Takeda's Report

備忘録的に研究の個人的メモなどをおくようにしています.どんどん忘れやすくなっているので.

実名の信頼性、匿名の信頼性

2010年06月17日 | 研究
旧聞になるがNIIのオープンハウスでの北大の山岸先生の話は大変示唆に富むものであった。

山岸先生にいうように日本社会が安心型社会であることはだいたいに合意するところであろう。安心型社会では社会に人々はいわばロックインされており、それゆえに逃避できないという制約から裏切らないということが期待できる。このため相手を信頼するか否かという判断を下す必要がない。これが実は日本社会が安心型社会だけれども低信頼性社会であるゆえんである。

それを検証する被験者実験ではおもしろい結果が出ている。再参入可能でない設定では、実名(実験ではID固定)にくらべ匿名のほうがよくない結果である。一方、再参入可能な設定の場合は、ポジティブな評価があることがよい結果をもたらしている。

これは現在の日本のネット社会がなぜほかと違い匿名型・ニックネーム型であることのよい説明になっている。アメリカなどの社会においては実社会のそのものが安心型ではなく再参入可能な信頼型社会である。このため、ネット社会においても実社会とリンクされる実名で問題ない。一方、日本では実社会が再参入不可能な安心型社会である。そこでネット社会ではあえて実社会と切り離して匿名社会とすることで、再参入可能な社会を作り上げている。ネットで実名を使ってしまうとそのまま安心型社会である実社会にリンクされてしまうので、再参入可能な社会でなくなってしまう。

こう考えると日本のネット社会が匿名型になったのは信頼型社会をつくりたいという我々の自然の思いが作り上げたすばらしい仕組みである。つまり幸か不幸か、日本では匿名にすることで信頼型社会が構築されているわけである。

そのエビデンスはばらばらある。2ちゃんねるの興隆はいうまでもない。2ちゃんねるは匿名性の最たるもので、ハンドルネームすらまれである。しかしそれによって安心型の実社会ではない自由度のある社会が作られている。2ちゃんねるに信頼性があるか?「電車男」ストーリーが示唆するところは可能であり、たぶん成立しているということである。

ニコニコ動画ではほぼ全員がニックネームであるが、よい評判がよい評判が呼ぶということで有名クリエータが登場している。日本ではtwitterは半実名型(ニックネームだが比較的容易に実名にリンク可能)だが、これもtwitter上の発言の自由度(安心型社会の制約に縛られない)をうまく利用しているといえる。

普通の意味でのSNSが日本で絶滅しつつあるのもこのエビデンスの一つである。SNSは個人が容易に特定できるサービスである。この点ではSNSは信頼型社会でしか成り立たないサービスである。結果として日本のSNSはことごとくゲーム用のSNSになってしまった。匿名で内容も実社会と関係なければ、実社会にリンクされる危険性は少ない。

ちなみに中途半端なのはmixiである。mixiは元々アメリカ型SNSを直輸入したコンセプトで始まったが、すぐに実名を推奨しなくなった。それはプラバシー問題が多発したからであるけれども、安心型社会に直接リンクされた結果である。ところが一方で携帯電話メールを条件にすることで再参入が難しい仕組みを残してしまった。これは失敗であろう。

ともかく日本のネット社会の匿名性はネガティブな現象でなく、我々なりのイノベーションである。我々はそれをうまく利用し発展させることが、日本流のネット技術をつくる鍵になるのかなと。

最新の画像もっと見る