古代ヤマト王権の縁起と伝承 木村博昭著。
なかなか良く調べておられます。
「古代日本正史」の原田 常次さんは、「ニギハヤヒノミコト」と「スサノオノミコト」にスポットライトを当てた形で調べておられ、
古代史ブームの先駆けとも言えるが、
粗削りだった部分もあったが、
本書は、ニギハヤヒノミコトの妻神についても調べておられ、
バランスよくまとめられている。
全てに同意するわけではないが、おおむね賛同しています。
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古代ヤマト王権の縁起と伝承 木村博昭著。
なかなか良く調べておられます。
「古代日本正史」の原田 常次さんは、「ニギハヤヒノミコト」と「スサノオノミコト」にスポットライトを当てた形で調べておられ、
古代史ブームの先駆けとも言えるが、
粗削りだった部分もあったが、
本書は、ニギハヤヒノミコトの妻神についても調べておられ、
バランスよくまとめられている。
全てに同意するわけではないが、おおむね賛同しています。
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数年前に、ネットか何かで知って会員になった。
衝撃でした。
日本の有名企業が、様々な形で「動物実験」を繰り返していました。
「物のように」扱われる様々な動物たち。
医薬だけでなく、化粧品から様々な業種まで。
この「動物実験の廃止を求める会 JAVA」の、地道な活動により、動物実験を止めた大企業や学校も、数多くあります。
本来、神道では「すべてのものに神が宿る」とします。それは、「すべてのものに、いのち がある」と言うことです。
人間の利己的な価値観で、ボロ雑巾のように酷使され、殺されてっいった無数の「いのち」たち。
重ねて言います。
「明治維新は間違いだった」と。
今の日本・・・「神」も「仏」もおられども、
「神」「仏」を正しく信心する者は少ない。
「動物実験」であれ、「遺棄ペットの処分」「野良犬 野良猫の処分」であれ、「山を削り」「海を汚し」、人間の都合により、「生命を軽んじ、自然を壊し続けてきた日本」・・・それらが、「因果」となって、災害や厄災になって返ってくる・・・それが「因果応報」です。
https://www.java-animal.org
ではまた。
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63社寺目です。
一枚ものの御朱印に日付を記していただいたので、前述の長谷寺より前の日付です。ただ、朱印帳に張り付けたページが、長谷寺より後ろのページ。
三輪山・平等寺。
平成7年2月4日御朱印いただいております。
奈良県桜井市「大神神社」の、神宮寺。(元の神宮寺は、明治の廃仏毀釈で無くなったのを、復興したものです) 大神神社とは直接は関係ないと思います。
曹洞宗。
以下、ウィキペディアより、伽藍画像もウィキより、
「伝承によれば、聖徳太子の開基、慶円の中興とされている[1][2]。『大三輪町史』は、平等寺以前の大三輪寺遍照院の存在から空海開基説の存在も述べている。」
「鎌倉時代末期から明治の廃仏毀釈までは、三輪明神の別当寺の地位にたっていた。」
「1868年(明治元年)、神仏分離の太政官布告が出される。これにより、1870年(明治3年)には、平等寺は大御輪寺、浄願寺と共に三輪神社の神官が管理するにいたり、堂舎は破壊され、廃止となる。1959年(昭和34年)の『大三輪町史』には、「三輪小学校北側の道を三輪山の方へ登って行く道を平等寺坂といい、この道を進んで翠松庵の横、大行事神社の前の坂道を登りつめると、平等寺跡がある。もと高野山の所管であったが、のちには奈良の大乗院の末流となった。いまから750年ほど前、僧慶円がこの寺に来て平等寺といい、大神神社の神宮寺のようになり、社僧は大神神社の式事を勤めた。境内の広さは南北328メートル、東西490メートルもあって、本堂は六間四面の瓦葺、本尊は聖徳太子御自作と伝える十一面観音秘仏であった。その他維摩堂・御影堂・上人堂・鐘楼などいろいろな建物があり、大智院・中之坊・常楽院・多楽院・吉祥院など九ヵ坊の僧房があった。明治元年神仏分離のとき、僧侶たちは還俗し、お寺はつぎつぎになくなって、現在はただその石垣ばかりが残っている。」「現在はその伽藍は存在せず、わずかに塔中の石垣のみが遺跡として存在する」[3]と記されたが、実際には廃仏毀釈の直後、小西家より現境内地の寄進を受け、廃仏毀釈前の平等寺住職・覚信和尚と町内有志18名が塔頭の一部を境内に移し、本尊十一面観世音菩薩、三輪不動尊、慶円上人像、仏足石等を守り、曹洞宗慶田寺住職・梁天和尚が翠松庵の寺号を移し曹洞宗に改宗し法灯を護持した。」
「1977年(昭和52年)、曹洞宗の寺院、「三輪山平等寺」として再興した。丸子孝法の16年間の托鉢によって現在は伽藍も復元されている。」
丸子住職が描いた、「生身の釈迦如来画像」があります。
お参りした際、草むしりを「せっせ」としていた初老の人がいました。
てっきり「寺男」だと思い、無視して受付で「すみませ~ん」と言うと、「はーい」と、草むしりをしていた方がやってきます。
「すみません、住職いますか? 御朱印お願いしたいんですが」「私がそうです」 ・・・ ご住職でした。物腰の柔らかい方でした。
ではまた。
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62社寺目です。
新義真言宗・豊山派総本山「長谷寺」。
平成7年3月4日御朱印いただいております。
ニギハヤヒノミコトに何か所縁があるんじゃないかと思い、参拝したのだと思います。(相当昔なので、定かではありません)
確か、仁王門より下に、何かの受付所があり、そこに「秋葉大権現像」が祀られており、すごいパワーを感じたのを覚えています。天狗さまです。
長谷寺は、真言宗の総本山と言うより、「西国観音霊場」の八番札所としてのイメージが強い印象でした。景観も素晴らしいし、境内に漂う、観音様の霊気も素晴らしい。
巨大な、十一面観音様は、「長谷型観音」と言われ、仏様ですが、「日本の神」の息吹を感じました。私には、男性的に見えました。
伽藍画像はウィキより、
ではまた。
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