろう。
そのとき、一般に、男の子は、父親の生き方の影響を受け、女の子は母親の生き方の影響を受けるといえるだろう。しかし、親が男であるか女であるかにかかわらず、自分がその「家の柱」だと自覚しているほうの「私」の作用が、その家の霊性をつくっていく。

父系か母系かの違いは、その意味で「家のたましい」に変化を及ぼす。ただし、多くの場合、父系の家の「たましい」は背後の女性たちの意図の作用を強く受けている、と僕は思う。結婚して、夫の家に入った女性に対して、夫の母親である女性が「この家に入ったからには、この家のしきたりに従ってもらいます」と言ったりする。父系の家の「たましい」を代表しているのは、案外、女性のほうであるような気がするのだ。

今、「家族のたましい」ということを問題にするのは、「家族のカルマ」というものがあると思うからだ。
カルマというのは、「業」とか「運命」ともいわれるけれど、要するにサンスクリット語では「行為」を意味することばらしい。人がなした行為が、めぐりめぐって何らかの影響をもたらすときに、このことばが使われる。

生まれてくる子どもは、いやおうなくその家のカルマに巻き込まれる。「家族のたましい」というものがあるからこそ、「家族のカルマ」も形成されるのである。
よく「親の因果が・・・」とかいうが、誰でも、家族の影響からはまぬがれない。

ここで話は思いっきり個人的になる。

僕自身は、「ひきこもりの魂」だと思っている。もちろん、こういう言い方が、本当はおこがましいのは分かっている。僕の場合は、「あなた、お仕事は?」とたずねられたとき、「通訳・翻訳をしています」とか、適当なことが言えるからだ。そういう世間から白い目で見られない言い訳をもっているという点で、僕はひきこもりとはいえないだろう。

僕が、自分がひきこもりの魂だと思うのは、自分の「意志」に関わるところだ。
僕の心は、突如として動かなくなることがある。まったく仕事に向かえなくなる。実は、いまこの瞬間がそうなのだが、家の外に出たくても、身体(意志)がまったく外に向かわなかったりする。
それで、この状態から抜け出す努力の一環として、このブログを書いている。
 
なぜ僕の「意志」はまったく動かなくなったのか?
それを探るために、あれこれ考えたり、書いたりしてきて、いま思うのが「家族のたましい」や「家族のカルマ」ということなのだ。