Takeda's Report

備忘録的に研究の個人的メモなどをおくようにしています.どんどん忘れやすくなっているので.

ASWC2006参加記

2006年09月13日 | 会議参加記
9月3日から7日に北京に行われたASWC2006 (The first Asian Semantic Web Conference)に参加してきました.この会議は初めての開催で,PC委員長は溝口先生です.これでセマンティックWebの国際会議はISWC, ESWCとあわせて3つとなったわけです.アジアの会議なわけですが,主催の経緯はちょっとひねくれていて,ヨーロッパ勢がいいだして,サポートをしています.
論文はフルペーパ36件,ショート36件で,フルペーパの採択率は18%ということのようです.

招待講演はアメリカのJim Hendler,ヨーロッパからEnrico Motta,中国のHai Zhungであった.Hendlerの話はこれまでのセマンティックWebの発展の経緯であり,あまり新しいことはなかった.これに対してMottaはSWの今を語った.これまでの第1世代のSWはサイズが中程度,概念は一様,知識の変化は小であった.これは古典的な知識ベースシステムのアプローチに近い.これに対して第2世代のSWはサイズが大,複数のオントロジー,インタラクティブ性などの特徴を持つ.例として,MagpieとAqualogを取り上げた.これらもオントロジーは1つであるが,これを第2世代とするには,オントロジーのマッピング,オントロジー選択,オントロジーのmodulirizationということが必要であり,これは現在のSWの研究トピックスである.Mottaは今を語ってくれたが,未来を語ってくれなかったので,ちょっと残念.

本会議は2パラレルで3日間であったが,会場の熱気はいまひとつ.はっと思わせてくれる研究は少ない.

この中で僕が個人的に気に入った発表は
Web Services Analysis: Making Use of Web Service Composition and Annotation
Peep Kungas and Mihhail Matskin
で,既存のWeb Serviceを集めて,簡単なオントロジーを作って,その全貌をみようという話で,自分で1000個以上のWeb serviceを実際にアノテートしたらしい.とてもPragmaticな研究で僕は好きなのだが,早速正統オントロジー派のJohn Dommingoから突っ込まれたていた.もちろん,こういうボトムアップ的アプローチだけではだめかも知れませんが,SWが地に足をつけてやるにはこういう研究が必要と思う.

あと,下の発表も面白かった.
D-FOAF: Distributed Identity Management with Access Rights Delegation
Sebastian Ryszard Kruk, Sawomir Grzonkowski, Adam Gzella, Tomasz Woroniecki, and Hee-Chul Choi
複数の社会ネットワークを統合するという話らしいのだが,詳細はよくわからない.

ワークショップは6件あり,まずまず盛況であったといえよう.

残念なことはno showが少なからずあった.しかも”中国”の発表が多数あった.以前から中国からの発表でno showが見られたけれども,これは渡航費の問題やVisaの問題があるからしょうがないのかなと思っていた.けど,国内でやってこれとはとってもがっくり.確信犯だよね.


中国のWeb2.0はきっとすごくなるでしょうね.

2006年09月05日 | 雑感
会議で北京に来ています.
思ったより違和感がないのが,かえって違和感に感じるぐらいですね.
それでもいろいろ違いを感じました.とくに「大きいこと」,「多いこと」,この二つは圧倒的ですね.天安門広場はもちろん,デパートも大通りもとにかくでかい.そしてそれを埋め尽くす人がいること.午前中だだっぴろいーと思っていたのが,夕方には人で埋め尽くされているというわけです.
日本でもこういう大人数というのはなくはないけど(アジア的というべきなのかな),とにかくスケールが違う.
これは当然ネットの世界でも同じことがおきているわけです.日本でも2ちゃんやブログが簡単に炎上しちゃうのはこの大人数性なんだからと思うけど,それが10倍にスケールアップするわけだからすごい.
とするならば中国でWeb2.0的Webが普及するとこれはすごいことになるでしょう.マーケットに対しておそるべきパワーをもつことになるでしょう.
ただし,それはアメリカ人の思うWeb2.0を超えてもっとすごい状況になるんじゃないかな.つまり,予想を超えた人数やアイテム数によって主催者が手に負えなくなるじゃないかな.たぶん別の仕組みが必要になるでしょうね.いまのような性善説的,疑似民主主義的方法は無理なような気がする.