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建築設計者の日々是好日

建築家として感謝をもって生きる日々の記録

環境に対する建築家の立ち位置

2022年05月23日 | 環境

最近の気候変動問題は人間の活動に抜本的な変容を迫るものと感じる

建築家はその活動の規範を今まで通りの問題解決的なルーチンにおいていていいのだろうか?

いやそうではないはずである

環境問題というと社会はもちろん建築系組織でもSDGsというキーワードが踊っているが、これ自体が本当に持続可能な方向性を導くことができるものであるかという問いかけから始める必要があるように思う

そもそも「持続可能な開発目標」とは何か?デベロップメントの前に、今まで人類が自然に対して行なってきたことの検証をし、その何が問題だったのかを明確にして、それを正すことから始めるのが論理的な考え方で筋ではないだろうか

作り続けることを前提で考えることしかできない建築界は、付け焼き刃、泥縄的な対処では如何ともし難いところまで状況は進んでいると感じる

目標は大切でいいことづくめだが、今までなぜ行なってこなかったのか?何がそれを阻止しているのか?を見極めて考えることが必要ではないか

建築家の性とも言えるかもしれない「創る」志向の考え方から抜け出せないままの職能は、「持続可能ではない」かもしれない

現代の環境問題に対する建築家の立ち位置は、己の職能さえも疑問視することができるほどの「深い思慮」に基づくべきだと考えている

 

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カマキリの産卵

2021年10月26日 | 環境

今朝、出勤しようとしたら玄関の木製の柵にカマキリがいて卵が産み付けられていた。

ちょうど産卵が終わったばかりのようだ。

幼虫が出てくる時に見てみたいがどうだろうか?

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盛夏のひまわり 暑中お見舞い

2021年08月10日 | 環境
今年も暑さが半端ではないですが皆様体調にお変わりありませんでしょうか
異常気象と言い始めてから何年も経ってしまい、天気予報の「例年」という基準も10年くらい前の基準に変更することになり、私のように「子供の頃は〜」というと何か年寄りの昔話のように聞こえてしまいます

そしてIPCCの報告書の一部が発表されました
地球温暖化は人類が引き起こしていると明言され、その気候変動は数千年影響が続くとのことです
一番楽観的な予測でさえ産業革命前に比較して1.4度上昇、最悪4.4ど上昇という人類にとって大変な危機的事態です

10年前の2011年に東京で開催された世界建築家大会のテーマは「2050デザイン(サブテーマが地球・環境)」でした
その時にポスターセッションの発表準備で、地球惑星科学の中村先生にお教えいただいたことや科学者の間での議論によれば、すでに大方の科学者は温室効果気体(温暖化ガス)による温室効果が、気候変動の主な原因という共通理解が進んでいたと知りました
私は、人類がエネルギーを使いすぎたことが温暖化の原因かと考えてお聞きしたのですが、人類が使っているエネルギーの総和は、太陽から地球が受け取る熱エネルギーの10万分の1にも満たない量ということでした

世界の省エネという動きの中で建築家は、省エネの設計をするだけではなく電気に関してもその電気がどのように生み出されているかまで意識して設計することが大切なのだと改めて思います

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今日の1枚を投稿しよう;アゲハの幼虫

2020年10月25日 | 環境
10月も終わろうという時期だが庭のユズの木にアゲハの幼虫がいるのに気が付いた
これからサナギになって羽化するのは11月だろう
アゲハの舞うのは夏と思っていたが気候変動の影響だろうか
そうだとすれば科学の声に耳を傾けない政治家は今の若い世代に責任を取ることができるのだろうか

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氷上走行

2016年02月24日 | 環境
何年かぶりにスキーに行ってきました
天気は晴れで人工雪でしたが非常に良いコンディションで楽しめました
宿の近くの湖では氷上走行のトライアル?をやっていました
皆さんうまいものでスピンしている車はいませんでした
それにしても氷が割れないか?心配になりました
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地球温暖化議論の方向を変えよう!

2012年09月03日 | 環境
最近地球温暖化の議論が低調になったと感じる
東日本大震災で福島第1原発が事故を起こし、火力発電所を使わざるを得なくなったからなのだろうか
アメリカでも原油の中東依存から脱却する決め手としてシェールガスが脚光を浴びている
経済界、政府はもちろんマスコミも無批判に新エネルギーとして取り上げているようだが、はたしてそうだろうか
前にも述べたが、シェールガスを含めて地下から地上や海水中に熱を移動させるようなエネルギー源は利用することを控えるべきだ
この意味から、原子力も同様であると主張してきた

今の地球温暖化の議論は温室効果気体による温暖化を中心に回っていると考えている
その底流には人類のエネルギー消費(発生)は地球の熱エネルギーバランスの中では微小で影響は無視できるという前提がある
消費したエネルギーは熱となり温室効果気体により大気圏内にこもり、温暖化を進めることは間違いないだろう
しかし本当に消費したエネルギーが変化した熱が宇宙空間に放出されていけば問題はないのだろうか
議論の方向性があまりに単純化しすぎているように感じる
見直すべき時が来ている

温暖化の問題はもう少し丁寧に科学的に議論する必要があるのではないだろうか
地球全体での熱収支は最終的なことであって、地上の様相は様々で森林があれば都市もある
熱の偏在は顕著なはずでそこのところをもっと精緻に分析評価して、エネルギー政策に反映させていくことが大切ではないだろうか

日本の最近の猛暑は私の60年の人生を振り返ってみると確かに異常と感じる
東京で30度を超える時期はほとんど盛夏の1週間だったはずだ
今はどうだろう、6月から始まって9月に入っても34度という予報が出ている
しかも、日本は暑いだけでなく蒸し暑い
このような状況は都市で人が文化的な生活を営み経済活動を行うには適さない

こんな現状を打開するには以前にも提案した太陽熱と月の引力による潮の干満を利用したシステムに転換することが合理的と考える
このどちらもが、人類が使わなくても地球に到達していていることに加えて、どちらも温室効果気体と無縁である
日本政府をはじめ国際社会は早急に太陽熱と月の引力エネルギーに集中して技術開発を進めてゆくべきだ
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Only CO2? (LEEについて)

2011年05月07日 | 環境
LEEというのは、今年東京で開催される世界建築会議で私が発表する論文(ポスタープレゼンテーション)のテーマ
「Low Effect Energy」の略である
二酸化炭素の削減議論にとどまらず、真に環境に影響の少ないエネルギーを目指すべきではないかという問題意識が根源にあり昨年から準備を進めてきて3月に原稿を提出した

論文作成のためにいろいろ調べてゆく中で、東京大学大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻の中村尚准教授に伺ったことで、現在の研究の成果からエネルギー問題の数値的イメージ等の理解が進み、無理解からくる不安は解消されて真の問題点の絞り込みと論点整理、そして提議はできたつもりだ
震災でお礼が遅れているのが心苦しいが、このブログ上で中村先生に感謝の気持ちを伝えたい

私の問題意識の視点は「人類を含む生態系の存続可能な環境維持」のためにはどのようなエネルギー利用の配慮が必要かというところにある
結論から言えば、「Low Effect Energy」という概念となる
そしてもっと突き進めて考えると「エネルギーは使い放題でいいのか?総量規制が必要ではないか?」ということになる

二酸化炭素排出の削減は必須だが、そこで思考停止していてはいけないはずだ
今回の東日本大震災後の福島第1原子力発電所事故では環境への放射能の漏出という非常に重篤な問題が起きてしまった
このことからだけでも二酸化炭素排出削減だけでは免罪符にはなり得ないことは誰の目にも明らかだろう

人類は産業革命で動力を手に入れて以降、文明を異次元のレベルに変革させてきたと言えるだろう
それは、エネルギーの浪費に支えられてきた
しかし、地球環境は限界のある環境を形成していて私が学生時代にはすでに「成長の限界」が問題提起されていた
それから40年あまりたち、人類は二酸化炭素による地球温暖化という人類のみならず地球上の生態系すべてに深刻な影響を及ぼす大問題を現実のものとしてしまった
そして今また、放射能漏出という問題が三たびにわたり起きてしまった

人類は地球上の生態系に責任ある行動をする義務がある
「二酸化炭素による温暖化」「放射能漏出」だけでなく生態系に与えるさまざまな影響をどの程度すくなくすれば許されるのか?
注目すべきポイントは、大気圏、海洋の熱総量の変動だろう
その観点からすれば、宇宙空間から地球上に到来する自然エネルギー、地球自体がもつ熱エネルギーのうち自然状態で地上に漏出する熱エネルギーの総和の変動に人類がそれら以外のもので作り出すエネルギーがどの程度影響を与えるかどうかというチェックがなされ判断されるべきだろう

具体的には、変動に影響が少ない「太陽熱」「太陽光発電」「風力」「潮汐力」などが再生可能エネルギーと認められる
これからは、植物の活動に見られるような太陽熱をエネルギー源にした空気中の二酸化炭素を固定化する技術も視野に入るのかもしれない
化石燃料を地上で燃焼することで得られる熱エネルギー、核物質を反応させることによるエネルギー、地下から地上に取り出す地熱エネルギーは、それぞれの問題や限界があり再生可能エネルギーと考えることはできないだろう
そして、太陽からくるエネルギー、月の引力として到達するエネルギー、地表に漏出している熱エネルギー以外のエネルギーは使わないという方針が世界的合意として形成されることを願う

幸い中村先生のご指摘により、私の危惧する人類の消費エネルギー総量は太陽からくる熱ネルギーに比べればまだまだ非常に低いレベルである
太陽からくる熱エネルギーだけでも上手に使えば人類の活動に必要なエネルギーはすべてまかなえるということだ
人類は正確に全世界のエネルギー消費をモニターし、冷静かつ科学的にコントロールする手法、高能率で再生可能なエネルギー源を開発して、自然と調和するエネルギー開発を推進してゆかねばならない
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原発は独立した科学省を設立して許可することを提案します

2011年04月10日 | 環境
原発を設計しているのは独立した設計会社がある訳でなく製造メーカーの中で雇われている社員です
そしてそれを許認可するのは経済産業省や原子力安全委員会、原子力保安院など推進又は肯定側の機関のようです

ここにある問題は、設計のチェックに経済的視点が入る、または科学的、技術的な判断以外の何かが入り込むことです
原発は単なる製造者責任では済まない、経済問題を遥かに超えた大きな問題を内包していることが今回の事故でよくわかりました
新聞の報道で見えてくるのは、設計技術者は原発の非常時の危険性を会社の上層部に進言しているにもかかわらず、経済的な理由などで対応されないこととなったり、後回しになったりしていて事故が起きたという理不尽な状況です
このことから今回の原発事故ははじめの原因は津波だったにせよ、そのような事態に対する事前の対策が不十分だったことによる人災ではないかと考えられます

原発の設計と製作チェックは、経済産業省ではなく経済から独立した機関が行い、さらに科学者や技術者等で作る第3者機関が内容の審査を行うという仕組みが必要ではないでしょうか?
現在のように経済産業省が管轄することはやめて、たとえば「科学省」といった政策全般を科学的視点からチェックする専門家を集めた独立機関が許認可をすべきではないでしょうか?

外国の事情は詳しくないですが、IAEAが強制力を持ち得ない国際社会にも反省していただきたいものです
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省エネと国益?;COP15へ

2009年05月23日 | 環境
今日はデンマーク大使館主催のエコサイクリング大会に参加
各自COP15のロゴ入りTシャツを着て、東京の各区役所からスタートして絵画館前に集合する
どのくらいの参加があるのか不明だが大学時代の友人も江戸川区役所からスタートする
東京を皮切りに全国をリレーして回り、COP3の京都イベントでしめてCOP15のデンマークへ向かうという趣向

省エネには待ったなしの状況と認識しているのだが、世界の事情はそれぞれだ
中でも日本は省エネをいちはやく進めていてトップレベルだろう
ただこれは「いまのところ」の話である

日本は政府がCO2削減目標6案を提示して産業界を始め各方面の意見を収集している
今朝の新聞で電力業界が最低レベルの目標値としたいという希望に対して、環境相が「世界の笑い者になる」と発言したことを受けて「笑い者になろうとも国益を守るのが行政の責任ではないか」と噛み付いたとあった

これはいかがなものか
もちろん他国も国益を守りつつ議論をしていると思う
しかし、先進国と途上国の取り組みと経済成長という問題、先進国の中の省エネ進行度の差による対立などさまざまな論点を整理し現実を見据えた上で、科学的かつ実行可能で世界が同意可能な道を探るのが急務のはずだ

果たして化石燃料を地上に出してきて燃やすことがこれからも人類に許されることなのか冷静に分析してもらいたい
そういう意味で、省エネの視座も転換しなくてはならない時期に来ているのではないだろうか
今までは「1990年排出量の...」という議論だったが、これからは「GDP比でCO2排出量何トン」など地球環境の許容量を精査した上でのより科学的議論に進むべきではないか
これが、様々な対立を解く鍵になると考えている

ただ気になるニュースもたくさんある
中国が原子力発電に傾注し始めていることもその一つ
環境問題はCO2の排出量が少なければいいのだろうか
前の投稿を繰り返すようだが「エネルギー使用量の一定量までの制限」が大切ではないか
地上に降り注ぐ太陽エネルギー、月の引力による干満エネルギー、地熱が地上に到達する熱エネルギーの3つ以外に、化石燃料のように地下から大気圏に放出するエネルギーを出してはいけないのではないだろうか
そうであるとしたら、人類はこれからどうすべきなのか?

2011年の世界建築家会議(UIA)でのテーマは「2050環境」
これに対し世界の建築家はどのような議論をするのだろうか
マスコミも未だに「どこそこで何億バレルの油田発見!石油枯渇はまだ心配ない」などとのんきな報道をしている
産業革命以降の人類の「成長という栄光」に徹底的な再定義が必要だ

COP15での議論に注視したい
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省エネ;脱エネ;造エネ

2009年01月30日 | 環境
省エネが叫ばれている。しかし、ここでよくよく考えてみると省エネではなく脱エネが必要なのではないかと思った。友人に話すとさらに「造エネ」が必要だと言う。そうか!電車がブレーキで電気を作って送電線に送り返しているのを建築でもやらなければならないのだ。でもやっぱり「脱エネ」もとっても大切。
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疲弊しているのは?だれ、そして持続可能性

2008年02月27日 | 環境
今日のニュースで、
「医師や看護士が疲弊している」
との報道があった
これは、大変なご苦労をされている医師の方々や看護士の方々をなんとかしなければとの問題提議からの発言だったようだ
一番当てはまるのは我が息子もお世話になった、「産科や小児科などご苦労の多い分野に関わる医療関係者の方々が疲弊している」ということになるのだろう
議論の先は、「外国からの労働力の移入」か

これを建築界に当てはめてみると、「構造設計に携わる方々は疲弊している」というところか
もっと議論を深めれば、「建築設計に携わる方々の中で労多くして報酬の少ない方々は疲弊している」となるのだろう
そもそもどの程度、どのような内容の業務を果たせば公に認められる設計者となることができるのか?
一般の方々には難しい問題だろう
それを同じ設計料の中で設計者としての誇りを持って自分の責務を黙々とこなしている方がいる一方で、業務内容がわかりづらいのをいいことに業務をはしょってしまっている設計者、設計料を安くして業務内容もはしょっている設計者などさまざまだ
ここで立ち返って考えてみると、「設計料を安くして」「設計料はサービスにして」という要望は国民の悲しい願いでもあるのかもしれない

はじめの「医療関係者が疲弊している」というのも、日本国家という仕組みの中で「それを支える国民が疲弊している」と言い換えることができないだろうか?
そして大切なことは、「経済的な要因で精神的に疲弊している」ということではないか
経済優先の文明がどのような未来を切り開くのか私には予想がつかない
しかし、今現在はっきりしているのは、グローバルな経済世界の中で日本という国家単独で生き延びることはできないということだろう
そして、今の経済優先という社会が背負うものは「成長しなければならない」ということと、「消費社会」という怪物だろう
いまや、「限界」に達したと言っても過言ではないだろう
これをいつまでも続けることができないのは識者が私が子供の頃から言っていたと思う

これらの呪縛から人類自ら逃れることはできないのだろうか?
新しい人間社会の枠組み、システムが構築されれば解決できることなのだろうか?
それとも、「環境」という人間の力ではどうすることもできない「力」の前に屈するまで転げ落ちるように突き進むしかないのだろうか
わたしは、次の世代のためにもなんとか「持続可能、生存可能な道への変革」を起こすことができるような活動としての「都市建築設計」をしていきたい

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省エネについて

2008年02月22日 | 環境
今日は省エネ関係の某省委員会のワーキングチームとして湘南のとある市にある保育園と障害者の方の施設を訪問した
それぞれ利用される方の保護者の方々は、施設の室内温熱環境をよりいいものにしてほしいというご希望がある
一方で省エネも必要!
かくいう私の息子も保育園にずいぶんとお世話になった
省エネとご希望が相反することもあるだろう
難しい問題だが、未来の子供たちのために今の大人がなんとかしなければならないと思う
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耐久性について(ストック社会のすすめ)

2008年02月21日 | 環境
先日、「ハマの空き家を活用する会」のオープニングパーティーに行ってきたことを書いた

私はH女史と「さくらガーデン」のプレゼンテーションをさせていただいた
4つのセッションがあり、最後の発表だったので時間を大幅にオーバーしてしまいご迷惑をおかけしてしまった
横浜市の木村さんごめんなさい
その木村さんとの立ち話で出た話
私;「耐久性こそが究極の省エネであり省資源、サスティナビリティではないか?」
「そして、耐久性こそが日本ではなく日本の個人を豊かにする鍵ではないか?」
このことは、「人間性豊かな集住体」で研究してきた過程で行き着いた結論だ

現在の日本人は日本という国家が上向きだったころにはあまり気にしないで済んできた自分の豊かさについて、将来の希望を描けなくなってきている
その大きな原因が過大な住宅ローンというのはあながち見当はずれではないだろう
姉歯の偽装マンションほどではないにせよ、30年にも満たないのではないかという粗悪な建て売りに何千万ものローンを組んでいるのがなんと愚かなことかと気がつき始めている

以前イタリアを旅行したときに知り合ったイタリア男性の話
「ローマ駅から3分のところで60㎡の賃貸住宅に30平方メートルのルーフバルコニーがついて家賃が3万円」
「建物は300年経っている」というのを聞いてわかった
イタリアはそのころ経済的にはひどい状態だったのにたいし、日本はバブルがはじける前で景気が良かった
しかし、そのイタリア男性は我々よりずっといい生活をしていた
良い生活というより、精神的にゆとりがあった
そう、イタリアに限らずヨーロッパのほとんどの国々は、日本に比べて都市のストックの蓄積があるのだ
これに日本は気がつかないか、消費は美徳とばかりにスクラップアンドビルドを進めていたのだ

日本政府も最近になってやっと200年住宅とか言い始めたが、社会構造の大きな転換が求められる
これは、相続税をはじめとする税制にも見直しが求められることになる
日本の政策は片手落ちというか、縦割りの弊害をもろにかぶるような事態になって実効性がなくなっても手当をしないで済ませている事例が見られる
話はそれるが、定期借地権を法制化した時、住宅取得の融資の際の担保設定をフォローしなかったために、定期借地契約があまり進んでいないというのもこの一例だ
「さくらガーデン」ではこれで非常に苦労した

今こそ「耐久性(ストック社会)」を社会のスローガンにして、豊かでサスティナビリティの高い社会構造を構築してゆくべきではありませんか
政治家や政策立案をしているキャリアの方々、聞こえていますか?

ちなみに私は、賃貸マンションを依頼いただくクライアントには、耐久性ある建築をお勧めしている
もちろんメンテナンスコストを含めて仕様の決定をしている
基本的にはスケルトンアンドインフィルシステムだ
そして、梁の貫通はゼロ、床や壁に配管を埋め込むのもゼロ
このためには階高が必要
つまり建築費が高いということになる
しかし、このようなストックが蓄積して行った先には、豊かな個人と守られた環境が待っているだろう

余談だが、建て替えが減るので建築設計も需要が少なくなって建築家ももっと少なくていい社会になっているかも?
しかし、建築家であればよりよい未来のために努力すべきだろう

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