タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

四国三十六不動霊場18・・・

2022-05-26 17:25:33 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

第二十七番「邦治山不動院椿堂 常福寺」・・・覚えています (^_^)

ウィキより、伽藍の画像もウィキより、

常福寺(じょうふくじ)は愛媛県四国中央市にある高野山真言宗の寺院で、通称の椿堂で呼ばれている。詳しくは邦治山不動院椿堂常福寺と号する。本尊は椿堂の本尊延命地蔵菩薩立像と常福寺の本尊大聖不動明王立像の二尊ある。

本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
御詠歌:立ち寄りて 椿の寺に やすみつゝ 祈りをかけて 弥陀をたのめよ
御詠歌:災いを 三千歳百々歳(みちとせももとせ) 永劫(とこしえ)に 我は守らん 火(非)核の国

童子名 虚空護童子 (こくうごどうじ)  

御真言 おん めいがしゃに へんばらうん そわかTubakidou 01.jpg

第二十八番「巨鼇山地蔵院 萩原寺」・・・覚えています (^_^)

萩原寺(はぎわらじ)は香川県観音寺市大野原町萩原に所在する真言宗大覚寺派別格本山の寺院。詳しくは、巨鼇山(きょごうざん)地蔵院 萩原寺と号する。本尊は伽羅陀山[1]火伏地蔵菩薩

四国別格二十霊場十六番札所、四国三十六不動尊霊場二十八番札所、四国讃州七福之寺辨財天

本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか

御詠歌:尊くも 火伏をちかふ 地蔵尊 はぎの御山に 世を救ふらむ

ありがたや 萩の御山の 不動尊 温座の護摩も 今に尊し

童子名 虚空藏童子 御真言 おん そんばや そんばや そわか

Hagiwaraji 01a.jpg

ではまた。

・・・・・


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鬼に会った修行者 (宇治拾遺物語)・・・

2022-05-26 07:46:46 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

「宇治拾遺物語」(うじしゅういものがたり)は、鎌倉時代前期(建暦2年(1212)~承久3年 (1221) 成立と推定される日本の説話集。

その中に、「鬼に会った修行者」がある。

昔、ひとりの仏教修行者が、諸国を巡って津の国 (現在の大阪府と兵庫県にまたがる地方) まで来た時、日が暮れたので、竜泉寺と言う荒れ果てた寺に入った。

不気味な寺であったが、修行者は、不気味さに押しひしがれない様に、不動明王真言を一心に唱えて座っていた。

すると、真夜中と思われる頃、大勢の人の話し声が「がやがや」と聞こえてきて、近づいてくる。

見ると、百人ばかりの者が、松明を手に御堂の中に集まってくる。

その姿を見て、修行者は「ぎょっ」とした。

それは人間ではない。

「一つ目の者」「角の生えた者」・・・頭の格好のなんともいいようものなく不気味な鬼ども。

恐ろしさで修行者は消え入りそうであった。

固く目をつぶって、ひたすら不動明王を念じて小さくなっていた。

鬼どもは皆、それぞれの座についた。

けれど、一匹の鬼は座る所がなく、修行者を、じろじろと見つめて言った。

「わしの座る所に、今夜は見なれぬ不動様がござらっしゃる。申し訳ないが、今夜は外にいてくだされや」

そういうと、片手で「ひょい」とつまんで、修行者を軒下に下したのである。

やがて、夜が白みがかってきた。

「お、もう朝か・・・」

口々にそう言うと、がやがやと騒ぎながら、鬼どもはどこかへ帰っていった。

(なんとも気味悪い、恐ろしいところだろう。こんな恐ろしい所は、早く離れてしまいたいわい)

そして、夜が明けた。

ほっとしながら、辺り見渡すと、修行者は、わが目を疑った。

夜前の寺が無い!

一面、ぼうぼうと続く野の中に、自分は一人でいるではないか。方角もわからないし、行先もわからない。

呆然と立ち尽くしていると、馬に乗った人が大勢の共を連れて通りかかる。

修行者は嬉しくなり、

「もし、ここは、どこでしょうか?」と、たずねると、共の一人が、

「ここは肥前の国 (佐賀県と長崎県にまたがる地) に決まってますがな」と答えた。

修行者は、昨夜の不思議な経験の一部始終を伝えた。

「なんとも不思議な話じゃ。我らは、町へ出て、国司の庁へ参ろうとしている者」

と、馬上の人は言う。

修行者は、途中まで一緒に連れて行ってもらった。

そして、船を求めて京へのぼったのである。

京にのぼった修行者は、会う人みんなに、この恐ろしい不思議な経験を語った。

・・・ここに登場する鬼は・・・生前は、仏道修行者だったのか?

仏教は、「戒 (かい) 」「定 (じょう) 」「慧 (え) 」の三学が基本で、もっとも大切と言われる。

戒定慧 (かいじょうえ) 三つとも最初から存在しない宗派もあるが、

修行荒行をメインにする宗派も、「修行」ばかりやって、「学」と、それ以上に大切な「戒律」を、おろそかにする修行僧も昔は結構いたそうであり、

そういう「行」に偏った僧が、死後、鬼神や天狗になったりする、と・・・聞いたことがある。

仏僧ゆえ、地獄には堕ちず、さりとて、道徳が無いため極楽 (天上界) にも往けず、

魔界に入ってしまうと言うのだ。ただ、「戒」「定」「慧」三つとも無ければ、これは、仏教ではなく、外道・・・違う道である。

・・・この説話を読んでみて、

見た目が恐ろしい、そして、不思議な通力を持つ鬼たち。

荒れ寺に集結し、夜が明けると帰る。

定期的に、例祭とかをやっていたのであろうか?

神通力が強すぎて、「見なれぬ不動さん (修行者) 」を、「ひょい」とつまんで軒下に下ろしただけで、遠く離れた九州まで飛ばしてしまう。

本気でぶん投げたら・・・

・・・・・


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