耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

「無頼派の名棋士」“藤沢秀行”さんを偲ぶ

2009-07-29 09:16:24 | Weblog
 去る5月8日亡くなった“藤沢秀行”。囲碁を多少ともかじっていれば知らない人はなかろう。まことに「破天荒」な人生を送った珍しい御仁だった。去る7月24日開催された「しのぶ会」を『毎日新聞』はつぎのように伝えた。

 <5月に83歳で死去した囲碁棋士の藤沢秀行名誉棋聖をしのぶ会が24日、東京都内のホテルで開かれた。囲碁ファンら約900人が、棋聖戦6連覇を果たすなど活躍した“無頼派”の名棋士を悼んだ。

 参加者は会場に並べられた碁盤の上に碁石を置く「献石」を行った。日本棋院の大竹英雄理事長は「愛され、慕われ、尊敬された大先生でした。その遺志を継いで、次の世代を育てていきたい」と語った。(金沢盛栄)>


 藤沢秀行名誉棋聖(1925~2009)は「しゅうこう(秀行)」さんと呼ばれ親しまれていたが、囲碁に関しては「鬼」のような人だったらしい。妻モトは夫を「勝負師」といい、そのすさまじい執念で数々のタイトルを手中にした。一方、自分の門下生を育てるだけでなく、多くの若手棋士の育成に力を注ぎ、さらに草分け時代の中国・韓国の碁界にも大きな影響を与え、隆盛の基礎づくりに貢献した。

 「しゅうこう」さんを有名にしたのは、豪放磊落な棋風のせいばかりではなく、盤外での酒、ギャンブル、借金、女性関係など「常識はずれ」の言動だった。いくつかのエピソードを フリー百科事典『Wikipedia』から拾ってみよう。

◆多額の借金を抱えていた時期の第2期棋聖戦で加藤正夫に1勝3敗と追い込まれ、第5局開始前には「負けたとき首を吊るため」枝振りのよい木を探しながら対局場に向かったという。この碁で藤沢は一手に2時間57分という記録的な大長考の末、加藤の白石を全滅させ気迫の勝利を収めた。
◆女性関係も派手で、愛人の家に入り浸って自宅に3年もの間帰らなかった。用事ができて帰らなければならなくなった際、自宅への行き方がわからず妻を電話で呼び出して案内させたという。
◆酔っ払ったら女性器の俗称を連呼する悪癖があり、小平と面会した際、あろうことかベロンベロンに酔っ払っており「中国語ではおまんこのことを何というのだ」と執拗に絡み、面会は途中で中止になった。
◆競輪が好きで、後楽園競輪で250万円を取り、それを花月園競輪で480万円にしたことがある。また、別の日に250万円の車券を一点買いしたが惜しくも外れ、競輪場で観戦していたときの金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」としてその競輪場の名所になった。
◆戒名は自身が生前にきめていた「無明居士」。


 飲む、打つ、買うの三拍子そろったら大概、“人間失格”の烙印が押されるのが常識だろう。その常識を超えたところで生きたのが「しゅうこう」さんだった。個展も開かれた彼の「書」がその存在の領域の広さを物語っている。死を前に渾身の気力で書いたのが「強烈な努力」。下の二つの動画から「無明居士」の生前を偲んでみたい。

 
 「強烈な努力」:http://www.kiraku.tv/category/6862/movie/1/ILMKqYahfuY

 「秀行塾」:http://youtube1.e-lesson1.com/053huzisawasyuukou.htm


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