著者の“熊谷徹”氏は、もとNHK記者。90年からフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。「過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続けている」という。本書の「はじめに」で言っている。
<…私は1990年からドイツに住み、「なぜドイツは過去との対決を今も続けているのか」というテーマを取材の重点の一つにしている。
…アジア人である私は、ドイツ人の過去との対決への執念に目を見張らされることがある。欧州とアジアを単純に比較できないとはいえ、彼らの執拗さは、欧州に相互信頼関係の回復という果実をもたらしつつある。
これに対し東アジアでは、戦後半世紀以上経っても、「過去」をめぐって、ドイツが周辺諸国と築いてきたような強固な信頼関係はない。むしろ中国の経済力が増大する中、各国でナショナリズムが強まっている印象を受ける。国際関係が行き詰ると、歴史認識をめぐる不満は表面に浮かび上がる。欧州で、各国が主権の一部を国際機関に譲り、「事実上の連邦」へ向けて歩んでいるのとは大きな違いだ。…>
わが国政府の歴史認識は、戦後、新体制になっても戦前の体質を温存し、周辺諸国との乖離はひどくなるばかりで、相互信頼が築けないままである。熊谷氏の指摘は良識ある日本国民に共通する思いといえよう。
<本書の目的は、現地にいなくては分からない、過去との対決のディテールについて、報告することにある。同時に、私が東アジアの歴史認識をめぐる状況について、危機感を抱いていることも、執筆の動機の一つだ。欧州では残念なことに、日本について「歴史認識をめぐり頑迷な態度を崩さず、周辺諸国と融和しようとしない国」というイメージが定着しつつある。>
わが国を見る目が、ここまで厳しいものになってしまったのはなぜか。考えるヒントがこの中にはある。本書は全五章で、「Ⅰ政治の場」「Ⅱ教育の場」「Ⅲ司法の場」「Ⅳ民間の取り組み」「Ⅴ過去との対決・今後の課題」とあり、このうち「Ⅰ」「Ⅱ」は次の項からなっている。
Ⅰ 政治の場で
1 ベルリン・ホロコースト犠牲者追悼碑
2 賠償の出発点・ルクセンブルグ合意
3 ドイツはいくら賠償金を払ったか
4 なぜブラント首相は追悼碑の前でひざまずいたか
5 「歴史リスク」とはなにか
6 いつから加害責任と向き合うようになったか
7 イスラエル・アラブの双方から信頼されるドイツ
8 ドイツ軍の国外派兵が周辺国の反発を招かない理由
9 アウシュビッツ生存者の団体を支援する政府
10 全国数千ヵ所に広がる追悼施設
Ⅱ 教育の場で
1 ナチス時代を重視する歴史教科書
2 歴史の授業は「暗記」ではなく「討論」が中心
3 国際教科書会議の歴史
4 東西冷戦下での西ドイツとポーランドの教科書会議
5 独仏共同教科書の誕生
6 加害責任の追求に積極的なマスコミ
これらの項立てから、およそ他の内容も類推できるだろうが、ドイツの「過去との対決」が尋常ではなかったことは、支払われた賠償金の額を見ればわかる。
【1952年から2002年末までに支払われた賠償金】
・連邦賠償法 430億7900万
・連邦返還法 20億2200万
・賠償年金法 6億4800万
・ナチスによる迫害の賠償金 8億3800万
・ルクセンブルク合意 17億6400万
・二国間協定 14億6000万
・その他の賠償(公務員など) 45億8600万
・ドイツ州政府による賠償 14億2000万
・その他の賠償 20億7300万
・政府と企業の賠償基金 25億5600万
総 額 604億4600万ユーロ
(資料:ドイツ連邦財務省)
1ユーロが150円だから総額9兆0669億円になる。半世紀にわたってドイツ国民は目のくらむような巨額の「戦争のツケ」を背負ったのだ。「ツケ」の一部は今後も続くという。著者は言う。
<ドイツ政府は、金による償いが不可能であることを認めながらも、迫害のために健康を損なったり、トラウマ(精神的な傷)に苦しんだりしている人に対して、経済的支援を通じて謝罪し、生活の負担を少しでも軽くしようとしているのだ。
したがって、ドイツ政府も金銭による賠償についてはあまり対外的に強調しない。むしろこの国が過去と対決し、被害者たちからの信頼を回復しようとする中で重視しているのは、政治家の態度、教育、司法など、非金銭的な面であるように思われる。>
昨年3月29日の記事(『“強制連行・強制労働”とドイツ国家の姿勢』:
http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070329)でふれたが、戦争被害者の訴えに対し、わが国の司法は「時効」として切り捨て、行政に責任を転嫁している。一方、行政は「国家間の賠償」条約で解決済みとの姿勢で、戦争責任から逃避し続けてきた。ドイツの場合を具体的に見てみよう。
1970年、ワルシャワ・ゲットーの記念碑を訪れたブラント元ドイツ首相は、記念碑に献花した後、突然ひざまずいた。その映像は全世界をかけめぐり、被害者たちに強い印象を残した。1989年、著者はブラント元首相を訪ねた。ドイツ政府の「過去との対決」を理解する大きな手がかりと思うので、この部分を全文引用する。
熊谷:碑の前でひざまずいた時に、何を考えていましたか。
ブラント:私は最初からひざまずこうと予定していたわけではありません。記念碑に向う時に、「単に花輪を捧げるだけでは形式的すぎる。何か他に良い表現方法はないものか」と考えをめぐらせていました。
そして碑の前に立った時に、こう思いました。
<私は、ドイツ人が何百万人ものユダヤ人、ポーランド人を殺した惨劇に、直接は加わらなかった。しかし惨劇を引き起こしたドイツ人のために、自分も責任の一端を負うべきだ。>
私はこの気持ちを、ひざまずくことで表現したのです。
熊谷:「過去」と対決することはなぜ重要なのですか。
ブラント:2つの理由があります。
第1の理由は、ナチス時代の恐るべき暴力支配について、「なぜこのようなことが起きたのか」「悲惨な事態が将来繰り返されるのを防ぐにはどうすれば良いのか」を、若い人々に説明することです。若者たちは、歴史と無関係ではありません。彼らも歴史の大きな流れの中に生きているのです。従って、過去に起きたことが気分を重くするようなものであっても、それを伝えることは重要です。
第2の理由は、ドイツが周辺諸国に大きな被害をもたらしたことです。従って、今後のドイツの政策が国益だけでなく、道徳をも重視することをはっきり示す必要があったのです。これは人間関係についても言えることですが、自分のことばかり考えずに、他の国のことも考えるという姿勢を、周辺諸国に対して示していくということです。
熊谷:過去と対決する努力は永遠に続くのですか。
ブラント:私は自国の歴史について、批判的に取り組めば取り組むほど、周辺諸国との間の深い信頼関係を築くことができると思います。たとえばドイツとフランスの関係は、対立と戦争の歴史でした。しかし今や両国の関係は、若者たちが「ドイツとフランスの間に戦争があったなんて信じられない」と考えるほどの状態に達しています。
同時に私は、過去の重荷を必要以上に若い世代に背負わせることには反対です。ドイツは、悪人に政治を任せた場合に、悲惨な事態が起きることを心に刻む作業については、かなりの成果をあげていると思います。私自身、周辺諸国の人々が我々に対して、過去について余りにも批判的な態度を取る場合にはこう言います。
「我々の過去を批判的にしか捉えないという態度は、いつかはやめてください」。
熊谷:過去の問題に無関心な若者にはどう対処するべきでしょうか。
ブラント:若者たちが過去のことについて無関心になるのは当然のことです。彼らが、前の世代の犯罪について、重荷を背負わされることを拒否するのは、ごく自然なことです。若者たちには、父親や祖父がしたことについて責任はありません。しかし彼らは同時に、自国の歴史の流れから外へ出ることはできないということも知るべきです。そして若者は、ドイツの歴史の美しい部分だけでなく、暗い部分についても勉強しなくてはならないのです。
それは、他の国の人々が、我々ドイツ人を厳しく見る理由を知るためです。そしてドイツ人は、過去の問題から目をそむけるのではなく、たとえ不快で困難なものであっても、歴史を自分自身に突きつけていかなくてはならないのです。>
ブラントの政治哲学は、きわめて平易で、明解、普遍的な精神に充ちている。わが国にこのような志(こころざし)を持って語れる政治家がいるだろうか。『論語』為政第二にこうある。
<子曰はく、之を道(みちび)くに政を以てし、之を斉(ひと)しうするに刑を以てすれば、民免れて恥なし。之を道(みちび)くに徳を以てし、之を斉(ひと)しうするに礼を以てすれば、恥ぢ且つ格(いた)るあり。>(宇野哲人『論語新釈』/講談社学術文庫)
「徳」や「礼」は人間哲学の根源とみていいが、ブラント元ドイツ首相は古代東洋哲学の実践者なのかも知れない。「人生いろいろ…」などととぼけた話しかできないどこかの首相と、なんと違うことか。
ドイツの「過去との対決」で見のがせないのは、教育面での対応である。とくに歴史教科書に関しては、半世紀以上前から、周辺諸国との間で内容を相互に吟味する作業を続けてきた。1975年に設置された「ゲオルク・エッカート国際教科書研究所」は、世界各国の歴史教科書21万冊を持つ世界に例のない研究所である。
<研究所の最も重要な任務は、歴史学者、歴史教師、教科書執筆者の国際会議を開催し、お互いの歴史教科書の内容を点検し、討議することだ。他国の教科書の記述が、不正確もしくは一面的と思われる場合には、率直に指摘し、両国が受け入れられる記述や表現を見つけるように努力する。教科書会議で合意した内容については、勧告を作成し、両国の文部省、教科書の執筆者、教科書出版会社に通知する。勧告に法的な強制力はないが、教科書の出版社は通常、勧告の内容を配慮して編集を行う。>
たとえば、沖縄の「集団自決」をめぐって教科書改竄を強行した文部科学省が、わが国の歴史教育をいかに歪めているか、「真実」から目を逸らさないドイツ教育行政に学ぶべきことは多いはずだ。わが国教育行政の貧困は際立っている。
「ドイツの企業はいくら賠償したか」という見出しでこう書かれている。
<2008年8月、ドイツの経済界は、過去と対決する上で重要な一歩を踏み出した。約6400社のドイツ企業は、連邦政府とともに、ナチス政権下で強制労働などの被害にあった市民のために、賠償金「記憶・責任・未来」をベルリンに創設した。この賠償飢饉の総額は100億マルク(約5000億円)で、政府が50%、企業が50%負担する。>
2006年6月21日に、賠償基金運営者の報告では、ウクライナ、ロシア、ポーランドなどに住む165万7000人の強制労働者に対して、43億1600万ユーロ(約6470億4000万円)の賠償金が支払われ、受け取った人の内訳ではユダヤ人とポーランド人が圧倒的に多いという。わが国では、強制労働の実行企業が過去の資料を隠蔽したり、司法判断で一部支払いを命じられても控訴したりして、「罪」を逃れることに汲々としているが、ドイツ企業のこうした「過去との対決」に関しては、マスコミがもっと積極的に国民に知らせる責任があるはずだ。
第二次世界大戦で敗北したドイツは東西に分断され、1990年10月2日の国家統一まで約半世紀近く異質な二つの国として存立してきた。その深い傷は今も癒えてはいない。ドイツの「過去との対決」で、それが大きな障害として立ちはだかりつつあるようだ。著者は最後の章で、東ドイツを中心にした「極右勢力の伸張」を憂いながら、一部知識人の間で、「ナチスの過去を心に刻み、反省する努力を疑問視する動きが強まっている」と指摘している。「過ち」を繰り返してきた人類の歴史を、われわれは決して忘れてはなるまい。だが、これまでのドイツ政府の誠実で地道な「過去との対決」をみれば、ドイツの若者たちは、ゆるぎない未来に自分を託すに違いない。
そして、わが国の未来は……