建築設計者の日々是好日

建築家として感謝をもって生きる日々の記録

卒業式のシーズン

2015年03月25日 | 活動
今日は出身小学校の卒業式に出席してきた。
学校評議員として来賓の立場だった。
毎年恒例で同じような進行だったが、今日はなんとなくいい雰囲気だった。
読み聞かせや、空間ワークショップのボランティアを通じて顔見知りの児童がいたこともあるかもしれない。
しかし、卒業証書授与の後の校長先生の祝辞が良かった。
「ありがとう」「ごめんなさい」「さようなら」の3つの言葉の効用を紹介し祝辞としたのだ。
それぞれ、感謝、勇気、独立をあらわし、彼らのこれからの長い人生に向けたメッセージとしていいものだと感じた。

そしてこれも恒例の4、5年生による卒業生を送ることばとコーラス。
それに応える卒業生の歌声が素晴らしかった。
終了後に参列者が口々に聞き惚れたと賛辞を送っていた。

かくいう私も保護者として息子の高校卒業式に出席した。
こちらは体育館が大きく、天井が半円形で祝辞やコーラスの響きが良くなかった。
この高校の設計には、建築家協会のメンバーが建設委員会に参加していたということなので残念なことである。

今日の小学校の卒業生の将来を語る言葉の中に「建築家を目指したい」というのを聞いた。
空間ワークショップのボランティアで昨年の秋に担当した子供たちだったので、少しは建築の楽しさをわかってくれたのかなと一人うれしかった。
卒業生には夢を追い続けてチャレンジして欲しい。
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プロフェッショナル(職人技を持つ人たち)の生きる道

2015年03月05日 | Weblog
 われわれ建築設計者は無から有を作り出す仕事と言える。
しかし、その中身は昔とはずんぶん変わってきた。
私が組織設計事務所に入った頃は、まだアルミサッシができはじめたころで、学校の設計でもサッシといえばスチールサッシで、さらにスチールの型材を組み合わせて特注サッシを作る方法を教えられたものだ。

 翻って、現在はどうだろう?
スチールの特注サッシはできないことはないが、いざやろうとするとべらぼうな価格になってしまう。
スチールがいいと言っているわけではなく、そのような職人技を持つ人たちが減っていて、いたとしてもとても特殊な技能の持ち主という位置付けになっていることが心配なのである。
 なぜ心配かといえば、特注のサッシではなく一般の既製品のサッシを使っていれば(設計で仕様を指定することを意味する)なにも困ることはないのだが、ちょっと寸法を変えると高いものになってしまい、全体のコストコントロールを考えると躊躇してしまうという状況がいいとは思えないからである。
 そして、デザインの幅が狭められる。

 どの世界にも職人、匠、親方、プロフェッショナルといろいろな呼び方で専門家が存在する。
しかし、今の社会は特別なことをする、できる人間を使わない方向にあるように思う。
これは、非常な社会の損失と言える。
規定の製品しかできない社会になってしまったら、なにかの拍子に機械が止まったらなにも対応ができないということになりかねない。

 「技術は人についてくる」
人がいなくなればその技術も消える運命にある。
なんとかみんなでプロの技を使うことにしよう!
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