“色の話いろいろ”

色には意味があり、使い方次第で印象が良くなります。
「イマイチ」が「素敵」に変わります。

平清盛は和歌が苦手?

2012-05-01 | 平清盛・大河ドラマ

平清盛(NHK日曜よる8時)17回目・平氏の棟梁

「重盛に基盛 それに清三郎 清四郎 みな我らの子なり」
???
本当に清盛がこんな和歌を歌会で詠んだんだろうか?
と不思議に感じ、調べてみましたが、フィクションみたいです
平清盛が平氏一門を大事にしていたことはよ~く伝わりましたが、史実でなくてよかった・・・
清盛が家督を継いだのは1153年で36才です。
平安時代では立派な大人。
思惑がグルグルと渦巻く貴族たちと比べ、義理の父・平忠盛に愛され育てられた清盛が、家督を継いで、平氏一門を大切に思う人物像については私も同感です。
平氏一門を引っ張る立派な武士を、松山ケンイチさんがこれからどう演じてくれるのか、期待してます~

平清盛が詠んだ和歌はどんなものか。
歴史上に清盛が詠んだとされるのが、唯一、下記の一首だそうで、大阪府堺市の大鳥神社の歌碑に記されています。

「かひこぞよ 帰りはてなば 飛びかけり はぐくみたてよ 大鳥の神」
意味:
今は蚕の幼虫だが、都へ帰りついたら成虫になって羽ばたけますよう見守ってください。大鳥の神(鳥羽法皇)。
*1159年(平治元年)に長男の重盛と熊野参詣の途中に京で反乱が起き、戻る途中に大鳥神社に寄って戦勝を祈願したそう。この後、祈願通りに平氏はより一層繁栄している。

ではなく!!
5/11 追記:私見です。
  ↓    ↓   ↓
「かよいこぞよ 帰りはてなば 飛びかけり 育み立てよ 大鳥の神」


意味:
熊野詣でに通ってきたこの一年、京で反乱が起きたので急いで帰りますが、大鳥の神の力で羽ばたき勝利できますように、どうか、平氏一門を見守ってください。

*かひこ=かいこ、がどうも和歌の解釈に違和感を覚えていました。
*「かよい」が、通い、になれば、熊野詣に通ったことの意味ととれます。
*「こぞ」とは、一年を振り返って年の初めに昨年のことをいうそうで、和歌を詠んだのは12月ですから、まあ、一年を振り返っての言葉ととれませんか。

清盛の度重なる熊野詣→こちら
参考になりました。

厳島神社が16回目に出てきました。
これからが楽しみです。

中国・宗と対等に貿易をするうえで、厳島神社の庇護、造営と、福原遷都は、とても重要な政策であったとききます。
当時、宗の寧波(ニンポー)に必ず立ち寄ってから普陀山(フダサン)に入港し貿易をしていたそうで、福原へ入港する前に寧波のように立ち寄る島として、美しい厳島神社を建ててくれた平清盛に感謝。
世界遺産・厳島神社、バンザイ!!


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