タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

弘法大師・空海の、「入定伝説」と、兜率天往生・・・

2022-05-29 17:16:15 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

真言宗の開祖・弘法大師・空海には、様々な伝説があります。

一番有名なのは、「御入定伝説 (ごにゅうじょうでんせつ) 」。

弘法大師・空海は、「今でも生きていて、高野山奥之院で、衆生を済度 (さいど=救いとる) しておられる」というもの。

もう一つは、「兜率天 (とそつてん) 」伝説です。

兜率天とは、三界のうちの、欲界における六欲天の第4の天で、インドラ帝釈天がおられる世界より、まだ上の天上界です。

ゴータマ・ブッダ (お釈迦様) も、前世は、この兜率天で修行した後、下生 (げしょう) して悟りを開いて覚者となったのです。

お釈迦様の後継者と言われる、弥勒菩薩も今、兜率天で修行していることになっています。

その兜率天に往生して、「弥勒下生の時、ともに下生して、衆生を救う」と、言う伝説です。

この二つの伝説は、相容れないので、御入定伝説が本当なら、兜率天伝説が無くなり、兜率天伝説が本物なら、御入定伝説が無くなる・・・。

私は、「兜率天伝説」の方を取ります。奥之院でも、壇上伽藍の御影堂 (みえどう) でも、「お大師様」のエネルギーは、それほど感じられません。

御影堂の方が、お逮夜の時、少しだけ中に入ったら、かすかに感じられましたが、「眠っておられる」と、感じました。圧倒的パワーで、「生きたお大師様が、衆生救済されておられる」とは感じません。

私論では、奥之院も、伽藍も、四社明神さま、稲荷大明神さまが護っておられる・・・と、感じます。(私見です)

他の伝説では、弘法大師は、「即身仏」として、奥之院の御廟におられる説、

荼毘 (だび) に付されて、遺骨が祀られている説があります。

伝説では、「即身仏」、伝承では、「荼毘」。

ウィキより、「歴史学的文献には『続日本後紀』に記された淳和上皇が高野山に下した院宣に空海の荼毘式に関する件が見えること、空海入定直後に東寺長者の実慧が青竜寺へ送った手紙の中に空海を荼毘に付したと取れる記述があることなど、火葬されたことが示唆されている。桓武天皇の孫、高岳親王は、十大弟子のひとりとして、遺骸の埋葬に立ち会ったとされる」

・・・その他伝説では、前述してますが、

唐の皇帝から、「五筆和尚 (ごひつわじょう) 」の称号を賜った事実があるくらい、弘法大師は、「書の達人」だったのですが、

この、五筆和尚・・・伝説では、「両手 両足 口」に筆を持ち、五本の筆で自在に書いたからと言う伝説。

しかし、真実は、「五つの書体を自在に操り書を書く達人」だから、五筆和尚の称号を賜ったというもの。こちらが正解です。

ほか、全国にある弘法大師伝説・・・特に、大師の足跡が実際に無い地方にも大師伝説ある話・・・これは、大師亡きあと、「高野聖 (こうやひじり) 」と言う、高野山の僧俗衆が、全国に飛んで行き、弘法大師の伝説を伝え、布教した時にできた、「弘法大師伝説」です。

弘法大師本人でなくても、優れた修法力や、その他さまざまな知識を持った優れた人々だったため、水に困っている村に行くと、水脈を読んで、「この地を掘ると、水が出る」と、錫杖で「こんっ」と突き、実際に掘ったら水が出た・・・そして、のちに、「弘法大師伝説」となっていったものが、全国にたくさんあるのです。

実際は、「弘法大師・空海の僧俗衆 高野聖 伝説」ですが、本当に、奇跡と言える事象をたくさん現したのも事実かも知れません。

その弘法大師の御守りでは、前述してますが、高野山奥之院では、

「銀龍御守り」・・・ペンダントです、お大師さんの守護神「銀龍」が表に謹刻されています。

千円くらいだったと思います。

お四国には、丸型大師が、いくつかの寺院にありました。今もあるかは不明ですが。

あと、弘法大師「天狗伝説」・・・高野山奥之院には、「高林坊 (こうりんぼう) 」と言う、最強の護法天狗さんがおられ、その天狗様が、弘法大師だと言う説もあります。が・・・私は、「高林坊」さまは、弘法大師・空海を山上に導いた地主神・狩場明神 (かりばみょうじん) 」様の化身と言う説を取ります。

弘法大師を拝む際の、ご宝号 (ごほうごう) は、

「南無大師遍照金剛 (なむだいし へんじょう こんごう) 」です。

・・・・・


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四国三十六不動霊場21・・・

2022-05-29 11:36:07 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

超大物札所登場です。

第三十一番「御盥山不動坊(海岸寺)」・・・よく覚えています。

弘法大師・空海誕生の地は、真言宗善通寺派総本山・善通寺と言われていますが、

ここ「海岸寺」が、実際の誕生地と言う説もあり、過去、結構モメていたみたいです。善通寺は、父の・善通からとった名で、海岸寺は、大師が「産湯につかった」地と言うことで、一応決着しているみたいです。

ただ、「地元の人はどう思っているか」と、地元に近い地出身の人に聞いたら、「地元では、海岸寺が実際の出生地だ」と思っている人が多いそうです。

ウィキより、伽藍の画像もウィキより、

海岸寺(かいがんじ)は香川県仲多度郡多度津町西白方に所在する真言宗醍醐派の寺院。詳しくは経納山 迦毘羅衛院(かびらえいん) 海岸寺と称する。寺院本尊は聖観世音菩薩。大師堂は奥之院と呼ばれ弘法大師誕生仏が本尊で、それぞれに納経所があり、それぞれの本尊の納経をしてもらえる。

札所:四国別格二十霊場十八番札所、四国三十六不動霊場第三十一番札所、讃岐十二支霊場卯歳守護文殊菩薩札所、全国百八ヵ寺・愛と心の寺めぐり〈訶〉。

本尊真言:おん あろりきゃ そわか

御詠歌
  • 遠近(おちこち)と ながめば沖の 走船 ふでや硯の なみぞうつなる(本坊)
  • わだつみの岸のお寺の産盥(うぶだらい)すすいでかける湯手掛の松(奥之院)
  • せとのきし まなこやひらく かいがんじ よろこびみちぬ 身も心にも(別格)
  • かのきしに こえもとどけよ マカロシャダ 除障明王 カンマンボロン(四国不動)

寺伝によれば、ここは空海(弘法大師)の母親である玉依御前の出身地とされる。更に空海は奈良時代後期の宝亀5年(774年)に当寺奥之院で生まれたとされており、弘法大師出化初因縁(しゅっけしょいんねん)の霊跡と言われる。」

護摩供が修されている時に参拝し、お護摩拝みました。お遍路さんや、地元の信徒さんたちで、お堂が「すし詰め状態」でした。

お護摩と併せて、「大般若経お加持」も行われ、分厚い「大般若経」で、「ぼんぼん」参拝者さんたちの、両肩、背中、腰を「お加持」して回ってました。

私たちは後ろの方だったので、一番最後くらいに「お加持」受けました。

連れの人は、「気持ちよかった」と言ってましたが、私は、「ぼんっ」「ぼんっ」「ぼんっ」と、重くて分厚い「大般若経」で叩かれている感じで、(痛えな) と、思いました (^_^;)

私は、先入観には囚われない性質なので、(大般若経で、お加持? 聞いたことねえぞ) と、正直思いました (^_^;) スミマセン・・・

画像の「烏枢沙摩明王 (うすさまみょうおう) 」は、「ご自由にお持ち帰りください」と、置いてあったので持って帰ったものです。同じ額に入っているのは、成田山大阪別院で、30年近く前に寄付してもらった返礼の、御守りと、散華です。いっぱい持ってますよ。

でかい寺と言うより、広い御寺で・・・どこからどこまでが、海岸寺なのか、初めて行ったときは、わかりませんでした。

ではまた。

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四国三十六不動霊場20・・・

2022-05-29 11:01:45 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

第三十番「七宝山宝積院 妙音寺」・・・覚えてません (^_^;)

ウィキより、伽藍の画像もウィキより、

妙音寺(みょうおんじ)は香川県三豊市豊中町にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は七宝山。詳しくは、七宝山 宝積院(ほうしゃくいん) 妙音寺[1]と号する。本尊は阿弥陀如来(国の重要文化財)。四国八十八箇所第七十番札所本山寺奥の院、新四国曼荼羅霊場第十九番札所、四国三十六不動尊霊場第三十番札所、さぬき三十三観音霊場第十八番札所。

御詠歌:讃州の 宝を積みて たつ寺の 末の世まで 利益残せり」

童子名 吉祥妙童子 (きちじょうみょうどうじ) 御真言 おん びだまや そわか

Myouonnzi 01.jpg

ではまた。次の札所「大物」です。

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