建築設計者の日々是好日

建築家として感謝をもって生きる日々の記録

疲弊しているのは?だれ、そして持続可能性

2008年02月27日 | 環境
今日のニュースで、
「医師や看護士が疲弊している」
との報道があった
これは、大変なご苦労をされている医師の方々や看護士の方々をなんとかしなければとの問題提議からの発言だったようだ
一番当てはまるのは我が息子もお世話になった、「産科や小児科などご苦労の多い分野に関わる医療関係者の方々が疲弊している」ということになるのだろう
議論の先は、「外国からの労働力の移入」か

これを建築界に当てはめてみると、「構造設計に携わる方々は疲弊している」というところか
もっと議論を深めれば、「建築設計に携わる方々の中で労多くして報酬の少ない方々は疲弊している」となるのだろう
そもそもどの程度、どのような内容の業務を果たせば公に認められる設計者となることができるのか?
一般の方々には難しい問題だろう
それを同じ設計料の中で設計者としての誇りを持って自分の責務を黙々とこなしている方がいる一方で、業務内容がわかりづらいのをいいことに業務をはしょってしまっている設計者、設計料を安くして業務内容もはしょっている設計者などさまざまだ
ここで立ち返って考えてみると、「設計料を安くして」「設計料はサービスにして」という要望は国民の悲しい願いでもあるのかもしれない

はじめの「医療関係者が疲弊している」というのも、日本国家という仕組みの中で「それを支える国民が疲弊している」と言い換えることができないだろうか?
そして大切なことは、「経済的な要因で精神的に疲弊している」ということではないか
経済優先の文明がどのような未来を切り開くのか私には予想がつかない
しかし、今現在はっきりしているのは、グローバルな経済世界の中で日本という国家単独で生き延びることはできないということだろう
そして、今の経済優先という社会が背負うものは「成長しなければならない」ということと、「消費社会」という怪物だろう
いまや、「限界」に達したと言っても過言ではないだろう
これをいつまでも続けることができないのは識者が私が子供の頃から言っていたと思う

これらの呪縛から人類自ら逃れることはできないのだろうか?
新しい人間社会の枠組み、システムが構築されれば解決できることなのだろうか?
それとも、「環境」という人間の力ではどうすることもできない「力」の前に屈するまで転げ落ちるように突き進むしかないのだろうか
わたしは、次の世代のためにもなんとか「持続可能、生存可能な道への変革」を起こすことができるような活動としての「都市建築設計」をしていきたい


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