Takeda's Report

備忘録的に研究の個人的メモなどをおくようにしています.どんどん忘れやすくなっているので.

モノの圧力

2006年04月20日 | 研究
3月に故あって国立民族学博物館を訪問しました.オントロジーで民博研究者を
支援できないかという話を考えるためです.僕は関西にいたこともありますが,
実は民博は初めてでした.
民博とのからみがどうなるかはまったくわかりませんが,とりあえず博物館で感
じたこと.それは大量のモノからくる圧力です.民博では開館時よりのポリシー
で説明を最少にして,モノ自体を大量に展示するという方式をとってきたそうで
す(最近は展示方法はかわりつつあるそう).太鼓なら太鼓が,さまざまなバリ
エーションで大量に置かれているわけですね.これは圧巻です.僕にはそれは人
間としての本能的な部分に触れるものがあるのではないかと思いました.
人類は古来よりひたすら道具を作ってきたわけです.ホモ・ファーベルとしての
人間の本能というわけです.モノをつくることで生存してきた人類にとってモノ
は不可分な存在なんじゃないでしょうか.本能といっても,もちろん動物として
の本能(media equationで示されたようなもの)のレベルよりは表層的なものだ
とは思いますが.
古来からモノをあつめるという行為は洋の東西を問わず存在してきたわけです
(博物趣味).また,我々も日々コンビニやキオスクの大量のモノでほっとする
ことがあるわけです.あるいはかつての共産圏のモノにはバリエーションなんて
いらないという世界にロジカルでない納得のできない気持ち,さらには旧共産圏
のデパートのわびしさ(僕はソ連から分離してしばらくのエストニアのデパート
にいきましたが,そんな感じでした)もなんかの由来があるのではないでしょう
か(そもそも共産圏の崩壊はこのモノに対する執着心も貢献したのではないのか
な.コカコーラやマルボロ,ベンツといった存在は壁崩壊の内なるモチベーショ
ンか).
このモノに対する特別な関係はかなり深いところにあるのではないかと思う.人
工物工学的にはモノの本質は機能であり,機能が同値であれば物質的な存在の有
無を問わない,だからサービス化が可能という.これはサービス工学の道筋なの
だけど,もし上のようなモノへの執着がかなり深いところにあるのなら,機能と
は別の側面,モノの存在としての意味,も考慮しないといけないじゃないだろう
か.