入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

アントロポゾフィー指導原理 (48)

2008-10-27 22:31:05 | 霊学って?
48. Durch ein solches Heraufheben wird man gewahr, wie innerhalb des Lebens zwischen Geburt und Tod das Schicksalgemäße nicht gewoben wird; man wird dadurch gerade an der Schicksalsfrage auf die Betrachtung des Lebens zwischen Tod und neuer Geburt gewiesen. (Rudolf Steiner)

48.
そのように無意識であったものを意識の領域に運び上げていくことによって、「運命の作用は、誕生と死の間の人生のなかで織り成されるのではない」ということに気づくようになる。そして、まさに運命への問いによって、死と新たな誕生との間の「生」に目を向けるように促されるのである。(訳・入間カイ)


この48項は、
運命について考えることが、
「死後の生」について考えることにつながると述べています。

私たちの多くは、
「死んだらどうなるのか?」
「死後、私のこの意識はかき消えてしまうのか、それとも存続するのか?」
と考えたことがあるでしょう。

シュタイナーは、
「死後、どうなるのか?」を問う前に、
現在の、地上の人生で遭遇する「運命」ついて、
まず考えることを勧めているのです。

アントロポゾフィー霊学の特徴の一つは、
人間の「生」というものを、
生まれてから死ぬまでの「地上の人生」だけではなく、
いったん死んでから、また生まれるまでの期間も、
「死から新たな誕生までの《生》」と見なすところにあります。

つまり、人間の「生」はふたつあるのです。

そしてこれまでの指導原理で見てきたように、
現在の人生のなかで起こるさまざまな出来事の意味を、
人生全体との関連のなかで考えるうちに、
そこには「無意識の意志」が働いていることに気づくようになります。

その「意志」がどこから来るのかを考えるとき、
それはこの地上に生まれてからのことではない、ということに気づきます。
なぜなら、現在の「運命」に意味を与えるような視点は、
生まれてから死ぬまでの一生という限定された枠のなかでは捉えられないからです。

この出来事は、確かに私の人生全体にとって意味がある。
しかしその意味ゆえに、
この出来事を願うような「意志」は、
地上の自分には持ちえない。
地上を離れたところから、自分自身の生を見つめるのでなければ、
地上の自分のためにこのような運命を願うことはありえない。

つまり、自分の運命の中に、
地上の視野を超えた、広い視野がかかわっていることに気づくわけです。

そのとき、私たちは、
死後にも私たちの意志があり、
その意志が死後も、自分自身のために、
こうした運命の働きを準備するという考え方に思いが到るのです。

アントロポゾフィー霊学は、
つねに身近な現実から考え始めます。

今の人生で遭遇する一つひとつの出来事から、
運命というものへ、
そしてその運命をつくりだす、
生まれる前の「生」、
つまり「死と新たな誕生の間の《生》」について考えていくことが、
アントロポゾフィー霊学の、特徴的な考え方なのです。

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2 コメント

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Unknown (shouko)
2008-10-28 00:02:27
在る出来事をきっかけに、2年前から続く、
パターン化された無意識から沸き起こる何かに、
自分が理性に反して流れていってしまう動きがありました。
その流れに流されたい思いと、逆らいたい思いとが混じり合って、
「なんだろう?」そればかり、問いかけていました。
私はあまり運命という言葉を好きではありませんでした。
それは、運命という言葉で、あきらめたり、
投げ出したり・・・そんなイメージが、
私の中に在ったからだと思います。

カイさんの文章を読み進めているうちに、
私の中の運命というイメージが変化してきた頃、
先程の流れがまた、私の中から沸き起こって、
そのような現実までもが押し寄せてきました。

ある、最初のきっかけになった出来事に関わる人物の、
ネガティブな行為を知る機会があり、
カイさんの言っていた、「あるがままを・・」をキーワードに、
一連のことを考察してみると、
実はそのネガティブな行為を知ることによって、
私は光明を得ていることに気が付いたのです。
私は私のあるがままを受け入れていないことに気づいたのです。
そのときふと、「この人は実は仲良しの魂で、
これを気づかせてくれるために又会ってるんだ・・・」
などと、思ったりしていました。

2つの「生」の違いを私なりに理解していたつもりですが、
カイさんの文章によってのインスパイアがなければ、
ここまですっきりと腑に落ちていなかったと思います。

もしかすると、これも運命?なんて思ったりしながら、
感謝しております。
いつも有難うございます。

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お世話になります。 (Dariahrose)
2010-04-22 00:06:55
今、あることをきかけにして、先生のお父様が書かれた『シュタイナーのカルマ論』を読んでおります。私の日本語は高校レベルしかないので難解ですが努力しております。
ヘルマンヘッセのThe Glassbead Gameの主人公が理想の人間像と思っております私には、いささか前世に振り回されるというのはどうかとも気持ちにもなります。

自分が何処から来たのかと言うのと、どこへ向かって行っているのかって、どちらが大切なのでしょうか。それぞれ捉える方々によってその価値観の違いになると思いますが。現実が一番大切だとは思いますが。いつか先生がいらっしゃっ折り、社会的な見解や先生のご意見などをお聞かせ頂けましたら幸いです。

息子が小学校の普通級で苦労しております。ウォルドルフ学校がこちらに存在すればどれ程、彼にとってよいか考えずにはいられません。
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