孔子 (こうし 孔先生と言う意味) 。
お釈迦様と同時代の中国の思想家。(お釈迦様の時代は諸説あり)
お釈迦さまは長身ですが、孔子も「長人」と言われるほど背が高かったそうです。
儒家と言われると、融通の利かない「堅物」のイメージがありますが、
孔子は、ひじょうに柔軟な人柄。
お釈迦様も柔らかいけど、孔子も柔らかい。
お釈迦様と孔子は共通点が多い。
お釈迦様には、10大弟子がいて、孔子には、10哲 (孔門十哲) がいました。
筆頭の「顔回 (がんかい) 」は、亜聖と言われ、孔子に次ぐ聖人と言われます。
「顔回」の性格は、お釈迦様の高弟で言えば、舎利弗尊者 (サーリプッタ尊者) に近い感じです。
サーリプッタ尊者は、性格が穏やかで誰にでも優しく、新弟子にでも寝る場所を譲るようなお方。顔回さんも、質素で堅実・勤勉・忠実、優しい穏やかな性格。
サーリプッタ尊者と、目連尊者 (モッガラーナ尊者) と言う、お釈迦様の二大弟子は、お釈迦様より先に入滅し、
お釈迦様は、「ああ・・・サーリプッタとモッガラーナのいない大会 (だいえ=弟子たちに対して行う説法会) は、私にはとても空しいものだよ」と、寂しい心の内を述べられています。
孔子の場合、10哲の内、顔回と子路が孔子より先に亡くなり、最も期待していた顔回が若くして亡くなったことを聞いた孔子は、「ああ・・・天は我を滅ぼした。天は我を滅ぼした」と慟哭したと聞きます。そして、初期のころからの弟子の一人である、勇猛な子路が、主君を守るために身を投げうって死んだことを聞いた孔子は、さらに気を落とします。
孔子の死後、弟子たちを実質的にまとめた「子貢 (しこう=10哲の一人) 」。優秀な顔回の影に隠れていますが、私は、孔子の弟子の中では、「子貢」さんが一番好きです。頭脳明晰、弁舌が立ち、商才は抜群。孔子に「お前と顔回では、どちらが優れているかな?」と問われ、「私など問題になりません。顔回は、一を聞いて十知る秀才。私は、一を聞いて、二知るくらいです」と答え、孔子も「私も顔回には及ばないよ」と答えています。子貢さんも、抜群に優秀なのですが、謙虚さも併せ持っていました。また、抜群の商才で、貧乏集団だった孔子と弟子たちの経済を支えていました。
お釈迦様のお弟子の中では、
在家弟子筆頭の「チッタ居士」のような存在ですかね。チッタ居士・・・「維摩経 (ゆいまきょう) 」の主人公、維摩居士 (ゆいまこじ) のモデルではないかと言われる優秀な「在家」の弟子。出家弟子筆頭のサーリプッタ尊者に肩を並べるくらいの頭脳だったそうです。在家にして、出家のお弟子にも説法する優秀さ、長者とも言われることがあるように金持で商才があり、その財産を善行為に使っていたそうです。
・・・孔子が弟子の子貢に「一生守ることができる徳目はないでしょうか」と聞かれたときに、「其れ恕か。己の欲せざる所は人に施す勿れ(それは、思いやりというものだ。自分がして欲しくないことを、人にするべきではない)」と、答えました。
子曰く (し いわく=孔子がおっしゃることには) から始まる「論語」。
・・・「過 (あやま)ちては改むるに憚 (はばか) ること勿 (なか) れ (過ちを犯したら、躊躇しないですぐさま改めよ) 」
お釈迦さまも同じような言葉を述べられています。
「過ちを犯したら、反省すればいいのだよ」。
(パソコンに向かうと腰が痛くなります・・・)
ではまた。
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