Takeda's Report

備忘録的に研究の個人的メモなどをおくようにしています.どんどん忘れやすくなっているので.

本が本であるために

2010年04月23日 | 雑感
本とはなにか。

最近、デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会技術ワーキングチーム(ながー)にでています。

懇親会にでて近未来の本である電子書籍の議論を聴講していると、むしろ本とはなんなんだろうと考えてしまいました。電子化してしまえば本なんて言うカテゴリーはなくなってしまうのではないか?そもそも本とは何か?ということに疑問を持ちました。

本が本であるのはまあ物理的な本の存在形態によるところが大きいわけですが、それだけでは未来の本はみえてこないですよね。そこで、思考実験として、物理的な形態になるべく言及せずにいかに本を説明できるか試してみました。いわば本の機能的性質を記述しようというわけです。

(情報内容)
1.含まれる情報は固定されいる
2.分量は10-1000ページ程度である。
3.情報は独立しており、他の情報源に依存しない。
4.主に文字情報である。
5.著者や発行元が明示されている

(情報アクセス)
5.情報はページ単位で、1ページあるいは2ページごとにアクセスされる。
6.情報には始まりから終わりまで順序がある。
7.基本アクセス方法は順次アクセスであるが、ランダムアクセスも可能である。

(情報形態)
8.可搬性がある
9.購入できる
10.貸し借りができる
11.部分的に切り取ることができる
12.記入することができる

こんなところでしょうか。これは定義ではなく、比較的共通な性質というぐらいですね。もちろん、例外は沢山あります。辞書は7の例外ですし、シリーズ本は3が疑問です。雑誌は3の明らかな例外ですね。グラビア本や漫画本は4の例外ですね。おなじ漫画本でも著者が不明のアメコミのペーパーバックなんて、より本らしくない。

とはいえ、この性質からたくさん外れるとだんだん本らしくなくなってしまうわけですね。HTML文書は3、5,6あたりが外れていて本とは認識されづらい。PDFは情報アクセスや情報利活用に関しては本の性質をかなり模倣していますが、情報内容に関しては関与しないので、PDF=本とはならないわけです(PDFで本はつくれる)。

形態やアクセスも重要なのだけど、情報内容が本にとって本質なんでしょうね。情報内容の条件全体でいえることは、本とはそれ自身の独立した価値があり、ほぼ恒久的に存在するものということです。いわば知の断片、知のブロックといえましょう。我々の知も形作るために,我々は本を読むことで、知のブロックを積み上げている(つもりな)わけです。また出版元や著者という形で社会とつながっていることも重要で、本は社会の中で認知され、社会の知のブロックであるわけです。社会の知を構成する要素というわけです。

知のブロックとしての本は図書館やアーカイブと密接に関係しています。なので本にとって図書館やアーカイブは本が本であることを強化する点において不可欠なわけです。映画アーカイブやTV番組アーカイブ、漫画図書館を作ろうというのは、これらが知のブロックたらしめんということだと思います。

電子化されようと本が本であるためにはこの知のブロックとしての機能を保持あるいは発展させないといけないですね。知のブロックとしての存在、蓄積機能、社会機能、といったものをもったものが「本の電子化」の要件だと思います。


新年度を迎えての思い

2010年04月10日 | 研究
2010年度になって1週間が経ちました。僕は普通は年度なんか気にして仕事をしているわけではありませんが、今回はちょっと違います。4年4ヶ月続いた東大の兼任が3月末で終了しました。またほとんど貢献していない阪大の仕事も終わりました。外部の所属はすべてクリアになって、ちょっとすがすがしいです。

東大兼任はいろいろ新しい経験ができておもしろかったです。僕にとっては古巣のようであり新しいところでもあり、先生方は旧知の人もあればまったく新しい人もあるというところでした。実は僕は大学院大学しか属したことがなく、学部生指導は初めて、いろいろ発見がありました。
とはいえ、はやり目的も内容も異なる2つの仕事を兼務するのはちょっと無理があったようです。どちらの仕事も中途半端になった感が強いです。特に心理的によくない。どっちも最後まで力をだせずに適当なところで止めておかないといけない。たとえていえば、ダブルヘッダーで第一試合を5回まで、第二試合も5回まで投げるようなことを繰り返すようなものかな。両方の関係者のみなさま、すいません。ご迷惑をおかけしたと思います。

今年からはもっと自らのリソースを集中させていきたいと思っています。今回の経験で自分の活動量の限界はわかってきたような気がします。自分の仕事の方向をなるべく揃えて、力が分散するのを減らそうと思っています。

研究範囲としてはlinked dataからdigital library/repositoryあたりにします。一方の端はlinked dataの研究であり、他方の端がNIIの学術情報サービスというわけです。この間にWebやらsocial networkやらが挟まっており、やるべきことは沢山あります。まあ事実上これまでのやってきたことの範囲をあまり外していませんが。ただ、この研究からサービスへの軸を意識することは忘れないでいこうと思います。

この具現化として、今年度から一つのプロジェクトを始めます。

Open Social Semantic Web Platform for Academic Resources (学術資源のためのオープン・ソーシャル・セマンティックWebプラットフォーム)

というものです。
分散している様々な学術情報をLinked Data化することで相互につながり合って使い合うということを実現する仕組みを提供するというものです。もちろん、単にLinked Dataをaggregateするだけでだめで、オントロジーサーバも必要となりますし、オントロジーマッチングも必要となります。そういった研究的問題をスコープに入っていますが、もっと重要なのはそれぞれの領域における情報であり、その扱い方です。このプロジェクトは常にプラグマティックにいこうと思っていて、常に具体的な問題(具体的な情報源)を対象として実施しようと思っています。扱う分野はとりあえずCiNiiのような統合的な学術論文データ、博物館・美術館などの文化データあたりを想定しています。まだキックオフもしていませんが、もし興味がある人はご連絡下さい。

また社会的な活動も少しづつしていこうと思っています。国内の活動、それから国際的な活動(これが結構きつい)を自分の出来る範囲でしようかなと。これについてはまた別の機会に報告します。

僕もついに文科省のいうところの若手研究者ではなくなったので、闇雲に研究するのではなく、中長期的なビジョンを考えながら進めようと思います(といってもやっぱりそうかわんないだろうなあ。これは性格だから:-))