入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

シュタイナーとキリスト教

2007-01-29 15:56:19 | 霊学って?
“シュタイナーは西洋のもので、日本の文化に合うのかどうか・・・。”
そんな疑問によく遭遇する。
「西洋のもの」というのは、要するに「キリスト教文化圏」のものということだ。
シュタイナー幼稚園やシュタイナー学校に行くと、クリスマスや復活祭といったキリスト教のお祭りが重視されている感じがする。
シュタイナーの本のなかでも、キリストの意味を扱ったものは多い。
そこからシュタイナーとキリスト教は深い関係があるんじゃないかという印象が生まれるのだろう。

前回、僕自身が最近感じている「違和感」は、シュタイナーその人の思想に対する違和感であって、それはこれから自分に即して冷静に見ていかなければならないものだと思っている。
それとは別に、いわゆるアントロポゾーフたち(というか「シュタイナー業界」)に対してこれまで感じてきた「違和感」もある。それは、シュタイナーとキリスト教の関係が誤解されていることから生じる「雰囲気」に由来するものではないか、という気がしている。

シュタイナーに関わる人は、なぜか「いい人」を目指してしまうような気がするのだ。
そして「自分を高める」とか、「人間として成長する」とか、はては「霊的進化」までを口にする。
僕は、人間が人間として成長することに異論はないけれど、それは一人ひとりの個人の問題であって、集団で掲げることではないと思っている。

10年ほど前、いわゆるオウム真理教の問題が起きた頃、ある雑誌で、女性の執筆者が「修行して自分を高くしようとするのは、男が女を踏み台にして高まろうとするのに共通している」と書いていたのを覚えている。
そのときも、宗教関係者から「この人は本当の修行のことが分かっていない」という反論が出ていたけれど、僕自身は、この女性のいうことに納得ができた。
人が修行して高まるということがあるとすれば、それによって「低次」の段階に取り残される「その他大勢」がいることになる。
「霊的進化」の思想は、否応なく「差別」の思想につながる危険をはらんでいる。

その意味では、僕の父が、人智学協会というものを設立した当時(20年ほど前)、やたらと「下降衝動」という言葉を強調していたのも理解できなくはない。つまり、たとえば「菩薩」と呼ばれる存在たちのように、自分たちの進化を断念して、人類に寄り添うことを決意するあり方もあるという。あるいは、人類がすべて一人残らず救われるまでは、自分自身は「解脱」しないとか・・・。
でも、そこでも霊的な「高い」「低い」という意識が前提になっていることが気になる。

なぜわざわざ「下降」しなければならないのか?

実は、この問題は30代のシュタイナーが真剣に取り組んだテーマでもあった。
僕が、父から伝えられたシュタイナー思想と、自分自身でシュタイナーの著作と原語で取り組んだときに見えてきたシュタイナー思想とがかなり違っていたということの一つが、この問題だった。

たとえば、シュタイナーが36歳の頃に書いた『ゲーテの世界観』という本では、いかに西洋世界で、キリスト教によって「一面的なプラトン主義の不健全さ」が、人々の感性のなかに広がっていったかが論じられている。
この「一面的なプラトン主義」というのは、世界という一つの現実を、人間の「外」に現れる物質界(感覚界)と、人間の「内」に現れる精神界(イデアの世界)の二つに分裂させて捉える世界観のことだ。
そのようにもともとは一つの世界を「内と外」、「精神と物質」、あるいは「肉と霊」というふたつの原理に分けて、あたかも「精神」や「霊」のほうが「感覚」や「肉」よりも大切であるかのように感じる感性が、キリスト教を通して西洋の人々に浸透していったという。
僕なりの言い方でいえば、キリスト教によって、「精神」と「物質」、もしくは「理念」と「官能」の間に、「上下関係」が持ち込まれたといえると思う。

若い頃のシュタイナーがゲーテにこだわったのは、シュタイナーがニーチェに共感して、「キリスト教的な倫理感」に違和感を覚えていたからだと思う。実際、若きシュタイナーは、ニーチェの『反キリスト者』という本について、「この本のなかに、私は自分自身の感性を見出すことができた」と述べている。
そして、ゲーテという人もキリスト教にはなじめず、むしろイスラムの世界に共感を覚えていた。そのようなゲーテの感性の基盤となっていたのが、世界を一つのものとして捉え、物質そのもののなかに精神の現われを認める一元論的世界観だったのである。

シュタイナー思想における「キリスト教」のテーマをめぐっては、ドイツのシュタイナー派の人々の間でも長年議論が続いている。あたかもシュタイナーは40歳を境に、それまでのニーチェ的・反キリスト教的な立場を変えて、キリスト教を重視するようになったかのように見えるからだ。特に、晩年のシュタイナーが、若い頃に共感したはずのニーチェの『反キリスト者』について、あれは「アーリマンが書いた本です」と言ったことは有名である。ちなみに、アーリマンというのは、シュタイナー思想のなかでは、ルツィフェルと対をなす「悪の二つの原理」の一つである。
でも、ニーチェの本がそのような悪の原理の一つによって書かれたといったからと言って、シュタイナーが自分の若い頃の感性を否定したとは限らない。むしろ、シュタイナー自身がくりかえし述べているように、そうした悪の原理は否定されるべきものではなく、むしろ対極のもう一つの原理によってバランスをとられるべきものである。

40歳を過ぎてからのシュタイナーの言葉遣いでいえば、世界を精神と物質の二つに分裂させるのが「悪」の働きということになる。
しかし、この「悪」は、人間が「個」を確立させるうえではどうしても必要なものだ。そのとき発生する二つの方向の危険性として、「ルツィフェル(ルシファー)=光の悪魔」と「アーリマン=闇の悪魔」がある。
両方とも自分の自我にこだわるところは共通している。ただ、ルツィフェルはひたすら自我を肥大させ、高めていこうとする。アーリマンは、他者を支配することで、自分の力(権力)を強めていこうとする。
宗教的な修行は、えてしてこのルツィフェルの方向に陥りやすいといえるだろう。そこでは自分を高め、美しく飾ることに埋没してしまい、他の人々が軽んじられていく。そこにアーリマンの原理(権力)が結びついたとき、自分が「無価値」と感じる人間を破壊しようとする衝動が生じる。

人間を「高次」と「低次」に分ける発想も、ルツィフェル的な原理にきわめて近い。そして、若きシュタイナーがキリストに目を向けるようになった理由もこの辺にあるのではないかと僕は思っている。もちろん、ここでいうキリストは、「教会のキリスト教」ではなく、イエスという個人が目指したような精神運動のあり方のことである。

そのことは、シュタイナーが40歳を過ぎてから、いわゆるオカルト的なテーマをめぐって書いた2冊目の本、『神秘的事実としてのキリスト教』に見ることができる。
この本のなかで、シュタイナーは、キリスト教とそれまでの「秘儀」との違いを述べている。その違いというのは、「神」と「人間」の関係の捉え方である。
古代からの秘儀では、「神性」はすべての人間のなかに宿っている。しかし、その神性は、修行や魂の成長に応じて、少しずつ現れてくる。つまり、霊的な進化の度合いによって、一人の人間のなかにどれだけ「神性」が現れているかが異なることになる。
それに対して、イエスは、「私」が神であるといった。そのとき、歴史上の一人の個人が、修行や霊的進化というプロセスを飛び越えて、一気に神と結びついてしまった。ここにキリスト教の独自性があるとシュタイナーは見たのである。
この歴史上のイエスは、他のだれでもかまわない。どれほど未熟な人間であろうとも、この地上を生きている一人ひとりの「私」は神なのである。しかも、その神は、数多くの神々のひとりということではなく、唯一絶対の神、一神教の神である。つまり、この世に人間は無数に生きていて、それぞれ愚かだったり、賢かったり、親切だったり、残酷だったりするけれども、そういった一切の違いにもかかわらず、すべての人の「私」は、そのまま唯一絶対の神なのである。

ここには「一と多」、「個と普遍」の一致という哲学的なテーマがあるけれど、それこそがシュタイナーがゲーテの世界観のなかに見出した、一人ひとりの価値を絶対的に認める原理であり、また現代にふさわしい霊学の基盤でもあった。それをシュタイナーはキリスト原理と呼んだのだ。もちろん、このキリスト原理は、先の『ゲーテの世界観』で触れられているような「不健全な一面的プラトン主義を浸透させたキリスト教」ではなく、それを補うべき本来の原理ということになる。

そして、以前別のところでも触れたことだけれど、僕はそのようなシュタイナーのいうキリスト原理は、鈴木大拙が『日本的霊性』のなかで述べている親鸞における「個己と超個己との一致」と同じことだろうと理解している。

親鸞が民衆のなかで生きたように、イエスも人々とともに生きた。そこにはわざわざ「下降」する必要はない。
修行をしていようと、修行をしていなかろうと、だれでもその「私」は唯一絶対のものなのだ。そして、シュタイナーは、人間のなかに、自分自身の「私」だけではなく、すべての人の「私」のなかに唯一絶対のものがあると感じ取る感覚が発生したこと、それを「ゴルゴタの秘儀」とか「キリスト事件」と呼んで、人類史におけるきわめて重要な分岐点と見なしたのだろう。

人が成長しようとしたり、修行しようとするのは勝手だけれど、それによって世間とは違う、「特別」な人間になろうとする意識が混じりこんでしまうと、そういう人たちの集まりは、きわめて新興宗教的な、初めて参加した人が違和感を覚えるような雰囲気を帯びてくる。
おそらく、「高まる」ことよりも、「開く」ことのほうが問題なのだ。なぜなら、進化(evolution / Entwicklung)とは、高くなることではなく、もともとある本質が展開していくことなのだから。そこに、「ヒエラルキア」や「霊的進化」の問題を、民主主義を求める現代人の意識とつなげていく可能性があると思う。

そういうふうに見てくると、シュタイナーは決して「西洋のもの」とはいえないような気がする。むしろ、ゲーテにしても、シュタイナーにしても、西洋の「不健全」な精神・物質二元論を乗り越えようと努力していた。ただ、彼らはよくあるように単に西洋文明を否定して、東洋や古代の叡智の礼讃に向うのではなく、キリスト教文化圏のなかにとどまりつつ、そこを突き抜けて「すべての人間にとって普遍的といえる思想的立場」(シュタイナーのいうアントロポゾフィー/人智学)を目指したのである。

(冒頭写真は、10年ぶりに引っ張り出してきた『ゲーテの世界観』の原書ポケット版。下は文中で触れた該当ページ。)

シュタイナーからの旅立ち

2007-01-28 04:13:46 | 霊学って?
先日、久しぶりに鎌倉の実家で数日を過ごした。

鎌倉の夜が、あんなに静かだったとは・・・。
僕が子どもの頃に使っていた2階の部屋には、今はシュタイナー全集が並んでいる。そこに布団を敷いて、次々に浮かび上がる子ども時代や思春期の思い出に取り巻かれつつ、久々にドイツ語で『神秘学概論』の前書きを再読した。

シュタイナーの痛々しいまでの覚悟が、改めて伝わってくる。40歳になるまで、リベラルな評論家として着実に地歩を固めていったシュタイナーは、突然、神智学協会という訳の分からない人々と交流を始め、そのドイツ支部の代表を引き受けてしまう。その結果、彼を評価していた女権運動の先駆けであるローザ・マイレーダーや、「個体発生は系統発生を繰り返す」ということばで有名な生物学者エルンスト・ヘッケルなど、大切な友人たちが一斉に離れていった。

シュタイナーはつねに当時の最先端の自然科学の動向を跡づけていた。そして、霊学について書いたり語ったりするときは、自分で最新の自然科学の知見を把握していない事柄については決して公表しないという原則を自分に課していた。本来、誰にでも、科学的知識の有無にかかわらず、表現の自由は認められるのだが、自分は自分のためにそのような原則を課すのだと書いている。そのように述べるシュタイナーの文体には、まったくの無理解にさらされることを予想した彼の孤独感がにじんでいる。

僕の父が、1950年代にドイツで初めてシュタイナーの思想に出会ったときも、これをどうやって日本のアカデミズムの世界で取り上げたらよいのかと不安に駆られたという。その後、60年代前半にシュトゥットガルトにあるキリスト者共同体のゼミナールとミュンヘン大学を行き来しながら、必死で現代思想に取り組み、いずれ日本にシュタイナーを紹介するときのための理論武装に励んでいたと語ってくれたことがある。
その当時、僕は3歳にも満たず、母親といっしょにシュトゥットガルトにいた。そして、日本に戻ってからは、家族でこの家に住んだのである。

結局、父は大学を辞めて在野の学者になり、同じ頃、子どもの僕は不登校になった。そして、僕も今、あの頃の父と同じ年齢にさしかかっている。
なんで僕はこの家に生まれたのだろうか。

子どもは皆、生まれた家から巣立っていく。一人ひとりが自律した「個」を確立できたとき、家族はまた独立した人間同士の関係として再構築されるのではないか。
僕のなかには、自分はシュタイナーと出会うためにこの家に生まれてきたという強い感覚がある。父親の書いたものや講義からシュタイナー思想を学び、30代になってからは、自分でシュタイナーの著作を原書で読むことで、自分自身の目でシュタイナーが考えていたことの基本を捉えることができたと思っている。僕が理解したシュタイナー思想は、父が伝えてくれたものとは、実は、かなり違っていた。でも、父の努力があったから、僕も自分の目、自分の感覚をもてたのだと思っている。

そして今、僕のなかでは、シュタイナーへの違和感がふたたび強まってきている。シュタイナー思想の内容、アントロポゾフィーへの違和感ではない。アントロポゾフィー(人智学)とは、「人類の知恵」のことであって、シュタイナーのみならず、すべての人間の経験や思考の総体のなかから浮かび上がるもののことである。
要するに、シュタイナーは、僕とは違う人間で、僕とは違う感性と視座をもっているという当たり前のことが強く意識されるのだ。

ゲーテがいたから、またニーチェがいたから、シュタイナーは自分の思想をつくりあげることができた。シュタイナーがいたから、僕の父の、僕自身の、あるいは他の多くのアントロポゾーフ(人智学徒)たちの個別の思想が可能になった。

でも、アントロポゾーフってなんだ? シュタイナーの語ることをそのままに受け止めるなら、アントロポゾーフとは、人間として生きようとする人間のことにすぎない。そして、アントロポゾフィーとは、この時代に生きる人間たちが共有できる普遍的な知恵のことだ。その普遍的な知恵に到る入口は、一人ひとりの個人の「私」の思想である。

こんなことは、今までも何度も何度も書いたり語ったりしてきた。しかし、今、僕は改めて自分の「違和感」から出発したいと思っている。

(写真はフランクフルトの空港で出会った友だち。最近、僕の仕事に付き合ってくれている)。