耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“御用組合”をご存知ですか?

2007-03-27 21:02:44 | Weblog
 日本航空の女性客室乗務員4人が育児・介護休業法に基づく深夜勤務の免除を申請したところ仕事を極端に減らされたのは不当だとして、差額給与約3100万円の支払いを求めた訴訟の判決で、東京地裁は26日、日航側に計約1500万円の支払いを命じた。(西日本新聞)

 判決は「免除申請後、原告には月1~2日の勤務しか割り当てられなくなったが、原告が所属する客室乗務員組合とは別のジャル労働組合(JALFIO)に所属する客室乗務員には10日前後の昼間勤務が与えられている」と指摘。「勤務の割り当てに不公平があり、会社は、JALFIO所属の乗務員との勤務日数差に基づいて計算した賃金差額を支払う義務がある」とした。ただ、「深夜勤務や宿泊を伴わない昼間の勤務を月に20日程度は割り当てられたはず」とする原告側の主張は認められなかった。(東京新聞)

 会社との争いとはいえ、原告4人が所属する組合は少数派で、ジャル労働組合が全客室乗務員の85%を占めているというから、これは明らかに多数派組合と会社“謀議”による「差別」「いじめ」事件とみていいだろう。2月13日本ブログ(『まるで節操のない御手洗会長』)で元日航労組委員長小倉寛太郎(山崎豊子著『沈まぬ太陽』の主人公モデル)と佐高信の対談(『企業と人間』/岩波ブックレット)を紹介したが、日航という会社の体質はもう絶望的としか言いようがあるまい。それにしても、「社会正義」を担保する義務を負う労働組合が、なんたるザマかといいたい。

 旧い言葉になったが「御用組合」というのがあった。『大辞泉』によれば「使用者から経済的援助を受けたり、使用者の意向に従って動いたりする自主性のない労働組合」とある。御用組合がわが国労働運動を主導するようになったのは、1964年、東京オリンピック開催以降である。開放経済への移行を「第二の黒船」として迎えた産業界は、三菱三重工の合併をはじめ企業の統合・再編を本格化する。この動きに連動して労働戦線は産業・企業の意向に沿って改編されていく。

 私が組合本部役員に選出されたのがこの1964年5月である。6年間の在任中、私はわが国労働組合の変貌を目の当たりにすることができた。詳しくはいずれ触れる機会があるだろうが、まず田舎者の私が驚いたのは、旧芝離宮庭園を眼下に見渡す10階建の「自動車労連」ビルを訪ねた時である。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの自動車労連(日産自動車グループ労組の連合体)塩路一郎会長が君臨するビルだ。高層ビルが林立する今では見劣りのする建物になっているようだが、その頃は、会長室のある8階は赤絨毯が敷き詰められ、「塩路天皇」と言われる人物の館として申し分のない威容を誇っていた。この塩路会長が君臨する組合が典型的な「御用組合」であったことは、高杉良著『労働貴族』(講談社文庫)に詳しい。

 いま各地で知事選が行なわれているが、佐賀県知事立候補を巡って民主党ではひと悶着あったらしい。民主党の候補者と目されていた人物が現知事に対抗して玄海原発のプルサーマル計画反対を表明したところ、九州電力労組がこれに噛み付き、結局、民主党の支持母体である「連合」の支持が得られず立候補を見送ったというのである。「労使運命共同体」論、つまり「御用組合」の寄り合い所帯である「連合」を象徴する話ではないか。国会、地方議会を問わず多くの民主党議員の基盤は人民大衆にはなく、大企業と「御用組合」を取り巻く利害関係者に依存しているのである。

 アメリカ仕込みの[規制緩和」が渡来して以来、「パート労働法」「労働者派遣法」など、人件費節減を主眼とした労働者泣かせの法律ができ、こんにちワーキングプアーなどという誠におぞましい言葉が登場しているが、この現状を創出した責任の一端が「御用組合」の寄り合い「連合」にあるのは否定できないだろう。「連合」の指導者たちは、労働基準法第一条をとくと読んでみるがいい。

(労働条件の原則)
第1条① 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。

 ワーキングプアーが「人たるに値する生活」ができない人を指すのは明らかで、これはひとえに「働く条件」が低劣であることに起因する。「人たるに値しない」人びとの存在を放置して、自分たちだけの「賃上げ・一時金」を要求するなどもってのほかというべきだろう。経済同友会の北城代表が、「非正規社員の待遇改善のために正社員の処遇を見直すべきである」と言っているが、現状をみれば道理に適った発言である。

 裁判によって日航の女性客室乗務員4人が、全面勝訴とは言えないまでも、ほぼ主張が認められたことは、会社のあくどい「差別」「いじめ」を裁き、かつ多数派組合指導者への反省と警鐘となった。「御用組合」の連中には「不当差別」についての次の言葉をよく噛みしめてみてほしいものである。

 <ある人間が他人と同じ仕事をしているのに、賃金において不当に差別されるということは、その人間の労働の価値を正当に評価しないことを意味する。労働は人間の自己表現としての生命活動であり、人間性と人格が投影されたものであるから、この差別は、人間を対等・平等なものとして扱わず、その人間を一段と低く見おろすという姿勢を生み出す。そしてそのことは、差別を受けている人間の人格をはずかしめるものであり、人間の尊厳を傷つけるものにほかならない。「同一労働同一賃金」などの原則は、このように人間の尊厳性に基礎をおく社会および法の基本理念であり、差別撤廃・平等化達成という人権論を基盤とするものである。この人権論こそ、人間を大事にし人間を尊重するという考え方を出発点とするものであって、あらゆる政策や法の基底的な原理でなければならない。>(本多淳亮著/『企業社会と労働者』・大阪経済法科大学出版部)

 

 

 
 

   


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