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大石寺こそ

2023年03月27日 | 異流儀破折(一)

大白法 令和4年10月1日

 異流義破折 226

  大石寺こそ御遺命の最勝の地

  ー 創 価 学 会

 かつての創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として、総本山大石寺を「生命のふるさと」と慕い、 破門までの約四十年間で、延べ七千万人が、喜々として登山参詣した。そして、大御本尊の広大なる功徳と、内拝を許された歴代の御法主上人猊下の御慈悲により、大きな発展を遂げたのである。

 その下種三宝の御恩徳を踏みにじり、大石寺を、

 「学会を破門した大謗法」(創価新報 令和二年二月十九日付)

の地と誹謗し、大御本尊への信仰を放棄した。破門された理由を真摯に省みることもなく、破門された後は、登山を、

 「金儲けのために信徒を脅し、だます全くの邪義」(同)

と誹謗する。「忘恩」「無慚無愧」とは学会のための言葉だ。

 

 信濃町は遺命の地に非ず

 学会では初代会長から三代を「永遠の師匠」と仰ぐ。では、池田大作以外の二人は、何と指導していたか。 

 「御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である」(牧口常三郎全集)

 「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない」(戸田城聖全集)

対して大作は、

 「信濃町を『世界総本部』という壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された」(創価学会会憲・前文)

という。

 「御書根本」と嘯(うそぶ)く大作には、大御本尊を放棄した理由、大石寺を捨てて「信濃町」を取る正当性を、御書の御教示によって釈明してみよと言いたい。

 

 大石寺が最勝の地たる所以

 日蓮大聖人の御遺命は、

 「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」

  (御書 一五九五㌻)

 「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」

  (同 一六七五㌻)

 「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」

  (同 一六九九㌻)

と、三大秘法の正法を一天四海に広宣流布して、最勝の地である富士山(大石寺)に事の戒壇を建立することである。

 そして、第二十六世日寛上人は、大石寺こそが本門戒壇建立の最勝の霊地であることを、①結要付嘱の玄鑑(仏の深遠な照覧)、②日本第一の名山、③王城の鬼門(丑寅)に当たる、④富士山を蓬莱山と名付ける、⑤大日蓮華山と名付ける、との五義(御書文段五四三㌻)、また、①広宣流布の根源、②迹門をもって本門の例とする、③本門大戒壇の霊場、④末法万年の総貫首(日興上人)の所栖、⑤一閻浮提の座主(日目上人)の所住、との五義(六巻抄六八㌻)をもって御指南された。

 このように道理・文証・現証の上から、大石寺こそが大聖人御遺命の「本門根源事の戒壇・真の霊山・事の寂光土」であることは明白である。

 

 再び大御本尊のもとへ

 亡くなる前に「もう一度、日蓮正宗に戻りたい」と本音を洩(も)らす学会員は多いと聞く。ならば一刻も早く、大御本尊への唯一無二の信心を取り戻すべきだ。

 大聖人の御魂魄は大御本尊として、今なお大石寺に厳然とおわします。

 「参詣遥かに中絶せり。急々に来臨を企つべし。是にて待ち入って候べし」

  (御書 一五六九㌻)

との御教示を重く受け止めなければならない。

 三宝破壊の池田教との魔縁を断ち切り、大御本尊在す大石寺での懺悔滅罪を待たれる、大慈大悲の御金言と拝すべきである。

 御法主日如上人猊下は、

 「創価学会は頭破七分して(中略)本門戒壇の大御本尊への信仰を否定する大謗法を犯し、多くの会員を幻惑して不幸に落としめる、この上なき大罪を犯すに至りました。(中略)私どもはその誤りを糾し、一人でも多くの学会員を覚醒させ、救っていくことが大事であります」(大白法 九〇一号)

と御指南である。

 謗法の害毒で苦しむ学会員が再び大御本尊に帰依できるよう、手を差し伸べていこう。