去年秋口に蒔いた矢車草がやっと咲き出した。おすそ分けした友人・知人のうちでも蕾が膨らんでいる。花の種は横浜の有名“タネ”屋から入手していて、矢車草は日本産だが、つい先だって取り寄せて蒔いた金魚草(コスタリカ)、アスター(中国)、カンパニュラ(フランス)、トマトの“アイコ”(中国)はすべて外国産である。ちなみに、地元のタネ屋で買った春菊はデンマーク、小ネギはチリとなっている。タネ物で日本産は稀少種になったらしい。
アメリカが支配権を握るトウモロコシや綿の遺伝子組み換え種が、メキシコやインドの農民を苦しめているというニュースを見た覚えがあるが、それにもまして今注目の的は、ガソリンより“キレイ”なエタノールである。周知の通り、エタノールはトウモロコシやサトウキビに由来するため、これが市場を揺るがし始めたらしいのだ。“金は力なり、力は正義なり”の国アメリカは、兵器だけでなく農産物でも他国を容赦なく恫喝し、攻撃する。
ところで、よく知られていることだが、復習のため次を見てほしい。
<主要国の食料自給率>
1965年 2002年
・オーストラリア 199 230
・フランス 109 130
・カナダ 152 120
・アメリカ 117 119
・ドイツ 66 91
・イギリス 45 74
・日本 73 40
なお、日本の穀物自給率は農林水産省資料で28%となっており、173ヶ国・地域中124番目である。(2002年)
わが“美しい国”は40年前のイギリス並みに落ちて、イギリスは40年前の日本並みに自給率を伸ばしているのだ。政治家は出生率の低下・少子化をやたらと心配しているようだが、食の危機を抱えながらこの国は生き延びられると思っているのだろうか。
まことに恐ろしい話を持ち出して申し訳ないが、気色悪い人は読み飛ばしていただきたい。気象その他悪条件がかさなった後世のわが国を見据えると、わずかニ、三百年前に起きた話が生き生きと蘇る。『病いと人間の文化史』(立川昭二著/新潮選書)より引く。
<「…モシ、こちらさまでは、爺さまがなくなられたとか聞いてまいりました。御無心ながら、片身なりとも片股なりとも、どうかお貸しくだされ。わしとこの爺さまも、ニ、三日うちにカタがつくだろうと存じます。そのせつはすぐにお返しにあがりますから…」
女はこういって宿の亭主となおヒソヒソと押問答していたが、やがて降りしきる雪のなかを、よろよろと帰っていった…。>(天明飢饉〔1784〕の八戸領を記録した『天明卯辰簗』より)
もうひとつ、江戸の知識人で医学者だった杉田玄白『後見草』から。
<又出で行く事の叶ずして残り留る者共は、食ふべき物の限りは食ひたれど、後々は尽き果て先に死たる屍を切り取り喰ひしまゝ、或は小児の首を切り、頭面の皮を剥ぎ去りて焼火の内にて焙りやき、頭蓋のわれめに箆(へら)さし入れ、脳味噌を引き出し、草木の根葉を交ぜたきて喰いし人も有しと也。
又或人の語りしは、其頃陸奥(みちのく)にて何がしとかいへる橋打ち通り侍りしに、其下に餓たる人の死骸あり、是を切り割き股の肉籠(かご)に盛り行く人ある故、何になすぞと問ひ侍れば、是を草木の葉に交へて犬の肉と欺て商ふ也と答へし由。>
『病いと人間の文化史』では、「其母、子のしゝむらをそぎとり」「煮ても焼いてもなまにても食ふ」「桶々に塩漬或は焼貯め置き」などした人食い話が続く。よもや、こんな悲惨な事態が後の世に再現されるとは想像したくないが、最近、人を切り刻んで“打ち捨て”る事件が続発するのをみると、切羽詰れば人間どんな衝動に駆られるか知れない気がしてくる。
地球上では、毎日3万人の子どもが餓死し、全人口の三分の一に当たる8億人が飢餓線上にあるという。一方では、1999年の古いデータだが、日本全体で食べずに捨てた食品を金額に直すと年間なんと11兆円。4千万人分の食が無駄になっているのだ。(西日本新聞)どこかが狂っているとしか言いようがあるまい。“罰”が当たって「人食い」の地獄に落ちないよう祈るばかりである。
アメリカが支配権を握るトウモロコシや綿の遺伝子組み換え種が、メキシコやインドの農民を苦しめているというニュースを見た覚えがあるが、それにもまして今注目の的は、ガソリンより“キレイ”なエタノールである。周知の通り、エタノールはトウモロコシやサトウキビに由来するため、これが市場を揺るがし始めたらしいのだ。“金は力なり、力は正義なり”の国アメリカは、兵器だけでなく農産物でも他国を容赦なく恫喝し、攻撃する。
ところで、よく知られていることだが、復習のため次を見てほしい。
<主要国の食料自給率>
1965年 2002年
・オーストラリア 199 230
・フランス 109 130
・カナダ 152 120
・アメリカ 117 119
・ドイツ 66 91
・イギリス 45 74
・日本 73 40
なお、日本の穀物自給率は農林水産省資料で28%となっており、173ヶ国・地域中124番目である。(2002年)
わが“美しい国”は40年前のイギリス並みに落ちて、イギリスは40年前の日本並みに自給率を伸ばしているのだ。政治家は出生率の低下・少子化をやたらと心配しているようだが、食の危機を抱えながらこの国は生き延びられると思っているのだろうか。
まことに恐ろしい話を持ち出して申し訳ないが、気色悪い人は読み飛ばしていただきたい。気象その他悪条件がかさなった後世のわが国を見据えると、わずかニ、三百年前に起きた話が生き生きと蘇る。『病いと人間の文化史』(立川昭二著/新潮選書)より引く。
<「…モシ、こちらさまでは、爺さまがなくなられたとか聞いてまいりました。御無心ながら、片身なりとも片股なりとも、どうかお貸しくだされ。わしとこの爺さまも、ニ、三日うちにカタがつくだろうと存じます。そのせつはすぐにお返しにあがりますから…」
女はこういって宿の亭主となおヒソヒソと押問答していたが、やがて降りしきる雪のなかを、よろよろと帰っていった…。>(天明飢饉〔1784〕の八戸領を記録した『天明卯辰簗』より)
もうひとつ、江戸の知識人で医学者だった杉田玄白『後見草』から。
<又出で行く事の叶ずして残り留る者共は、食ふべき物の限りは食ひたれど、後々は尽き果て先に死たる屍を切り取り喰ひしまゝ、或は小児の首を切り、頭面の皮を剥ぎ去りて焼火の内にて焙りやき、頭蓋のわれめに箆(へら)さし入れ、脳味噌を引き出し、草木の根葉を交ぜたきて喰いし人も有しと也。
又或人の語りしは、其頃陸奥(みちのく)にて何がしとかいへる橋打ち通り侍りしに、其下に餓たる人の死骸あり、是を切り割き股の肉籠(かご)に盛り行く人ある故、何になすぞと問ひ侍れば、是を草木の葉に交へて犬の肉と欺て商ふ也と答へし由。>
『病いと人間の文化史』では、「其母、子のしゝむらをそぎとり」「煮ても焼いてもなまにても食ふ」「桶々に塩漬或は焼貯め置き」などした人食い話が続く。よもや、こんな悲惨な事態が後の世に再現されるとは想像したくないが、最近、人を切り刻んで“打ち捨て”る事件が続発するのをみると、切羽詰れば人間どんな衝動に駆られるか知れない気がしてくる。
地球上では、毎日3万人の子どもが餓死し、全人口の三分の一に当たる8億人が飢餓線上にあるという。一方では、1999年の古いデータだが、日本全体で食べずに捨てた食品を金額に直すと年間なんと11兆円。4千万人分の食が無駄になっているのだ。(西日本新聞)どこかが狂っているとしか言いようがあるまい。“罰”が当たって「人食い」の地獄に落ちないよう祈るばかりである。