4.
人間が自分の感情に確かさを持ち、
自分の意志を力強く働かせるためには、
霊界の認識が必要である。
なぜなら、
どれほど自然界の偉大さ、美しさ、叡智を感じようとも、
それだけでは人間固有の本質への問いには、
答えが与えられないからである。
この「固有の本質」は、
人間が死の門を通過するまで、
自然界の素材や力をつなぎとめ、
生命をもって活動する人間の
全体像(ゲシュタルト)を成り立たせている。
その後、人間の全体像は自然にゆだねられる。
自然は、人間の全体像をつなぎとめるのではなく、
分解することしかできない。
偉大で、美しく、叡智に満ちた自然は、
「いかにして人間の全体像は解体されるか」
という問いに答えることはできるが、
「いかにして人間の全体像は維持されるのか」
という問いには答えられない。
どのような理論によっても、
感性をもった人間の魂のなかから、
―その魂が自分で自分を麻痺させようとするのでなければ―
この問いを消し去ることはできない。
本当に目覚めているすべての人間の魂のなかでは、
この問いの存在によって、
世界認識の霊的な道へのあこがれが色褪せることなく、
働き続ける。(訳・入間カイ)
4.
Der Mensch braucht zur Sicherheit in seinem Fühlen,
zur kraftvollen Entfaltung seines Willens
eine Erkenntnis der geistigen Welt.
Denn er kann die Größe, Schönheit, Weisheit der natürlichne Welt
im größten Umfange empfinden:
diese gibt ihm keine Antwort auf die Frage nach seinem eigenen Wesen.
Dieses einge Wesen hält die Stoffe und Kräfte der natürlichen Welt
so lange in der lebend-regsamen Menschengestalt zusammen,
bis der Mensch durch die Pforte des Todes schreitet.
Dann übernimmt die Natur diese Gestalt.
Sie kann dieselbe nicht zusammenhalten,
sondern nur auseinandertreiben.
Die große, schöne, weisheitsvolle Natur gibt wohl Antwort auf die Frage:
wie wird die Menschengestalt aufgelöst,
nicht aber, wie wird sie zusammengehalten.
Kein theoretischer Einwand kann diese Frage
aus der empfindenden Menschenseele,
wenn diese sich nicht selbst betäuben will,
auslöschen.
Ihr Vorhandensein muß die Sehnsucht
nach geistigen Wegen der Welterkenntnis
unablässig in jeder Menschenseele,
die wirklich wach ist, regsam erhalten.
(Rudolf Steiner)
この第4項では、
人間と自然界の関係が語られます。
自然界の「偉大さ」、「美しさ」、「叡智」、
すなわち「力」と「美」と「知」。
これに対して人間は、
感情における「確かさ」、
意志における「力強さ」、
そして「霊界の認識」をもって向き合います。
霊界の認識がなければ、
人間の感情は不確かで、
意志も働くことができない。
私は誰かと話をしていて、
相手のいう一言一言によって、
共感と反感の間を揺れ動く。
あるいは、
自分は本当にこの仕事がやりたいのか、
仕事に対する熱意と無気力が
その時々の状況で、交互に入れ替わる。
私は、本当はどうしたいのか、
自分の人生をどう生きたいのか、
シュタイナーはそこに
「人間の固有の本質」を見ていたようです。
そして、
この「固有の本質」を見極めるためには、
「霊界の認識」が必要だというのです。
「霊界の認識」とは、言い換えれば
「世界を霊的に認識する」ということ。
人間の身体のなかには、
自然界に由来する物質や作用が働いています。
それらは本来なら、
分解や破壊への傾向をもつものであり、
それらをつなぎとめ、
人間の「全体像」をつくりだしているのは、
一人ひとりの「固有の本質」なのです。
私はこの人生で何をしたいのか、
一人ひとりの根源的な「生への意志」が、
一人ひとりの「生きた身体」を成立させている。
だから、人間が死を迎え、
「この人生をどう生きるか」という意志が去ったとき、
身体は自然界に還され、
崩壊し始める。
私自身の「固有の意志」が、
この自然界のなかで、
「私」という現象を成立させている。
人間は、
感じる心をもっているかぎり、
私は何者なのか、
何のために生まれ、
どのように生きていきたいのか、
という問いを抱え続けている。
この問いがあるから、
世界を霊的に探求したいというあこがれが、
つねにこみあげてくる。
そこに一人ひとりの「魂の欲求」(第1項)としての
アントロポゾフィーの始まりがあるのだろうと思います。
人間が自分の感情に確かさを持ち、
自分の意志を力強く働かせるためには、
霊界の認識が必要である。
なぜなら、
どれほど自然界の偉大さ、美しさ、叡智を感じようとも、
それだけでは人間固有の本質への問いには、
答えが与えられないからである。
この「固有の本質」は、
人間が死の門を通過するまで、
自然界の素材や力をつなぎとめ、
生命をもって活動する人間の
全体像(ゲシュタルト)を成り立たせている。
その後、人間の全体像は自然にゆだねられる。
自然は、人間の全体像をつなぎとめるのではなく、
分解することしかできない。
偉大で、美しく、叡智に満ちた自然は、
「いかにして人間の全体像は解体されるか」
という問いに答えることはできるが、
「いかにして人間の全体像は維持されるのか」
という問いには答えられない。
どのような理論によっても、
感性をもった人間の魂のなかから、
―その魂が自分で自分を麻痺させようとするのでなければ―
この問いを消し去ることはできない。
本当に目覚めているすべての人間の魂のなかでは、
この問いの存在によって、
世界認識の霊的な道へのあこがれが色褪せることなく、
働き続ける。(訳・入間カイ)
4.
Der Mensch braucht zur Sicherheit in seinem Fühlen,
zur kraftvollen Entfaltung seines Willens
eine Erkenntnis der geistigen Welt.
Denn er kann die Größe, Schönheit, Weisheit der natürlichne Welt
im größten Umfange empfinden:
diese gibt ihm keine Antwort auf die Frage nach seinem eigenen Wesen.
Dieses einge Wesen hält die Stoffe und Kräfte der natürlichen Welt
so lange in der lebend-regsamen Menschengestalt zusammen,
bis der Mensch durch die Pforte des Todes schreitet.
Dann übernimmt die Natur diese Gestalt.
Sie kann dieselbe nicht zusammenhalten,
sondern nur auseinandertreiben.
Die große, schöne, weisheitsvolle Natur gibt wohl Antwort auf die Frage:
wie wird die Menschengestalt aufgelöst,
nicht aber, wie wird sie zusammengehalten.
Kein theoretischer Einwand kann diese Frage
aus der empfindenden Menschenseele,
wenn diese sich nicht selbst betäuben will,
auslöschen.
Ihr Vorhandensein muß die Sehnsucht
nach geistigen Wegen der Welterkenntnis
unablässig in jeder Menschenseele,
die wirklich wach ist, regsam erhalten.
(Rudolf Steiner)
この第4項では、
人間と自然界の関係が語られます。
自然界の「偉大さ」、「美しさ」、「叡智」、
すなわち「力」と「美」と「知」。
これに対して人間は、
感情における「確かさ」、
意志における「力強さ」、
そして「霊界の認識」をもって向き合います。
霊界の認識がなければ、
人間の感情は不確かで、
意志も働くことができない。
私は誰かと話をしていて、
相手のいう一言一言によって、
共感と反感の間を揺れ動く。
あるいは、
自分は本当にこの仕事がやりたいのか、
仕事に対する熱意と無気力が
その時々の状況で、交互に入れ替わる。
私は、本当はどうしたいのか、
自分の人生をどう生きたいのか、
シュタイナーはそこに
「人間の固有の本質」を見ていたようです。
そして、
この「固有の本質」を見極めるためには、
「霊界の認識」が必要だというのです。
「霊界の認識」とは、言い換えれば
「世界を霊的に認識する」ということ。
人間の身体のなかには、
自然界に由来する物質や作用が働いています。
それらは本来なら、
分解や破壊への傾向をもつものであり、
それらをつなぎとめ、
人間の「全体像」をつくりだしているのは、
一人ひとりの「固有の本質」なのです。
私はこの人生で何をしたいのか、
一人ひとりの根源的な「生への意志」が、
一人ひとりの「生きた身体」を成立させている。
だから、人間が死を迎え、
「この人生をどう生きるか」という意志が去ったとき、
身体は自然界に還され、
崩壊し始める。
私自身の「固有の意志」が、
この自然界のなかで、
「私」という現象を成立させている。
人間は、
感じる心をもっているかぎり、
私は何者なのか、
何のために生まれ、
どのように生きていきたいのか、
という問いを抱え続けている。
この問いがあるから、
世界を霊的に探求したいというあこがれが、
つねにこみあげてくる。
そこに一人ひとりの「魂の欲求」(第1項)としての
アントロポゾフィーの始まりがあるのだろうと思います。