タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

室生寺・・・

2022-01-14 17:52:33 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

43社寺目です。

女人高野・室生寺 (にょにんこうや・むろうじ)。

画像はウィキより、

Murouji, hondou-3.jpg

平成8年5月29日御朱印いただいております。三冊目から、朱印帳が「二股に分かれ」、二冊に前後した日付の社寺が載っています。とりあえず、トップページが若い日付の朱印帳から行ってます。(日付が前後ズレていきますが無視してください)

奈良県宇陀市にある室生寺・・・昭和39年に、真言宗豊山派から独立して、真言宗室生寺派大本山になりました。

観光客は結構多いのですが、境内は「落ち着いた気」です。時が止まっているかのような・・。

密教寺院というより、古刹と言う言葉がぴったりくるお寺です。

ではまた。

・・・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒヨドリ「ヒヨ」・・・

2022-01-14 17:38:37 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

ヒヨドリ・・・甘い果実が大好きで、人懐っこい鳥。

「ひ~よ」「ヒ~ヨ」と鳴き、とてもかわいい。

時に、「ピキュルリア」「ピキュルリア」と鳴いてますが、あれも「ヒヨドリ」です。

神社・仏閣にも結構いて、私の顔を覚えてくれています。

初詣では、大勢の人で「ごった返し」ている中でも、ハシブトガラスの「リキ」より先に気づいてくれて、「ヒーヨ ヒーヨ ヒー!」と鳴いていました。

地元の菩提寺や、高野山の菩提寺2つの寺院でも、「ヒーヨ」と鳴いてくれます。

奥之院にもいます。壇上にもいます。

私は、ヒヨドリを「ヒヨ」と呼んでいます。

ではまた。

・・・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顕教と密教・・・

2022-01-14 17:32:16 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

うちの家は、真言宗です。

よく、日本では「顕教」と「密教」が比較されるが・・・

アマゾンで買った原始仏典を読みかじると判るが・・お釈迦様の仏教は、「真理」そのものであり、顕教でも密教でも「無い」。

「顕教」や「密教」をはるかに超えたところにある。

お釈迦さまが菩提樹下で悟りを開いた時の内容は・・・

まず「降魔 (ごうま)」・・・内外の「魔」を降し、

宇宙の真理と一体となった。古代バラモン教の言い方だと、「梵我一如 (ぼんがいちにょ)」。

その内容は、アマゾンで買った原始仏典によると、

六神通」を体得した。六神通とは、

神足通・・・(iddhi-vidha-ñāṇa)自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来でき、思いどおりに外界のものを変えることのできる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜け等をし得る力。

天耳通dibba-sota-ñāṇa)世界すべての声や音を聞き取り、聞き分けることができる力。

他心通ceto-pariya-ñāṇa)他人の心の中をすべて読み取る力。

宿命通pubbe-nivāsānussati-ñāṇa)自他の過去の出来事や生活、前世をすべて知る力。

天眼通dibba-cakkhu-ñāṇa)一切の衆生の業による生死を遍知する智慧。一切の衆生の輪廻転生を見る力

漏尽通 āsavakkhaya-ñāṇa)煩悩が尽きて、今生を最後に二度と迷いの世界に生まれないことを知る智慧。生まれ変わることはなくなったと知る力。

例えば、「心が純一で透明で不動の境地に至ると、過去世のすべてを思い出した。一の生涯、10の生涯、万の生涯・・・無始の昔からのあらゆる過去世を思い出した。また、他の人々に目を向けると、彼らの無数の過去世もすべて見えた。そして、人以外の他の生物のあらゆる過去世もすべて見えた。宇宙の成立期、宇宙の破壊期、宇宙の成立破壊期の全ても見えた。(宇宙も転生する)・・・一身にして多身となり、多身にして一身となる。あるいは隠れ、また現れ、水中を進むことも自在であり、空中を飛ぶこと鳥の如し、城壁もなんの障害となることなく、すり抜けられる。手を伸ばして太陽と月に触り、肉身を有したまま、梵天界に到達し、大梵天界を身を持って支配することができる」・・・こういった表現で「悟り」の内容を、お釈迦様が語っておられる。

こういう超絶的な境地に、「密教」や「顕教」の僧侶が過去から現代まで到達した人がいるだろうか? 答えは「否」である。

そういう意味で、お釈迦様の仏教は、「密教」でも「顕教」でもなく、それらを「はるかに超えたところ」にある。

うちは真言宗であり、当然、密教は好きであるが、たまに真言僧の中に、お釈迦様のことを大日如来より下・・・と、見下した表現をする僧侶がいたりする。

しかし、そもそも、大日如来は「真理そのもの」であって「歴史上の人物」ではない。あくまで象徴である。「上」でも「下」でもない。

今の日本は無宗教国に近く、もはや仏教国とは言えない。大乗仏教は、中国・韓国・日本・ベトナムと、惨憺たる状態である。中でも日本は、明治以降、僧侶が「肉食妻帯勝手なるべし」とされ、僧侶は全員「在家坊主」「職業坊主」となり、

お釈迦様のことを見下した表現をする坊主には、

「己の姿をよく見てからモノを言え」と言いたい。涅槃に入られたとは言え、お釈迦様は消滅したワケでは無く、全てを見通しておられる。

話戻して、お釈迦様は、「顕教」も「密教」も、完全に超えた所にいるけど、日本の「顕教」(主に、禅宗寺院の古刹) や、「密教」真言・天台の古刹で、神仏習合しているままの古刹は、「日本の古代の神々が守っておられる」ので、これは、オーラ半端ないです。「カミ」と「ホトケ」の融合した、清浄な気に満ちている。

ではまた。

・・・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする