33社寺目です。
不思議な御縁による出会いでした。
不動明王信仰の中心とも言える、千葉県の「成田山」。
成田山新勝寺。けっこう、神社と思っている人いますが、お寺です。
その成田山の大阪別院。成田山大阪別院明王院。
平成6年9月24日に御朱印いただいております。
出会いは、道路沿いの電柱に巻き付けてあった「案内板」。
左車線を車で走行していた私は、赤信号の時、「ふと」左に目をやりました。
「成田山→」だったか、「成田山大阪別院→」だったか忘れましたが、「成田山の案内板」が目に留まり、
なぜか気になり、次の赤信号で停車したときも、左に目をやると、また電柱に「案内板」が。その後、次々と「案内板」に導かれるように・・・進み、
(今みたいにナビなど無い時代ですから)
「このまま案内板の指示通りに行ってたどり着けたら、参拝してみよう」と思い進んでいきました。
そして、午後4時過ぎ・・・案内板に導かれながら、成田山大阪別院に到着しました。一日五座の護摩法要が営まれるのですが、最後の3時半の御護摩が終わった後で、人気はほとんどありませんでした。
受付に行き、御朱印をいただき、確か、近畿36不動尊の「水晶念珠玉」と、「カードの災難除けお守り」を買いました。「このお守りは、ずっと持っていていいですか?」と尋ねると、「ずっと持ってていいですよ」と答えられました。
はじめて来た境内を散策します。
朱色を中心とした本堂は、なんとも言えない懐かしさを感じるものでした。
その頃はまだ、今のように大師堂も完成はしていなかったと思います。
信徒会館も、確か、その当時は古い建物だったと思います。
不思議な御縁に導かれて到着した成田山。
その後、このお寺との御縁は本当に深いものになっていくのです。
成田山大阪別院で、お護摩を参拝するのは、次に行ったときです。
初めての成田山のお護摩は、「九條錫杖経(くじょうしゃくじょうきょう)」から厳かに始まり、次いで、「走る様に流れるように唱える、心経、聖不動経、南無36童子、諸真言」と絶妙にマッチし、さらに「真言宗智山派」特有の太鼓のリズムとも相まって、とても神秘的に見えました。当時は、観音経も唱えていました。
大阪別院なのですが、「まるで、江戸時代に、江戸で護摩祈祷を参拝しているような感覚」感覚を覚えました。
前述の「近畿36不動尊宝印軸」開眼供養は、そのまた次だったと思います。
画像は、後に大護摩 (柴灯大護摩) の時に本堂をバックに撮影したものです。写真をそのままスマホで、これまた撮影して掲載すると言う原始的な手法ですので、粗い画像ご容赦ください。
偶然ですが、33社寺目で、9月24日と言う日が気に入っています。
ではまた。
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