耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

初茄子(なす)を糠漬けにして頂く

2007-06-30 08:51:52 | Weblog
 これやこの江戸紫の若なすび     西山宗因

 今年初めて作った“賀茂なす”の初物を糠漬けにして頂いた。実が締まってハリハリ歯ごたえが心地よい。茄子にも次のような色・形で幾種類もあるのを知ったのでご参考に供したい。

 「野菜図鑑」:http://alic.vegenet.jp/panfu/zukanmokuji.html
 
 いつも引用する『中医営養学』(山崎郁子著/第一出版)の“茄子”の項に、

 性味=涼、甘
 帰経=脾、胃、大腸経
 効用=熱を下げ、出血をとめて腫れを治す。出血性の皮膚の潰瘍などに、黒焼粉末を用いる。

とある。古典医学研究家の槇佐知子著『くすり歳時記』には「ナスビ礼賛」として詳しい記述がされている。一部紹介しよう。

 
 <暑さが続くと、どうしても食欲が落ちる。そんな夏の食卓に欠かせないのは、何といっても漬物。それも手が染まりそうな紫紺の茄子(なす)や、白瓜、キュウリなどの糠味噌漬があれば最高。茄子の漬物の切口の、紫と白のあわいの色が何ともいえない。…
 ところで茄子は紫とばかり思っていたところ、九州の西南端、鹿児島県坊津町へ行って驚いた。瓜のような色をしたナスが成っているのだ。それも十一月になろうという季節に~である。
 
 もっとも、ナスの仲間には、トマト、ホオズキ、ジャガイモから、ピーマン、タバコまである。『華岡青洲の妻』で有名になったチョウセンアサガオも一名キチガイナスビともいい、ナスの一族。外科手術の麻酔剤として用いられるのはご存知の通りで、エンゼルトランペットと呼ばれる白い花は喘息発作の鎮静剤。…
 
 中国でも古くから栽培され、漢代の『神農黄帝食禁七巻経』という文献には、「多食すれば陽(陽は活動力、陰は蓄える力)を損ずる」と記されている。また、隋唐の書誌に書名をとどめる『崔[う]錫食経』には、皮膚に張りを与え、気力をつける食物として紹介されている。そのほか、脚の病気の治療には、苗や葉を煎じた汁に浸す。…
 
 俗に「親の意見とナスビの花は、百に一つもムダがない」という。咲いた花は全部が実になるからで、正月の初夢に「一富士、ニ鷹、三ナスビ」というのも、そのためだが、漢方薬という見地からも、ムダのない植物といえよう。>


 さて、月日の経つのは早いもので、この年も今日で半分が過ぎた。旧暦では二十四節気の冬至から夏至までがその年の前半だが、「易」でいえば夏至は「陽が極まる」状態から逐次「陰が萌(きざ)す」ことを示す。旧暦で一年三百六十日を五日ずつに分割したのが「七十二候」で、二十四節気に三候ずつ(5日ごと)当てられている。ちなみに夏至(6月22日頃)、小暑(7月8日頃)、大暑(7月23日頃)の各候をみてみよう。

●夏至=第28候:鹿角解(しかが、つのをおとす)
    第29候:蝉始鳴(せみが、なきはじめる)
    第30候:半夏生(はんげしょう)
        夏至から11日目。江戸時代から、農民にとっては八十八夜と共に        重要な日で、この日までに田植えを済ますことになっていた。
●小暑=第31候:温風至(かぜが、あつくなる)
    第32候:蟋蟀居壁(きりぎりすが、かべでなく)
        蟋蟀は「きりぎりす」のこと。
    第33候:鷹乃学習(たかが、そらをとぶことをおぼえる)
●大暑=第34候:腐草為蛍(くさったくさが、ほたるになる)
        これは言い伝えられた話。
    第35候:土潤[じょく]暑(つちがじわっとしめって、あつい)
    第36候:大雨時行(ときどき、おおあめがふる)
     (参照:『旧暦はくらしの羅針盤』(小林弦彦著/生活人新書))
 

 これを見れば、旧暦が実際の季候に合致し、いかに季節感豊かであるかが分かるだろう。畑仕事に追われながらも「易」の“乾卦”にあるように“天行は健なり”を実感する毎日である。


 参照:「冬至」を示す易卦
    「坤」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Iching-hexagram-02.png
    「復」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Iching-hexagram-24.png
    「夏至を示す易卦」
    「乾」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Iching-hexagram-01.png
    「こう[女偏に后]」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Iching-hexagram-44.png

“仁者”は健在なり

2007-06-28 13:13:48 | Weblog
 ここ数日、皇帝ダリアの支柱作り、サツマイモの植え付け、ラッキョの漬け込み、カンパニュラ・金魚草の苗植え替え、生ゴミ肥料作りなどで、パソコンに向き合う時間が持てなかったが、梅雨の合間に盆栽の手入れやイノシシ防護ネット張りを完了しておかないといけないので、この記事も簡略化せざるを得ない。

 そこで、今どき珍しい(?)人物の発言を入手したので記録に留めて置きたいと思う。本ブログ2月13日「まるで節操がない御手洗(日経連)会長」でふれたが、わが国を代表する企業経営者たちの「倫理観」は見る影もないありさまである。それを反映したかのように“金の亡者”がいたるところで消費者を食い物にし跋扈している。

 「珍しい人物」とは、経済同友会終身幹事の品川正治氏のことである。

 『論語』に“知者は水を楽しみ仁者は山を楽しむ”(知者が物事を円滑に処理するようすを、水が一箇所にとどまることなく流れることにたとえ、仁者が欲に動かされず天命に安んずるようすを、不動の山にたとえていう)とあるが、品川正治氏は“仁者”というにふさわしいと言えまいか。次を参照して欲しい。


 http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/bbs3/sinagawa-masazi2006/sinagawa-bangai.html
 
 http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/diary/20070619/

 http://blog360.jp/%C9%CA%C0%EE%C0%B5%BC%A3
 
 戦争体験を語る人は決して少なくはないが、自らの体験と信念をもとに、「改憲」路線を突っ走る安部政権を真正面から痛烈に批判する財界人はこの人以外見当たらない。誠に敬服の他ない。

 長谷川如是閑は“戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり”と風刺したが、あえて「憤怒」を掻きたてるようなこんにちの政情に品川正治氏は警鐘を打ち鳴らしていると言えよう。

“武器”で平和を求める?

2007-06-26 08:09:14 | Weblog
 私が自衛隊員だったのは、1954年1月から二年間である(1954年7月までは「保安隊」)。当時は、武器をはじめ身のまわりの装備はほとんど米軍の払い下げ品だった。カービン銃、ライフル銃、自動小銃をはじめ75ミリ迫撃砲、105ミリ・200ミリ榴弾砲など、国産品はなかった。半世紀後のこんにち、自衛隊は世界有数の「軍隊」に変貌し、「不戦」を誓った“平和憲法”との乖離は誰の目にも明らかになっている。自民党が「再軍備」によって乖離した憲法の改正を掲げたのは昨日今日のことではないが、議院選挙で「改憲」を唱導するのは安部内閣がはじめてであろう。

 私は「平和憲法」を擁護する。“武器”で平和を求めるのは“木に縁(よ)りて魚を求める”に等しいと思うからである。ベトナムやイラクの戦闘に象徴されるように、「戦争」は“金儲け”の手段に過ぎず、戦闘の犠牲者は戦闘員より一般市民が圧倒的に多く、しかも子どもたちの未来を劫奪する。私のこの考えを後押ししてくれているブログをぜひ見て欲しい。そこにこんな歌詞が紹介されている。



「今は死にたくない」

ぼくの足元でドカーン!って何かが鳴った
うんと胸をはって列の先頭を歩いていたぼく
みんなぼくの友だちといってくれたのに
ぼくはここでひとりぼっちにされた
野原で命をなくしそうなぼく
だけど敵って誰だったのかな

今は死にたくない
死ぬなんでいやだ
まだ愛したかったのに
まだ遊びたかったのに
まだ飛び跳ねたかったのに
まだ大声をだしたかったのに
まだ子どもでいたかったのに
死ぬなんていやだ
(後略)


 次をクリックして6月25日(軍事問題)を開けば続きが見られ、さらにこの歌詞の歌がyoutubeで聴ける。

 http://muranoserena.blog91.fc2.com/

 
(原語で歌のみ聴きたい人は次をクリック)

 http://youtube.com/watch?v=YsKNqF2f500


 私は、「平和憲法」を擁護する。

“ご飯一杯20円”~新聞記事で再認識

2007-06-24 12:31:14 | Weblog
 今日の毎日新聞『発信箱』(大島透記者)の見出しは“ご飯一杯20円”である。「そんなに安いの?」と一驚した。とりあえず記事の一部を紹介する。

 <…徳野貞雄著『農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せ』(日本放送出版協会)はこう指摘する。「日本の米は世界一高い。しかし、ご飯は日本で一番安い食べ物でもある」。自炊なら茶碗一杯分で20円、丼めしでも30~35円に過ぎないそうだ。ペットポトルのお茶は150円、あんパンは100円程度だから、朝昼晩2杯ずつご飯を食べてもペットポトルのお茶より安いのだ。「あまりに安すぎて、誰もご飯の値段を知ろうとはしない」と徳野さんは嘆く。…>

 私のうちは玄米を買って自宅の精米機で五分搗(つ)きにして食べているが、“ご飯一杯20円”とは知らなかった。記事にもあるが、「米は高い」と言われ、一般にはそれが信じられているようだが、農家の稲作を身近に見聞している私には不思議と言うしかない。「米」の字から解るとおり、昔から稲作には“八十八”もの手がかかっていると言われ、一粒の米も疎かにしない心がけが教えられたものだ。小さい頃の「落穂拾い」を想い出す。記事の続き。

 <1955(昭和30)年当時、高卒公務員の初任給は米2俵分だったが、現在は10俵分ほどに米は安くなった。それでも米の消費は昭和30年から半減した。…
 官製談合事件と農相の自殺は記憶に新しいが、そもそも戦後の農政が失敗の連続ではないか。…>

 2,3日前、畑を借りている地主のおばさんが、近所の農家の人たちとの井戸端会議で、「自分の食い前の米さえ自由に作れない」国の“減反政策”にみんな怒っている、と語っていたが、いま話題の「北海道の偽装牛肉」問題も、農水省にはすでに昨年2月に告発があったといわれているから、農民に限らず国民もいい加減馬鹿にされてきたものではある。(この偽装問題については今日の『きっこの日記』に詳しいのでご参考に)

 「きっこの日記」:http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20070623
 
 もう10数年前になるが、宇沢弘文氏はあるシンポジウムで、「日本の農業問題」の危機的状況は、1940年前後につくられた制度、立法措置がひとつの根底であり、もうひとつは、1961年に農業基本法という立法措置がとられたことにある、と指摘し、怒りをこめて述べている

 <現在、農協職員は35万人いるのですが、給与水準が非常に高くて安定している。そういった35万の農協職員と、農水省関係の職員もまた30万人近くいるのです。ですから、専業農家の数よりも多い数の農政担当者、農民を搾取する農協施設の機構があるわけです。それが基本法という農政の帰結です。…
 農水省のまわりの農業経済学者は、依然として、基本法、農業協同組合を軸にして、農民を徹底的に搾取するという政策を展開しているのです。…>(『社会の現実と経済学~21世紀に向けて考える~』/岩波書店)

 私が借りている畑の上には、数段の棚田があるがそのほとんどが放棄地になっている。荒れた棚田の奥にある竹林から作物の支柱にする竹を切り出すために登ってみると、沢蟹やミミズが目的なのだろうか、草ぼうぼうの放棄地をイノシシが掘り返している。荒れたこの風景を見ていると、頻発する「偽装事件」に見られるような“人心の荒廃”とこの風景が決して無関係ではないように思えてくる。

 

 

“パレスチナ”の悲劇は続く

2007-06-22 07:51:01 | Weblog
 <パレスチナ問題は、絶えず世界の火薬庫であり続け、投げかける問題はいよいよ大きくなっている。ここに南北問題、富と貧困、占領と支配と植民地の問題が凝縮されている。この問題を解決できないままでは、人類は21世紀を生き延びられないだろう。その最初の兆候が、今世紀最初の年に起こったニューヨークのツインタワー崩壊だとも言えるのではないだろうか。>(広河隆一著『パレスチナ』/岩波新書より)

 本書は“パレスチナ”をコンパクトに教えてくれる格好の図書であるが、出版から5年が経過し、現状は予想以上に深刻な事態を迎えつつあるようだ。次を参考に見てほしい。

 http://tanakanews.com/070619mideast.htm

 ときどき紹介している『週刊エコノミスト』(毎日新聞社刊)40年前の6月20日「コラム『氷焔』(刀鬼)」をあげて置く。


<“イスラエルの軍事行動はあきらかに米国に支援されているが、アラブに対するソ連の支援はニセモノである”(北京放送)

 この公式主義的な見解が、結果からみれば、マトを射ていたようである。
 ソ連の支援に過大に期待をかけたアラブ側も、どうかしている。
 しかし幻想をいだかせた側も、責任はあろう。

 ユダヤ人とアラブ人の対立を“2000年らいの宿命”とする見解が、日本では幅をきかしている。
 “宿命”などとやたらにいうのは解説者の資格喪失であろう。

 1948年のイスラエル建国は、ドルとポンドの“世界戦略”と切り離しては考えられない。

 “反ユダヤ主義”の点でナセルをヒトラーと同視するワシントン筋の見解もナンセンス。

 メコン川やキントン湾で“正義と人道”をふみにじっている勢力が、ヨルダン川やアカバ湾では“正義と人道”の擁護者として登場する、という見解もナンセンスであろう。

 ともあれ、中世的なポグロム(大虐殺)を現代に再現させてはならない。

 アラブ側の一部に、イブ・モンタンやシモーヌ・シニョレまで槍玉にあげる傾向のある(ロイター電)のも、賢明でない。

 戦争に“敏感”なカブト町、
 株式のみか、商品のなかにも“中東”に便乗する値うごき。

 政府はオモテでは政治資金規正法強化を立案し、ウラにまわっては?
 オモテで公団・公庫の整理統合を説き、ウラにまわっては“心配するなよ”と秘密通達を出した行管の審議官もあったっけ。

 貿易自由化から資本自由化へ。
 さりながら、
 あちらの資本の労働対策は予想以上にきびしい。
 ぬるま湯気分の“集積”された“回路”からは、労働者のコンセンサスは生まれまい。

 ニワトリからアヒルになったはずの総評、IMF・JCというタマゴの孵化期が近づいたのが気がかり。

 “沖縄は、破産した親から債権者のもとへ丁稚(でっち)奉公に出されたムスコ”(安里積千代氏)。
 破産したのは農地報奨金をもらったり、在外財産補償金をもらおうとしたり。
 ムスコは二十余年も泣きベソをつづけているのに…親のエゴイズム。

 送電幹線に原因不明の事故、三十万戸が停電、電車151本が運休。その翌日には電車が爆発して火を吹く。
 中近東の話ではありません。“平和日本”の首都の話です。

 “私は萎れたバラばかりの古い閨房、時代おくれのがらくたが散らばり、嘆きのパステル画、蒼白いブーシェの絵のみが 栓のぬけた香水ビンの匂いをかいでいる” ~ボードレール>
           (1967年6月20日号)

 
 まるで昨日の記事を見ているように思えないか。

“裁判官の良心”~熊本さんのブログ

2007-06-20 07:51:16 | Weblog
 「袴田事件」をご存知だろうか。

 1966(昭和41)年6月30日、静岡県旧清水市の味噌製造会社の専務宅から出火。全焼した現場から、刃物による多数の傷を受けた一家4人の死体が発見され、事件当時、現場近くの味噌工場の二階の寮に住み込み働いていた袴田巌さんが嫌疑をかけられ犯人と断定、死刑判決を受けた事件である。現在、再審を求め最高裁に特別抗告している。

 (詳しくはhttp://www.hakamada.net/hakamatajiken/jiken_menu.html
 
 ブログ“裁判官の良心”を開設したのは、この「袴田事件」第一審裁判で死刑判決を下した裁判官の熊本典道氏である。(三人の裁判官の合議で2対1で死刑判決。熊本氏は無罪を主張した)現在、熊本さんはこの判決が≪誤審≫だったとして“死刑囚”の「袴田巌さん救出運動」に精力的にかかわっており、このたびブログを開設したのもその運動の一環だという。

 「裁判官の良心」http://kumamoto.yoka-yoka.jp/
 
「袴田巌さん救出運動」の最近の動きについては以下を参照されたい。熊本さんの発言や一問一答の会見記がみられる。

 http://www.janjan.jp/government/0703/0703101452/1.php

 最近、警察の「自白強要」や「自白捏造」が頻発し、その予防のため調書作成の透明性をどう保障するかが検討されているらしいが、果たして実現するのだろうか。戦後の著名な事件(下山事件・松川事件・三鷹事件・帝銀事件・狭山差別事件等々)をたどれば、検察・警察がいかに強権的で人権意識が希薄であるかを教えられが、それは戦前から連綿と受け継がれたものであることがわかる。さらに近年、司法判断が行政寄りと見られるのも否定できないことである。こうした状況の中で、『裁判官の良心』が開設されたことはきわめて意義深いことと言えるだろう。注目して見守りたいと思う。


 
●『古典のことば』(岩波文庫別冊)から

 <鳥の歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、無頓着な人間の粗雑な耳だけのことです。>
          ローザ・ルクセンブルク『獄中からの手紙』

 <ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな。>
          ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』

 <知ることがむつかしいのではない。いかにその知っていることに身を処するかがむつかしいのだ。>
                     司馬遷『史記列伝』

“枇杷(びわ)”の効能

2007-06-18 08:58:45 | Weblog
 梅雨に入ったというのに、今年は雨が少ない。借りた畑の周囲に色づいて実をたわわにつけた“枇杷の木”が数本ある。腰の曲がった地主のおばさんが収穫がままならず、私に頼りきりである。近くの木は大抵採り尽くし、ちょっと離れた本家の裏にある大木はまだ手つかずのままだった。昨日、おばさんと二人でこの大木から今にも落ちそうに熟した“枇杷”を買い物籠三杯採った。

 大木だから木に登って採るしかないが、じかにもぎとることはとても難しい。そこで、枝下ろすをするのである。枝をばっさり切り落としては、熟した実が剥がれ落ちてしまうから、切り落とす枝の伐り口付近にロープの一端を巻きつけ、他の一端を伐り残しの部分に結わえる。こうした前準備のあとゆっくり鋸を入れ、枝が宙吊り状態になるようにするのである。下から届くのを採った後ロープを解いて枝を下ろす。一本の枝で大方籠一杯収穫できる。今がいちばんの食べ時で、まだ随分残っているので、今日、最後の収穫にかかる予定である。

 山崎郁子著『中医営養学』(第一出版)の“枇杷”をみてみよう。

 性味=涼、甘酸
 帰経=肺、脾経
 効用=肺を潤し、咳をとめ、気を下降させて口渇をいやす。胃の調子をととのえて水液の分泌を増す。

 さらに鈴木昶著『薬草歳時記』(青蛙房)には以下の記述がある。

 <江戸のころ、天秤棒で荷を肩にした枇杷葉湯(びわようとう)売りが、夏の町を流し歩いたという。それは渇(かわき)をいやすだけでなく、暑気あたり、下痢止めの薬でもあった。枇杷葉に肉桂や甘草など七味を加えて煎じたのが枇杷葉湯で、それは京や浪花から江戸に伝えられたとか。夏を告げる風物詩でもあったのだろう。>

 昔から「屋敷内に枇杷の木を植えるものではない」と言われてきたが、理由は定かでない。おばさんは「枇杷は水がわり」と言って、のどの渇きを癒す。水分が多く、甘味たっぷりだから、5~6個食べれば十分。昔の俗諺に惑わされず、庭木に一本植えておくのもいいかも知れない。

 『薬草歳時記』には別の薬効も記載されている。

 <漢方でいまも枇杷葉を配合している処方に辛夷清肺湯がある。この処方は枇杷葉のほかに石膏、麦門冬(ばくもんどう)、辛夷(こぶし)、百合など九味から構成し、効能は慢性鼻炎、蓄膿症など、とくに蓄膿症は治りにくく、鼻汁が喉にまわると咳が多くなり、気管支炎も併発する。漢方ではたとえ耳鼻科の疾患でも腹部の診察も行なう。これは全身の症状や体質を考えて処方するからだ。

 ところで枇杷の産地では、薬用酒づくりが盛んだという。焼酎1.8リットルに対して小粒で新鮮な枇杷の実1キロ、砂糖200グラムを加えて密閉するだけ。三ヶ月後から飲めるが、半年以上経た方が香気も風味もいい。中味は半年後に引き上げる。枇杷の果肉にはブドウ糖や蔗糖のほか、リンゴ酸、クエン酸、ビタミンC、ミネラルも含まれており、疲労回復、食欲増進、不眠などに効く。枇杷酒はストレートで飲んでも甘酸っぱい香りがあっておいしいが、洋酒とカクテルにしてもいいだろう。>

 おばさんは知人から「薬にするから枇杷の種をとっといてくれ」と頼まれたらしいが、種が何の薬になるのか聞いていないという。また、ここらでは「枇杷灸」を使っている人がいる。現物を見たことはないが、一種の「温灸」らしい。上に紹介されている「枇杷酒」については知らなかった。早速おばさんにも教えて完熟の枇杷で作ってみることにしよう。


 

“臭い物に蓋(ふた)”をしたがる奴

2007-06-16 09:13:44 | Weblog
 15日の『時事ドットコム』は「慰安婦強制性否定の全面広告=日本の議員・言論人有志ー米紙」との見出しで次のように伝えている。

 「14日付の米紙ワシントン・ポストに、慰安婦らが日本軍によって強制的に慰安婦にされたことを示す歴史文書は存在しないとする全面広告を出した。この広告は『事実』と題され、平沼赳夫元経済産業相(無所属)、島村宜伸元農水相(自民)、河村たかし衆院議員(民主)ら超党派の議員グループのほか、政治評論家の尾山太郎氏やジャーナリストの桜井よしこ氏ら言論人が賛同者として名を連ねている。」

 軍による性奴隷ばかりか中国人・朝鮮人強制連行(強制労働)や沖縄集団自決にも国や軍の関与を示す「歴史文書」はない、というのが彼らの見解である。本ブログ4月28日(“理屈と膏薬はどこにでもくっつく”~最高裁逆転判決)でもふれたが、敗戦後、国や軍の汚点となる資料は三日にわたって焼却されたといわれ、彼らが言う「歴史文書」が遺されていないのは当たり前なのだ。当時の生き証人も次第に少なくなり、それに伴い「史実」を問う声も細くなったのを見透かすかのように、彼ら特有の「背理史観」を喧伝しだした。この動向が「憲法改正」と通底していることは言うまでもなかろう。一つの事例を示す。

 
 <1945(昭和20)年8月12日、満州の東部国境に近い麻山(まさん)において、避難途上にあった〔は(口偏に合)〕達河(はたほ)開拓団の一団がソ連軍の包囲攻撃を受け、婦女子四百数十名が自決するという事件が起った。介錯は十数名の男子団員により、小銃を用いて行なわれた。男子団員はこの後、ソ連軍陣地に斬り込むことになっていたが果せず、間もなく終戦を迎え、…>(中村雪子著『麻山事件』/草思社:表紙より)

 同書178頁をみてみよう。

 <…やがて嗚咽(おえつ)と慟哭(どうこく)が津波のように広がって、その中から、「私たちを殺して下さい」と、まず女たちが声をあげた。
 同時に男子団員からも「自決だ!」の声があがった。
「自決しよう」
「日本人らしく死のう」
「沖縄の例にならえ」
「死んで護国の鬼となるんだ」
 そんな言葉がつぎつぎと発せられた。
 団員がそれまで肌身につけていた故郷の父母の写真、応召中の夫の写真、貴重品、さらに奉公袋などの軍関係の品も山と積まれて、火がつけられた。
 及川頼治の妻が、荷物の中から晴着を出して子供たちに着せ、自分もまといつつ、夫に向っては新しい下着を取り出して渡した。
 何を語らずとも、すべて通じ合う夫婦の姿であった。
 あちこちでおなじの者同士が円陣をつくり、荷物を解いて白鉢巻、白襷をしめ、沢の水で、親子、の人々と水盃を交わしていた。死を前にした最後のひとときである。…>

 さらに180~181頁にかけては「衛藤通夫『参議院証言速記録』」が引用されている。

 <妻と顔を見合せる。妻は淋しく笑って、小さな声で“幸福な十五年でした”、“悔いなき一生だった”と私はつぶやいた。それだけが二人の最後の会話となった。
 妻が最後まで手離さずに持っていた振り袖を着せてもらって大喜びの数え年七歳の真知子を膝の上に抱き上げると真知子は私の耳に口を寄せて“あのね、お母ちゃんが良いところへ連れて行くって…そこには飛行機ないね”と言う。
 この三昼夜の爆撃に防空頭巾の中で怯えていた娘がいじらしくて仕方がない。
 私が本部詰めで傍にいてやれなかったので、敵機の来る度に母親と二人でどんなに心細いおもいをしていたことか。
 十一日に私が妻子の馬車の側に来たら、私のこの娘は私を離そうとしなかった。
 そして今日はお別れだ。
“父ちゃんも少し遅れるけどすぐ追いつくからね”と私の銃で倒れた真知子。そして妻も胸に一発受けながら“もう一発”と叫んで倒れていった。> 

 
 後ろにはソ連軍、前には匪賊と退路を断たれた開拓団員を救援する味方(関東軍)はいなかった。国が唱導した“王道楽土”の甘い誘いに乗って渡って来た者達は見事に見捨てられたのだ。彼らに“自決”を迫る国や軍の確たる証拠は何もない。しかし、彼らを“自決”に追い込んだ「状況証拠」は山ほど存在する。今では、ここに引用した『麻山事件』を知る人は少ないだろうが、これを読んで、彼ら開拓団員が「自ら勇んで」もしくは「自己責任」で“自決”したと理解する者がいるなら、それこそ史実から目を逸らす者と言えるだろう。

 この集団自決が教えるとおり、歴史を辿れば、「被支配者」たちは常に“牽強付会”の「支配者」たちに翻弄され続けてきたことが分かるが、「支配者」たちが用いるいわゆる<宣撫工作>の有力な手段が“臭い物に蓋(ふた)”をすることだった。ワシントン・ポスト紙に『事実』と題して広告した面々は、「歴史」さえも我が物にしたいとの欲求から、“臭い物に蓋”をしようとしているのであろう。なんともおぞましい人々ではある。

“年金問題”~「百年大丈夫」と言ったのは誰?

2007-06-14 11:52:04 | Weblog
 2004年5月31日、参議院決算委員会で共産党の小池晃議員は、「政府案では、年金の給付水準が65歳以降は下がりつづけ、最終的には40%まで低下する」と追及し、次のような実態を明らかにした。
 
 「実際に受け取る年金を、物価や賃金を今の水準として計算すると、モデル世帯(夫は40年加入で妻は専業主婦)の厚生年金の値打ちは、現在の23万円から27年後には16万円に、国民年金では、40年間欠かさず保険料を払う満額受給の6万6千円が27年後には4万5千円になってしまう」

 小池議員は、自民・公明がいう“100年安心の年金”がいかにまやかしであるかを暴き出した。さらに、『しんぶん赤旗』6月10日号は「定率減税 全廃すすめた公明 口実の年金財源には2割弱」という見出しで述べている。

 <自民・公明政権は、2005年、06年度税制「改正」で所得税。住民税の定率減税を半減・廃止(半減は06年、廃止は07年実施)することを決めました。

 口実のひとつは、年金財源の確保でした。

 「(基礎年金の国庫負担割合を3分の1から2分の1へ引き上げるために)必要な約二兆七千億円は、定率減税を三段階で廃止し約二兆五千億円、一部の高額所得者への年金課税で約二千億円を確保します」(公明新聞03年10月号外)

 増税だけは着実に実施されてきました。ところ財務省が5月に財政制度審議会に提出した資料によると、基礎年金の国庫負担を引き上げるために実際に充てられる額は約五千億円(07年度時点)にすぎません。定率減税全廃と年金課税強化で確保するとしていた約二兆七千億円のわずか二割にも達しません。

 “残りは消費税増税で”という議論さえ与党内にあります。年金財源は不安定にしたまま、庶民に増税だけ押し付けるやり方では「百年安心の年金」(公明党)どころではありません。>

 当時の坂口厚生労働大臣を擁する公明党が“100年安心の年金”を声高に喧伝してきたことは、『しんぶん赤旗』が指摘するまでもなく周知の事実である。こんにちの事態が外国で起きたなら「暴動」は避けられないだろう、とまで言われほどの国民不信を招いた責任の重大さを公明党は全く“知らぬ顔の半兵衛”で通すつもりだろうか。党本体の創価学会は「財務」と「選挙」で会員を手玉にとって踊らせ、支持政党が「目くらまし政策」で国民を痛い目に遭わせているのを隠蔽している。

 創価学会・公明党の陰謀についての著書は少なくないが、連立を組む自民党にこの恐るべき「相手」によって浸食されつつあるとの自覚が乏しいのは誠に不思議というしかない。創価学会・公明党とはっきり対峙しているのは日本共産党だけといえるが、個人ではかつて創価学会・公明党に痛撃を食らった元自民党国会議員の白川勝彦氏がいる。彼のブログには「政教一致」の憲法問題を絡めたコラムが掲載されているので参考にして欲しい。

 「永田町徒然草」:http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/


“剪定”は難しい

2007-06-12 20:37:29 | Weblog
 昨日、今日、恒例の庭木の剪定にかかった。剪定で手こずるのは「松」である。去る日曜日は、市の年間行事の一つ「松の剪定」講習会に出席した。これまで何回か講習を受けてはいるが、いざとなるとなんとも覚束ない。今回の講習会も定員60名が熱心に質疑を提起し、80歳をすぎた講師Mさんがこれに懇切丁寧な説明指導を行った。おかげで、昨日、今日にかけてまる一日がかりの「松」の剪定を無事終えることができたのである。

 Mさんは私が住んでいる町に所在する「生香園」という園芸店のオーナーである。「分からないことがあればいつでも聞きにいらっしゃい」と園芸愛好家にやさしい。講習の冒頭、Mさんはいつも口癖のように「植物も生き物、心をこめて接すれば必ず応えてくれます」という。「松」の手入れも一年間の月別作業管理を、2月の“葉すぐり”“潅水”に始まり、11月の“古葉取り”“潅水”まで図解入りでこまかく説明する。今年は、松の新芽が枯れる現象が出て、ぜひ聞いてみようと思っていたら、6月の作業“芽かぎ(みどりとり)”の説明の中で「芯食い虫」が原因で新芽が枯れるという話しがあって、疑問は一挙に氷解した。今日“芽かぎ”が終った後、教わった通り、スミチオン1000倍液で消毒しておいた。

 まもなく梅雨にはいるらしいが、畑はカチカチでじゃが芋やタマネギの収穫あとは鍬も入らない状態が続いている。サトイモやサツマイモの植え付けを準備しているが、一雨くれば片付けてしまいたい。「百姓を生かすも殺すも天気次第」とはよく言ったものである。