ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

フォーラム②

2006年10月31日 | ケネディスクールのイベント

 

 今日は、昨日に引き続き、ケネディ・スクールのフォーラムについて、より具体的に「Can North Korea’s Nuclear Breakout Be Stopped?(北朝鮮の核をとめることは出来るのか?) 」とのテーマの下で開催された昨日のフォーラムの内容について紹介します。

 10月9日に行われた北朝鮮の核実験、及びその後の国連安保理における制裁決議の議論等の影響もあり、最近、ケネディ・スクールでも北朝鮮に関するパネルディスカッションやプレゼンテーションの頻度が増してきましたが、昨日のフォーラムはその中でも最も規模の大きなものでした。例の「尋常でなく安っぽい」“学生ラウンジ”改め、堂々たる?“John.F.Kennedy Forum"に隅々まで敷き詰められたいすは聴衆でいっぱいになり、2階・3階からも多くの学生や観客が身を乗り出して議論に耳を傾けていました。

 クリントン政権時代に安全保障関係の大統領補佐官を務めたAshton Carter教授の司会の下、議論を展開したのは、Choi Young-jin 韓国国連大使、元CIAアジア担当の高官 Artur Brown 氏、韓国・北朝鮮での人権活動家 Steven Linton博士、元在韓米軍司令官 Jhon H. Tilelli 氏、元中国外務省 アジア局のチーフアナリスト Xiaohui Wu 氏の5名のパネラーで、中国・韓国・アメリカの安全保障政策・人権保護の4つの観点から(日本が入っていないのは残念ですが)の意見を聞くことが出来たわけです。

 議論の内容は、10年後の朝鮮半島情勢(現状維持か、非核の統一朝鮮か、あるいは核武装された統一朝鮮か?)、国連安保理での経済制裁決議の主目的は北朝鮮へ核の放棄を求めるものなのか、それとも北朝鮮を6カ国協議のテーブルに戻すことなのか、米国はどのラインまで寛容(tolerance)を維持すべき、維持できるのか、不寛容(intolerance)とは具体的にどのような行動をさすのか、等々について議論がなされました。

 パネルディスカッションは45分ほどで終わり、その後、恒例の「尋常でない開放度」を今回も遺憾なく発揮してくれたケネディ・スクールフォーラム。30分近く質問の時間を確保してくれました。僕自身、フォーラムに参加する時には、毎回、質問をするようにしているため、今回も自身の問題意識をパネラーにぶつけ、元CIA高官で日本に住まれたこともあると言う、Brown氏より回答をもらいました。

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筆者:「北東アジアの更なる核拡散の可能性について伺いたい。今回の北朝鮮の事件を機に、日本も核武装をする可能性があるのでは、という議論をする者がいる。一方で、日本は唯一の核兵器の犠牲者であり、国民感情も踏まれば、日本の核武装はないだろう、と主張するものもいる。皆さんは、日本の核武装の可能性についてどのようにお考えか?」

   

Brown氏:「(一言・きっぱりと)No!」

 「日本では核武装云々を議論することさえ、これまで完全にタブーだった。最近では議論することへのタブー視に、ほんの少し変化が見られるが、私の見解では、日本人が日本の核武装を許容することは、北朝鮮がどのような行動を取ろうとも、全くあり得ない。」

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 自分としては、非常に安心する答えでした。なぜなら、日本が、日本人というものが、正確に理解されていると感じたからです。

 国際社会において、核保有の問題は、純粋に安全保障政策の観点から、外交カードの一つとして、その費用対効果を踏まえて論じられることが一般的であるように思えます。また、現在のNPT体制を、既存の核保有国の既得権を守ることに寄与しても、核の脅威を減らすことに寄与していないため、その正統性が疑わしいという意見もよく耳にします。

 しかし、僕自身、一日本人として、また一年間ヒロシマの空気の中で生きた者として、日本人にとって核保有の問題は、「費用対効果=損か得か」とか、「パワーバランス」だとか、「NPTの正統性」なんていう議論を全く“超越”して、人類の倫理として、それが「感情的」であるとか、「論理的でない」との謗りを受けてもなお、「ダメなものはダメ」と、多くの人が胸を張って心の底から信じることに出来る、稀有な人種だと思っています。

 多数の参加者が質問に立ちましたが、一つ印象的なやりとりがありました。韓国人の大学1年生が韓国の国連大使に対して投げかけた質問です。

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学生:「いわゆる太陽政策は効を奏していないのではないか。太陽政策が北朝鮮の暴走を許容したと、多くの韓国人が考え始めているが、大使はどのようにお考えか。」

大使:「太陽政策の意義について、短い時間で説明するのは非常に難しい。ドイツは、戦後、朝鮮と同じく(東西に)分裂したが、統一ドイツの歴史は、1870年にビスマルクがドイツをつくって以来、冷戦後を含めても70年ほどしかない。一方で、朝鮮民族は千年以上年もの間、同胞なのだ。どんなことが起こっても、この事実は変わらない。同時に、朝鮮戦争以来、私達は敵同士の関係にある。私達は、このうちどちらか一つを選ぶわけにはいかず、バランスを取らなければならない。この2つの現実の間に私達のジレンマがある。確かに、金剛山観光事業や、工業団地の共同造成プロジェクト等のこれまでの関与政策は、北朝鮮からReciprocity(互恵主義)という形で受け止められていないようだ。よって、現在韓国政府はその範囲と実施のペースの見直しを行っている。しかし、関与政策を完全に捨て去ることは、私達が兄弟である、同じ民族であるということを捨てるのと同じだ。もちろん、今回の核実験は本当に深刻であり、だからこそプロジェクトの見直しを行っているが、その程度は、北朝鮮が今後どのくらいReciprocity(互恵主義)を念頭において行動してくれるかにかかっている。」

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 大使は、この時以外にも何度も「Reciprocity」という言葉を使われていました。

 北朝鮮の核や人権問題を解決するために、韓国と日本・アメリカの足並みがピタリとそろうことの重要性は疑いのないところですが、その可能性となるとどうでしょう?そこには、日本やアメリカからは必ずしも見えにくい、「費用対効果」とか「パワーバランス」では説明のできない、だからこそ大切な、「朝鮮民族としての感情」が横たわっているように思えてなりませんでした。

 以上で昨日の北朝鮮に関するフォーラムの紹介を終わります。内容に興味のある方は、ケネディ・スクールのホームページよりビデオをダウンロードすることが出来ますので、ご覧下さい。


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