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霊 山

2023年03月08日 | 教学ノート(四)

大白法 平成30年1月16日(第973号)

  教 学 ノ ー ト 

     ㊴ 霊 山

 霊山とは、霊鷲山の略称で、インドのビハール州にある山です。

山頂が鷲の形をしていることや、鷲が多く棲んでいたことからこの名前が付けられたようです。

 ここは、古代に栄えた摩(ま)竭(か)陀(だ)国(こく)の首都・王(おう)舎(しゃ)城(じょう)の東北にあって、法華経が説かれた場所でもあることから、仏様がお住まいになる清浄な国土(常寂光土)を意味し、霊山浄土とも言います。

 日蓮大聖人様は御書の『南条殿御返事』に、

 「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり(中略)かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき」

  (御書 1569㌻)

と仰せです。

 一大事の秘法を胸の中に収める日蓮大聖人様のいらっしゃる所こそ霊山浄土です。ですから、大聖人様の御魂魄である本門戒壇の大御本尊様がいらっしゃる総本山大石寺が末法の私たちにとっての霊山浄土です。

 同じく御書の『御義口伝』には、

 「霊山とは御本尊並びに今(いま)日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処」

  (同 1770㌻)

と仰せです。

 つまり、総本山大石寺はもちろん霊山浄土ですし、代々の御法主上人猊下が御(ご)書(しょ)写(しゃ)あそばされた御本尊様が安置されている日蓮正宗の寺院や、皆さんのお家も霊山浄土なのです。正しい御本尊様を信じて「南無妙法蓮華経」と唱える私たちがいる場所は、御本尊様のお力によって霊山浄土となるのです。 

 似たような言葉に念仏の経典である阿弥陀経には「西方極楽浄土」という世界が説かれていますが、今の世の中では「私たちが住むこの汚れた苦しい世界を捨てて、極楽浄土に行き幸せになろう」という誤った解釈が広まっています。これは、現実の苦しみから逃げようとする、間違った教えてあり、現実が厳しいから楽な世界へ行こうという教えでは、いつまで経っても幸せになれるはずはありません。

 大聖人様の仏法は、どんなに苦しい時でも「南無妙法蓮華経」と唱えて困難を乗り越え、現実に住むその場を霊山浄土としていくのです。

 「只一心に信心おはして霊山を期(ご)し給へ」

  (同 723㌻)

との御金言の通り、一心に信心修行に励むことで必ず御仏智を戴き、幸せへの道が開かれることを確信しましょう。 




🖊 ポイント

御法主日如上人猊下は、

「須弥山に近づく鳥は金色となる」

 (御書 1054㌻)

と仰せの如く、(中略)総本山に登山参詣する功徳は凡智をもってしては計り知れない大きなものがあり、過去遠々劫の罪障を消滅し、三業の悪を転じて法身・般若・解脱の三徳を成ずる」

 (大白法 757号)

と仰せです。今年は何回登山できるでしょう、計画を立てましょうね。

 

 

 

 

 

 


四苦八苦

2023年03月07日 | 教学ノート(四)

大白法 平成29年11月16日(第969号)

  教 学 ノ ー ト 

   ㊳ 四 苦 八 苦

 四苦八苦とは、私たちが受けるすべての苦しみを総称した言葉です。

現代では「四苦八苦する」などの言い方で、たいへん苦労することの意味で用いられています。

 四苦は、生苦、老苦、病苦、死苦の四つの苦しみのことを言い、これに愛別離苦、怨憎会苦、 求不得苦、五陰盛苦の四つの苦しみを加えて八苦と言います。四苦とは別に八苦があるのではありません。

 まず、生苦とは、生まれる苦しみ、老苦とは老いる苦しみ、病苦とは心や身体に不調をきたす(病気になる)苦しみ、 死苦とは死を迎える苦しみのことです。

 次に愛別離苦とは、 愛しい人と別れて離れなければならない苦しみ、怨憎会苦とは、恨み憎む人と会わなければならない苦しみ、 求不得苦とは、求めても自分の思い通りに得られない苦しみ、五陰盛苦とは、五陰(色、受、想、行、識)に執着することによって受ける苦しみのことです。

 現実世界の中で、四苦八苦から生じる苦悩を受けずに生活できる人は一人としていません。

 「世の中の人々は、いつも四苦から起こる様々な苦悩を受けている。またその苦しみが悪因となって、来世では地獄・畜生・餓鬼の苦しみを受けることになり、仮に天界や人界に生まれたとしても、心は貧しく困窮し、愛しい人とは離別し、怨み憎む者と出会っては怒り苦しむことになる。このように人々は、苦悩に埋もれているにもかかわらず、苦しみを自覚できず、苦しみの中で平然と暮らし、大きな苦しみに遭っても心配しないでいる(趣意)」(法華経 151㌻)

と説かれています。

 日蓮大聖人様は、こうした苦悩に満ちあふれた中で生きていく心得を、 『四条金吾殿御返事』に、

「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうち と(唱)なへ ゐ(居)させ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書 991㌻)

と仰せです。

 私たちは苦は苦、楽は楽と認識し、苦楽共に受け入れて御本尊様に南無妙法蓮華経と唱えるならば、どんな苦悩や困難にも負けることなく、力強く人生を送ることができるのです。




🖊 ポイント

御法主日如上人猊下は、 

「真実の仏法を知らない多くの人々が、三界六道の苦しみを受け、転々として苦しみを繰り返し、この苦しみの世界から出ることができずに喘いでいます。これはすべて、邪義邪宗の謗法の害毒によるものであります。

 私どもは、こうした苦悩に喘ぐ多くの人々に対して、邪義邪宗の害毒の弊害を説き、折伏を行じ、救っていかなければなりません」(大白法 891号)

と仰せです。人々を苦しみから救う正法を弘めるのは、私たちの使命です。

 

 

 

 

 

 


出世の本懐

2023年03月06日 | 教学ノート(四)

大白法 平成29年10月16日(第967号)

  教 学 ノ ー ト 

     ㊲ 出世の本懐

 出世の本懐とは、 仏様が世に出現なさった究極の目的を言います。 

 その目的について釈尊は法華経の中で、仏様の本懐(本来の望み、本望としていること)は一切衆生を成仏させることで、そのために仏様は世に出現されたと説かれました。 

 

また、大聖人様は、

 「釈尊は四十余年で、天台大師は三十余年、そして伝教大師は二十余年かかって出世の本懐を遂げられた。その間の大難は言うまでもない(趣意)」(聖人御難事・御書 1396㌻)

と、釈尊、天台、伝教の三師の例を挙げられて、法華経の行者は必ず出世の本懐を遂げられるということと、その成就のためには必ずたいへん大きな難が起こることを仰せです。

 この三師のうち、釈尊は「法華経」 を説かれました。天台大師は「摩訶止観」を講述されましたし、伝教大師は「大乗戒壇」を建立されて、人々に成仏の方途を示されて、同じように本懐を遂げられたのです。

 大聖人様の御本懐とは、三大秘法の意義をすべて具える本門戒壇の大御本尊様を顕わすことであり、末法万年の一切衆生を救うことです。

 大聖人様が本懐を成就されたのは、 

 「清(せい)澄(ちょう)寺(じ)と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午(うま)の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年 太(たい)歳(さい)己(つちのと)卯(う)なり」(同 ㌻)

と説かれるように、建長5(1253)年の4月28日、宗旨建立から27年目の弘安2(1279)年です。

 この弘安2年は、熱原法難の最(さ)中(なか)で、入信間もない読み書きもできない身分の低い熱原の農民たちが、身命に及ぶ大難に遭いながらも命をかけて正法を信じ抜くという姿を示しました。大聖人様は、この法難に時の到来を感じられて、この年の10月12日、出世の本懐である本門戒壇の大御本尊様を御図顕あそばされたのです。 

 そのことを、

 「此の御本尊は世尊説きおかせ給ひてのち、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台・日本の伝教はほ(粗)ゞし(知)ろしめして、いさゝかもひ(弘)ろめさせ給はず。当時こそひろまらせ給ふべき時にあたりて候へ」(本尊問答抄・同 1283㌻)

と仰せです。

 私たちは、この御本尊に対し奉り、篤い信心をもって読経・唱題に励み、自行化他に邁進することによって成仏することができるのです。




🖊 ポイント

総本山第26世日寛上人は、『観心本尊抄文段』に、

「弘安元年 已(い)後(ご)、究竟の極説なり。就(なかん)中(ずく)弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。况んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」

 (御書文段 197㌻)

と仰せられています。

 

 

 

 

 


受 持

2023年03月03日 | 教学ノート(四)

大白法 平成29年9月16日(第965号)

 「教 学 ノ ー ト」 

     ㊱ 受 持

 受持というのは、」正しい教えを受けて、深く信じ、 持(たも)つことを言います。

 『法華経』に5種類の就業法が解かれていますが、そのうちの一つです。

 受持の他の4つの修行法は、 読(読み上げる)・誦(暗誦する)・解説(解釈して人に説く)・書写(書き写す)があります。

  日蓮大聖人様の教えでは、受持するということは、本門戒壇の大御本尊様を固く信じて、南無妙法蓮華経と唱えることです。

 大聖人様の御書の『日女御前御返事』に、

 「法華経を受けた持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる、即ち五種の修行を具足するなり」(御書 1389㌻)

という御金言があります。これは「私たちが『南無妙法蓮華経』と唱えて信心をしていくことは、5種類の修行法すべてが含まれています」ということを仰せになっています。

 また、『観心本尊抄』という御書には、

 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(御書 653㌻)

という御金言があります。

 これは、釈尊が仏になるために積んだ修行の功徳(因行)と成仏の功徳(果徳)は、すべて妙法蓮華経の五字に納まっていますから、この妙法を受持信行する人は成仏することができると説かれているのです。

 ですから、私たちが毎日、朝夕に勤行すること、お仏壇のお掃除をしたりお水をお供えすること、総本山に登山すること、寺院に参詣すること、御供養申し上げること、折伏をすること、など、日頃の信心活動が、そのまま成仏のための修行なのです。

 このように、御本尊様を信じて妙法を唱える受持の修行に具わっている広大な功徳について、御法主日如上人猊下は、

 「妙法受持の功徳をおのれ一人だけに留めず、謗法の害毒によっていまだ塗炭の苦しみにあえぐ多くの人々に下種結縁し、折伏逆化の闘いを進めていくことが肝要なのであります」(大白法 695号)

と御指南くださっています。

 私たちは、日蓮正宗の教えを受持できる喜びと功徳を、一人でも多くの人に伝えていきましょう。




🖊 ポイント

総本山第26世日寛上人は、妙法受持の広大なる功徳について『法華取要抄文段』に、

 「此の本尊を受持する則(とき)んば祈りとして叶わざること無く、福として来たらざること無く、罪として滅せざること無く、理として顕われざること無し。故に此の本尊信受の輩は但受持の一行のみにして尚成仏すべし」(御書文段 539㌻)

と御指南されています。

 

 

 

 

 


十大部

2023年03月02日 | 教学ノート(四)

大白法 平成29年8月16日(第963号)

 「 教 学 ノ ー ト 」 

     ㉟ 十大部

 十大部とは、日蓮大聖人様が御一期(御一生)を通して著わされた御書のうち、第二祖日興上人様が特に重要な御書として選ばれた十篇の御書のことです。

 この十大部は『富士一跡門徒存知事』(御書 1870㌻)に定められています。

次に、十大部の名称と、いつ、どこで書かれたかを記します。

・『唱法華題目抄』文応元(1260)年5月28日 鎌倉

・『立正安国論』文応元年7月16日 鎌倉

・『開目抄』文永九(1272)年2月 佐渡

・『如来滅後五五百歳始観心観心本尊抄』文永10年4月25日 佐渡

・『法華取要抄』文永11年5月24日 身延

・『撰時抄』建治元(1275)年6月10日 身延

・『報恩抄』建治2年7月21日 身延

・『四信五品抄』建治3年4月 身延

・『下山御消息』建治3年6月 身延

・『本尊問答抄』弘安元(1278)年9月 身延

また、このうちの『立正安国論』、『開目抄』、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』、『撰時抄』、『報恩抄』を指して五大部とも称します。

 大聖人様の御入滅後、日興上人様の弟子以外の門流では、御書を軽視し、紙が貴重な時代でしたので御書を溶かしてもうー度新しい紙にしたりしてしまう者がいました。

 日興上人様は、大聖人様が著わされた御書を仏様の御金言であると拝し、御書を破却し焼失する他門流の行為を批難し、嘆かれました。

そして、弟子・檀那に御書を講談されるなどして、十大部はもちろんのこと、いかなる御書も尊重するよう教示され、また御書を後代に伝えるために、門下を挙げて御書の筆写を行い、御書の護持と伝承に心を尽くされたのです。

第五十九世日亨上人は、

「祖書の御写本がもっとも多く現存するのは、日興上人が他を引き離して最大多数であり、また大聖の書抄をただちに御門下の僧分または信徒に読みきかせられたのも、興尊が特長であろう」(富士日興上人詳伝 三九五)

と仰せです。

現在、私たちが大聖人様の正しい教えを聞き、学ぶことができているのは、ひとえに、日興上人様の御書を大切になさる信心姿勢によるのです。

したがって私たちは、この日興上人様の御心をしっかりと体した上で御住職・御主管の御法話を拝聴し、また自らも御書を拝読することが大切です。

 

 🖊 ポイント

『平成新編御書』には、大聖人様が21歳の時から、御入滅あそばされる61歳の時までの御書が御認めになられた年代順ご収録されています。

その目次を見ると、十大部の御書の中で、五大部の御書には◎が、それ以外の五篇の御書には○の符号が御書名に付いています。

御書を開いて拝読してみましょう。

 

 

 

 

 

 


雪山の寒苦鳥

2023年03月01日 | 教学ノート(四)

大白法 平成29年7月16日(第961号)

 「 教 学 ノ ー ト 」 

     ㉞ 雪山の寒苦鳥

 「雪山の寒苦鳥」とは、インドの雪山という雪深い山に住むと言われる想像上の鳥を言います。

  寒苦鳥の説話は、次のような内容です。

 「雪山に住む寒苦鳥は、日中の暖かさによって夕方まで眠り続け、日が沈みかけたころに目を覚ましました。

  お腹をすかせた寒苦鳥は、急いで食べ物を探しに行きました。早く食べ物にありつかなければ、夜の寒さに凍えて死んでしまうかも知れないからです。

  寒苦鳥は駆けずり回り、やっと食べ物を得ることができました。

 すると、夕日が沈むのと同時に辺りは冷え込んできました。 その寒さは、時間が過ぎるにしたがって厳しさを増してきました。

 寒苦鳥は、凍りつく寒さに震えながら眠れぬ夜を過ごし、夜が明けたら真っ先に暖かい巣を作ろうと思いました。

 そして、辛くて長い夜が明けました。

 次の日、雪山は日の出と共に気温が上昇しました。寒苦鳥はその暖かさで眠くなってきました。

 こうして再び、日中は眠って過ごし、日暮れ近くに食べ物を探し、夜には明日こそは巣を作ろうと決意するのです。

  しかし、次の日も、また次の日も、暖かさによって眠りにつき、結局巣を作ることなく一生を終えてしまったのです」 

このことを、日蓮大聖人様は『新池御書』に、

「雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて、夜明けなば栖つくらんと鳴くといえども、日出でぬれば朝日のあたゝかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをう。一切衆生も亦復是くの如し」(御書 1457㌻)

と仰せられています。

 謗法を犯して地獄に堕ちた人は、地獄に堕ちて苦しんでいるときには、再び人間として生まれたら、今度こそは真剣に仏道修行に励もうと思います。 

 しかし、いざ人間に生まれると、名聞名利(地位や名誉、金品等の財産)に執らわれて仏道修行を全うできず、 再び、地獄の苦しみを受けることになるということを譬えられたものです。私たちは、寒苦鳥のようにならないよう、日々信心修行に精進していくことが大切です。 




🖊 ポイント

御法主日如上人猊下は、

「朝夕の勤行をきちんとしなければならない、勉強をしなければならないと思いながら、遊びに夢中になって忘れてしまったり、テレビやメールやチャットに熱中して、無駄な時間を費やしてしまうことはありませんか、。

 たしかに、どんな人にも寒苦鳥のような怠け心はあります。しかし、その心に負けず、なすべきことをしっかりとやっていくことが大事なのであります」

(大白法 915号)

と御指南あそばされています。