ハリケーン・カトリーナの復興ボランティアが明後日に迫りましたが、そもそもニューオリンズやカトリーナについて殆ど知らないことに気付いたので(遅すぎ!)、今日は、自分自身の予習も兼ねて調べたところをかいつまんでお伝えしようと思います。
○ 「ニューオリンズってどこ?」
アメリカ全土の白地図で赤くなっているところがルイジアナ州、拡大したルイジアナ州の地図の赤い部分が最大都市ニューオリンズ。メキシコ湾に通じる港湾都市で、人口はカトリーナ被災前は約48万5千人でしたが、今は多くの人が家を失い土地を追われたため、約22万人にまで減少してしまっているとのことです。
気候的にはハリケーンに頻繁に襲われることからも想像できますが、沖縄と同じような気候のようです。天気予報ではこの時期の日中の気温は大体20度と少し。ちなみにボストンからは、手元の飛行機のチケットを見ると、6:45ボストン発、11:54ニューオリンズ着ですが、時差が約1時間あるようなので、飛行機で約6時間の距離ですね。
○ 「カトリーナの被害」
これがニューオリンズ市の航空写真です。白くなっている部分が市街地・住宅地。中央に青く広がるのは海ではなく、ポンチャートレイン湖 (Lake Pontchartrain)。そのままメキシコ湾に通じているので、ちょうど島根県の松江にある宍道湖と同じような湖です。っと思ったら、何とニューオリンズ市と松江市は姉妹都市なんですね。
2005年8月29日にメキシコ湾沿岸に上陸した、史上最大規模のハリケーンカトリーナにより、ニューオリンズ市の約8割が水没し、1,723名もの命を奪ったのですが、その時氾濫したのがこのポンチャートレイン湖です。なぜ、そのように大きな被害がもたらされることとなったのか、答えはニューオリンズの地形にあります。
こちらはニューオリンズ市の断面図。右側(B)がポンチャートレイン湖で、左側(A)がミシシッピ川です。ご覧の通りほぼ全域が海抜ゼロメートル以下の地域となっており、ニューオリンズ市は「スープ皿」の異名をもつそうです。こんなところで、どちらかの堤防が溢れたら・・・結果は誰の目にも明らかですよね。
こんな悲惨な事態に陥るのを防ぐために、当然AとBの地点には堤防があるのですが、カトリーナ級(カテゴリー5)のハリケーンは「想定外」だったとのこと。(実際は予測もされており、かねてより十分「想定内」だったとの批判があるようですが。)結果、多くの家々が屋根の上まで水没するという自体を招いてしまいました。
○ 「ニューオリンズってどんなとこ?」
不幸にもアメリカ史上最大の自然災害による被災地として世界に名を馳せることになってしまったニューオリンズですが、もともとは、アメリカ屈指の観光地であったそうです。
かつてニューオリンズはフランスの植民地であり、1803年にフランスからアメリカに売却されたそうです。そうした歴史もあり、今でも市の一角にはフレンチクオーターと呼ばれるフランス情緒漂う美しい町並みが広がるほか、ジャズの発祥の地として知られる音楽の都であり、またミシシッピ川を「トムソーヤの冒険」を髣髴とさせるアメリカ汽船に乗ってクルージングを楽しむことの出来る水の都でもあるそうです。
また、毎年2月にはマルティグラ(Mardi Gras)と呼ばれる世界最大規模のカーニバルが開催されるほか、4月末には約4,000人のミュージシャンが参加するジャズ・フェスティバルなる催し物もあるようで、こうしたイベントを新鮮なシーフードを味わいながら楽しむことの出来のも、ニューオリンズの魅力だそうです。
○ 「で、何をやるの?」
ボランティアでの主な仕事内容は、① ガレキの除去、② カビ取り、だそうです。。。
昨年夏にボランティア活動に参加した人の話では、市の一部は完全にゴーストタウン状態で、とても1年以上前の災害現場とは思えないような悲惨な状況との事。さらには、キツイ、キタナイ、クサイ作業を通じて、「ネコくらい大きなネズミ達」や「ネズミくらい大きいゴキブリ達」と仲良しになれるそうで、今から武者震いがとまりません。
ともあれ、9月以来図書館や教室にこもって「冷や汗」を流す毎日だったので、新しい仲間と久しぶりにいい汗を流せる貴重な機会となりそうです。
という訳で、現地からも色々報告しますので、皆さん、健闘を祈っていて下さい。
ニューオリンズ滞在の最終日は観光に当てる予定なので、まだ残っているであろう本来の魅力も堪能できればと思っています。
また、人種構成や街の「お上品さ」、名物料理やその由来も北東部とは明らかに異なるため、きっとボストンとは異なる米国の一面が見られるかと思います。