耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

「理想の政治」~“堯・舜の治世”の夢

2009-07-25 10:20:22 | Weblog
 グズグズしていた麻生太郎も、任期満了までわずかになってやっと解散にふみ切った。小泉純一郎の“舌先三寸”に乗せられておよそ4年、郵便局は無残に解体されて野ざらしになり、医療・福祉・雇用など庶民の生活を支える基盤も虫食いになってしまった。“劇場型政治”と評されるわが国政治風土のなかで、「踊る阿呆」な国民が多数派を占めた結果である。そろそろ目ざめてもよさそうだが、来月30日の投票で変化は現れるかどうか。アメリカの政治学者モンローは、政治は「時計の振り子」のように右に行ったり左に行ったりするという「法則」を説いたが、いま民主党へ振り子がぶれているのは、国民の覚醒によるのではなくこの「法則」に起因すると言えなくもない。


 しばし世俗を離れ、古代中国の伝説上の聖王で五帝の一人“堯(ぎょう)”の話をみてみよう。彼は「暦を作り、無為の治をなした。後を継いだ舜(しゅん)とともに後世理想の天子とされ、その政治は“堯舜の治”と称される。」(『大辞泉』)

 『列子』[仲尼篇]に「堯の譲位」としてこんな話がある。 

 <堯(ぎょう)は50年間も天下を治めてきた。だがよく治まっているかどうか、人民の支持をうけているかどうかわからなかった。周囲の者にきいてもわからず、役人にきいてもわからず、民間の士にきいてもわからない。
 そこで堯はおしのび姿でまちなかをあるいてみた。と、子供が歌をうたっている。
  ひとり残らずよいくらし
  自然のままにおこなわれ
  守る気なくても知らぬまに
  したがっている天の道
 堯はよろこんでたずねた。
「この歌はだれにおそわったのだね」
「ごいんきょさんから」
 いんきょにきくと、
「昔からの歌です」
 という返事だった。
 堯は宮殿に帰ると舜(しゅん)をよびよせて天下をゆずった。舜もことわらずにひきうけた。>

 【読み下し原文】
 堯、天下を治むること五十年、天下の治まれるか治まらざるかを知らず。億兆のおのれを戴くことを願うか、おのれを戴くことを願わざるかを知らず。顧みて左右に問うに、左右知らず。外朝に問うに、外朝知らず。在野に問うに、在野知らず。堯すなわち微服して、康衢(こうく)に游ぶ。児童の謡(うた)を聞くに、曰く、「わが蒸民を立つる、なんじの極にあらざることなし。識らず知らず、帝の則(のり)に順う」。堯喜びて問いて曰く、「たれかなんじをしてこの言をなさしむる」。童児曰く、「われこれ大夫(たいふ)に聞けり」。大夫に問う。大夫曰く、「古詩なり」。堯、宮に還りて舜を召し、よりて禅(ゆず)るに天下をもってす。舜辞せずしてこれを受く。(『中国の思想第6巻「老子・列子」』(徳間書店))

 訳者(奥平卓・大村益夫)は解説でこれを「理想の政治」といい次のように述べている。
 
 <天子が善政をしいている、という意識が一般人民にあるうちは、世のなかは、本当には治まっていない。人民が天子の存在を忘れ、法律を忘れて自由に行動しても、それが天の道からはずれていない、これが理想の政治だ。理想の政治が行なわれれば、天子はいてもいなくてもよい。また、誰が天子になってもよい。堯は天子である必要がないし、舜も譲られた天子の地位をことわる理由がない。>


 どんなにひどい為政者でも、夢のなかまで立ち入ることはできまい。せいぜい“堯・舜の治世”の夢でも楽しもう。


最新の画像もっと見る