“色の話いろいろ”

色には意味があり、使い方次第で印象が良くなります。
「イマイチ」が「素敵」に変わります。

平清盛、大人になった?

2012-02-26 | 平清盛・大河ドラマ

平清盛(NHK日曜よる8時)8回目・宗銭と内大臣
私が描いていた平清盛像にほぼ近い状態で、大河ドラマが展開しているので毎回とっても楽しいです。
趣味生活にばかり興じていて、庶民の生活をよくすることなんて考えていない・・・いえ、そのすべを知らない貴族に比べれば、武家・平氏は立派です。
太宰府を通さず、宗と、直接、貿易をした平氏は、至福を肥やし堕落していくのではなく、武芸を一層磨いていましたね。
清盛の家の庭では、皆、相撲をとって?いました。

それにしても、松山ケンイチさんが演じる平清盛は、成長しました。
内大臣に食って掛かっていかないところなんか、無鉄砲な高平太ではなく、冷静に物事を考える凛々しい男性に成長しているではありませんか
田中麗奈さんが演じる、気が強い由良姫も、なかなか面白い♪
兎丸のキャラも好きです♪

2月5日(第5回目)
この回から使われ初めた、映像を美しく作るカラーグレーディング装置のこと、ご存知でしたか?
汗と泥にまみれた清盛の汚い顔が、キラキラと輝いて見えました。
自然の緑の色もキラッキラッ。
毎回、太陽光を強調させたり、背景を暈したりしていろいろ手を加えてますねえ。

平清盛について、ここ、解り易いですよ。いつまでネット上にあるのかはわかりませんが。
 ↓   ↓   ↓
平清盛の破壊力

志賀海神社、餅まきへ

2012-02-12 | 出来事いろいろ
昨日=2012/2/11の餅まきで、勝ち取った紅白餅です!


志賀海神社・参道沿いで変わった門発見!!鳥居形!?


亀石・・・遥拝所(ようさいじょ)
本殿の右にあり。神功皇后(じんぐうこうごう)と阿曇磯良一族と縁(ゆかり)のある亀石。
現在の金印公園近くにあった石を1671年(寛文10年)に社前に納められたと説明文あり。



寒い日が続き、前日まで福岡市でも雪が毎日のように降っていましたが、この日は朝から快晴で、“潮見公園”からの眺望もバッチリでした。
ここは180度見渡せる高見台がある場所で、立花山もくっきり♪


壱岐の島も肉眼では見えました。


ランチには、寒ブリを含めたお刺身の盛り合わせと天ぷらの定食をいただき♪
その後、志賀海神社(しかうみじんじゃ)に縁のある姉妹を友人がお茶にお誘いし、お二人お薦めの“西戸崎シーサイドCC”へ。
ここは、ゴルフ場のグリーンと、海の瑠璃色が映えてみえ、ゆったりとくつろげるレストランです。

楽しい会話は、志賀海神社の歴史、阿曇(あづみ)の姓、神話、古文書、太宰府天満宮、住吉神社、浅見神社(せんけんじんじゃ)、富士山にまでわたり♪
志賀海神社で現在も引き継がれている行事は、小さい神事も含めると“72”あるとのことです。
約1,800年前から現代まで、島民に支えられずっと継続されてきたことに驚愕です。

神事の一つである“山誉漁猟祭(やまほめかわすなどりのまつり)”では、あの有名な和歌が詠まれます。
「あ~ら良い山 繁った山」
「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」
今春は4月15日(日)に催されるとのことです。
実際にこの目で“山誉め祭”を見ると、本当に感激するでしょうね。

天神、博多からもまあまあ近いですし、気軽に悠久のロマンを感じることができる、気持ちのよいパワースポットということになります。
福岡県を含めた九州は、京都、奈良よりも古くから栄えていた。
悠久のロマンを感じられるところですね。

楽しいひと時でした。
私を志賀海神社へ誘ってくれた友人と、お茶をお付き合い下さった優しい姉妹に感謝いたします。
有り難うございました。
志賀海神社の歴史→こちら
志賀海神社、餅まきへ→こちら

お餅は善哉(ぜんざい)にしていただきました。



平清盛、落胤説!?

2012-02-07 | 平清盛・大河ドラマ

画像はクリックすると拡大画像になります。
平清盛展、江戸東京博物館まで行ってきました♪
「平家納経」は、キラキラと輝いて、本当に美しくて、東京まで行った甲斐がありました。
画像の左は、「仏舎利相承系図」鎌倉時代(14世紀) 一巻 滋賀・胡宮(このみや)神社 の部分
「姉妹」は後世の追記らしいです。
清盛、忠盛の名前がありますね。この清盛の母が女房。「院懐妊」?そう読める文字があります。
祇園の女御殿(役は松田聖子さん)が清盛を猶子(ゆうし)して、白河院から賜った仏舎利を清盛に伝えた、ということが字を読むと解ります。
血のつながらない平氏一門の人々と暮らしてはいても、祇園の女御殿というつよ~い見方がいた。
画像右は、平家納経 平清盛 願文(がんもん)。
父親の平忠盛の文字とよく似ています。
きちんと愛されて育ったのですね。
どうりで、清盛の書く文字は、力強く、自信に満ちていて、まっすぐな人物像が浮かぶわけです。
平忠盛奥書筆もアップしておきます。
博物館から怒られちゃうかも・・・ すみませ~ん。


紺紙金字阿弥陀経 平安時代 1149年 一巻 五島美術館 の部分

猶子(ゆうし)=他人の子供を自分の子として親子関係を結ぶこと。契約関係によって成立し、子供の姓は変わらない。その子の後見人となる。

紺または黒とゴールドの組み合わせ、なかなか良いですね。日本人は昔から色彩センスが良かったんです。