大白法(平成26年12月16日)第899号
【教学基礎講座】3
仏教の起源 その②
ー釈尊の生涯ー
現在、釈迦の生涯に関する年代や年齢などにいろいろな説がありますが、ここでは日蓮大聖人様が用いられたと言われる『周書異記』の説に従って、釈尊の生涯を紹介したいと思います。
〈釈迦族〉
釈迦とは、現在のネパール地方の南部に住んでいた種族の名前であり、この釈迦族は当時、 一種の共和国を形成していたと言われています。まず十人の長を選び、その中から一人の長を選出して、これを王と称していました。この釈迦族の首府を迦毘羅衛城(カピラヴァストゥ)と言いました。
〈釈尊の誕生〉
この釈迦族から出た聖者(ムニ)を尊称して釈迦牟尼世尊と言い、これを訳して釈尊と言います。釈尊は迦毘羅衛城の浄飯王(シュッドーダナ)を父とし、摩耶(マーヤー)夫人を母として誕生しました。誕生した悉達多太子が、七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言った話は広く知られています。
〈阿私陀仙人の涙〉
浄飯王は太子の誕生を喜び、将来を阿私陀仙人に占ってもらうことにしました。すると仙人は「この王子は将来、大王になってインドを統率するか、出家したなら偉大な仏になるであろう。しかし、年老いた私はその王子の成人した姿を見ることができない」と言って涙を流したと言われています。
〈出家〉
悉達多太子は幼い頃から聡明であり、青年時代には文武両道においても非常に優れていたので、浄飯王は太子に王位を継がせようとしました。しかし太子にはその気持ちはなく、妃(きさき)の耶諭陀羅(ヤショーダラー)との間に男子羅睺羅(ラーフラ)が生まれたのを機に、出家の道を志す気持ちが次第に強まっていきました。
ある時、太子は四方の城門から遊楽に出ることになりました。ところが最初に、東の門から出ると老人に会い、次に南の門より出ると病人に会い、西の門から出ると死者に会いました。そのたびに快楽の欲望を失い、ますます俗世に嫌気が差した太子が最後に北の門から出ると、身も心も清浄な一人の出家者に出会いました。そこに正しく自分の理想の姿を見出した太子は、この時出家の意志を固めたのです。これを「四門出遊(遊観)」と言います。
〈成道〉
王宮を出た太子は、王から遣わされた阿若憍陳如(アジュニャ・カウンディンヤ)等五人の比丘と共に、初めは阿羅邏迦蘭(アーラーダ・カーラーマ)優陀羅羅摩子(ウドラカ・ラーマプトラ)という二人の仙人について修行したと言われていますが、それによって悟りを得ることはできませんでした。その後、十二年間にわたってあらゆる苦行を修めましたが、快楽に溺れるのと同様に、極端な苦行もまた無意味なことを悟り、仏陀伽耶(ブッタガヤ)の近くにある尼連禅河(ナイランジャナ−)で沐浴し、牧女の捧じた乳粥を食べて元気を恢復しました。
これを見た五人の比丘たちは、釈尊が退転したと思い、皆その場を去っていきました。その後、釈尊は菩提樹の下の金剛宝座に座して沈思黙想の末、ついに悟りを開き、ここに仏陀(覚者)となったのです。時に三十歳でした。この時、伽耶という町で仏陀が悟りを開いたということか ら、以後この地を仏陀伽耶と呼ぶようになったのです。
〈転法輪〉
釈尊は成道したその座で二十一日間華厳経を解き、その後、波羅奈国(バーラナシー)の鹿野苑(サルナ−ト)に行き、釈尊が苦行を捨てたとき、その元を去った五人をまず最初に教化し弟子としました。次いで、仏陀伽耶方面に行き、迦葉(カッサパ)三兄弟を弟子とし、進んでマカダ国の王舎城(ラージャグリハ)へ入り、そこで舎利弗(シャ−リプトラ)、目犍連(マウドガリヤ−ヤナ)の二大弟子を始め、多くの人々を教化する一方、頻婆娑羅王(ビンビサーラ)によって竹林精舎、また舎衛国の須達(シュダッタ)長者によって祇園精舎が供養され教団は大いに興隆しました。
故郷の迦毘羅衛城に帰ったときは、従弟の阿難、釈尊の子羅睺羅、義母の摩訶波闍波提、妃の耶諭陀羅等、多くの同族が弟子となりましたが、阿難の兄、提婆達多(デーヴァダッタ)は、マカダ国の太子阿闍世と結託して釈尊の化導を妨害しました。
このような九横の大難と言われる法難に遭いながら法を説き、最後にマカダ国の霊鷲山(グリドラクータ)で、出世の本懐である法華経を説き明かしたのです。
これら一大説教の内容は、後に中国の天台大師によって五時八教として判釈されました。
〈涅槃〉
五十年間の説法教化の後、拘尸那掲羅(クシナガラ)の沙羅双樹の下で、二月十五日、八十歳で入滅されました。これを涅槃と言います。
〈八相成道〉
仏が衆生を救うために、御一生のうちに現わされた八つの姿を八相成道と言います。
八相成道とは、
①下天(都率天より降下すること)、
②託胎(母の胎内に宿ること)、
③出胎(出生すること)、
④出家(家を出て修行の道に入ること)、
⑤降摩(悟りを妨げる魔を断破すること)、
⑥成道(悟りを開くこと)、
⑦転法輪(説法をして衆生を教化すること)、
⑧入涅槃(説法を終えて入滅すること)です。
私たちは、この八相成道を示された釈尊の真実の目的が、法華経を説くためであったことを忘れてはなりません。
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