入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

アレスター・クロウリーとマザーグース(その1)

2007-08-16 13:49:08 | タロット
入間カイのアントロポゾフィー研究所では、タロット研究を柱のひとつに据えようと思っています。

タロットもまた、シュタイナーのアントロポゾフィーと同様に、さまざまな誤解にさらされ続けています。
特に、占いの道具として使われることから、占い師への依存や、タロット・カードに関する恣意的な解釈など、危険な要素がまとわりついています。

しかし、アントロポゾフィーの観点からタロットをみるとき、なぜ人間の文化のなかに、このタロットというものが現れたのか。
そこに込められた深い叡智が、より鮮明に浮かび上がってくるように思えます。

タロットとの関連で、もっとも重要な人物のひとりが、アレスター・クロウリーだろうと思います。

いま、彼の『魔術』(Magick)という本を原書で読んでいます。
クロウリーは、シュタイナーと同様、さまざまな誤解や噂にさらされた人物ですが、オリジナルの英文に触れると、何か直接伝わってくるものがあります。

彼のやや古風で大仰な文体(シュタイナーのドイツ語もよくそう言われますが)からは、通常の言語では表現しきれないものを、何とか正確に言い表そうとする努力の跡がうかがわれます。
クロウリーの人格がどのようなものであったにせよ、霊的なものに対する彼の誠実さや真剣さは疑いようがないと感じられるのです。

僕が共感するのは、たとえば次のようなクロウリーのことばです。

「フラーテル・ペルドゥラボ(クロウリーの別名)は、あらゆる偉大な宗教教師のなかでも、もっとも誠実である。
他の教師たちは、『我を信ぜよ』というが、彼は『我を信じてはならない!』という。
彼は信奉者を求めないし、信奉者なるものを嫌悪し、拒絶するのだ。
彼が求めるのは、学ぶ者たちの一団が自立して自己信頼をもち、独自の方法に基づいて、研究を成し遂げることである。
もし彼がいくつかの有用な手がかりを提供することで、学ぶ者たちの時間と労力が節約されるなら、それだけで彼の仕事は彼自身に満足をもたらすのである。」(訳・入間カイ)

このクロウリーのことばは、若い頃のシュタイナーが傾倒したニーチェの『ツァラトゥストラ』を想起させます。

たとえば、ニーチェは次のように書くのです。

「教師に対する悪しき報い方は、いつまでも生徒にとどまることだ。
なぜお前たちは、私の冠をむしりとろうとしないのか?
お前たちは私を尊敬するという。
しかし、ある日、その尊敬が覆されたらどうするのか? 
お前たちの頭のうえに柱が倒れ掛かってこないように、気をつけるがいい。
お前たちはまだ、自分自身を探求していない。だから、私を見出したのだ。
すべての信奉者のふるまいはそのようなものだ。
単に信ずることには、ほとんど価値がない。
だから、お前たちに命ずる。
私を手放し、お前たち自身を見出すがいい。
そして、お前たちがみな私を否定し去ったとき、
私はふたたびお前たちのもとに戻ってこよう。」(訳・入間カイ)

このような「学ぶ者の自立と自己信頼」を求める姿勢は、シュタイナーにとっても、あらゆる神秘修行の前提条件でした。
彼もまた、自分のことばがただ鵜呑みにされることに対して、繰り返し警告しています。
あるとき、「私たちはあなたを尊敬しています」といわれたシュタイナーが、「私は尊敬されたいのではない。理解されたいのだ」と叫んだ話は有名です。

なぜこういう話を書いてきたかというと、シュタイナーにしても、クロウリーにしても、ありとあらゆる否定的な噂がまとわりついているからです。
たとえ、どんなに立派なことを書いていても、裏で陰謀や卑劣な行為に手を染めていた、という類の話です。

かりに、ある人が語った話に感銘を受け、それによって自分の認識が深まったり、発展したりしたとします。
その後で、その人が実は極悪非道な人間だったと分かったら、最初に受けた感銘や、その結果として自分が得た認識は、突然、意味を失うのでしょうか?

先に挙げたクロウリーやニーチェのことばは、認識の主体はあくまでも「私」自身であることを示しています。

どのような立場の人が語ったことばであれ、それを偏見なしに受け止め、そこに認識を働かせること。それがアントロポゾフィーの基本態度だと思います。

以上を踏まえて、クロウリーの指摘も手がかりにしつつ、僕なりのタロットの考察を始めたいと思います。

先に触れた『Magick』という本のなかで、アレスター・クロウリーは、いわゆるマザー・グースに触れています。
子どもたちが口ずさむ詩のなかに、カバラの叡智が込められている、とクロウリーは言います。
そして、「ハバッドおばさん」や「ハンプティ・ダンプティ」などの詩を、「生命の樹」やヘブライ文字に即して解釈してみせるのです。
                         
                         (この続きはまたいつか)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
タロット (小林直生)
2007-09-01 12:59:16
私も昨年からタロットに深い興味を持っています。今度ゆっくり話したいですね。クロウリーについても同感です。
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トートの書 (露草)
2007-09-10 21:44:00
アントロポゾフィーを学んでいる露草です。象徴的な記号をどう学べばいいのか暗中模索していましたが、この夏「トートの書」と「トートタロット」を買い、自己流で学んでみようと思っていた矢先、カイさんのブログを見つけ思わず興奮。勝手に仲間扱いしては失礼ですが、心強く感じて嬉しかったです。今後のタロット考察を楽しみにしています。クロウリーの愚者の解釈は特に心惹かれますね。「Magick」の日本語訳(たぶん同じ本だと思う)も古本で購入したのですが、こちらの方は私にはまだ早すぎたのか・・・頭が混乱して体調を崩してしまいました。また数年後に再チャレンジしたいですが、今のところは本棚の奥です。
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