耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“引き受け気功”でイノシシ防除?

2007-10-14 11:29:15 | Weblog
 4日前、畑に登ったら目の前にイノシシがいた。体調1メートル余のがっちりした成獣で、追っても慌てた様子がなく人馴れしたイノシシである。防除網が一部未完成で、そこをすり抜けてどこかへ姿を消してしまった。昨日昼から、未完成部分の手入れに行ったら、地主のおばさんが「朝方、畑をしていたらイノシシが上から降りてきて、私(うち)のそばに寄って来るとよ」と言っていた。なれなれしいイノシシである。

 悪さをしなければいいが、先だっても収穫前の南瓜を盗って食い散らし、芽を出しているニンニク、ラッキョを踏み荒らされた。畑のミミズや石積みの間にいる沢蟹などを探して食べているらしく、棚田の石垣もあちこちで崩されている。地主のおばさんは「シシが畑を耕してくれる」などと、もう諦め顔である。本百姓の本家の奥さんは、とうとう業者を呼んでシシ避けの“電気柵”を畑全周約三、四百メートルに張り終わって、「なんのために畑やってるかわかりゃしません」と嘆いている。

 昨夜、久しぶりに田舎の同級生に電話したついでにイノシシの話しをしたら、「こっちではイノブタの出て来るバイ。百姓はどこも手をやいとる」と言う。ワナを仕掛けているが、滅多なことではかからないらしい。いまや地方の風景はまさに“滄海桑田”を実感する有り様である。

 前にも紹介した『グローバルピースキャンペーン』を世界中で提唱している“きくちゆみ”さんのブログ10月8日に、「雨漏り、いのしし、引き受け気功」と題してこんなことが書いてある。

 <今年もいのししの大群がやってきて7枚ある棚田5枚をなぎ倒していきました。残る2枚を泣く泣く稲刈り。(注:きくちさんは千葉・鴨川の民家を拠点に活動中)…
 そんなとき、平和省プロジェクトの仲間から教えてもらった「引き受け気功」。…『人生が変わる引き受け気功』(気楽舎)と言う本の中に、農作物を荒らす40匹の野ザルの害を引き受け気功で克服していた人の体験談まであるではないですか。…>

 いまアメリカの平和会議に参加中のきくちさんは、帰国後「引き受け気功」の講習を受け、いのししの害にも有効か試してみたいと言っている。

 参照:「きくちゆみ」http://kikuchiyumi.blogspot.com/


 いずれ“きくちゆみ”さんの報告が聞けるだろうから、その結果を待って見習うことにしようと思っている。8月5日『憎い“いのしし”~実は“百姓のつくり神”』(http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070805)でも書いたが、共存できる方法があればこれにこしたことはない。里山の近くならどこででも聞かれた“コジュケイ”の「ちょっと来い、ちょっと来い」という鳴き声が、ここ数年の間に全く聞かれなくなった。知らぬ間に、身近にいた者たちの姿が確実に消えている。そんななかで、繁殖力旺盛なイノシシが山野を駆け巡る。これも、微妙なバランスで支えられている自然界の「掟」なのだろうか。


 最後に、江戸の詩人・館 柳湾から一首。

 『秋夜独坐書即事寄致遠』(致遠:作者の義弟)

 涼意 秋 方(まさ)に半(なか)ばす
 西窓 夜転(うた)た清し
 淡雲 月色を遮り
 疎雨 虫声に〔そそぐ〕(シ偏に麗)
 幽景 孤賞に供せんと
 小詩 遠情を労す
 苦吟 竟(つい)に睡(ねむ)らず
 燈火 三更に〔あきら〕(耳偏に火)かなり

[現代語訳]
秋もちょうど半ば、涼しい気は満ち、
西側の窓は、夜になっていっそう清々しい。
淡い雲が月の光をさえぎり、
時おり降る雨は、草葉の虫に注ぐ。
奥深く静かな景色を、一人で楽しむ君に提供し、
遠く離れている君の心をいやそうと、ささやかな詩を作る。
しかし詩はなかなかできず、とうとう眠れない。
行灯(あんどん)の灯りは、真夜中にほの明るくともっている。

 (読み下し・訳とも“石川忠久”) 


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