入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

個人、動物、そして民族の「たましい」(1)

2006-03-29 23:58:44 | 霊学って?
これまで、思考、感情、意志について書いてきた。

この三つのなかで、一番よく分からないのが、「意志」だと思う。
というか、シュタイナー思想のなかで「意志」と呼ばれているものが分かりにくいのだ。

ふつう「意志」といえば、それは何かを成し遂げようとする明確な心持ちのことである。
だから、「意志をしっかり持って」とか「強い意志」などというときは、もちろん自分が「何を欲しているか」「何を目指しているか」ははっきり分かっているはずである。

ところが、シュタイナー思想で「意志」というとき、それはもっと暗くて、つかみどころのない力やエネルギーといったものだ。
よく「暗い衝動」とか、「心の闇」とか言うが、それがシュタイナーのいう「意志」の領域である。

この「意志」は、人間だけではなく、動物や植物、さらには鉱物など、この世界に存在するすべてのもののなかに働いている。
それは「この世界に存在しようとする意欲」なのである。
そして、この存在への意欲を自分自身の内に取り込み、自分で生成・発展するのが生物である。

鉱物などの無機物は、存在への意欲によって生み出されたものではあるが、その意欲は常に「外」にある。そして、外からの作用によって変化する。
植物、動物、人間は、この意欲を「生命力」として、自分の内に持っているのである。

植物は植物になろうとする意志を持ち、動物は動物になろうとする意志を持っている。そして、人間も人間になろうとする意志を持っている。
だから、たとえば一個の受精卵が分裂を繰り返すことによって、いくつもの臓器や器官を形成し、人間の身体という全体をつくりあげることになるのだ。
その際、遺伝子は、意志でない。人間になろうとする意志が、遺伝子という全体の設計図に沿って、自分自身をつくりあげるのである。

さて、この「意志」には、植物、動物、人間になろうとする一般的な意志だけでなく、一回限りの「個体」になろうとする個別の意志もある。

人間の場合、この個別の意志によって、さまざまな才能や能力、職業、人々との出会いなどに導かれていく。だから、この個別の意志を「運命」と呼ぶこともある。

一人ひとりの「個別の意志」を実現していくことが、「自分らしさ」を生きることでもある。

しかし、この一人ひとりの「個別の意志」は、なかなか見極めることがむずかしい。

自分がこの人生で何をやりたいのか、はっきりした目的意識をもっている人はそんなに多くはないだろう。
僕自身もそうなのだが、「自分がほんとうに何をやりたいのか、よくわからない」という人は結構、多いのではないだろうか。
意志そのものは、ほとんど無意識的なものなのだ。

しかし、自分ではわからなくても、その意志は明らかに働いていて、表面の意識を揺り動かしたり、苦しめたりする。
「このような生き方は、自分が願っていたものではない」とか、「僕は自分を偽っているのではないか」という思いが、何度も浮上してくるのである。

意識の表面に浮上してくるとき、それは「感情」というかたちをとる。
切迫感とか、不安とか、むなしさとか・・・。
そのような言い知れない感情に出くわしたとき、僕たちはそれを何とか「ことば」で捉え、それがどこから来ているのかを考えようとする。

自分が何に引っかかっていたのか、それを思考で捉えられれば、暗い「意志の領域」から、感情をへて、思考の次元にまで引き上げたことになる。自分の意志に、明るい光が当てられる。
そのとき、自分の人生を突き動かしている「個別の意志」を、動機や目的として、意識的に捉えなおすことになる。

だから、ふつうに「意志」と言ったときは、思考と感情によって貫かれた「意志」ということになる。

自分の「個別の意志」を見極める手がかりは、感情である。
感情は分かりやすい。
心がざわめいたり、いらいらしたり、怒りや悲しみで胸が締め付けられたり、喜びで温かくなったり・・・。

自分は、何をしているとき、いちばん喜びを感じているだろうか?
それが分かれば、一人ひとり異なる「個別の意志」を捉えることができる。
反対に、そんな感情(とくに自分の個別の意志に逆行する生き方をしているために浮上する怒りや悲しみなど)を封じ込めてしまうと、それは「暗がり」に追いやられる。つまりは、「意志」の領域に追いやられて、いつしか攻撃的もしくは暴力的な衝動となって噴き出したりする。

これは、すべての人が抱える複雑な問題であろう。
これは「たましい」の問題なのだ。
シュタイナー思想では、思考、感情、意志をひっくるめて「人間のたましい(魂)」と呼んでいる。

たましいというのは、もっとも人間的な部分であり、一生、個人につきまとうものだ。

次には、人間がこの「たましい」を動物とも共有しているという話を書きたいと思っている。(つづく)

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