幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

私は運動音痴だから・・・

2018-01-10 20:06:09 | 日記

スポ根性モノが大嫌い! カヌー競技でトンデモナイことが起きてビックリ! 相手を陥れるためにボトルに薬物をいれたんだそうな。 今まで、自分の筋力アップなどのために薬物使用が問われていたが、今回は相手の出場を阻止するため。 ひねくれものから見ると、筋力アップのための薬も亢進剤も、記録更新のために研究を重ねた用具も似たようにさえ思えるが・・。 生身の体に害があるのはマズイ・・ということだろうね。

スコシ下火になったけれど、大相撲の方も賑やかだった。 で、先日は星野監督がなくなった。 「闘将」という枕詞が付く彼はドウだったんだろう。 もちろん、私はTV画面でしか彼を、彼の人となりを知らない。 が、勝手に想像してしまう。 彼もチカラを使って指導したことあるんじゃないかなぁ・・・。 お相撲さんと野球の監督・・・どこが違うんだろう?

スポーツは楽しむモノと言いつつも、究極の目的は勝つこと。 弱くて無様に負けるモノは不要でゴザル。 スポーツ選手の「勝気」が大っ嫌い。 

国家的プロジェクトにも言いたい。 日本はイマサラ、金メダルで国威掲揚ナンゾする必要ない。 あれは途上国の目標だと思う。 北区にあるとかいう立派な国の施設でワザを磨き、マスコミに取り上げてもらってその後はTV界にデビュー。 まぁ、ドリョクが必要であることは疑わないけれど。   


子供が高校生くらいまでが・・子育て、華の時代?!?

2018-01-09 22:16:03 | 日記

本日から業務開始。 その前にシライシさんのところでお薬をもらい、カーブスへ行って、公民館で部屋予約をして・・・。忙しかった。 カーブスは「測定」なのでいつもよりも時間がかかってキャンセルしたくなったけれど、ココまで待ったんだもの…と我慢。

シライシさんで思いがけない方、長男の高校時代の英語の先生に会った。 お母様の付き添いとのこと。 お年を召していらしたお母様もシッカリとしてシカも穏やかそうな感じのよい方だった。 実は彼が彼女の授業を受けていたのか否かも私は知らない。 が、この先生に私は自分の高校時代のエイゴの先生を重ねていた。「”高校”の先生」というのに私は憧れ尊敬していたのはホント。 

「〇〇高校にいらした〇〇先生でいらっしゃいますか?」 しばし、驚いたような表情をなさりながら・・。 私は「出来の悪いムスコが〇〇高校でお世話になっていました」 「お名前は?」 「ア~、覚えています。 今どうしてらっしゃいますか?」 コレコレシカジカ・・。 私自身のことも少々、まるで自分の恩師に会ったかのような錯覚を味わったかも。

短い時間だったが、私自身、ムスコの若い頃、私も若い頃を思い出して懐かしかった。 あの頃って子育ての最後の段階・・イロイロあったなぁ・・。  ホントか否かはトモカク、「覚えている」と仰って下さった対応は嬉しかった。 サスガ・・。   


始まったぁ・・否、始まるぅ!

2018-01-09 10:07:06 | 日記

天気予報ではスゴイ低気圧が来ていて、冷たい強風が予報されている一方で、本日は4月並みの温度になるとか・・?  今季最大の寒波が襲来、長期ご逗留という天気予報をスル~状態で聞いているからかピンとこない。 日本が広いことも実感しつつ、本州の背骨たる山岳地帯が如何にオモテとウラ、否、日本海側と太平洋側の気候に大きな違いを与えているかを知る。 ココは目下、無風状態で比較的暖かい。 但し、曇り空。

朝イチで「教室だより」作成。 引き出しから書類を出してチェックしていたら、見つかった!  楽譜・・よけておいたのは事実だった。  

さぁ、これからカーブスへ行って、公民館の教室を抑えて・・・。 4時からはクラスが始まる。


成人の日・・・着物アレコレ・・。

2018-01-08 13:16:46 | 日記

私自身の成人の日・・都内のアパートで一人でソレナリの感慨に耽っていた。 「もう20歳! これからの10年は私にとって革命的にチェンジするんだろうなぁ・・」  住民票のある父の任地では「成人式」があったのか否か・・。  トルコ石の指輪を買ってもらったっけ・・・。 

     

振袖は卒業の時。 高島屋で買ってもらったが、母が言ったっけ。 「アンタはやっぱり高いモノを選ぶわねぇ!」  ・・そんな気なかったけど、親の心、子知らず。  卒業式には母手作りのピンクのスーツ。  謝恩会でタカイ着物を着たけれど、「きみ、着物だから大変だろう?…」と言われて二次会ヌキの直帰。 ツマンナカッタ。 この着物って殆ど着てない。 お正月に鎌倉の母方のオバアチャンちと都内の父の友人宅へ行ったくらい。 この父の友人は伯父さんみたいな人。 当時、走っていた玉電乗り場までおくってもらったなぁ・・。  オヨメイリの時、たくさん着物を持ってきた、否、持たされたけれど着る機会ナシ。  未着用のものさえある。 どうしたらよいの?  和服をリフォームして洋服に・・がイマイチでねぇ。  アッ、マニラ娘たちが着るかしら??・・・と、一縷の望み? 夢?  

アッ、お見合い写真を撮る時に着せられたっけ・・・。 

      

 

 

 

 


成人の日・・・

2018-01-08 11:40:51 | 日記

予報どおりの曇り空。 雪が降らないからヨシとしよう。 当方、ムスコ2人なので豪華衣装を買って散財するコトもなくスル~。 もっとも母親としてソレナリの感慨もあったハズだが次男は同窓会気分で昔の・・ホンの数年前の・・友人と会って楽しんでいたっけ。長男は二浪中! それどころでなく、共通一次直前。 早朝から予備校に行ったと思う。 

この予備校、かなり強烈だった。 ご夫婦二人で全教科を教えているという荻窪の小さな予備校。 朝早くから登校、夜遅く帰宅。 小規模ユエに学割ナシ。 食事もゆっくりとる余裕なく、おにぎりを机に運んだ記憶ある。 私自身の受験の時よりも、緊張感があった1年で、結果は小気味よいほどホボOKだった。 但し、偏差値とは無関係? 私とオットの出身校にアウトで苦笑したっけ。 

現役時は部活中心。 社会科の授業中、「二ホンは学歴社会である。」を知り(!)、「ボク、大学へ行く。」と決意。 3年の夏の県大できれいなお姉さんに「ウチの大学に進学してウチに来て下さい。」 帰宅後、「R大ってどこにあるの?」にビックリ。 地方の高校生だった私徒て、所在地を知っていたイチオウ有名大。 現役時はその大学だけ受験。 入試に臨んで、自分の学力との落差を知りしばらく無口だった。 その後、当時のマンモス新興予備校でなく歴史ある中堅予備校に通ってタンタンとした浪人生活。 私たちの時代とは異なるのでコンナものかなぁ?・・と私は静観?? なんせ「推薦」のレベルがいまだにワカラン。 「タンタン」では不十分で、二浪目に突入し、上記のような緊張感に満ちた1年を送った次第。 

予備校、初日から夜遅い帰宅。 学力別に席が指定されていて、かなりの屈辱感を味わったらしい・・後日、知ったことだ。 大学の入学式・・と言うよりは大学とも近い距離にある予備校にお礼を言いたくて出掛けた。 先生曰く、「部活をしてきた子は強いですねぇ!」 彼にとってこの一年間の体験は忘れえないハズだが、私にとっても同様。 あの時の緊張感、心地よかった・・・懐かしい。 予備校の名は荻窪予備校!

次男は学校の化学の補講だけで現役合格。 受験料、入学金も一校のみというタイヘン経済的な大学進学だった。 就職もトントン拍子!  が、卒業後がタ~~イヘン。 人間、ドコカで躓く必要がアルことを知った次第。 今、どうやら・・・かな?