耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“遺伝子組み換え食品”をあなたは食べていませんか?

2007-10-30 08:58:56 | Weblog
 「因縁の対決」などと騒がれた過日の予算委員会における福田首相と田中真紀子議員の討論を見ていたら、このブログでもふれた(3月17日『行き先に見える“食糧難”』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070317)ことのある作物の“タネ”について、田中真紀子議員が数種類の市販商品をかかげて「これはみんな外国の“タネ”だが、首相は承知しているか」と尋ね、首相は「知りませんでした」と答えていた。花屋やホームセンターあるいは農協(JA)などはもちろん、信頼できる古い“タネ物屋”でも、田中真紀子議員が言うように“タネ”はアメリカを主とした外国産で、わが国固有の大根の“タネ”など探してもなかなか見つからない。

 予算委員会の折角の討論も、なんでこうなったかつまびらかにされず仕舞いだったが、新鮮で安全な野菜づくりに取り組んでいる当方からすれば、まず“タネ”の確保が頭痛の“タネ”なのである。しかも、この“タネ”が「遺伝子組み換え」されているのだから話はますます厄介なのだ。

 「グリーンピース・ジャパン」発行の『トゥルーフ-ド・ガイド(True Food Guide)~食べていませんか? 遺伝子組み換え食品』によれば、「遺伝子組み換え食品」を次のように説明している。

 <ひとつの生物から遺伝子を取り出し、他の生命体に導入して、今まで自然界に存在しなかった生命体を作り出すのが、遺伝子組み換え(GM:Genetic Modification)技術で、そこから作り出された生命体が遺伝子組み換え生物(GMO:Genetically Modified Organism)です。

 バクテリア、ウイルス、植物、動物などから取り出した遺伝子が、大豆、米、パパイヤ、トウモロコシ、ナタネ、綿などの遺伝子に組み込まれます。この遺伝子組み換え技術で、特定の害虫に強い性質(害虫殺虫性)を持つ作物や、特定の除草剤の影響を受けない性質(除草剤耐性)を持つ作物が作り出されています。

 こうした遺伝子組み換え作物や、その作物を原料として使っている食品が遺伝子組み換え食品です。>


 「遺伝子組み換え食品」の安全性に関しては、“科学的”な結論が出ていないといわれているが、わが国(厚生労働省)は原則的に「遺伝子組み換え作物」を否定しない立場をとっているとみていいだろう。ただ、厚労省は2001(平成13)年4月1日「食品衛生法施行規則」を改正して「遺伝子組換え食品に係る表示の基準」を「食品およびその加工品について、以下の区分により表示を行うこと。」とし、「遺伝子組換え」「遺伝子組換え不分別」「遺伝子組換えでない」ことの表示を新たに義務付けた。

 参照:「厚労省ホームページ」http://www.mhlw.go.jp/topics/idenshi/

 『トゥルーフード・ガイド』は国のこの規制措置を批判している。

 <現在の日本の法律では、遺伝子組み換え原料を使用した商品への表示義務が非常にゆるく設定されています。そもそも、原材料の3番目までしか表示義務がなく、遺伝子組み換え原料が使われていても、そのように表示する必要がないもの(油・醤油などの食品や家畜への飼料)や、基準があっても含まれる量が5%以上でない限り表示しなくてもよいもの(大豆・トウモロコシ・ナタネを原料とした食品)があるのです。
 さらに、5%未満の基準を満たしていれば「遺伝子組み換えではありません」と表示することが可能なため、表示に頼って買い物をしても、遺伝子組み換え食品を避けることができないのが現状です。
 この日本のゆるい法規制が、多くの食品に遺伝子組み換え原料の使用を許してしまっているのです。>

 「遺伝子組換え食品」を見分けるにはどうしたらいいか、という消費者の要望からこの「ガイドブック」はつくられた。【トゥルーフード】とは何か、次の三つをあげている。

① 遺伝子組み換え原料を使っていない食品です
② 環境とわたしたちの健康をまもることにつながる食品です
③ 持続可能な農業を支援する食品です

 グリーンピースは、遺伝子組み換えでない商品をあきらかにするために、2006年5月19日から主要食品会社へ書面や電話によるアンケートを実施し、その結果を独自の評価システムにより商品を【グリーン】と【レッド】に分類、手のひらサイズの「ガイドブック」にまとめたのである。内容は「主食とおかず系」「調味料系」「嗜好品系」に分け、たとえば「調味料系」の「植物油(マーガリンを含む)」の項をみれば「ごま油、ひまわり油、オリーブオイルは遺伝子組み換えではありません」との添え書きがあって、【グリーン】2商品と【レッド】20商品があげられている。醤油や味噌、菓子類やアイスクリームなど他品目にわたって記載されているので、「安全」志向の消費者には喜ばれるだろう。

 『トゥルーフード・ガイド』については次で詳しく知ることができる。

 「グリーンピース・ジャパン」:http://www.greenpeace.or.jp/


 さて、疑問なのはいったい“だれが開発しているのか”である。この「ガイドブック」にはこう書かれている。

 <世界の遺伝子組み換え作物の90%以上はアメリカに拠点を置くモンサント社という農業化学大手企業が開発しています。

 モンサント社はアメリカ政府から多大の支援を受け、ベトナム戦争中には米軍が撒布した枯葉剤(Agent Orange)を生産したり、1976年に使用禁止になった有害なPCB(ポリ塩化ビフェニル)を生産したりしていました。

 モンサント社の他には、シンジェンタ社(本社スイス)、バイエル・クロップサイエンス社(本社ドイツ)、デュポン社(本社アメリカ)などがあります。

 これらの会社は、開発した遺伝子組み換え種子の特許を保持しています。このため、遺伝子組み換え作物を育てる企業の農地から、隣接する遺伝子組み換え作物を扱っていない農家へ遺伝子組み換え種子が紛れ込み、その農家側が特許を持つ企業から訴えられるという事態が起こっています。

 遺伝子組み換えは、人類が農業を始めて以来築き上げてきた地域農業の権利を脅かし、農業を根本的に変質させ、そして環境も破壊しています。>


 「科学」が人間に多大の恩恵をもたらしたことに異論はないだろう。いま使っているこのパソコンだって、まるで「魔法」のような仕掛けを持った「代物(しろもの)」で、生活の必需品になっている。だが、「光」には「影」がある。インターネットの世界で犯罪や事件が頻発しているのも「影」の部分とみてよい。医学の先端技術である「移植」や夢のエネルギーといわれる「原子力」もいまだ不分明な部分が多すぎる。まして、健全な発育・成長に欠かせない食物の「安全」が保障されないようでは人類の危機である。少なくとも「食」の問題は生産者の論理に依拠するのではなく、消費者が主導権を持ってしっかり掌握しておくべきだろう。

 参考までに「遺伝子組み換え」に関する情報をリンクしておく。

 「遺伝子組み換え食品いらないホームページ:http://www.no-gmo.org/

 「ニュースアーカイブ」:http://wiredvision.jp/archives/200402/2004022402.html

“犯罪”は誰が取り締まるのか?

2007-10-28 10:55:34 | Weblog
 国の機能は錆び付いてしまって作動しなくなったのではないか。そう疑われても仕方がないような不始末が頻発している。酷いのは「薬害C型肝炎」被害である。「薬害エイズ」の教訓が全く生かされず、またも“不作為”の殺人・障害事件を起こしたのだ。「感染リスト隠蔽」当時の厚生労働大臣は公明党の坂口力。

 厚生労働省は社会保険庁のデタラメをはじめ、トヨタ、キャノンなど大手企業の「偽装請負」黙認などまるで“犯罪集団”の観さえある。農林水産省の「緑のオーナー制度」や国土交通省の「偽装建築」も“サギ”そのものだろう。しかも、いま話題の防衛省では「給油量」を隠蔽して過少報告し、余剰国費を米国に上納(?)。「ぼやき漫才」の人生幸朗が生きていたら「責任者出て来い!」で済まさないだろう。

 
 国の犯罪は目も当てられない状況だが、犯罪を「取り締まる」元締めの警察が組織ぐるみの犯罪を犯しているのだから開いた口がふさがらない。警察・検察によるでっち上げ逮捕の続発や「裏金」問題は組織犯罪というべきおぞましいものだ。

 警察の「裏金」作りは1984年に、警視監だった松橋忠光氏(故人)が自著『わが罪はつねにわが前にあり』(オリジン出版センター)で明らかにしたのが最初で、1990年代には、警視庁や熊本県、長崎県などで断片的に報道されていたという。2003年11月から約二年にわたって「裏金」報道を続けた北海道新聞は、警察の「犯罪」に始めて光を当てたものだった。

 参照:http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/housyouhi/document/

 北海道の場合、告発人はすべて退職者OBだったが、愛媛県警の仙波敏郎氏は現職でありながら「裏金」の存在を告発し、組織的な嫌がらせを受けてきた。仙波敏郎氏について若干紹介しよう。

 仙波氏は58歳、2年前に告発にふみ切ったが、消防署長を刺殺し服役中の消防士の長男を刑務所に訪ね、「告発したら、もう面会に来れなくなるかも知れないが、いいか」と聞く。長男は「親父が最後まで自分の意志を貫き通すことを支援する。そのために、親父が面会に来れなくなってもかまわない」と言った。次男、三男も了承してくれた。刑務所の長男のことを最後まで気にかけてガンで逝った妻の墓前にも報告した。3歳の時に父をなくし、現在83歳の母がいるが、告発の翌日に生まれてはじめて母は携帯電話を買い、今でも毎朝電話がかかってくる。
 「生きとるか? 朝ごはんは食べとるか?」

 参照:JanJanニュース「警察の真実」http://www.news.janjan.jp/living/0710/0710274647/1.php
 
 これだけで、仙波敏郎という人物が彷彿とするだろう。
 
 やむを得ず、仙波敏郎氏は告発記者会見直後に「配転」などの処分を受けたのは不当だとして、愛媛県・愛媛県警本部を相手取って損害賠償請求訴訟(国賠訴訟)を松山地裁に起こした。その判決が去る9月11日に松山地裁であり、請求どおり100万円の損害賠償を認める原告全面勝訴をかちとったのである。

 参照:http://www.ehime-np.co.jp/rensai/sosahi_fusei/ren127200709121679.html

  ところが、県はこの判決を不服として高松高裁に控訴する議案を県議会に提出、定数48のうち38を占める自民・公明・新政クラブの圧倒的多数で可決した。民主・社民は反対にまわったがこれはポーズだけで、一貫して追及の姿勢を崩さなかったのは共産・環境市民の二人だけだった。二人の主張のほんの一部を引く。

 佐々木泉(共産)=仙波巡査部長の配置転換処分を取り消した県人事委員会裁決、県警の再審請求の却下、さらに今回の敗訴と三連敗を喫したとして、「県警は裁判に熱中するのではなく、信頼回復と本来業務に邁進すべきだ。」

 阿部悦子(環境市民)=「県議会は県警の主張は繰り返し聞いているが、仙波巡査部長の話は聞いていない。県と県議会は機能不全に陥っている。判決は大方の県民が支持しており、政治不信の時代に県民の期待を裏切らないためにも控訴を取り止めるべきだ」

 参照:http://www.ehime-np.co.jp/rensai/sosahi_fusei/ren127200709221864.html

 なお、「仙波さんを支える会」のホームページを見れば、愛媛県政の歪んだ歴史を詳しく知ることができる。

 「仙波さんを支える会通信:http://ww7.enjoy.ne.jp/~j.depp.seven/
 
前にも引いたことがあるが、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」(イギリス歴史学者ジョン・アクトン)という有名な言葉がある。わが国において、これまで国家機関が犯した罪過が国民の前に包み隠さず明示され、真摯に反省と謝罪がなされ、責任者が特定されて断罪されたことがあっただろうか。個人のちまちました犯罪と違って、組織犯罪は「権力の腐敗」を象徴するものだ。この現状を放置しておいていいはずはなかろう。われわれは小さな声でもいいから、「非を非とする」声をあげ続けなければならない。


 
 『菜根譚』(洪自誠著/講談社学術文庫)第49「罪は必ず露見する」

 <肝、病を受くれば、則(すなわ)ち目視ること能(あた)わず。腎、病を受くれば、則ち耳聴くこと能わず。病は人の見ざる所に受けて、必ず人の共に見る所に発(あら)わる。故に君子は、罪を昭昭に得ることなからんと欲さば、先ず罪を冥冥に得ることなかれ。
 
 現代訳=肝臓が病気になると目が見えなくなるし、腎臓が病気になると耳が聞こえなくなる。このように病気というものは、先ず人に見えない身体の内部に起こり、そして必ずだれにでも見える身体の外部にあらわれてくる。
 だから、君子たるものは、人目につく所でわざわいを受けないようにしたいと思ったら、まず人目につかない所で罪を犯さないように心がけるべきである。>

今は昔の“ストライキ”の話~その7

2007-10-26 10:39:21 | Weblog
【辻産業労組】のストライキ ~犬の背に「ゼッケン」

 
「辻産業」は、咽頭ガンで声帯を切除し「声無き市長」(のちに声帯発声法を習得)として有名になった辻一三元佐世保市長が創業した会社である。当時、従業員約300名(他に臨時工100余名と下請け工多数)で、大野工場が手狭になったため光町に新工場を建設中で、主生産品は舶用デッキクレーン、ウインドラス(揚錨機)などであった。この組合は造船総連に加盟したばかりで、一度もストライキの経験がない。

 1969年、アポロ11号が月面に着陸した7月20日は、中小統一要求額に沿って提出した夏季一時金をめぐる闘争で唯一取り残され、労使交渉が行き詰まっている状況下にあった。辻市長のワンマン経営が長く続いたこの会社は、労使を「主従関係」と捉え、社会情勢とはほとんど無縁の社風を誇っていた。労使交渉に社長が出席することはなく、主に中川専務、豊福常務、東京事務所長をしている市長の次男(現社長)が交渉当事者である。

 これまでの組合は会社の「親睦団体」みたいなもので、組合員には会社の言いなりの執行部に不満が鬱積し、新年度の組合選挙で林原委員長、高木書記長ら「本格派」の新執行部を選出したばかりである。私が「オルグ」に張り付いた時は、すでに圧倒的多数で「スト権」を確立し、残業拒否をしながら交渉に当たっている最中であった。交渉に加わった私は「オルグ」として挨拶かたがた造船総連本部の考えを述べ、早期円満解決を望んでいることを会社側に伝えた。

 交渉は難航した。辻産業の賃金は造船総連傘下の中小企業グループでも最下位で、組合員にはこの格差を一時金で補うべきだとの強い要求があった。この闘争の経緯について山科弘勝書記長は機関紙『愛宕』(同年12月発行)で次のように述べている。

 <…近代的な新工場の建設と我々労働者に対する条件の度合いを考えるならば、その不均等きわまる労働条件の中で、以来ひそめていた感情が一度に爆発し闘争に発展した。この経済闘争を強行することが、つまりは労働者の権利主張であり、初回の全面ストライキでもあり、慎重なる判断の元に延べ184時間の間組織の総力を結集し、闘いを展開した。>

 新工場の建設で工場移転も決まり、生産体制の確立を目前にしたこの機会を逃しては組合の要求は達成できないと踏んだ執行部の判断を組合員が全面的に支持したのだ。山科書記長は「労務管理の問題も闘争長期化の一要因であった」とも述べているが、これは、いわゆる会社の「前近代的労務管理」を正す目的を指している。

 はじめてのストライキというのに、組合員とその家族会は一致団結して最後まで闘い抜いた。ある日、大野工場の闘争本部にいた地区同盟のK事務局長と私は闘争委員の一人に呼ばれた。階段の踊り場に出てみると、ゼッケンを付けた犬が工場内をうろついている。なんと書いてあるのか聞くと、片方に「豊福がガン!」、もう一方に「労使対等!」と書かれているという。団体交渉で豊福常務が最強硬派だったし、いびつな労使関係を正す組合員の強い欲求も表明しているのだ。当然のことながら、犬は工場内だけではなく近所もうろついているらしい。

 新工場への移転をはさんで挙行されたストライキは、臨時工・下請け工の入場を阻止する新工場前でのピケが難問だった。このピケに関しては友誼団体からの動員をめぐって嫌な思い出がある。いわゆる「過激派」「左巻き」とのレッテルを張られていた筆者の要請を妨害する連中に悩まされたのである。臨時工対策としては、臨時工の一時金と「本工採用替え」に関し臨時工代表者を団体交渉の場に出席させて会社に直接要望を述べさせ、共闘意識を高めてストライキへの理解を取り付けていたが、下請け工への働きかけはほとんどできないままだった。長期化したストの終盤、ある下請け会社の社長に「明日はブルを持ってきてピケを突破する!」とすごまれたりしたが、この一時金闘争は決して「勝利」とは言えないまま終結した。山科書記長はこう述べている。

 <結果的に数字こそ満足しがたい額ではあったが、組合員ほとんどが不満ながらも承諾したことは察する所である。…辻産業特有の従業員に対する労務管理は、今後最大の焦点となろう…。>

 この長期ストライキが、「労使関係」に関する会社の考えを転換させる契機になったのは疑えないことである。要求額が満たされなくても、労働者たちは闘うべき時を知っている。つまり「労働」が正しく評価されない限り損得抜きでも闘うのが労働者なのだ。したがってオルグの心得第一は、企業経営者が労働者を経営上どう位置づけしているかを見抜くことにある。
 
 本部役員として最後のオルグとなった辻産業労組のストライキは、労働界の右傾化が顕著であった時期だけに、組織内でいよいよ孤立化していく自分を発見する場ともなり、自ら目指す運動の厳しさを予感させた。民社党・同盟系や大企業第二組合が「労使運命共同体」を信奉し、労働運動を空洞化させるなかで、やがて辻産業労働組合も辻市長の「私兵」として先祖がえりするのだが、だからと言ってこれを責めるのは酷だろう。こんにち、ニート・ワーキングプアに代表される「非正規雇用」を蔓延させた元凶は民社・同盟系の組合指導者たちであることは歴史が証明する。政権獲得を目指す“民主党”内で、彼らを代表する議員たちが、いまや党内の「悪性腫瘍」になっていることは間違いあるまい。


 この機会に、辻産業創業者の「辻一三」にふれておく。

 参照:「辻一三」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E4%B8%80%E4%B8%89

 辻一三は1963年から4期16年、佐世保市長を勤めた。戦後まもなくの1947年、佐世保市議会議長に就任していることで分かるように、戦後の辻一三の来歴は企業と政治の一体化にあった。政治家として高い評価を受けている辻一三は、企業人としても卓越していたと言えるかも知れない。しかし、労働者に君臨し続けた彼を、近代的な経営者とみなすには抵抗があるだろう。

 彼は地方の保守政治を代表する人物で、中央政界の意向に忠実であったことは周知の事実である。1964年の原子力潜水艦佐世保初入港をはじめ、1968年初頭の「空母エンタープライズ」入港事件ではデモ隊と機動隊の衝突で重症20名、軽症72名、ガスでの洗眼、カスリ傷など900名が治療を受け、学生の逮捕者27名にのぼったが、辻一三はつねに政府懸案の実務者だった。その後の相次ぐ「原潜入港」をもじって彼が「原潜市長」と呼ばれたのも宣(うべ)なるかなである。

 彼が手腕を発揮したのは、佐世保の「基幹産業」佐世保重工が経営危機に陥った時である。彼は、政治的に「漂流」を続けていた原子力船“むつ”の修理入港受け入れを表明して政府に「恩」を売り、福田赳夫首相、長野重雄日商会頭、メーンバンクの日本興業銀行池浦喜三郎頭取などに佐世保重工救済を要請、来島ドックの坪内寿夫社長に経営再建を委ねさせる。

 佐世保重工経営危機の主因は、遅きに失した「百万トンドック」建設計画など、経営者が造船界の趨勢を見誤ったことにあるが、この「百万トンドック」計画にもっとも熱心であったのが辻一三である。その経緯をかつて私はこう書いた。

 <この会社(佐世保重工)の発足当初から佐世保市は有力な株主であるが、時の市長(辻一三)は、造船不況の実態を無視して能天気な経営者に同調、目前に迫った地方選挙を横目で見ながら、ドック建設用地として半ば有休化していた米軍基地(約30万平方米)に目をつけ、「百万トンドックなしにはやがて佐世保市の灯は消えるであろう」と訴え、“市民ぐるみ”の基地返還運動を展開する。市長の“卓越した政治力”(会社幹部の言)と労働組合の協力で基地返還が決まる。“栄華の夢”が凝縮する百万トンドック建設に異論をはさむ社員はまるで異端者扱いを受け、競争原理の苛酷な経済社会を生き延びる唯一の社是に刃向う反逆者とみなされた。>(『労働組合は死んだ』)

 この「百万トンドック」計画が頓挫し、経営危機が表面化すると辻一三は原子力船“むつ”受け入れを表明、「佐世保市を原子力船のメッカにする」と言い出す。ミスター日経連と呼ばれた桜田武は、辻一三のこうした政治姿勢を痛烈に批判した。

 <一企業を政治的な工作で再建するなど発展途上国の政商のすること。>

 佐世保重工再建に乗り出した坪内寿夫は、徹底的な「企業合理化」策を講じる。人間性無視の「坪内経営」についていけず大量の退職者が出たが、辻一三はこの機を逃さず自社のために佐世保重工の「有望人材」勧誘に乗り出す。一方では「会社再建」に貢献する姿勢を示しつつ、一方では「濡れ手に粟」の狡猾な態度。坪内寿夫は『プレジデント』への寄稿文で辻一三を痛烈に批判し、終生、辻一三に対する恨みを捨てなかったと言われている。こんにち辻産業は、中国でも造船業を営む優良企業に成長している。

 これが勲三等旭日中綬章を受賞し、佐世保市名誉市民として顕彰されている人物である。

 
 先日書いた教訓より再度引いておく。

 <歴史の多くは勝ち残った強者によってつづられる。史料を残すのも、捨てるのも思うままだ。>

 

今日は二十四節気の“霜降”~温暖化というが暦では…

2007-10-24 09:04:51 | Weblog
 今日は旧暦9月14日で二十四節気の“霜降”、この日から立冬までの期間をさす。“霜降”の期間の七十二候は次の通り。

・初候(第52候)10月24日~
   霜始降:霜が降り始める(日本)
  〔さい(ムジナ偏に才)〕乃祭獣:山犬が捕らえた獣を並べて食べる(中国)
・次候(第53候)10月29日~
  〔そう(雨冠りに妾)〕時施:小雨がしとしと降る(日本)
   草木黄落:草木の葉が黄ばんで落ち始める(中国)
・末候(第54候)11月3日~立冬まで
   楓蔦黄:もみじや蔦が黄葉する(日本)
   蟄虫咸俯:虫がみな穴に潜って動かなくなる(中国)

 参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9C%E9%99%8D

 旧暦で見る限り極端な気象変動は見られず、時節が来れば霜が降り、草木の葉は黄落し始める。地球温暖化は否定できないまでも、宇宙の“はからい”の大きさにあらためて驚く。

 
 昨夜は旧暦9月13日で「十三夜の月」、「栗名月」(http://www.kaho-fukuoka.co.jp/saijiki/2004-10/kurimeig.html)とも「後の月見」ともいう月が、晴れ渡った夜空にぽっかり。昔の人の“風流”を解するまでにはいかないが、まん丸でないだけになんとなく物寂しい。「中秋の名月(「芋名月」)」(旧8月15日)と「十三夜の月」は同じ場所で観るのが縁起が良いとされ、別の所で観るのを「片見月」「片月見」といって嫌った地方もあるらしい。「中秋の名月」は中国渡来の風習だが、「十三夜の月見」はわが国独自のものという。「十三夜の月」は詩歌にもよく引かれているようだが、芭蕉も「後の月」にはこだわりがあったようである。

 参照:http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/others/jusanya.htm 

 
 秋は「芸術」「読書」「食欲」の季節だが、長崎県では“ながさき音楽祭2007”が9月4日から10月28日まで開催され、この間毎日、県下のどこかで「コンサート」や「トーク」が開かれているという趣向である。県事務局担当のE君から誘いがあったので、20日夜“イタリア・カンパーニア合奏団”を聴きに行った。チェロ奏者のルイジ・ピオヴァーノが指揮するオットリーノ・レスピーギ(1879~1936)編曲「リュートのための古代舞曲とアリア第3番」はとくに圧巻だった。ささやかながら「芸術の秋」に浸るひとときをすごした。

 
 ここで書きとめておくが、畑に出没していたイノシシ一頭が罠にかかった。地主のおばさんの知り合いが、猟銃会に頼んで数箇所に罠を仕掛けてくれたのである。罠にかかる数時間前の夜10時頃、車が行き交う道路を3,4頭群れて歩いていたのをおばさんが見ている。それほど人馴れしたイノシシだけに、いざ罠にかかってみると可哀そうな気がしてくる。国のあちこちが劣化していく様子を毎日ニュースで聞かされるが、山野も荒れ、放棄地も年ごとに増えていく。生態が崩れていくのは野生生物が原因ではなく、人間の勝手なふるまいゆえのことである。
 
 イノシシに合掌!
 

今は昔の“ストライキ”の話~その6

2007-10-22 07:24:55 | Weblog
 【佐世保重工のストライキ】 ~「組合全面勝利」の真相

 
 切り抜きに日付を入れ忘れ記載月日が分からないが、過日、『毎日新聞』“余禄”は「沖縄戦の住民集団自決」を例に「歴史」についてふれていた。

 <…歴史の多くは勝ち残った強者によってつづられる。史料を残すのも、捨てるのも思うままだ。では何も書き残せず語り残すこともできずに無残な死を強いられた無名の人々のうめきや悲しみは永遠にこの世から消えてしまうのか…▲「軍の強制があったかどうか明らかでない」としていた文部科学省も、この怒り(注:県民大集会)の噴出の収拾にむけて記述復活も認めようという修正の構えを示した。明らかになったのは、いまだに沖縄の戦争体験と記憶の重みをあるべき場所に位置づけることができなかった歴史教育の欠陥だ▲19世紀ウィーンの図像集には石板とペンを手に怖い顔で歴史の神殿の入り口に立ちはだかる女神が描かれている。優れた歴史家は正史から排除され、忘れ去られた記憶を掘り起こし石板に刻む。次の世代に読んでほしいのはそんな歴史だ。>


 まさしく「歴史の多くは勝ち残った強者によってつづられる」。『労働運動史』もその例外ではありえない。1979年暮から5波592時間、日数にして24日余におよぶ長期ストを記録した佐世保重工労働組合史はその典型であろう。

 わが国労働運動の動きを記録する法政大学大原社会問題研究所発刊の『日本労働年鑑』は、労働運動史としても権威あるものの一つである。その第51集(1981年版)に「造船重機労連・佐世保重工の“近代化”闘争」として[闘争の発端][闘争の展開][闘争の終結]が記載されているが、これは当該組合が発行した『佐世保闘争史』に依拠したもので、“反執行部”の立場で現場に立ち会った者からみれば、かならずしも「史実」とは言えない内容になっている。

 断っておくが、『日本労働年鑑』の編集は、大原社会問題研究所副所長の五十嵐仁法政大学教授の折々の発言から窺われるように、労働運動のいわば「正史」のみ収録されたものではなく、むしろ少数派組合の動向にも目配りされたものと理解している。(参照:「五十嵐仁の転成仁語」http://blog.so-net.ne.jp/igajin/archive/200710

 それにしても、『毎日新聞』“余禄”が指摘するように、「歴史上」の“真贋”を見極める作業は決しておろそかにされてはならないだろう。「佐世保重工の“近代化”闘争」の記録も「強者のもの」であることに留意を促す意味でここに書き留めておきたいと思う。


 当時、社会問題化していた造船危機に伴う「佐世保重工合理化」問題は政府・財界をまきこみマスコミの注目を集めていた。今はすべてが廃刊になってしまったが、筆者は以下のような文を発表している。
1.「造船危機の正体はなにか」(『季刊・労働運動17』’78/4)
2.「4人に一人が首を切られた」(『朝日ジャーナル』’78.6月9日号)
3.「いま佐世保重工の職場では」(『月刊・労働問題』’78/10)
4.「坪内式“ガマンの経営”の実態」(『社会評論第20号』’79/3)

 これらの文に通底していることは、自主的運動体としての機能を失い「労使運命共同体」化した労働組合批判である。労働組合が“労働者の権利擁護”という本義を忘れ、会社経営の一翼を担うのが組合の任務であるかのような錯覚に捕われ始めたのは、およそ東京オリンピック以降とみてよい。そのことについては3月27日「“御用組合”をご存知ですか」で概要を書いた。(「3月27日」:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/e/094c44da4898f69dd987415914a2893c

 「労使運命共同体」化した「佐世保重工労組」が、なぜ24日余のストライキを決行するにいたったか。種明かしをすれば、あまりにも露骨な労使癒着の結果、極悪な労働条件を強いられ、しかも人間性を壟断する経営姿勢に労働者の怒りは沸点に達しつつあった。つまり、こうした状況下で「労働者の権利擁護」のためではなく、保身に汲々とした組合執行部が「労働者の反乱」を恐れて事態打開のためやむなくストライキを選択したに過ぎないのだ。ストライキ終結後、労働者たちの要求は充たされたのか。会社経営者の姿勢は変わったのか。労使関係は正常化したのか。どれ一つ「NO!」である。見かけだけの「収穫」で“勝った、勝った”と騒がれていたが、実態は数億円にのぼる闘争資金を食いつぶし、このあと働く気力を失った多くの労働者たちが職場を見限って去っていった。このストは「人減らし」が狙いでもあったのだ。

 筆者が佐世保重工を退職したのはストライキ終結直後の1980年2月である。この年の5月、国竹七郎委員長は民社党から衆議院選挙に立候補した。その5年後、『労働貴族』を書いた作家・高杉良は社長の坪内寿夫をモデルにした小説『太陽を、つかむ男』を出したが、そこには驚くべきことが暴露されている。

 <国竹は衆議院選挙に際して、臆面もなく坪内にカンパを求める鉄面皮ぶりを発揮し、坪内の側近を驚かせたが、坪内は「男が頭を下げて、頼みにきよるものを追い返すわけにもいかんじゃろうが」と言って、何百万円かのポケットマネーを出してやった。
 国竹は、中央政界入りを目指して、佐世保重工の労使紛争を利用し、自分の顔を売り込もうとした、という噂が立ち、一般労働者の支持を失ったことが落選の憂き目をみる結果をもたらしたのではないか、と見る向きが少なくないが、果たしてどうであろうか。また国竹は相当額の借金が会社に残っていたが、坪内のポケットマネーで割り増しの退職金を支給し清算させた。>

 国竹七郎委員長が作家の高杉良を名誉毀損か何かで訴えたとは聞かないから、この記述に嘘はなかろう。「佐世保重工の“近代化”闘争」がどんなものであったか、この小説が“真実”の一端を語っている。

 筆者の見解は、国会図書館や大原社会問題研究所に通いつめながら、のちに出版した拙著『労働組合は死んだ』(文芸社/1999年10月)に書いたが、さわりの部分のみ引用する。

 <…詳細は省くとしても、坪内氏が関西汽船の社長就任を画策した時、関西汽船労働組合およびその上部団体がどのように対応したかと比較するとき、国竹委員長らの指導性の欠如は明らかである。親会社である日本鋼管をはじめ株主、銀行の経営責任を追及することなく、「同じ荷物を背負ってもいい」と宣言した組合はもはや労働者組織の範疇から逸脱し、坪内氏に愚弄、睥睨されるのは当たり前であった。しかも、すでに慣習化していたとはいえ組合役員改選では坪内支援をとりつけ、労使運命共同体を約束していた。
 「真実を後世に正確に伝える唯一の書」(注:国竹委員長が『佐世保闘争史』の「発刊によせて」で記す)からこれらの真実は消されている。
 世に改竄された史実は多いという。恐らく改竄者は、隠蔽すべき何ものも持たない人民ではなく、名利を求め、権謀をめぐらし、手にした権力を濫用した虚者たちであろう。>

 こう書いたあと筆者は、およそ二世紀半前、明和の大一揆を指導したのち斬罪された山縣昌貞(大弐)の著書『柳子新論』の言葉を引いて、こう結んでいる。

 <…あたかも害を天下に為す者は国君と雖も必ず之を罰し、克たざれば則ち兵を挙げて之を伐つ。…是の故に湯武の放伐は無道の世に在りて尚ほ能く有道の事を為せば、則ち此は以て君と為し、彼は以て賊と為す。仮令其の群下に在るも、善く之を用ひて其の害を除きて而して其の利を興すに在るときは、則ち放伐も亦且つ以て仁と為すべし。他無し民と志を同じくすればなり。
 「民と志を同じくす」れば、群下の者(庶民)であっても、放伐(革命)に立ち上がっていいのだ、といい、獄吏をも感銘させたという彼の時世の歌は、
  くもるとも何かうらみん月こよい
     はれを待つべき身にしあらねば
 であった。>


 最後に、参考のために「正史」をリンクしておく。

 「正史」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8F%B2
 

映画・『シッコ』を観る~米国の病理はわが国に伝染する? 

2007-10-20 09:24:59 | Weblog
 「アメリカの医療制度はビョーキ(sicko)だ!」と告発するマイケル・ムーア監督の『シッコ』を観た。“民営化”の行く末を暗示する“怖い”ハナシである。

 参照:「予告編」http://sicko.gyao.jp/(画面を下にずらして「シッコ」をクリック)

 先進国で唯一国民健康保険制度のないアメリカ。6人に一人が無保険で、毎年1.8万人が治療を受けられずに死んでいく。だが、映画『シッコ』が取り上げているのはこの無保険者の問題ではなく、保険に加入している人たちのハナシである。

 
 救急車を呼んで緊急入院したら、「事前承認なしに救急車を呼んだ」という理由で保険会社は医療費を拒否する。
 50代の夫婦で、夫が心臓発作を起こし、妻はガンを患った。二人が加入している保険はHMO(健康維持機構)で、保険料が安い代わりに質の低い保険。自己負担額を払えなくなった夫婦は住み慣れたわが家を手放し娘夫婦の地下室に引っ越す。
 スーパーマーケットで毎日働く老人。会社を辞めて保険を失えば薬代が払えないからだ。健康保険をキープするだけの目的で、彼は死ぬまで働き続ける。
 骨髄移植で命が救われるかもしれない重病の夫をかかえる妻。彼の家族の骨髄がマッチすると判明し、大喜びしたにもかかわらず、保険会社はなかなかお金を下ろしてくれない。待っているうちに夫は死んでしまった。こうなるのを保険会社は待っていたのだ。

 保険会社の意のままになる医者。会社に有利な医療行為で成績を上げた医者にはそれに見合う「成功報酬」がある。保険会社は、自分たちに有利な法律を成立させるために政治家を買収する。ここでも「成功報酬」として、都合の良い法律の制定に寄与した政治家は保険会社に迎えられ、天下った政治家は年収2億円以上を手に入れる。このアメリカには、保険に加入しない市民が4700万人いて、WHO(世界保健機構)の調査ランキングで健康保険充実度は世界37位という。

 ほかの国はどうか。ムーア監督はカナダ、イギリス、フランスを訪ね、事情を探る。これらの国では、医療は基本的に国が運営する保険でカバーされ、原則無料。医師は患者本位の医療を行なっている。イギリスの病院の「会計」は、医療費を徴収するのではなく、交通費を患者に支給する窓口である。フランスの中流家庭の夫人は「一番お金のかかるのは食費、次にバケーション」と答える。

 最後に、9.11で救助作業に従事した人たち。猛烈な粉塵の中で必死の作業を行なった結果、呼吸器疾患に悩まされている者が多い。英雄的な働きをした彼らに対し、政府・保険会社ともきわめて冷淡である。ムーア監督は彼らをキューバのグアンタナモ米海軍基地に連れて行く。そこはアルカイダ一味が無料で医療が受けられる場所である。「9.11の英雄に容疑者たちと同じ治療を受けさせてくれ!」と基地に向かって監督は叫ぶ。無論、軍基地は無視。

 そこでムーア監督は彼らを“敵国・キューバ”の病院に連れて行く。自国では望めない手厚いもてなしに彼らは感激。少ない収入で購入する薬も、自国では120ドルなのに、ここキューバではたったの5セントだという。
 ムーア監督は叫ぶ。

 「I am sick of it(もう沢山)!」


 ドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーアとはどんな人物か。彼の目的はたんなる「記録」でも「告発」でもなく、「現実を変えること」にあるという。『ボウリング・フォー・コロンバイン』ではアメリカの銃規制問題を取り上げ、大手スーパーに殴りこんで銃弾の販売を中止させ、全米ライフル協会会長の俳優チャールストン・へストンを直撃して追及する。『華氏911』は9.11をめぐるブッシュ大統領の疑惑の数々とイラク戦争の中止をねらった作品である。著書には『アホで マヌケな アメリカ白人』や『おい、ブッシュ、世界を返せ!』『華氏911の真実』などがある。(参照:http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6362


 映画・『シッコ』は、「民営化」の行く末を暗示する。わが国でも小泉・竹中政権が、リース・金融・保険を手がけるオリックスの宮内美彦を規制改革・民間開放推進会議議長にすえて、公的保険の民間開放を積極的に進めてきた。「郵政民営化」はその象徴といえよう。小泉改革による最近の医療改革の本質を見抜けば、わが国医療制度の米国化が透けて見えてくる。


 2003年11月発行の『おい、ブッシュ、世界を返せ!』で著者のマイケル・ムーアはこう書いている。

 <大統領がつく嘘のうちで最悪のものはさあどっち?

 「わたしはあのミス・ルインスキーという女性と性的関係をもったことはありません」

 それとも…

 「彼は大量破壊兵器を保有しています…それは世界一危険な兵器です…それはアメリカ合衆国と、われわれ国民と、われわれの同盟国に対する直接の脅威となっています」

 第一の嘘をついた大統領は弾劾裁判にかけられた。二つ目の嘘をついた大統領は、やりたがっていた戦争がやれただけでなく、友人たちにビッグなビジネス・チャンスを与えることができて、次の選挙での圧勝をほぼ確実にすることができた。>

 さらに同書の第4章は「お化けだぞ! とおどかすブッシュ~テロなんてそう簡単には起こらない」と見出しがついて、こんな書き出しで始まる。

 <テロリストの脅威なんてない。
 気をしずめて、体の力を抜いて、ようく聞いてほしい。そしてあとに続けて唱えてほしい。
 テロリストの脅威なんてない。
 テロリストの脅威なんてない!
 テロリストの…脅威…なんて…ない!

 気が楽になった? そうでもない? まあ、難しいよね。あれよあれよという間に、ぼくたちの心の中に深く深く、この国は…世界は…テロリストだらけだという思い込みがしみこんでしまったのだから。>(『おい、ブッシュ、世界を返せ!』/アーティストハウス)

 確かに、ブッシュの演説を聞いていると、世界中に「テロリスト」が潜んでいて、“もぐら叩き”みたいに、どこから頭を出すか分からないから、“もぐら”の巣を根こそぎ破壊するということで、アフガニスタンやイラクの巣を攻撃したが、今のところうまくいかない。次に狙いをつけた“もぐら”の巣は、どうやら「イラン」にあるらしい。
 
 折りしも、わが国では「テロ特措法」が話題になっている。マスコミでは“テロとの戦い”という言葉が氾濫し、テロリスト対策機材の展示会は大繁盛。“テロ”の危機を煽れば煽るほど儲かる企業が存在し、安部晋三のような“危機”を売りにする政治家が横行する。

 
 マイケル・ムーアが言うように、気をしずめて、体の力を抜いて「テロリストの脅威なんてない!」と唱えよう!
 これが“テロ”対策のもっとも有効な手段だ、と気づくべきではないか。


 宮沢賢治詩集より。

 “政治家”

 あっちもこっちも
 ひとさわぎおこして
 いっぱい呑みたいやつらばかりだ
      羊歯(しだ)の葉と雲
         世界はそんなにつめたく暗い

 けれどもまもなく
 さういふやつらは
 ひとりで腐(くさ)って
 ひとりで雨に流される
 あとはしんとした青い羊歯ばかり
 そしてそれが人間の石炭紀であったと
 どこかの透明な地質学者が記録するであらう


 


“創価学会・公明党”問題~民主・石井一議員が核心をつく

2007-10-18 08:46:12 | Weblog
 “創価学会・公明党”についてはすでに2月21日(http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070221)、7月12日(http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070712)の二回書いたが、去る15日の参議院予算委員会で民主党の石井一議員が“創価学会・公明党”の核心にふれる問題を取り上げ質問した。例によってマスコミのほとんどが報じなかったので知らない人も多いだろう。

 わが国政治の根幹にかかわる問題と受けとめ、その場面を伝える動画(3本)を伝える「zara's voice recorder」をリンクしたのでぜひご覧頂きたい。

 参議院予算委員会:http://zara1.seesaa.net/article/61102836.html


 民主党がなぜこの時期に“創価学会・公明党”問題を持ち出したか、きわめて興味深く、意味深長な背景がありそうである。とにかく、これまで「タブー視」されてきたことがオープンになることは喜ばしいことだ。ぜひ、腰砕けになることなくとことん追求して欲しいと思う。

40年前のコラム“氷焔”~“琉球”は台湾の“属島”

2007-10-16 11:32:36 | Weblog
 時折、引いている40年前の『週刊エコノミスト』の「コラム“氷焔”/筆者:刀鬼」を久しぶりに記しておく。時代は移り変わっても、過去の“残滓”が現代に根強くはびこることを教えられる。作文のお手本としていた“刀鬼”(須田禎一)氏の清冽で鋭い洞察力の批評は、とても真似のできる“芸当”ではないが、「ああ、そんなこともあったな…」と、越し方をふりかえりつつ“刀鬼”文を耽読する。

 
 <米国下院軍事委の第三分科会委員長プライス氏いわく~
 1. 米国は沖縄返還を全く考慮していない。 
 2. 沖縄の基地は極東における最も重要な基地である。
 3. 琉球人は日本人と異なり、かつて米国の敵だったことはなく、米国の責任はユニークなものである。
 
 1と2は米国側の主張と認識である。それを日本側がどんなに不快に思うにしても、米国側としてはそう認識し主張するのには、それなりの根拠があるのだろう。

 しかし、3は完全に誤っている。

 沖縄では“食べる”をカムンという。これは“噛む”からきている。“暖かい”をヌクサン、“寒い”をヒサンというのも、日本語の方言とみてよい。
 方言のみでなく、体質の上からも、日本人と分ち難い。

 “尚”家という琉球王家が明朝や清朝の封冊を受けたのは事実であるが、それは沖縄人民が日本国民の一部なのを否む根拠にはならない。

 米国では、沖縄本島をオキナワ、八重山や宮古などをふくめた沖縄列島をリュウキュウとよぶのを通例とする。
 しかし蒋の国民政府は、隋代の文献に台湾を“流求”と誌してあるのを理由に、リュウキュウなる名称が台湾島からその“属島”に転移しただけのこととして、沖縄列島の支配権をたびたび主張した。いまなおその主張を放棄してはいない。

 日本列島のうち、地上戦で米軍と戦ったのは、沖縄列島のみである。
 “かつて米国の敵だったことはなく”というプライス氏の見解は、ユニークではなく、むしろキテレツである。

 これは“意見”の相違ではなく、単純な“事実”の問題である。
 政府間の経済合同委もあったし、民間会議もあったのに。
 こんな初歩的な“事実”の問題に大きなズレがあるのはなぜか。

 三井三池でまたも事故。
 ここにも初歩的なミステークが、管理者側にあるのではないかな。

 帰国した三木外相、国連の演説をご自慢。
 ベトナム問題について“いずれが是、いずれが非、という論議をやめて”お茶のにごしかたがうまかった、とおっしゃりたいのかな。

 売上額を隠したり、架空の“支出”をふやしたり~
 法人脱税のあの手この手。

 源泉から徴収される“忠良なる人民”には、酒代、タバコ代、銭湯代の値上がりが待っている。

 37年の歴史をもつ前進座に分裂の危機。
 対峙する陣営の、弁慶と富樫とのあいだにも、
 綱豊卿と富森助右衛門との間にも、
 人間の心は通いあったはずなのに。

 非常なのは政治か、
 それとも、思想か。>
           (1967年10月10日/毎日新聞『週刊エコノミスト』)

“引き受け気功”でイノシシ防除?

2007-10-14 11:29:15 | Weblog
 4日前、畑に登ったら目の前にイノシシがいた。体調1メートル余のがっちりした成獣で、追っても慌てた様子がなく人馴れしたイノシシである。防除網が一部未完成で、そこをすり抜けてどこかへ姿を消してしまった。昨日昼から、未完成部分の手入れに行ったら、地主のおばさんが「朝方、畑をしていたらイノシシが上から降りてきて、私(うち)のそばに寄って来るとよ」と言っていた。なれなれしいイノシシである。

 悪さをしなければいいが、先だっても収穫前の南瓜を盗って食い散らし、芽を出しているニンニク、ラッキョを踏み荒らされた。畑のミミズや石積みの間にいる沢蟹などを探して食べているらしく、棚田の石垣もあちこちで崩されている。地主のおばさんは「シシが畑を耕してくれる」などと、もう諦め顔である。本百姓の本家の奥さんは、とうとう業者を呼んでシシ避けの“電気柵”を畑全周約三、四百メートルに張り終わって、「なんのために畑やってるかわかりゃしません」と嘆いている。

 昨夜、久しぶりに田舎の同級生に電話したついでにイノシシの話しをしたら、「こっちではイノブタの出て来るバイ。百姓はどこも手をやいとる」と言う。ワナを仕掛けているが、滅多なことではかからないらしい。いまや地方の風景はまさに“滄海桑田”を実感する有り様である。

 前にも紹介した『グローバルピースキャンペーン』を世界中で提唱している“きくちゆみ”さんのブログ10月8日に、「雨漏り、いのしし、引き受け気功」と題してこんなことが書いてある。

 <今年もいのししの大群がやってきて7枚ある棚田5枚をなぎ倒していきました。残る2枚を泣く泣く稲刈り。(注:きくちさんは千葉・鴨川の民家を拠点に活動中)…
 そんなとき、平和省プロジェクトの仲間から教えてもらった「引き受け気功」。…『人生が変わる引き受け気功』(気楽舎)と言う本の中に、農作物を荒らす40匹の野ザルの害を引き受け気功で克服していた人の体験談まであるではないですか。…>

 いまアメリカの平和会議に参加中のきくちさんは、帰国後「引き受け気功」の講習を受け、いのししの害にも有効か試してみたいと言っている。

 参照:「きくちゆみ」http://kikuchiyumi.blogspot.com/


 いずれ“きくちゆみ”さんの報告が聞けるだろうから、その結果を待って見習うことにしようと思っている。8月5日『憎い“いのしし”~実は“百姓のつくり神”』(http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070805)でも書いたが、共存できる方法があればこれにこしたことはない。里山の近くならどこででも聞かれた“コジュケイ”の「ちょっと来い、ちょっと来い」という鳴き声が、ここ数年の間に全く聞かれなくなった。知らぬ間に、身近にいた者たちの姿が確実に消えている。そんななかで、繁殖力旺盛なイノシシが山野を駆け巡る。これも、微妙なバランスで支えられている自然界の「掟」なのだろうか。


 最後に、江戸の詩人・館 柳湾から一首。

 『秋夜独坐書即事寄致遠』(致遠:作者の義弟)

 涼意 秋 方(まさ)に半(なか)ばす
 西窓 夜転(うた)た清し
 淡雲 月色を遮り
 疎雨 虫声に〔そそぐ〕(シ偏に麗)
 幽景 孤賞に供せんと
 小詩 遠情を労す
 苦吟 竟(つい)に睡(ねむ)らず
 燈火 三更に〔あきら〕(耳偏に火)かなり

[現代語訳]
秋もちょうど半ば、涼しい気は満ち、
西側の窓は、夜になっていっそう清々しい。
淡い雲が月の光をさえぎり、
時おり降る雨は、草葉の虫に注ぐ。
奥深く静かな景色を、一人で楽しむ君に提供し、
遠く離れている君の心をいやそうと、ささやかな詩を作る。
しかし詩はなかなかできず、とうとう眠れない。
行灯(あんどん)の灯りは、真夜中にほの明るくともっている。

 (読み下し・訳とも“石川忠久”) 

現代の“姨捨(おばすて)”~老人を見限る国家

2007-10-12 09:04:14 | Weblog
 坂本スミ子主演の映画“楢山節考”(原作・深沢七郎)は、人間が「いのち」をつなげていくうえで、苦しくも悲しい営みを引き受けなければならないことを教えている。「姨捨て」は貧しい村の未来を支える〔掟〕なのだ。

 「姥捨て」のはなしは、あちこちにいくつか存在するらしいが、長野県の民話『姨捨山』(旧更埴市・現千曲市教育委員会所収)は、いかにも修身教科書的にまとまっている。

 参照:「姨捨山」http://www.pref.nagano.jp/kids/menu3/minwah01.htm

 『楢山節考』の作者・深沢七郎に『おくま嘘歌』(「庶民列伝」の一つ)という作品がある。「叩き大工」の亭主を早くに失ったが、産んだ一男一女はどちらもよく出来た子で、結ばれた相手にも恵まれ九人の孫がいる。七畝の畑で野菜を作り、30羽の鶏を飼って余分なタマゴは売る。なに不足ない日常である。それでいて、“おくま”は遠慮しいしい卑屈な生き方に徹して一生を終わる。こういう書き出しである。

 <おくまは今年63だが、「いくつになりやすか?」と聞かれると、「そろそろ、70に手が届きやァす」と言って、数えどしでは66にも、67にもなるように思い込んでいた。もう耄碌(おいぼ)れて、役に立たないように思われて、(それだけんど、まだまだ、そんねに、)と腹のなかでは言ってるのだった。毎年毎年としの数がふえるのは悪事の数が重なるように怖ろしく、「いっそくとびに80になりゃいいけんど」とグチをこぼすように言ったりして「生きているうちだけは達者でうごいていたい」というつもりで言ってるのだった。…>

 平均寿命が延びた今時の女性で「いっそくとびに80になりたい」と思う人は少なかろうが、「生きているうちだけは達者でいたい」のは万人共通の願いだろう。ところが現実はなかなか思い通りにはいかない。免疫学の権威・多田富雄東大名誉教授は、医者でありながら、2001年、滞在先の金沢で突然脳梗塞に襲われ、声を失い、右半身不随となった。66歳の時である。必死のリハビリを続けながら左手指一本でパソコンをあやつり執筆を続けている姿は、昨年12月放送のNHKドキュメンタリー「脳梗塞からの“再生” 免疫学者・多田富雄の闘い」でみた人も多いことだろう。

 この多田富雄先生が、昨年3月に「診療報酬制度」が改定され、「リハビリ医療は発症から180日に制限」されたことに怒り、政府に「制限撤廃」を訴えておられることは周知の通りである。『世界』2006年12月号に「リハビリ制限は平和社会の否定である」と題する一文を書かれた多田先生は、同じ脳障害で半身不随になり10年にわたってリハビリを続けながら論文を発表する社会科学者・鶴見和子さんについてふれている。

 <二箇所の整形外科病院から、いままで月2回受けていたリハビリをまず1回に制限され、その後は打ち切りになると宣告された。医師からはこの措置は小泉さんの政策ですと告げられた。>

 鶴見さんは、その後まもなくベッドから起き上がれなくなり、7月30日に他界された。多田先生は鶴見さんが月刊誌『環』(藤原書店)に書いた文と歌を紹介している。

 <これは費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではなかろうか。…この老人医療改定は老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考える。>

 政人(まつりびと) いざ事問わん老人(おいびと)われ
     生きぬく道の ありやなしやと       ~鶴見和子

 この制度発足当時の厚生労働大臣は、たしか公明党の坂口力代議士だったと思うが、「平和と福祉」を売りにしていた創価学会・公明党も地に落ちたものである。(そういえば、庶民増税の象徴である「定率減税の廃止」を公約していたのもこの党だ。)

 
 東京・八王子の上川病院理事長で全国抑制廃止研究会理事長でもある吉岡充氏は、『毎日新聞』9月16日の「発言席」で『増える「現代の姥捨て山」』と題して医療制度の改悪を告発している。

 <高齢者の医療・福祉は、財政危機が声高に叫ばれる中、いかに合理化するかを至上の課題として、なりふり構わぬ制度改革が行われている。国民に何も問いかけることもなく、看取りは病院から在宅へと、有料老人ホームを含む「居宅」医療・福祉への流れが拙速に決められ、公的責任が放棄されている。
 その象徴的な出来事が、コムスンの不正問題である。だがその比ではない深刻な事態が進行している。…>

 吉岡充理事長は、利用者を檻に入れ、手錠のような金属で拘束していた千葉県浦安市の無届け老人施設や、入浴は10日に1度、入居者を手拭いでベッド柵に縛っていた東京・足立区の有料老人ホームなどの例を挙げ、これらの事件は氷山の一角でしかない、と言い、「利益至上主義で、まともな高齢者ケアを提供できない事業者が、この制度改革の波に乗り、現代の姨捨て山ともいえる施設を作り始めている」と嘆く。

 <入院患者が延命治療の苦しみにあえぎ、ケアされないまま放置され、死を待つだけの、まさにこの世の地獄を支えるため、医療保険からは一人当たり月60万円近い金がつぎ込まれている。>

 こう告発する吉岡理事長は、「あまりにも悲惨過ぎる」現実を“現代の姥捨て山”と言うのだ。

 
 一体、この国の政治はどうなってしまったのだろう。とくに厚生労働省は「反国民」的施策を平気で断行してきた歴史を持つが、年金基金を食い物にして破綻した「グリーンピア」は、13施設のうち8施設が厚生労働大臣の地元に建設されていることでも奴らの悪事は明らかだ。現厚生労働大臣の枡添は、社保庁職員の不祥事摘発を鬼の首でも盗ったようにわめいているが、肝心の「天下り」や「年金流用」などの「巨悪の首謀者」共は野放しにする気らしい。挙句の果てに自治体の長を「バカ」呼ばわりしていい気になっている。こんな下劣極まる男が厚生労働行政の長というのだから、この国の未来はいよいよ暗くなっていくだろう。

 参照:「グリーンピア」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%A2