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カッコ悪いってことは、なんてカッコ良いんだろう。

泳いだりして。(チャイナ周遊6日間/2日目の5)

2004-09-29 23:59:59 | 旅行系
さて、実は漓江下りのほかに、僕はここ桂林でしたいことがもう一つありました。

漓江で泳ぎたい!
せっかく目の前にキレイな川が広がっているのです。泳がない手はありません。ちゃんと日本で事前に情報は調べてありました。漓江は観光のために、何年も前からかなりキレイにしているのです。工場も郊外に移転し、排水などの垂れ流しも今はありません。桂林市内の漓江の西側、伏波山公園の根元には遊泳場もあり、地元の人たちも夏は川での泳ぎを楽しんでいます。(遊泳場の看板がある。)

この希望は桂林到着時からずっとガイドの趙さんには伝えてありましたが、彼女は最初は冗談と受け取っていたようです。けれど僕は観光船でもタクシーでも、漓江の流れを見ては繰り返し「泳ぎて~」と叫んでいたので、ようやく本気にしたようです。

「ホテルにも屋外プールがあってまだ使えますカラ。そっちで泳いだらドデスカ?」
ノンノン。部屋の窓のすぐ下にプール見えたけど、10m四方くらいの小さいプールだったじゃん。
「桂林市内には選手の人とか使ってるちゃんとした体育館のプールありますカラそっちは?」
んだからぁ。川で泳いでみたいんだってば。
「でも遊泳場は遠いですよ」
またまた。泊まってる桂林帝苑酒店の目の前がすぐ漓江じゃん。川向こうが伏波山公園なのは地図で見てすぐ分かることなんだから。
「橋まで行って渡って向こうまで歩くと30分以上かかりますヨ」
そんな漓江で泳がせたくないの?
「でも、泳げる人ならホテルの目の前でも(遊泳場じゃなくても)泳げますヨ」
!!!
それなら遊泳場まで行く必要ないじゃん。てなわけでホテル前の漓江で泳ぐことに決定。それにしても趙さんは反対してみたり教えてくれたり忙しい人デスネ。

友人たちも何人か川泳ぎに賛同してくれて、結局4人で水着に着替えて漓江に行きました。川向こうの遊泳場に確かに十数人の人影が見えます。が、手前にも数人の地元らしい中学生くらいの子供が泳いでました。これなら問題ないない。水は透き通るようにキレイ。30度近い気温で、水温もそう冷たくはないし。

ただし、流れは予想以上に速かったです。漓江下りではゆったりと船が進み、船上からはさほど速そうに見えなかったのですが、ホテル前で入ってみたら速いこと速いこと。中州があって、川幅が極端に狭くなってるせいもあるのかもしれませんが、流されそうなくらい速い。試しに上流方向に全力で泳いで見たけどその場に漂うのが精一杯な感じでしたから、僕の全力100m80秒くらいの速さはあることになる。

なのであまり気を抜けず、慎重に水遊びをしました。でも楽しかったね。途中何度か観光船が通り過ぎたけど、きっと僕らは地元の人たちと同じように写ったろうな。観光客で漓江で泳いでる人はいないみたいだし。良く見ると川の中で5cmくらいの小さな魚を何匹も見ましたが、やはり逃げるのは速くとても捕まえることは出来ませんでした。他に見かけたのはタニシみたいなのかな。

ただ、遊泳場ではなくただの川原なので、川岸には石がゴロゴロしてる。これが裸足の僕らには結構痛かったなぁ。鋭い石もあって、足の裏を軽く刺してしまったり。地元の子供らは皆サンダルを履いたまま泳いでいたので、次からは僕もそうしようと思いました。いつになるかは分からないけどね。

ともあれ、今回の中国旅行の僕的裏目的だった漓江泳ぎが出来たので、大満足でした。

川遊びの後、さらに同室の友人と二人でホテルの屋外プールにも行ったけど、こちらはやはり小さくて物足りない感じ。ていうか照明なくて暗いし。スタッフも来ないし。まあ貸し切り気分で良いかな。なんて思ってると西洋系のオジサン2人とオバサンが1人やってきました。そしたらようやくスタッフが出てきて、バスタオルとかも貸してくれる。照明まで点くし。何だよ、待遇が違うなぁ。

漓江下り、鍾乳洞、川遊び、プールと十分に桂林を堪能した後は夕食です。ホテル内の桂林料理のレストランにて、桂林名物のビーフンその他を頂きました。

前菜の盛合せ(ハム、クラゲ、ミミガーぽいの)、イカと野菜の炒め物、海鮮スープ、エビと芋のオイスターソース炒め、牛肉の炒め物、チンゲンサイの炒め物、スープビーフン、フルーツ。ビールは漓泉啤酒て銘柄でした。

スープビーフンですが、日本で食べる細い乾燥ビーフンと違い生ビーフンです。太いの。あましコシの無いウドンみたいな感じ。スープは薄い塩味。具は鶏肉とチンゲンサイとキノコでした。実はこのメインは、個人的にあまり美味しいと感じませんでした。でもメイン以外はかなり良かったな。炒め物系も辛過ぎず、しょっぱ過ぎず。肉も柔らかくて。個人的にはこの旅で一番美味しい夕食でした。精神的に満足していたことも大きいかも知れませんが。

夕食後はひと休みしてから夜の町に繰り出しました。中秋の名月と建国記念日に挟まれたこの日も街はお祭りの雰囲気。夜遅くになっても出歩く人も全然減りません。移動遊園地みたいのがあったし、縁日のような出店もたくさんありました。出店ではサンダルを16元(240円くらい)で購入。安いなぁ。他にも偽のブランドものの財布が一律10元で売ってたりして面白かったです。途中であやしいマッサージの呼び込みに捕まりそうになったりしつつ、卓球場やローラースケート場、カラオケなど、桂林の地元の人たちの娯楽も目にしたりしました。

その後、スーパーに寄ってビールやツマミなど買い込んでホテルに帰還。だらだらと深夜まで飲んでから寝ました。明日は6時起きで北京へ向かわなくてなりません。

※2004年10月10日投稿。投稿日時を9月29日に修正。

鍾乳洞。(チャイナ周遊6日間/2日目の4)

2004-09-29 16:00:00 | 旅行系
高田郷を回った後、時間が空きました。オプションとしてマッサージやら京劇やらを勧められるけれど、やはり気乗りしません。そういうのはもっと年配の旅行客に勧めて下さいって。またもガイドブックを見て、今日決めたのは鍾乳洞見物でした。漓江下りで見たカルスト地形の山々の通り、桂林は石灰質の多い地質。そのため侵食もされやすく、鍾乳洞が大変多いのです。確認されているだけで、大小207個とか言ってたかな。市内から遠くなく、比較的有名な芦笛岩鍾乳洞に行ってみることにしました。

入り口の売店前で入場順番待ちさせられているうちに、またも売り子に捕まりました。漓江下りの船の中でも見かけた写真集に少しだけ心が残っていて見入ってしまっていたのです。値段を見ると150元なり。船の中では120元までマケるとか言ってたよなぁ。捕まりついでに、当然のようにディスカウントを申し出ました。
「140元にするよ」。お話にならない。「じゃあ125元」。ふむ。やはりそのヘンが相場なのね。でも、陽朔の西町で、同じ写真集が70元で売っていたのを実は目にしていたのです。まあ西町ですからコピーの可能性はあるけれど(笑)。

自分的ボーダーラインを70元に決めて、陽朔では50元で売っていたからマケろと交渉を継続しました。ただここでは無茶な値段設定だったらしく、どう頑張っても100元でストップ。そして鍾乳洞に入れる時間が来たのでここで終了。結局買いませんでした。

鍾乳洞の中はひんやりとして心地良かったです。ガイドの人に、老人に似てる鍾乳石とか紹介されます。龍に似てるもの。キノコに、野菜に、雪ダルマ、トカゲ。言われて意識して見れば、確かにそのように見えます。でもあまし興味は湧かなかったなぁ。何かに似てるとかよりも、単純に、目の前にある石が驚嘆に値すると思ったので。奥まで続く鍾乳石に、ただただ感心します。

途中で地底に大きく広まった空洞に行き当たりました。80m×100m。天井も高く、まるで音楽用のホールのような感じ。思わず大声で歌いたくなりましたが、つららが降って来ても困るので止めておきました。日本でも日原鍾乳洞とか行った事がありますが、芦笛岩の方が廻れる部分は大きいように感じたなぁ。ただライティングは少し過剰で、後半は食傷気味だったけれど。ゆっくりまわって一時間くらい。それなりに楽しめました。

この後、旅行会社と提携しているであろう土産物屋に寄りました。ここの売り込みはしつっこくて辟易しました。壷とか掛け軸とか、興味の無い若い独身男性に売ろうとしたってムダに決まってるじゃない。「元々買う気もなくて連れてこられて、興味も無いし価値も分からないしいらないから」。答えると店員の1人が偉そうに言います。

「あなたが価値を分からなくても、何年もこの掛け軸を売ってる私が言うんだからこの掛け軸が価値があることは間違いない。買いなさい」。

何なんだよ、その理屈は。あと何度も言ってたのが、これは中国で一番の先生が描いた物だからってヤツ。アレもコレもソレも皆中国で一番の先生の作品。中国に何人居るんだよ、一番の先生。もういい加減イヤになって、すぐ帰りたいからタクシーを呼ぶようにガイドさんに伝えました。

「絶対買わないから諦めなよ。次の人に倍売れば良いじゃん。いい加減帰らせて」

言い残してショップを後にしました。こういったショップに寄る事はツアーに組み込まれてて、仕方ないことだと思って受け入れてるけど、あまりにしつこいのはどうかと思います。気分を激しく害される。「次は、大人の対応で大人しく無視するだけにするよ」。友人達に宣言すると、皆口々に言いました。「それは絶対にムリだね。きっと君は黙ってられないよ」。はい、その通りです…。

※2004年10月10日投稿。投稿日時を9月29日に修正。

ザボンの買い食い。(チャイナ周遊6日間/2日目の3)

2004-09-29 15:00:00 | 旅行系
漓江下りのゴール地点、陽朔はとても暑かったです。天気がかなり良くなったこと、桂林よりも南に位置することもあり、体感で気温は32度くらい。『地球の歩き方』によるとこの陽朔の西町、ロクな物が売ってなくてボッタクリ。スリも多いとなっています。確かに物売りも多く、タカリも数人見かけて正直あまり気持ちいい町ではありませんでした。

Tシャツの店とか多少は興味があったものの、その場を早く離れたい気持ちの方が強く、迎えに来たタクシーに乗ってすぐに立ち去ってしまいました。後でビデオでチェックしたら結構楽しげな喫茶店とかあったんですよね。あまし急いで離れる必要は無かったかも知れません。ただエジプトの時も感じましたが、個人的にタカリはどうも受け付けないんです。目が見えないフリ、足が不自由なフリ。いや本当に不自由なのかも知れないけどね。耐えられない。精神的に強い人間ではないもので。

西町の次に向かったのが田郷です。山々に囲まれた牧歌的(?)風景。このあたりで一番の景色とのこと。道路をガンガン通る車が少し気になりましたが、ナイスなVIEWポイントに仲間共々大喜び。何枚か写真を撮りました。車を降りた時から、柑橘系のフルーツのいい匂いがしてたのですが、どうやら道路沿いに売っているザボンの香りのよう。タクシーに乗り込む直前になって、気になって売り場前で足を止めてしまいました。

あまし買い食いに積極的でない友人に一言。「買い食いには、お金で買えない価値があるんだよ」。赤ん坊の頭より一まわり大きなザボン。やはりとてもいい匂いがする。値段を聞くと、甘い方が3元で、酸っぱい方が5元とのこと。値段の付け方間違ってませんか? 友人の1人が甘い方を購入。もう1人も買いたいと言うので酸っぱい方を勧めるも、彼も甘い方にしてしまいました。何だよ、ツマらないじゃん。仕方ないので自分で酸っぱい方を購入。

結果としてはこれが正解。酸っぱい方ってのは瑞々しくてちゃんと甘味もあり大変美味でした。一方甘い方というのは、実は甘いというよりのも単に瑞々しさが抜けた感じ。乾燥しちゃって、水気も酸味抜けちゃって、結果として甘さだけが少し残ってる。ハッキリ言って美味しくはない。

実際、僕のザボンを少し分けてあげたら、食べた後、彼らは甘いと言われて買ったザボンを捨ててしまいました。酸っぱくはないけど、パサパサして不味い。もう食べたくない、と。こういうのはやはり買ってみないと分かりませんよね。日本人との味覚の違いなのかもしれませんし。中国に来て2日目にして初めての買い食いでしたが、とても満足しました。

※2004年10月10日投稿。投稿日時を9月29日に修正。

漓江下り。(チャイナ周遊6日間/2日目の2)

2004-09-29 13:00:00 | 旅行系
衝撃は突然にやってきた。一番上層の甲板に上がって30分、川面の前方はるか先に見えてきたのは確かに『水墨画の世界』だった。海底から隆起した石灰質の山が、長年の雨風にさらされて侵食された景色。カルストとか言うんだっけ。写真では何度も観た幻想的な風景が、今は目の前に広がって、それだけで震えが来るほどに衝撃を受ける。これが漓江下りなんだ…。

外国人観光客向けの船は、他の船に比べて大きめでキレイに整備されていた。食事の出来るフロアが上下二層になっていて、その上の甲板も他の船のそれよりは明らかに高い位置にある。出航して、漓江下りの見せ場までは30分近くありますからしばらくはのんびりして、というガイドの声も耳には入らず、僕はすぐに船室の外へと飛び出した。他の欧米系の若い観光客も何人かついてくる。最上層への階段には『立入禁止』の札とロープが張られていたが、待ちきれない僕らの様子を察して船員がすぐに札を外してくれる。いざ、屋上へ!

明け方まで降っていた雨はすっかり晴れ上がり空は青い。風も強すぎず、冷たすぎず心地良い感じ。そして何よりも、漓江の川の水はキレイだった。透き通っていて、多分水深3mくらいあると思うのだけど、その水底の石までがくっきりと見える。よく茂った水草も印象的だ。最初は屋上に上がって来なかった友人たちも、半刻と立たぬうちに全員が屋上に上がってきた。

竹江という船着場の名前の通り、川の左右には竹がよく茂っていた。川岸のこの景色は、漓江の下流までずっと続く。途中、椰子やシダ植物か何かと思ったら竹が極端に寄って茂りすぎて束になったものだった。川で何度か見かけた小舟も全て竹製。このあたりの生活に竹は密接な関係がある。

河原が広く、川幅が狭いなぁと思っていたら、なんと漓江はここ2ヶ月ほど雨不足で、水位が1、2mも下がってしまっているとのこと。それだけ水量は減り、河原が広がってる。残念。もし水が多ければ、切り立った山と水面だけという光景を目に出来たハズだ。まあ今、目の前の光景も十分絵になってるけれど。

途中、山に群れる大量の山羊を見た。斜度70度以上あろうかという岩肌を軽快に山羊たちは走ったりしている。さすがに山のヒツジだと思った。また、水牛も実物を目にしたのは初めてだ。2m以上もある巨大な水牛が、水辺で水遊びをしている。と、なんと水辺だけでなく、川に完全に入り、泳ぎながら水草を食べる姿もあった。なるほど確かに水のウシだ。僕は牛年なのだけど、同じ牛なら出来れば水牛の方が心地良さげでいいなぁ。

漓江の見所は続き、母子が夫の帰りを待ちわびるという望夫石。蝙蝠山。親指山。9頭の馬の岩。桃源郷へ抜けるという岸壁の鍾乳洞、冠岩幽洞。サントリー烏龍茶のCMで使われたポイントなど。ランチタイムとなり、他のグループが船内に食事しに消えた後も、甲板にはうちらだけが残り、ずっと風景を楽しんでいた。そして時間を大分過ぎてからようやく食事。

船内の食事ですが、
茄子の天婦羅、五目卵炒め、肉団子と人参きゅうりピーマンの炒め物、里芋と鶏の煮物、モヤシ、木耳と白菜と厚揚げの炒め物、草魚のフライ餡かけ、春雨と花のスープ、塩ピーナッツ、昆布の佃煮ぽいの、豆腐ようぽいの、ゴハン、バナナでした。これらの料理は、全て船の後部が調理場になっていて、そこで作ったものです。ここで飲んだ桂林ビール(Guilin Beer)が、僕的には中国6日間で一番美味しいビールでした。


食事を終える頃には外の景色もひと段落し、切り立った山などは殆ど無くなり緩やかな山へと変わっていた。食堂でそのまま休憩する仲間たちを残し、ひとりまた屋上に戻って水墨画の世界の余韻を味わう。来て良かった。本気で、そう思える、まったりと安らぐ充実した時間。素晴らしい。日差しは段々と強くなっていき、帽子がないとキツイくらいになった。身体も心も既に満腹になった僕は、船内に戻り陽朔-漓江下りのゴールまで軽くうたた寝をしたのだった。

少し気取ってエッセイぽく書いてみました。

※2004年10月8日投稿。投稿日時を9月29日に修正。

桂林の朝。(チャイナ周遊6日間/2日目の1)

2004-09-29 10:00:00 | 旅行系
9月29日。
ついに待望の漓江下りの朝がやってきました。興奮のせいか、いつもの習慣のせいか。前日歩き疲れているのにもかかわらず、朝6時過ぎには目覚めました。朝食は7時から。食後8時に出発し、漓江下りの船が出る竹江へと向かうスケジュールです。朝食までの少しの時間を利用して、荷物の整理やら昨日着てた服を洗ったり。僕は朝に滅法強く、目覚めて2秒後にはフルスロットルで行動出来ます。たいして自慢できるコトではありませんが(笑)。

桂林帝苑酒店の朝食バイキングはかなり充実しておりました。
パンやヨーグルト、ハムソーセージ、温野菜、焼きトマト、果物各種など、洋風バイキングメインでしたが、桂林名物のビーフンなど中華風の物もチラホラ。パンに混じって月餅があったのが驚き。中華の代表的なお菓子として知っている月餅ですが、実は本場中国では中秋の名月の時期にしか食べないようです。月を眺めつつ食べるの、日本の月見団子みたいなものね。ちょうど昨日9月28日がまさに中国の旧暦で中秋の名月にあたるのでした。

朝食ですが、デニッシュ、マフィン、シリアル、蓮根と蒟蒻と人参の煮物、スクランブルエッグ、ソーセージ、ハム、ベーコン、レタス、トマト、キャベツのガーリックバター炒め、フライドポテト、牛乳、トマトジュースなど。

バイキング形式なので書くと多いなぁ(笑)。キャベツのガーリックバター炒めが美味しくて、たくさん食べてしまいました。あとプチトマトがフルーツみたいに甘かったです。ビーフンにも少し惹かれましたが、確か夕食で名物料理として頂くので朝は遠慮しておきました。そう言えば、中国の蒟蒻を初めて食べましたが、水分多いのか妙に柔らかいの。歯応えがなくて、個人的には日本の蒟蒻の方が好きだなぁ。

朝食後、時間どおり迎えに来たタクシーに乗って、漓江下りのボート乗り場のある竹江に向かいました。元々は漓江下りは桂林市内から出発していたそうですが、時間がかかりすぎる事と、見所が市内より少し下った所から続くので、スタート位置を下流にしたそうです。この竹江は外国人観光客用の船乗り場。ちなみに中国人観光客は竹江より少し上流の磨盤山にあります。

市内から各乗り場へは観光用の高速道路が整備され、とてもキレイでした。桂林は観光地で特に開発に力を入れているそうで、市内にあった工場は次々と郊外へ移転。別荘などのマンションも増え、道路も整い、繁華街には夜遊べるスポットも充実してきているとか。どうせなら空港ももっと整備して、日本から直接来れるようになるといいのにね。

高速道路をかっ飛ばして、午前9時前に船乗り場に到着しました。

※2004年10月7日投稿。投稿日時を9月29日に修正。

女の子に大感謝。(チャイナ周遊6日間/1日目の3)

2004-09-28 20:00:00 | 旅行系
異国の地で迷子の僕ら。

24時間営業のチェーンの喫茶店ぽい作りのお店があったので、入り口に立っていた女の子に英語で話し掛けて道を尋ねました。英語は詳しく無さそうなものの、ジェスチャーもあって通じたみたいで、彼女は『地球の歩き方』の地図を見て「この先を右行って左じゃない?」みたいな事を中国語で返します。言われた通りに進んでみるも、やはり見つからない。近くの道路を何度も行ったり来たり。同じ所を何度も回っているうち、約束の時間はすっかり過ぎてしまいました。

「せめて英語で、詳しく道聞ける相手がいないかなぁ」
街中を歩く人には日本語どころか英語もほとんど通じない人ばかりで、途方にくれる僕ら。とりあえずガイドの祝さんの携帯に電話することに決めましたが、誰もコインも中国のテレカも持ってません。テレカの売ってる場所や、英語の通じそうな人を求めてまた歩き始めます。

先ほどの喫茶店の前を通ると、通を教えてくれた彼女がまだ立っていて目が合いました。『やっぱり店が見つからないよ』と大きくジェスチャーを送る僕。彼女は不思議そうな疑問のジェスチャーを返してきます。改めて近付き地図を見せました。ジェスチャーで、言われた通りに行ったけど店が見つからない、お手上げだよ、と伝えました。

英語の通じない彼女は、店内から同僚を呼びました。彼に英語で泮渓酒家の場所を聞くも、やはり知らないようです。そのうち店長らしき人が出てきましたが、彼も知らない様子。3人で頭を付き合わせて相談してるうちに、彼女がエプロンを外して店長に預けました。道に出て身振りでついて来いと促します。ありがたい! どうやら道案内をしてくれるらしい。仲間たちに声をかけ、彼女の後を着いていくことにしました。

地図を見ながら彼女の向かう先は、しかし僕らが何度も歩いた場所と同じあたりでした。少し行ったりきたりをして、どうやら『地球の歩き方』に載ってる住所の場所にお店が無いことが判明。ちょうど工事中の場所とかあり、どうやら移転しているらしい。だめじゃん、地球の歩き方。今年版のくせにてんで頼りにならないじゃん。

案内してくれていた彼女が、ちょうどたむろして休憩していたタクシーの運転手を捕まえて道を聞いてくれました。移転先は同じ市内の、しかし手持ちの地図からははみ出した場所でした。聞いた場所にサクサクと進む彼女の後を付いて行って、19時10分。約束の時間から40分ほど過ぎてようやく目的の泮渓酒家に辿り着けました。道案内してくれた女の子に大感謝!

お礼の言葉も上手に中国語で伝えることも出来ないし、せめてと思いお礼を渡そうとしたのですが、彼女が笑顔で、しかし断固として受け取ってはくれませんでした。ただひたすらに仲間皆でお礼の言葉を伝えるに留めます。いや本当に助かりました。彼女が思っていた場所に店があればきっと数分のところ、多分何倍もの時間を案内に費やしてくれたことと思います。言葉も通じず、名前も聞けなかったけど、あらためて彼女には感謝しています。

ガイドの祝さんにも心配をかけましたが、よく思い出してみれば、繁華街向かう前に僕、出来れば先に夕食食べる場所を確認してから散歩したいって主張はしてたんですよね。祝さんが車が停めにくいとか、お店は有名ですぐ分かるとか言って結局お店には寄らずに繁華街行ってしまったのだ。だからこの迷子を未然に防げる可能性を潰した要因の一つは祝さんにもあると思うぞ(笑)。

さて予定より大分遅れ、かなりの空腹で食べた広州料理は大変美味しゅうございました。

出てきた広州料理は、
魚介揚げ練り物、ワンタンスープ、炒飯、揚げ春巻、チンゲンサイの炒め物、揚げ餃子、エビシュウマイにニラシュウマイ、求肥ぽい餅、正体不明の寒天みたいなの。
ビールは『珠江啤酒』を500mlくらいでした。


夕食後は、広州空港へ。出発ゲートがまったく正反対の場所に変更になり多少歩かされたりとのトラブルもありましたが、時間どおり無事に搭乗は完了。

南方中華航空の機内で出た夜食は月餅2つと、パンとオレンジジュースのみでした。

桂林空港で現地ガイドの趙さんと合流しホテル『桂林帝苑酒店』に向かいます。チェックインを終え、部屋に着いた時には24時を越えており、この日はそのまま就寝となりました。一日目から、充実した一日だったなぁ(笑)

※2004年10月5日投稿。投稿日時を9月28日に修正。

広州の街を堪能して。(チャイナ周遊6日間/1日目の2)

2004-09-28 19:00:00 | 旅行系
広州の名所を二ヶ所廻り、その後はポッカリと時間が空きました。日程としては、この後夕食を食べ、飛行機で桂林へ。ただ、この桂林行きの飛行機の時間が、広州に着くまで知らされていなかったんですよね。いざ判明したのは22時20分発の桂林行最終便だってこと。鎮海楼を出たのは16時過ぎで、夕飯を食べるだけではあまりにも時間が余ります。

元々僕らにとって広州は桂林への経由地程度に考えてたので事前調査もあまりしてません。ガイドの祝さんからはマッサージやお茶やらを勧められましたが、これも気乗りしない。だって興味ないし。ガイドブック睨みつつ出した結論は、広州の街での自由行動でした。夕食を食べる予定の泮渓酒家は有名ガイドブック『地球の歩き方』の地図にも載ってる有名なお店みたいだし、向かうのは簡単だろうと。2キロほど離れた市中心部の繁華街までタクシーで行き、そこで祝さんと別れました。18時半に泮渓酒家で合流する約束で。

ガイドもいない初めての中国の繁華街ということで、多少の緊張をしつつ広州の街を歩きます。服屋がとても多い、なんだか原宿みたいな雰囲気。Tシャツが20元(280円)とか、靴が39元(546円)で、物価の安さに感動します。いや、まだ初日なんでイキナシ買い物にハマるつもりはないけれど。屋台で怪しげな肉とか焼いて売ってるのがちょっと違うけど、後は日本の繁華街とあまり違わないなぁって思いました。

さて、一時間ほど繁華街の雰囲気を堪能し、泮渓酒家の方角へ向かうことにしました。繁華街の中心を外れると、急に町が寂しくなってきます。窓が割れたままの家、ひび割れのヒドい道路。洗濯物がたくさん軒に干された路地裏とかは、エジプトのそれに似た雰囲気を醸し出してます。途中ショートカットしようと、かなり寂れた路地裏などを歩けば、開けた場所には瓦礫の山。こういう街中を見てみたかったんだよ。勝手な事を話しつつ歩いて行きます。

そんなこんなウロツイテるうちに、約束の18時半が近付いてきました。少し急ぎ足で地図の通り目的の店に向かいます。

が。

なんと店が無い!

地図では確かにあるはずの場所に、しかしその泮渓酒家がありません。いや、参りました。有名な店なハズとのことで、その辺の人に道を聞くも誰も知りません。ガイドもいない広州の街で、目的地が見つからない僕らはまさに迷子です。

※2004年10月5日投稿。投稿日時を9月28日に修正。

出発から広州まで。(チャイナ周遊6日間/1日目の1)

2004-09-28 18:00:00 | 旅行系
9月28日。
成田空港カウンター8時集合とのことで、京成電鉄などを利用して時間前に到着しました。メンバー5人で行く中国旅行。僕より前に来ていたのは1人。僕の後すぐにもう1人が来ましたが、残りの2人が8時になっても一向に現れる気配無し。結局1人は10分遅れ。最後の1人は25分遅れでした。先が思いやられるなぁ。

朝食として、コンビニで買ったオムスビ2個をここで食べました。

10時発の日本航空にて、一路中国は広州へ。飛行機に乗るといつもストップウォッチで飛行時間を計測するのですが、広州までは4時間12分でした。通算4度目の海外旅行。各シートに小型モニタが付いてるタイプは実は初めてです。リモコンで操作してテレビ見たり、ゲームやったりも出来るのね。面白い。僕は飛行機搭乗中は映画!てイメージがあるので、早速チャンネル変更。観たのは『キャシャーン』ですが、感想はまた別の機会に。

機内食ですが、
 鳥の竜田揚げ野菜あんかけゴハン添え、中華風アペタイザーとポテトサラダ、
 フレッシュサラダ、クリームカラメル、ロールパンでした。
 機内ではビール350ml、赤ワイン540ml、リンゴジュース1杯。


広州に降り立って、まず第一印象は暑い! 外気30度くらいありました。空港内の銀行にて一万円を中国貨幣に両替、736元9角也。1元が約140くらいね~っと大まかに覚える。広州空港はとても広く、そしてとても新しくて綺麗。現地ガイドの祝さん(中国人)によると、なんと200億元かけて8月5日に完成したばかりとのこと。流線型のデザインも素晴らしく、離れて見る遠景はまるで『インデペンデンスデイ』の宇宙船のようでした。(あとで気付いたけど、持ち帰った『中国民航』という機内誌にもグラビア入りで特集記事ありました。中国語でよくは分からないけど、国内最大らしい。)

さて、タクシーにて広州市内に移動したのですが、市内はそれなりに発展し、日本の地方都市のようです。高速道路もあり、高層ビルもある。建築中や解体途中のビルも多い。トローリーバスとかあって雰囲気ある。自転車は思ってたより多くないなぁ。車とバイクが結構多くて驚きました。食在広州-食は広州にあり、で知られていますが、商業都市でもあり、国内では4番目の都市だそうです。

僕ら的には桂林へ行くための経由地くらいな気持ちでしたが、ツアーとしてはちゃんと観光地巡りが着いています。まず寄ったのが中山紀念堂。中国建国の父と言われる孫文(孫中山)の記念堂です。柱の無い作りとか採光が特徴あるって言ってたなぁ。中には舞台があり、何かコンサートの準備みたいなことをしてました。トイレは奇麗で、個室にはちゃんと扉もあり、いわいるニイハオトイレでは無かったです(笑)。ちなみに、紀念堂前には赤い花が咲いていたのですが、これは葉がバナナに似てるので『美人バナナ』という名が付いているそうです。

続いて向かったのが広州博物館です。鎮海楼という建物を使った市立博物館で、1階から5階までで古い順に宝石などの芸術品や時計、ミシンなどの民俗品があります。解説してくれた学芸員みたいな人が、最上階で無造作にヒスイの作り物を触らせてくれる。と思ったらこれ売り物なのね。他にも掛け軸や絵画の売り込みがありました。芸術品とか、興味ない人にかなり強く売り込みをするの勘弁して欲しいよね。ツアーの一部なので仕方無いと思うけどさ。宝石や絵画宣伝されても絶対買いませんから。

※2004年10月4日投稿。投稿日時を9月28日に修正。

週間中国悠々紀行。

2004-09-27 19:32:43 | 旅行系
そういえば昨日、電車の中である吊り広告を見かけました。
週間中国悠々紀行創刊。
吊り広告によるとANAとのタイアップ企画にもなっていて、
小学館では全50冊の週間紀行本を発刊。
ANAではそれに関連したツアーを提供というコラボレーション。

まあ以前からあったコトなんだろうけどさ。
海外旅行に目覚めたのはごく最近のことなので、
結構興味深く吊り広告眺めてました。


内容を見ると、創刊号が万里の長城で、
同時発売の第2号が桂林
謀ったように、僕の明日からの中国旅行と重なっています。
まるで、買えと言わんばかりに。

…当然のように買ってしまいました。
創刊記念特別定価でしたし。

開いてみると中には美しい写真がたくさんあります。
素晴らしい! 
もうすぐホンモノが見れると思うと、気分はますます高まります。

が。

いつも思うんだけど、
こういう『週間~』って写真入りのガイドブックって高いよね。
デアゴスティーニとかがよく出してて、いつも思う。
値段に対しての、情報量がどうしても物足りなく思うのです。

例えば中国悠々紀行だとオールカラー36p、定価560円。
全50冊揃えると3万円近い。
今回は特別定価だから良いけど、
好きな人は今後その値段で買い続けるのかなぁ。

きっと全部揃えないと落ち着かないというマニア心も刺激して、
こういった『週間~』シリーズは売れてくんだと思います。

※僕は、中国悠々紀行は多分今後買わないと思います。

日程など。

2004-08-25 22:13:06 | 旅行系
秋の中国旅行ですが、正式な日程など。

・初日
 日本航空にて広州へ。
 中山記念堂鎮海楼を回り、飲茶を味わってから桂林へ。桂林泊です。
・二日目
 漓江下り。陽朔・西街・高田郷観光。桂林泊。
・三日目
 >北京。天安門広場・故宮博物館・景山公園。北京ダック食べて北京泊。
・四日目
 万里の長城(八達嶺)、明の十三陵(定陵)。
・五日目
 延泊に伴うオールフリー。
・六日目
 >空港より、日本航空にて帰国。

重要なのは、やはり五日目のオールフリーですね。
あとはツアープランでそれなりに回れますので。

北京で一日あって何ができるのか?
かなり微妙なわけですが、天安門以外のどっか廻りたいと。

実はよく分からないし、ガイドブックは買ってみました。
まっぷるマガジンの中国「北京・上海・西安」。
…魅力的な場所ありすぎ。
悩んでるわけですが、参加者各々ガイドブック買って検討してるハズなので、
次回の会合に持ち越しです。
個人的には世界遺産の天壇公園廻ってみたいなぁとか思ってる。
でもそれ以外にも見所はいくらでもありそうだしね~。
さてさてどこになりますことやら。
乞うご期待。