〇 第三番「弥天山常光院 最明寺」・・・全く覚えていません (^_^;)
ウィキより、伽藍の画像もウィキより、
「最明寺(さいみょうじ)は徳島県美馬市脇町大字猪尻にある真言宗大覚寺派の寺院。本尊は聖観音菩薩。阿波西国三十三観音霊場第33番および四国三十六不動霊場第3番の札所になっており、多くの参拝者が集う。
- 御詠歌:もろびとの 心におわす み仏の誓願(ちかい)たのもし 萩満つる寺
「萩寺」とも地元では呼ばれ、萩の花が境内のいたるところで9月中旬頃になると咲き乱れる。」
「萩寺」・・・で、何か思い出しかかったのですが・・・。
童子名 不動恵童子 ふどうえどうじ 御真言 おん しゅまり ばさら だんかん
〇 第四番「宝珠山真光院 箸蔵寺」・・・ここは、すごかったので、よく覚えています。
讃岐の「こんぴらさん (現 金刀比羅宮) 」の、奥之院だった寺院です。
雰囲気も、神社の金刀比羅宮とよく似ています。
リフトに乗るのですが、大した高さでは無いのですが、私は怖かったです。
受付の人に、「車で上る方法もあるけど、地元の人間じゃないとわかりにくいんですよ」と教わりました。(たった今、後ろからトンビの声が聞こえたので見ると、姫が後ろの電柱に留まってました)
ウィキより、
「箸蔵寺(はしくらじ)は、徳島県三好市池田町州津に所在する真言宗御室派別格本山の寺院。箸蔵山(標高719.8m)から東南へ延びる尾根のピーク(標高633m)である宝珠山(ほうしゅざん)の南山腹にある。本尊は金毘羅大権現。
本尊真言:おん くびらや そわか
御詠歌:いその神 ふりにし世より 今もなほ 箸運ぶてふ ことの尊き
明治初年の神仏分離令以前、香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮が、象頭山金毘羅大権現と称し松尾寺金光院が別当だったころ、当寺の方は、こんぴら奥の院と称し、現在でもそのように云われている。讃岐の金毘羅さんは神社となっているが、当寺は神仏習合の風習を色濃く残す寺院である。そのため、本殿の参拝方法は拍手による参拝者と納経をする参拝者に分かれるが、どちらも問題はない。
伝承によれば平安時代前期の天長5年(828年)四国巡錫中の空海(弘法大師)が、当地に霊気を感じ山上に登った。すると金毘羅大権現が現れ「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん」というお告げを空海に授けたという。そこで、空海は自ら金毘羅大権現の像を刻み堂宇を建立したことが当寺院の始まりと伝えられている。 また、金毘羅大権現は当山から讃州象頭山へ日夜眷属と共に往来しているとも云われていた。」
・・・御真言の「おん くびらや そわか」の、クビラは、薬師十二神将の、「クビラ大将」と、大物主大神が習合して、クビラ・・・金毘羅大権現となったからだと思います。
思い切り「私論」で申し訳ないですが、
「箸蔵寺」の、「箸」は、大物主大神 (この場合、ニギハヤヒノミコト) の、
「妃神」、(たった今、後ろでスズメと、キジ坊が鳴きました)
「蔵」は、大物主大神 (ニギハヤヒノミコト) の、仏神としての一面、「蔵王権現 (蔵王権現についての「私見」は、前述してますので読んでください) 」の「蔵」・・・
では無いかと、勝手に推察しています。 (あくまで私見ですので、参考までに)
大物主大神の、「クシミカタマ」も、
「私見」では、ニギハヤヒノミコトの、「クシタマ」に、
妃神「三炊屋媛命」の、「ミカ」を加えて、「クシミカタマ」ではないかと思っています。(私論です)
・・・(ニギハヤヒノミコト御自身も、親子神複数と言う「説」もあるので・・・)
童子名 光網勝童子 こうもうしょうどうじ
御真言 おん そばろぎ ばったばったそわか
御詠歌の、「いその神 ふりにし世より 今もなほ 箸運ぶてふ ことの尊き」の、
「いその神」とは、「伊勢の神」で良いのでしょうか? ニギハヤヒノミコトは、元の「伊勢の神」とも言われます。
〇 第五番「密厳寺」・・・すみません、覚えていないです (^_^;) お寺の画像見たら、少しだけ記憶していました (^_^;)
ウィキより、
「密厳寺(みつごんじ)は、徳島県三好市池田町西山にある真言宗御室派の寺院である。山号は寶光山。本尊は地蔵菩薩。四国三十六不動霊場5番札所。阿波西国三十三観音霊場22番札所。
- 御詠歌:なにしおう さくらのもとに たつてらは みつごんひろう せかいなるらん
童子名 無垢光童子 むくこうどうじ 御真言 のうまく からばん きりく
ではまた。
・・・・・