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道のとをきに

2023年03月23日 | 光 明(一)

大白法 令和五年三月十六日 第1097号

 光 明

 「道のと(遠)をきに心ざしのあらわるゝにや」

 

 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の慶祝記念総登山会が、三月四日を皮切りに始まった。

 「道のと(遠)をきに心ざしのあらわるゝにや」

  (御書 六八九㌻)

との御文は、『乙御前母御書』(文永十年十一月三日)の一節である。

 乙御前の母・日妙聖人は単身、鎌倉より佐渡の日蓮大聖人のもとへ険路をも怖じず参詣した。冬の荒海はさらに難儀であったろう。大聖人はこうした状況を括り、一心に法を求めて歩みを運んだ信心の志を愛でられたのである。

 本紙二月十六日号には、渡航規制の緩和を待ちに待った、昨秋、九十四歳の女性がアメリカ・ワシントンD.C.妙宣寺の団体登山で、また八十代の女性がフランス・パリから単身で、遠き道を登山参詣したことが紹介されていた。全講員には、現代の登山参詣の手本として記念総登山に臨んで欲しい。

 住古、維摩長者は八十歳の老齢ながら、釈尊が法を説かれると聞き、四十里もの道のりを歩いて参詣した。釈尊は、その法を求めて歩みを運ぶ功徳を説かれた。

 一歩一歩踏んできた土を集め、打ち砕き、芥(け)子(し)粒(つぶ)ほどの塵(ちり)にしょう。その一粒一粒が、一劫(こう)という長い時間に積んだあなたの罪障を消滅させる。乃至、その無量の塵は、あなたの過(か)去(こ)遠(おん)々(おん)劫(ごう)の罪障を消滅させるであろう。また今より以降、あなたが実際に仏に値い奉って法を聞く数も、その塵と同じく無量である、と。

 現代、歩いて登山参詣する人はなかろう。しかし法を求めて歩みを運ぶ功徳は、その信心の志のもと、無量の功徳に繋がっていく。

 大聖人は『四条金吾殿御返事』に仰せである。

 「今此の所も此くの如し。仏菩薩の住み給ふ功徳聚の砌なり。(中略)毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし」

 (同 一五〇二㌻)

 講員一同、時に当たり慶祝記念総登山の大きい功徳を自覚し、大聖人御聖誕に篤く御報謝申し上げ、折伏躍動・広布前進を誓い合おう。(耀)