入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

アントロポゾフィー指導原理 (23)

2008-09-30 12:18:55 | 霊学って?
23.
人間は、死の門を通り抜けることで、霊界に踏み入ることになる。そのとき、人間は、地上での「感覚」や「脳」による経験の蓄積がすべて剥げ落ちていくのを感じる。その際、人間の意識の前には、地上で蓄積されたすべての人生経験が、無数のイメージ(形象)となって広がっている。この人生経験には、人間が地上で「考えたこと」も含まれる。こうした「考え」は、地上を生きている間は形象(イメージ)としては捉えられていなかった。また、地上では「意識」できなくても、「意識下」で心に印象づけられたこともある。今、そうした経験のすべてが、膨大な形象(イメージ)の広がりとして意識されるのである。こうした形象(イメージ)は、数日後には色あせて消えてしまう。それらの形象(イメージ)が完全に失われたとき、人間はエーテル体を脱ぎ去ったことを知るのである。なぜなら、これらの形象(イメージ)を担っていたのは、エーテル体だからである。(訳・入間カイ)

23. Der Mensch betritt, indem er durch die Todespforte geht, die geistige Welt, indem er von sich abfallen fühlt alles, was er durch die Sinne des Leibes und durch das Gehirn während des Erdenlebens an Eindrücken und an Seeleninhalten erworben hat. Sein Bewußtsein hat dann in einem umfassenden Tableau in Bildern vor sich, was an Lebensinhalt während des Erdenwandels in Form von Bildlosen Gedanken in das Gedächtnis gebracht werden konnte, oder was zwar für das Erdenbewußtsein umbemerkt geblieben ist, doch aber einen unterbewußten Eindruck auf die Seele gemacht hat. Diese Bilder verblassen nach wenig Tagen bis zum Entschwinden. Wenn sie sich ganz verloren haben, so weiß der Mensch, daß er auch seinen Ätherleib abgelegt hat, in dem er den Träger dieser Bilder erkennen kann. (Rudolf Steiner)

私たちの「心」のなかには、
つねに無数の刺激や印象が渦巻いています。
それは都会の喧騒だったり、田舎の静けさだったり、
他の人々の会話のなかで感じた、
自分の喜びや悲しみ、疎外感、あるいは賛同の気持ちであったりします。
また、別の人の意見や、読んだばかりの本に対する
自分自身の感想や反対意見であるかもしれません。

そのなかには、親しい人々の顔や立ち姿、
美しい風景の印象といった「形あるイメージ」(形象)もあるでしょう。
しかし、私たちの心のなかには、
そのようなはっきりしたイメージ(形象)としては意識されていない、
「形にならない思い」や、
「自分でも気づかないでいる微かな感情」も存在しています。
つまり、「なぜかこの人の意見には納得できない」という思いや、
自分でも意識していない嫉妬心や憧れ、
あるいは称賛や不満、反感などがあるわけです。

死後、私たちはまず
こうした人生経験のすべてを改めて意識することになります。
そのために、地上では気づかずにいた思いや感情までもが、
つまり、
自分はこの人に対して、
あるいは、この事柄に対して、
こんな思いを抱いていたのか、ということが、
いわば「心の眼にみえるイメージ」となって展開されるのです。
そして、そうしたイメージがすべて消え去ったとき、
私たちは肉体だけではなく、
さらにエーテル体(生命体)をも脱ぎ捨てたことに気づきます。

このように「死後の経験」に目を向けることによっても、
この地上で、「霊界」を見るために何が必要なのかがわかります。
別の言い方をすれば、
私たちが「霊的に見る」ことを妨げているのは、
エーテル体のなかに蓄積されている
意識的・無意識的な経験にもとづく
先入観や思い込みなのです。

死というプロセスは、
まず地上で身につけてきたさまざまな先入観を
次々に脱ぎ捨てていくことでもあります。

この地上でも同じことが言えます。
私たちが自分の心のなかに潜む無数の先入観や思い込みに気づき、
それを一つひとつ剥ぎ落としていくとき、
初めて「霊的」に見ること、
つまり「あるがままの現実」を見ることが可能になるのです。

アントロポゾフィー指導原理 (22)

2008-09-29 13:50:59 | 霊学って?
22.
「霊的に見る」ためには、自分自身を見ることから始めなければならない。「自己観察」こそが、「霊性観察」の始まりとして適切である。なぜなら、もし人間が自分自身の内面を本当に感じとろうとすれば、「自分を見る」だけでは済まなくなるからだ。自分だけを見ることから歩みを進め、広大な世界を満たす「霊性」へとまなざしを向けることになる。人間の身体は、物質界の栄養を受け取らなければ衰えてしまう。同様に、人間が自分自身を正しく見つめるなら、この内面の自分自身も衰えることがある、と気づくのである。人間の外には広大な霊的世界が息づいている。霊的世界からは、さまざまな作用が、人間が「自分」として感じている内面に働きかけている。そのような霊的世界からの働きかけを見ようとしないかぎり、人間は自分自身が内面において衰えていくことを感じるのである。(訳・入間カイ)

22. Die Selbstbeobachtung bildet den Anfang der Geistbeobachtung. Und sie kann deshalb den rechten Anfang bilden, weil der Mensch bei wahrer Besinnung nicht bei ihr stehen bleiben kann, sondern von ihr fortschreiten muß zu weiterem geistigen Weltinhalt. Wie der menschliche Körper verkümmert, wenn er nicht physische Nahrung erhält, so wird der im rechten Sinne sich selbst beobachtende Menschen sein Selbst in Verkümmerung empfinden, wenn er nicht sieht, wie in dieses Selbst die Kräfte einer außer ihm tätigen geistigen Welt hineinwirken. (Rudolf Steiner)


この22項で僕が注目するのは、
「栄養」ということばです。
自分自身を見つめること、
そして自分の外に広がる広大な世界に気づくことは、
それだけで自分自身の「栄養」になるということです。

人間の外に広がる霊界からは、
つねにさまざまな作用が人間のなかに働きかけている。
しかし、その働きかけに気づかなければ、
それは自分自身にとっての「栄養」にはならないのです。

そのように考えたとき、
なぜ「霊的に見る」とか、
「気づく」ということが重要なのかがわかってきます。
私が「見る」ということ、
私が「気づく」ということは、
私という「霊性」による行為です。
それは世界に霊的な実質をもたらすのです。

私が世界の霊性に気づかないかぎり、
世界は私にとって、単なる物質の世界にとどまり続けます。
先に、「世界の霊性」と「私の霊性」はもともと一つのものである、
と書きましたが、
私自身が霊性であるからこそ、
私が本当に見て、感じて、気づいたとき、
そこに霊性が現れるのです。

身体は物質の栄養によって養われても、
霊性としての「私」は、霊的な栄養を必要としています。
それは、自分で自分の霊性に気づくこと、
自分と世界との霊的なつながりに気づくことによって与えられます。
霊性に気づくこと、それ自体が、
自分の霊性に養分を与えることになるのです。

また僕が重要だと思うのは、次の点です。
たしかに、私が気づくか、気づかないかにはかかわりなく、
世界は霊性によって満たされています。
しかし、「私」が気づくことによって、
つまり世界の霊性を認識することによって、
世界は変わるということです。
人間によって、気づかれた霊性と、
まだ気づかれていない霊性、
そこには「古い宇宙」と「新しい宇宙」との違いがあります。

一人ひとりの人間は、
自分で自己と世界を理解すること、認識すること、
つまり世界の霊性に気づくことによって、
新たな「世界創造」に参加している。
そこに人間が霊学を学ぶことの意味、
人間の本来の役割があります。

それが、この20-22項までの
主要なメッセージではないかと思います。

アントロポゾフィー指導原理 (21)

2008-09-28 10:23:50 | 霊学って?
21.
人間の霊性は、内面から何かを求めて呼びかけている。人間が、そのように呼びかける霊性に気づこうとしていないこと、それが世界を霊的に見ようとするときの最大の妨げになっている。なぜなら、自分自身もまた自然秩序のなかに組み込まれていると考えることで、人間の心は自分自身の霊性から目を背けることになるからである。しかし、世界を霊的に見るためには―すなわち「霊界」の存在に気づくためには―、まず霊性がもっとも間近に与えられているところに目を向けなければならない。つまり、まずは自分自身を、捉われのない目で見つめなければならないのである。(訳・入間カイ)

21. Die Nicht-Anerkennung dieses Antriebes aus dem Geiste heraus im Innern des menschlichen Wesens ist das größte Hindernis für die Erlangung einer Einsicht in die geistige Welt. Denn Einordnung des eigenen Wesens in den Naturzusammenhang bedeutet Ablenkung des Seelenblickes von diesem Wesen. Man kann aber in die geistige Welt nicht eindringen, wenn man den Geist nicht zuerst da erfaßt, wo er ganz unmittelbar gegeben ist: in der unbefangenen Selbstbeobachtung. (Rudolf Steiner)


シュタイナーが「霊的」という言葉を使うとき、
それはただ「目にみえないもの」とか、
いわゆる幽霊や超常現象のことを指すわけではありません。
シュタイナーは、「あるがままの現実」という意味で、「霊的」という言葉を用いています。
なぜなら、本来の「現実」には、
目に見える部分も、目に見えない部分も含まれるからです。

だから、シュタイナーが「霊界」というとき、
そこには私たちが生きているこの「目に見える世界」も含まれるのです。
ただ、私たちが目に見える物質の世界だけが現実と考えているときは、
そのような私たちにとっての「物質界」と「霊界」とは区別されます。
しかし、本来の意味では、シュタイナーのいう霊界は「あるがままの現実」であり、
「霊的に見る」ことは、「現実をあるがままに見る」ということです。

この点を間違えると、
シュタイナーのアントロポゾフィーは、
私たちが生きている日常生活や、社会の現実から遊離した
希薄なものであるかのように誤解されてしまいます。

そしてシュタイナーのいう「魂」とか「心」(Seele)は、
一人ひとりが「現実」に向かったときの、
個人に根ざした感性を意味しています。
その意味で、
魂の世界、心の世界は、
一人ひとりが現実をどう見るか、どう感じるかということであり、
主観的なものです。
個別の人間として生きているかぎり、
私たちはつねに、この「心」(主観)から出発しなければなりません。

しかし、一人ひとりの主観の世界、心の世界にも、
世界の客観的現実、普遍的現実(つまり霊界)に通じる何かが存在しています。
その何かが霊性なのです。
シュタイナーのいう人間の霊性は、
本来、きわめて個別的なあり方をしている「心」のなかで、
すべての存在の起源である「あるがままの現実」が、
いわば「宇宙全体」が一個の「点」のなかに凝縮されたようなかたちで存在している、
あるいは「普遍を内包する個」として存在している、
そういうものです。

この霊性を、人間は「私」もしくは「自分」として意識するのです。
ですから、
一人ひとりが「私」という意識をもつとき、
そこでは実は「宇宙全体」が、あるいは「あるがままの現実」そのものが、
自分自身を同時に意識しているとも言えるのです。
ここに人間の霊性の、
あるいは一人ひとりの「私」の、謎があるといえます。

ちょうど、光が粒子であると同時に波でもあるように、
人間の「私」もしくは「霊性」は、
すべての人間が共有する「普遍」であると同時に、
一人ひとりまったく異なる、徹底した「個」なのです。
この霊性は、すべての存在のなかに、
鉱物や植物や動物をはじめ、すべての存在のなかに、
宇宙全体に浸透するようにして働いています。
しかし、それが「私」として、
個別の存在のなかに「自覚」されるのは、
人間の意識、人間の心という「場」においてだけなのです。

ここに、
一人ひとりの人間が、かけがえのない「絶対的な価値」をもっており、
同時、すべての人間が対等であり、その価値が等しいことの根拠があります。
つまり、
霊性に気づくことによって、初めて、
人間は、一人ひとりが完全に自由であると同時に、
人類が平等である、ということ、
「自由」と「平等」という本来相容れない二つの原理が、
本当に両立するのです。

そして、この「個と普遍」、
「自由と平等」という二つの原理を一致させたとき、
そこに「愛」の可能性、
もしくは「友愛」の可能性が現れます。

シュタイナー教育で、
一人ひとりの「自分らしさ」の発達を大切にするのは、
20年もの長い「子ども時代」を通じて、
「自由」、「平等」、「友愛」の基盤が,
つまり本当の「生きた社会」の基盤が、
一人ひとりの子どもの身体性のなかに築かれていくからです。

自分自身のなかに働く「霊性」、
それは「自分はこの人生をどう生きたいか」という
一人ひとりのなかの大切な「意志」として現われます。
人間がこの「内なる意志」に気づいて、その意志を大切にして生きようとするとき、
一人ひとりの人間は自由に、「自分らしく」生きようとしている、といえます。
それは、一人ひとりまったく個別の、
一人ひとりの「かけがえのなさ」の部分です。
同時に、人類のなかのすべての人々が、
まったく同じように、その人だけのかけがえのない意志、
かけがえのない自分らしさをもっているのです。

そのように一人ひとりの人間が
自分自身のなかの、「自分らしく生きたいという意志」を持っている。
そのことをシュタイナーは
「内なる霊性の呼びかけ」と言ったのです。

そして、世界を霊的に見ようとする努力は、
自分自身の、「自分らしさへの意志」に気づくところから始まります。
そのとき、私たちは、
他の人々のなかの「自分らしさへの意志」を感じとることができるようになります。
そして、そこから
すべての存在のなかに「普遍的」な意志が、
「世界創造への意志」が働いていることを感じ始めます。

さらにいえば、シュタイナーは、
これまでの「世界創造」においては、
「神々」が、つまり人間にとっては「無意識」の作用が、
この世界を創造してきた。
しかし、もし一人ひとりの人間が、
「私」という自覚的な意志をもって
一人ひとりの「自分らしさ」を生み出していくなら、
そのように自分らしく生きようと努める、
人と人のつながりのなかで、
つまり、おたがいの「自分らしさ」を認め合う「友愛」によって、
まったく新しい世界が創造されると考えたのです。
それをシュタイナーは、
「叡智の宇宙」から「愛の宇宙」への変容と呼びました。

そのようにシュタイナーが予感した「愛の宇宙」、
一人ひとりの自覚的な人間による新しい世界創造は、
この現実の地上における
自由、平等、友愛の原理に根ざした
新しい社会、「生きた社会」として現れます。

その意味で、アントロポゾフィーは、
何よりも「社会運動」であろうと思うのです。

アントロポゾフィー指導原理 (20)

2008-09-27 09:41:21 | 霊学って?
20.
人間の心が本当に「生きる」ためには、人間自身のなかの「霊性の働き」にはっきりと気づくことが必要である。この点で、近代の自然科学的世界観を信奉する多くの人々は、強い先入観に捉われている。そのため、「世界におけるすべての現象は、普遍的な因果律によって支配されている。もし人間が、自分自身が原因となって、何かを引き起こすことができると考えるとすれば、それは単なる幻想にすぎない」と言うのである。近代の自然科学は、すべての事柄において、観察と経験に忠実に従うことを原則としている。しかし、人間の意欲にも隠された原因があるという先入観を持つことによって、自然科学はこの原則に背くことになる。なぜなら、人間が自分自身の内面にもとづいて自由に行為できることは、人間が自分で自分を観察すれば、当然のように見えてくるからである。この観察結果を否定し去るのではなく、それを自然秩序には普遍的な因果律が働いているという認識と完全に調和させることが必要なのである。(訳・入間カイ)

20. Es gehört zur rechten Entfaltung des Seelenlebens im Menschen, daß er sich innerhalb seines Wesens des Wirkens aus dem Geiste vollbewußt werde. Viele Bekenner der neueren naturwissenschaftlichen Weltanschauung sind in dieser Richtung so stark in einem Vorurteile befangen, daß sie sagen, die allgemeine Ursächlichkeit ist in allen Welterscheinungen das Herrschende. Wenn der Mensch glaubt, er könne aus Eigenem die Ursache von etwas sein, so kann das nur eine Illusion bilden. Die neuere Natur-Erkenntnis will in allem treu der Beobachtung und Erfahrung folgen. Durch dieses Vorurteil von der verborgenen Ursächlichkeit der eigenen menschlichen Antriebe sündigt sie gegen diesen ihren Grundsatz. Denn das freie Wirken aus dem Innern des menschlichen Wesens ist ein ganz elementares Ergebnis der menschlichen Selbstbeobachtung. Man darf es nicht wegleugnen, sondern muß es mit der Einsicht in die allgemeine Verursachung innerhalb der Naturordnung in Einklang bringen. (Rudolf Steiner)

人間の心が生きるとは、
心が生きいきとなること、元気になることです。
どんなときに、私たちの心が元気になるかといえば、
それは私たちが「自分らしく」あることができたときではないでしょうか。
そのように「自分らしく」生きること、
それをシュタイナーはここで「霊性の働き」と呼んでいます。

簡単にいえば、
シュタイナーのいう「霊性」とは「自分らしさ」のことなのです。
どんな人にも、その人なりの「自分らしさ」があります。
そして、自分の「自分らしさ」に気づくことが、「霊性」に気づくことなのです。
それを「個性」といってもよいかもしれません。

この20項でシュタイナーが言っているのは、
もし自然科学が本気になって、
「人間の個性はどこから来るのか?」を研究するなら、
人間の個性、一人ひとりの「自分らしさ」は、自然界における
「原因と結果」の因果律、
つまり「環境」や「遺伝」の影響だけでは
説明がつかないことに気づくだろう、ということです。

一人ひとりの人間の「自分らしさ」は、
普遍的な因果律によって秩序づけられている自然界に働きかけ、
この「世界」を共につくりあげている
もう一つの「原因」(作用因)なのです。

誰でも、自分自身を観察すれば、
自分の内側から湧きあがる
「自分はこうありたい」という欲求に気づくはずです。

現代において難しいのは
他者を傷つけるような行為への欲求と、
シュタイナーのいう「霊性の働き」との区別です。

僕自身は、その区別をつけるための二つの目安があると思っています。
一つは、「その欲求によって、自分は幸せになるか?」
と問うことです。
もう一つは、「世界にまなざしを向ける」ことです。

本当の「自分らしさ」から生じる欲求であれば、
その行為によって後悔したり、後味の悪い思いをしたりすることはありません。
なぜかというと、先の19項にあるように、
「世界の霊性」と「個人の霊性」はもともと一つのものだからです。
一人ひとりが本当に自分らしく生きることができれば、
その自分らしさは、他の人々の自分らしさと調和できるはずなのです。
このことが、この20項の最後の一文に込められていると思います。

というのも、他の人からみれば、
この「私」も「世界」の一部だからです。
世界と向き合ったとき、
その世界を知ろうとする努力、
認識しようとする努力のなかから、
自分はどのように生きたいのか、
自分は今、本当は何をしたいのかが見えてくる、
ということでもあります。

現代人の多くは、
自分自身への違和感を抱えて生きています。
自分のなかに
「無気力」や「空虚さ」しか感じられないこともあれば、
他者を傷つけるような破壊的な衝動が湧きおこることもあります。
自分のなかに、何か「異質」なものを抱えているわけです。
そこでは、自分が自分と一致していない、といえます。

人間が「成人」するまでに
約20年もの長い「子ども時代」をかけて成長するのは、
自分が自分の身体性と一致するために、
それだけの期間が必要だからです。
だからこそ、子ども時代は、
一人ひとりの人間の「自立の基盤」なのです。

シュタイナー自身は、
なぜ「ヴァルドルフ学校」をつくるのか
という理由の一つとして、
現代では「自分が本当は何をしたいのかわからない」
という人々が増えてきた、と言っています。
つまり、何が自分らしさなのかがわからない、
そういう人々が増えてきたから、
シュタイナーは新しい教育の必要性を感じたのです。

その意味で、
子ども時代は、一人ひとりの自分らしさが、
つまり一人ひとりの「霊性」が現れるための
「母胎」であるといえます。

そして、
多くの人々が「自分らしさ」を見失っている現在、
自分のなかの「霊性」に気づくこと、
世界との調和のなかで、自分らしく生きること、
そのために必要なのは、
一人ひとりが、
まず自分自身の「子ども時代」と向き合うこと。
そこから始める必要があるのではないか、と思うのです。

アントロポゾフィー指導原理 (19)

2008-09-26 11:25:37 | 霊学って?
19.
人間の心は、自分のなかに働いている霊性に注意を向けない限り、世界に対して夢見るようなあり方をしている。霊性は、自分の内面で夢を紡ぎ続ける心を目覚めさせ、世界への参加を促すのである。なぜなら、人間はもともと、この世界から生まれたのだから。物質界では、いつまでも夢を見続けることは、周囲に心を閉ざし、自分自身の存在にからめとられることになる。同様に、もし人間の心が、自分自身のなかで「目を覚ませ」と呼びかけている霊性の声に耳を傾けようとしなければ、「世界の霊性」とのつながりを失うことになるだろう。人間の心は本来、世界の霊性から生まれたのである。(訳・入間カイ)

19. Der Welt gegenüber ist die Menschenseele ein träumendes Wesen, wenn sie nicht auf den Geist achtet, der in ihr wirkt. Dieser weckt die im eigenen Innern webenden Seelenträume zur Anteilnahme an der Welt, aus welcher des Menschen wahres Wesen stammt. Wie sich der Träumende vor der physischen Umwelt verschließt und in das eigene Wesen einspinnt, so müßte die Seele ihren Zusammenhang mit dem Geiste der Welt verlieren, aus dem sie stammt, wenn sie die Weckrufe des Geistes in sich selbst nicht hören wollte. (Rudolf Steiner)


久々の更新です。

アントロポゾフィー指導原理の第19項では、
人間の「心」と「世界」との関係を扱っています。
私たちの心は、本当には「世界」をあるがままに見てはいない。
世界の現実を見るのではなくて、
自分だけの夢に浸っているようなものだ、というのです。

もちろん、現実の生活は厳しいし、
仕事もしなければいけないし、
子育てもしなければいけない。
とても夢を見ている暇なんかない、といわれるかもしれません。
でも、そうやって自分で「厳しい現実」と思っていることさえも、
まだ現実そのものではないのです。

僕がここで大切だと思うのは、
シュタイナーは、
一人ひとりにとっての「厳しい現実」を軽視して、
「素晴らしい霊的な世界」を夢見ることを勧めているのではない、
ということです。

シュタイナーのいう「霊性」は、
厳しくてリアルな日常の現実のなかにあるのです。
そして、その「霊性」に気づく鍵は、
自分自身の心のなかにあります。
まるで自分の「外」にあるように見える世界、
自分にとって違和感があり、苦しかったり、悲しかったり、
時には喜ばしかったりする世界、
その世界の中には、
私たちにまだ見えていないこと、
私たちがそこから目をそむけていることがある、
それが「霊性」なのです。

しかし、その霊性は、世界のなかだけではなく、
人間自身の心のなかにも働いています。
世界のなかの霊性と、人間の心のなかの霊性は、
もともと一つのものなのです。

だから、人間の心のなかでは、
いつも何かざわざわと「目を覚ませ」、
「見なきゃいけない」と囁きつづける声がある。
そのとき、私たちが見なければならないこと、
自分はそれを見ないようにしていたと気づかなければならないことは、
一人ひとりまったく違います。
しかし、自分が何を「見ないようにしていた」のか、
そこに気づくことで、
私たちの心は、世界とのつながりをふたたび見出すのです。
それは私たちの心を「夢に誘う」ことではなく、
一人ひとりの人生の、運命の、本当の理由に触れる、ということです。

そのような「霊性への目覚め」は、
現実の人生からの逃避ではなく、
自分の運命に向き合い、
現実の世界を生きるための力づけになります。

それでは、どのようにして
一人ひとりの心のなかの
「霊性」に気づくことができるのか。
それが次の20項の内容になります。